第22話 まつは、季成へ出す文に何を書くか迷う
承元三年(1209年)、鎌倉。
「文を出したい?」
戻ってきた政子は、まつの話を聞いて少しだけ目を丸くした。
まつはうなずいた。
「はい」
隣には、ちよがいる。
三郎は、北条家まで持ってきた紙を膝の上に置いている。
その少し向こうには泰時もいた。
政子は三郎の紙へ目を向けた。
「それは何?」
「姉上が季成殿について知りたいことです」
「三郎」
まつが低い声で呼ぶ。
「何です?」
「政子様にまで全部見せなくていいでしょう」
「でも、相談するのでしょう?」
「そうだけど」
政子が笑った。
「いいわ。見せてちょうだい」
三郎は紙を差し出した。
まつは止めるのを諦めた。
政子は上から順に読む。
住んでいる場所。
家族。
仕事。
好きなもの。
嫌いなもの。
人への接し方。
まつをどう聞いているのか。
なぜ縁談を受けようと思ったのか。
そして一番下に、
困ったとき、どうする人なのか。
と増えている。
政子がそこで止まった。
「これは?」
泰時がわずかに視線をそらした。
まつは気づいた。
「泰時殿に教えていただきました」
「泰時が?」
政子が甥を見る。
「教えたわけではありません」
泰時はすぐに答えた。
「聞かれたので、考えただけです」
「何を聞かれたの?」
「知らない人と夫婦になるかもしれないとき、何を知りたいかと」
政子は泰時を見る。
「それで、困ったときにどうする人か?」
「……はい」
政子は紙をもう一度見る。
「悪くないわね」
泰時が少し驚く。
「そうですか」
「自分では悪いと思っていたの?」
「もっと別の見方もあるかもしれないと思っただけです」
「なら、また考えればいいでしょう」
「はい」
泰時は素直に返事をした。
まつはそのやり取りを見ていた。
義時の息子でも、政子の前では甥なのだ。
そのとき、奥から声がした。
「姉上、戻られたのですか」
まつが振り向く。
北条義時だった。
政子が顔を上げる。
「今しがたね」
義時は中へ入り、二階堂家の三人に気づいた。
「これは」
ちよが頭を下げる。
「お邪魔しております」
「いえ」
義時はまつを見る。
それから三郎の紙を見る。
「何の相談です?」
政子が答える。
「まつ殿の縁談」
義時が一度だけ瞬きをした。
「私が聞いてよい話ですか」
「もう聞いたでしょう」
「姉上が言ったのです」
「今さらね」
泰時が少し下を向いた。
まつは、笑ってよいのか迷った。
政子と義時は姉弟。
泰時は義時の子で、政子の甥。
鎌倉の政務を担う人たちも、家の中では姉と弟と甥なのだ。
義時が泰時を見る。
「お前も話に入っているのか」
「巻き込まれました」
泰時が答える。
「誰に」
「まつ殿に」
まつは顔を上げた。
「泰時殿が答えてくださったのです」
「何を」
三郎が紙を見せようとした。
泰時が止める。
「見せなくていい」
「どうしてです」
「父上にまで見せなくてもいいでしょう」
まつは思わず吹き出した。
さっき自分が三郎へ言ったのと、ほとんど同じだった。
政子も笑う。
義時が少し不思議そうな顔をする。
「何です?」
「何でもないわ」
政子は言った。
「それより、まつ殿が季成殿へ文を出したいそうよ」
義時はまつを見る。
「本人へ?」
「はい」
「何を聞くのです」
まつは少し考えた。
「どんな人なのかを」
義時も少し考える。
「それは、ずいぶん広いですね」
「私もそう思います」
三郎が言った。
「だから、聞きたいことを書いています」
義時が紙を見る。
「なるほど」
「増えました」
「見れば分かる」
三郎は少し得意そうだった。
政子が話を戻す。
「文を出すこと自体は、私は構わないと思っているの」
義時がうなずいた。
「この縁談を姉上が持ってきたのなら、姉上から先方へ話を通すのが自然でしょう」
「でしょう?」
「ただし」
義時が続ける。
「季成殿本人だけに直接届く形にはしない方がよいでしょう」
まつはうなずいた。
「家の方にも分かるように、ということですか」
「ええ」
義時は少し考えてから続けた。
「季成殿の父は、知成殿と聞いています。母は、よし殿。兄の信成殿はすでに妻を迎えていて、妹も一人いるそうです」
まつは顔を上げた。
「季成殿は次男なのですね」
「そう聞いています」
「どんな家なのですか」
今度は政子が答えた。
「詳しく知っているわけではないけれど、穏やかな家だとは聞いているわ。知成殿も、まず相手の話を聞く方だそうよ」
「まず、話を聞く……」
まつは小さく繰り返した。
少し気になった。
けれど、それだけで季成という人が分かったことにはならない。
父が穏やかだから、息子も穏やかとは限らない。
家の評判がよいから、その人と夫婦になれるとも限らない。
まつが知りたいのは、やはり季成本人だった。
「京には京の家があります」
三郎がすぐに口を開く。
「京都守護の中原季時殿を通すのは――」
義時が三郎を見る。
「なぜそこへ行く」
「京との連絡をする方だからです」
「姉上の縁談を幕府の役目にするつもりか」
三郎は黙った。
政子が笑った。
「この子、さっきも同じことを言ったのよ」
「太郎兄上にも止められました」
「なら二度目ではないか」
義時が言う。
泰時が続ける。
「私を入れれば三度目です」
「泰時殿まで」
三郎は少し不満そうだった。
「では誰を通すのです」
政子が答える。
「私から先方へ伝えます」
まつが顔を上げた。
「政子様が?」
「ええ。この話を持ってきたのは私ですもの」
政子は続ける。
「まつ殿本人が、季成殿のことを知りたがっている。文を送りたいと思っている。まずそれを伝えます」
「向こうが受け取ると言ったら?」
「そのとき渡す」
まつはゆっくりうなずいた。
家の話を飛び越えるわけではない。
それでも、自分の言葉は季成本人へ届く。
その形なら納得できた。
「ありがとうございます」
政子が言う。
「まだ早いわ」
「え?」
「文を書かないと」
まつの顔が止まった。
義時が少しだけ笑う。
「そこからですか」
「そこが一番難しいのです」
まつは答えた。
泰時も口元をゆるめた。
「何を書けばいいの?」
政子が聞く。
まつは三郎の紙を見る。
聞きたいことは、たくさんある。
でも全部並べれば、問いただしているようになってしまう。
「……全部では多すぎますよね」
「多いわね」
政子が言った。
「私でも途中で読むのをやめるかもしれない」
「政子様」
「冗談よ」
義時が言う。
「姉上は半分くらい本気です」
「義時」
「はい」
泰時が下を向いた。
また笑っている。
政子が甥を見る。
「泰時」
「はい」
「今、笑ったでしょう」
「少しです」
まつが泰時を見る。
「また少しなのですね」
泰時は一瞬黙った。
「かなり、と言うと失礼なので」
まつが笑った。
ちよも笑う。
三郎だけが首をかしげる。
「何がおかしいのです」
「三郎はそのままでいいわ」
ちよが言った。
政子が紙をまつへ返した。
「まず、自分のことを書いたら?」
まつは目を上げる。
「私のことを?」
「季成殿を知りたいのでしょう」
「はい」
「向こうも、あなたを知らないわ」
まつは黙った。
ちよにも同じようなことを言われていた。
自分は季成を知らない。
季成も自分を知らない。
義時が言った。
「家のことや身分は、周りから伝わるでしょう」
「では、何を?」
「周りの人が説明できないことです」
まつは少し考えた。
泰時が言う。
「何を大切にしているか、とか」
義時が息子を見る。
「お前も随分入っているな」
「巻き込まれましたので」
「それは聞いた」
政子が笑った。
ちよがまつを見る。
「帰ってから考えましょうか」
「はい」
話はひとまずまとまった。
まつたちは北条家を辞した。
帰り道。
三郎が紙を見ながら歩いている。
「姉上」
「何?」
「質問を減らしますか」
「減らす」
「どれを」
「それを今から考えるの」
「では、それも書いておきます」
「書かなくていい!」
三郎の笑い声が、秋の風に混じった。
その日の夕方。
二階堂家には、また人が集まっていた。
宗直は仕事から戻っている。
その横には妻のふみがいる。
光成もいる。
妻のおりんは梅を抱き、与一は光成のそばに座っていた。
あやは、まつが帰るなり尋ねた。
「どうだった?」
「文を出してもよいって」
「じゃあ書いた?」
「今からよ」
「まだなの?」
「簡単に言わないで」
まつは紙の前に座った。
筆を持つ。
しかし、動かない。
三郎が向かいに座る。
「何から書きます?」
「あなたは書かなくていい」
「でも」
「私が書くの」
ふみが笑った。
「まつが自分で書きたいのでしょう」
「はい」
宗直が三郎を見る。
「少し離れろ」
「なぜです」
「圧が強い」
「紙を見ているだけです」
「それが圧なんだ」
三郎は不満そうに少し下がった。
あやが今度は横からのぞく。
「あなたも見ないで」
「まだ何も書いてないよ」
「だからこれから書くの」
光成が口を開いた。
「聞きたいことを全部書けばいいだろう」
まつが顔を上げる。
「全部では長すぎます」
「紙を増やせばいい」
三郎がすぐにうなずいた。
「私もそう思います」
「あなたたちは黙っていて」
おりんが笑った。
「季成殿も、お返事を書くのが大変になりますね」
光成が妻を見る。
「聞きたいことなのだから、仕方がないだろう」
「あなたは、自分が聞かれたときのことを考えていないでしょう」
「俺が?」
「たとえば、田を見るとき何を見ますか、水はどうしますか、家へ帰るのを忘れるのはなぜですか、と全部聞かれたら」
光成が黙った。
宗直が笑う。
「最後のは答えろ」
「兄上には言われたくない」
「何でだ」
ふみが宗直を見る。
「あなたも仕事から帰らなくなるでしょう」
宗直も黙った。
今度は、おりんとふみが顔を見合わせて笑った。
まつは思わず笑う。
夫婦というのは、相手の知らないところを知るだけではないらしい。
相手の困るところまで知っている。
まつは筆を持ち直した。
「母上」
「何?」
「母上なら、最初に何を書きます?」
「私なら?」
「はい」
ちよは少し考えた。
「聞く前に、自分のことを書くかしら」
「やっぱり?」
「聞くだけ聞いて、自分は何も言わないのも変でしょう」
「何を書くのです」
「それは、まつが決めることよ」
「そこは教えてくれないのですね」
「私の文ではないもの」
宗直が吹き出した。
まつが振り向く。
「太郎兄上」
「悪い」
ふみが夫の袖を引く。
「笑わないの」
「はい」
光成がそれを見て笑った。
すぐにおりんが夫を見る。
「あなたもです」
「俺は何も言っていない」
「顔に出ています」
光成も黙った。
あやが笑う。
家の中がまた騒がしくなる。
まつは、その声を聞きながら紙を見る。
自分を知ってもらう。
思っていたより難しい。
まつは筆を動かした。
――鎌倉の二階堂家で暮らしております。
そこまで書いて止まった。
あやが言う。
「それ、季成殿も知ってるんじゃない?」
「見ないでって言ったでしょう!」
「見てないよ」
「今読んだでしょう」
「読んだだけ」
「同じよ!」
あやを追い払い、まつは書き直した。
――兄弟が多く、家はいつも騒がしいです。
少し考える。
これなら、自分の暮らしが少し見える。
次に、
――私は、分からないことをそのままにするのが苦手です。
と書いた。
三郎が言う。
「それはよく分かります」
「どうして読んでいるの!」
「読んでいません」
「ではどうして分かるの」
三郎は不思議そうな顔をした。
「姉上を知っていますから」
まつは言葉に詰まった。
宗直が笑う。
今度は、まつも怒らなかった。
そうなのだ。
三郎は自分を知っている。
ふみは宗直を知っている。
おりんは光成を知っている。
長く一緒にいれば、紙に書かれていないことも分かるようになる。
季成とは、まだそこまで遠い。
だから文を書くのだ。
まつは続けた。
――季成殿のことを、私はまだほとんど知りません。
少し強すぎるかと思った。
けれど消さなかった。
その下へ、
――ですから、まずあなたのことを知りたいと思っています。
と書く。
筆を止める。
今度は、誰も口を挟まなかった。
しばらくして、あやが小さな声で尋ねた。
「それで、何を聞くの?」
まつは三郎の紙を見る。
たくさん並んだ問い。
その中から一つを選ぶ。
泰時の言葉を思い出した。
困ったとき、その人は何をするのか。
まつは書いた。
――季成殿は、困ったことがあったとき、どうなさいますか。
書き終えた文字を、しばらく見た。
三郎が言う。
「一つだけですか」
「まずはね」
「もっとありますよ」
「知ってる」
「では――」
「三郎」
「はい」
「返事が来てから考える」
三郎はようやく黙った。
ちよが文を見る。
直そうとはしなかった。
「それでいいと思うわ」
まつは紙をたたんだ。
たった一つの問いだった。
それでも、昨日までの自分なら、こんなことは聞かなかったと思う。
家柄ではない。
文章生という役目でもない。
周りの評判でもない。
季成自身が答える問い。
まつは、たたんだ文を両手で持った。
京は遠い。
でも今度は、自分の言葉がそこへ向かう。
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【北条政子・北条義時・北条泰時】
北条政子は源頼朝の妻。
北条義時は政子の弟で、鎌倉幕府の政治を支えた人物である。
北条泰時は義時の子であり、政子から見れば甥にあたる。
泰時はのちに第三代執権となり、1232年には御成敗式目の制定を主導した。




