幕間4 ちよは、自分の返事のあとで家の話を聞く
元暦元年(1184年)、鎌倉。
父と母へ話した翌日、ちよは板敷に並んだ顔を見た。
父の行正。
母のさわ。
長兄の行房。次兄の行重。そして、いちばん年の近い兄の行兼。
その向かいに、直成が座っている。
「兄上たちも、いるのですね」
ちよが言うと、行兼が顔を向けた。
「気になるだろう。お前が夫にしたいと言った男だぞ」
「昨日、父上と母上には話しました」
「だから、今日は俺たちも聞く」
「もう、決めていたの?」
行房が口を挟んだ。
「始まる前から言い合うな」
さわが笑った。
「直成殿が、お困りでしょう」
ちよは、隣を見た。
直成は背筋を伸ばしていた。
一昨日、求婚されたときより、肩が固く見える。
ちよは口を閉じ、父へ向き直った。
◇
行正が、直成へ尋ねた。
京では、誰のもとで働いていたのか。
鎌倉へ来てから、何をしているのか。
直成は一つずつ答えた。
大江広元のもとで、文書や数字を扱う仕事をしている。
人の話を書き留め、訴えの内容や土地に関する書付を整理することもある。
父は黙って聞いていた。
やがて、問いが昔の家や氏のことへ移った。
直成は、すぐには答えなかった。
「そのことは、今は申し上げられません」
ちよは、膝の上で手を重ねた。
自分にも、そう答えたことがある。
直成は父を見て、続けた。
「申し訳ありません。ただ、別の家の出だと、偽ってお話しすることもできません」
父は、少しの間、直成の顔を見ていた。
「鎌倉で、頼れる親類は」
「おりません」
「広元殿とは、長く仕事をしているのだな」
「はい。僕がどのような仕事をしているかは、広元殿にもお確かめいただけます」
父がうなずいた。
ちよは、少しだけ息を吐いた。
家の話で、確かめられることと、まだ話せないことがある。
父も、そのままにしてよいと決めたわけではないだろう。
それでも、今は次の問いへ進んだ。
◇
「同じ名の者が二人いたら、どう書き分ける」
行正が尋ねた。
ちよは父の顔を見た。
少し身を乗り出している。
仕事の話が、面白くなってきたときの顔だった。
「家や土地、誰から聞いた話かを、分けて書きます」
直成が答える。
「本人から聞いたことと、ほかの者の話も?」
「分けます。あとで、どこまで確かめたか分からなくなるので」
「どのように」
直成は少し考え、懐へ手を入れた。
ちよが目を丸くする。
「持っているのですか」
直成が手を止めた。
「自分で使うための、覚え書きです。お見せできるものだけですが」
父が言った。
「見せてくれ」
「父上」
「少しだけだ」
直成が紙を広げた。
父がのぞき込む。
行房まで、少し近づいた。
「この印は?」
「自分で確かめたところです」
「こちらは?」
「まだ、人から聞いただけのところです」
父がうなずく。
隣で、行兼が小さく言った。
「楽しそうだな」
ちよは兄を見た。
「今日は、婚姻の話でしょう」
さわが夫へ声をかけた。
「あなた。続きは、またにしては?」
行正が顔を上げる。
「分かっている」
直成は、急いで紙を畳んだ。
「すみません」
ちよは首を振った。
「直成殿だけのせいではありません」
行重が笑った。
父も、少し咳払いをした。
◇
話が、ようやく戻った。
「夫婦になったあと、どこで暮らすつもりだ」
行房が尋ねた。
直成は姿勢を正した。
「お許しいただけるなら、僕が、二階堂の家へ入ることをお願いしたいと思っています」
「ちよを連れていくのではなく?」
「はい」
ちよは、直成を見た。
本人から聞いていた話だった。
それでも、家族の前で口にされると、その先の暮らしが少し近づいた気がした。
父が、仕事との兼ね合いを尋ねる。
兄たちは、家や土地、暮らしに使うものについて聞いた。
直成は、多くは持っていないと答えた。
それから、少し考えて言った。
「紙は、あります」
行兼が首を傾けた。
「紙?」
「かなり」
行重が吹き出した。
父だけが、何の紙か尋ねかけた。
ちよが顔を向けると、父は口を閉じた。
母が、とうとう声を出して笑った。
「話の合う人が来たようですね」
直成は少し困った顔をしていた。
ちよも、笑ってしまった。
◇
行兼が、直成へ尋ねた。
「ちよのことは、どのくらい知っている」
「お話しするたびに、少しずつ」
「思ったことを、すぐ口にするぞ」
「はい」
「分からないことは、何度でも聞く」
「それも、知っています」
「怒ると、早口になる」
「行兼兄上」
ちよが呼ぶと、兄は平然としていた。
「これから一緒に暮らすのだから、大事だろう」
「ほかにも、話すことがあるでしょう」
直成が小さく笑った。
行兼は、その顔を見た。
「何度も聞かれて、嫌にならないか」
直成は少し考えた。
「僕も、よく尋ねる方なので。お互いに、聞ける方がよいと思っています」
ちよは直成を見た。
兄は、しばらく黙ったあと、うなずいた。
「なら、よい」
「それだけですか」
思わず、ちよが尋ねた。
行兼がこちらを見る。
「まだ、言ってほしいのか」
「もう十分です」
行重が、また笑った。
◇
最後に、父がちよへ尋ねた。
「お前の気持ちは、昨日と変わらないのだな」
「はい」
「直成殿と、夫婦になりたいのだな」
ちよは、隣を見た。
直成も、こちらを見ている。
「なりたいです」
父が、ゆっくりうなずいた。
「分かった」
直成の肩が、少し下がった。
父は、そこで話を終えなかった。
婿に入るうえで決めること。
家の中で担うこと。
広元のもとでの仕事との兼ね合い。
まだ、相談することは多かった。
ちよも、途中で口を挟んだ。
自分にも関わる話だった。
直成は、ちよが話すと顔を向けた。
父も母も、最後まで聞いた。
その中に座っていると、求婚を受けた夜とは違う形で、夫婦になるのだという実感が湧いてきた。
◇
話が一段落し、ちよは直成と外へ出た。
家の中では、まだ兄たちが何か話している。
母が、もう二人を行かせるようにと言った。
その向こうから、父の声が聞こえた。
「直成殿。あの覚え書きは、今度また――」
「父上」
ちよが振り返ると、直成が隣で笑った。
先ほどまでの、困ったような笑い方とは違っていた。
「賑やかですね」
「いつもです」
「そうですか」
直成は、家の方を見たまま、しばらく立っていた。
「疲れました?」
ちよが尋ねる。
「少し。でも、こうして皆で同じことを話すのは、久しぶりで」
ちよは直成を見た。
どこの、誰とのことを思い出しているのだろう。
尋ねかけて、やめた。
今は、家の方を見る直成の顔を、もう少し見ていたかった。
行兼が戸口から声をかけた。
「ちよ。夕方までには戻れよ」
「分かっています」
「直成殿、ちよを頼む」
ちよはすぐに言い返した。
「一緒に出るだけでしょう」
後ろで、行重が笑った。
直成も、笑っていた。
これから、その笑い声が家の中へ増えるのかもしれない。
ちよは、それを少し楽しみに思った。




