第20話 まつは、縁談の相手を知りたい
承元三年(1209年)、鎌倉。
昼餉が終わっても、誰もすぐには立ち上がらなかった。
二階堂家では、そういうときがある。
食べ終わった人から片づければよいのに、誰かが話を始める。すると一人が口を出し、もう一人が言い返し、気づけば最初の話とは違うところまで行っている。
今日は、まつの縁談だった。
ちよの近くには、宗直の妻ふみが座っている。忠太、たか、小次郎も、母のそばにいた。
少し離れたところでは、おりんが梅を抱いている。与一は光成のそばにいたかと思えば、今度はあやの隣へ行き、残っていた栗を気にしていた。
「それで」
宗直が言った。
「まつは、何を知りたいんだ?」
まつは少し困った。
昨日、自分で言ったのだ。
藤原季成という人のことを、まず知りたい。知らないままでは、嫁ぐとも嫁がないとも決められない。
その考えは変わっていない。
けれど。
「……何を知れば、その人のことを知ったことになるのでしょう」
宗直が黙った。
光成も黙った。
三郎だけが紙を出した。
「まず、分かっていることを書きます」
「もう書くの?」
「忘れる前に」
三郎は紙の一番上へ、藤原季成、と書いた。
その下へ、京の人。藤原北家の日野の流れにつながる家。まつより五つか六つ年上。文章生、と続ける。
文章生とは、朝廷で働くため、漢文や歴史などを学ぶ者のことだった。
まつは紙を見た。
「それだけ?」
「今のところは」
「少ないわね」
「昨日聞いたばかりですから」
名前。家。年齢。何をしている人なのか。
どれも大事なのだろう。
「でも、これが全部分かっても、季成殿がどんな人なのかは分からないでしょう」
三郎が紙を見る。
「では、何を書けばよいのです?」
「それを考えているの」
◇
「好きな食べ物とか?」
あやが口を挟んだ。
手には栗がある。
まつは振り向いた。
「食べ物?」
「だって、一緒に暮らすかもしれないんでしょう?」
「まだ暮らすと決まっていないわよ」
「でも、嫌いなものは知っていた方がいいでしょう」
ふみが笑った。
「食べ物は、意外と大事かもしれませんね」
宗直が妻を見る。
「そうなのか?」
「あなた、魚の骨を取るのが面倒だと言って、私の皿へ入れるでしょう」
宗直が止まった。
「それは、取ってくれるからだ」
「最初から取ってもらうつもりですね」
「太郎兄上」
まつが言った。
「何だ」
「参考になりました」
「何が」
「夫婦になると、こういうことまで分かるということです」
宗直が少し困った顔をした。
ふみは笑っている。
おりんが梅を抱き直した。
「暮らす場所も、聞いておいた方がよいと思います」
光成が、すぐにうなずいた。
「そうだ」
宗直が弟を見る。
「お前は分かりやすいな」
「何がだ」
「水と土地だろう」
「暮らすなら必要だ」
光成は真面目だった。
「京のどこに住むのか。家の周りに何があるのか。水はどこから取るのか。道はどうなっているのか」
三郎が書き始めた。
「住んでいる場所、と」
「三郎」
「はい」
「まだ、全部書かなくていいわ」
まつに言われ、三郎は筆を止めた。
おりんが夫を見る。
「暮らす場所は大事です。でも、まつ殿が先に知りたいのは、季成殿ご自身のことでしょう」
光成は少し黙った。
宗直が笑う。
「次郎は、おりんには勝てないな」
「勝ち負けではない」
ふみが宗直を見た。
「あなたも、私に同じことを言っていましたね」
「何の話だ」
「覚えていないのですか」
「……あとで聞く」
宗直は話をそらした。
まつは二組の夫婦を見た。
ふみは、宗直が何を忘れるかを知っている。
おりんは、光成が何を先に考えるかを知っている。
自分は季成について、まだ何も知らない。
「太郎兄上なら?」
まつが聞いた。
「俺?」
「何を知りたいですか」
宗直は少し考えた。
「家の者に、どんなふうに接する人なのか」
「家の者?」
「親でも、きょうだいでも、仕える者でもいい。自分より立場の弱い者にどう接するかは、気になる」
三郎の筆が動いた。
今度は、まつも止めなかった。
「太郎兄上らしいですね」
「そうか?」
「人のことばかりです」
光成が横から言う。
「俺の話も役に立つだろう」
「水の取り口を聞いて、季成殿の人柄が分かるのか」
宗直が返した。
「暮らしは分かる」
「今は、まつの相手の話だ」
「まだ、相手にすると決めたわけではありません」
まつが言った。
二人とも黙った。
あやが笑い、ふみとおりんも笑った。
◇
「ずいぶん増えたわね」
ちよが、三郎の紙を見た。
住んでいる場所。家族。仕事。好きなもの。嫌いなもの。人への接し方。
まつは紙を見下ろした。
「母上なら、何を聞きます?」
「私?」
「はい」
ちよは少し考えた。
「まつのことを、どう聞いているのかしら」
まつは顔を上げた。
「私のこと?」
「向こうにも縁談の話は届いているのでしょう。季成殿が、あなたをどんな人だと思っているのかは気になるわ」
まつは黙った。
自分は昨日から、季成のことばかり考えている。
向こうからすれば、自分も知らない相手なのだ。
「……私のことを、何と聞いているのでしょう」
「そこまでは、私も知らないの」
「政子様は、何とお伝えになったのでしょうか」
「次にお会いしたら、尋ねてみましょう」
三郎が書いた。
――まつ姉上をどう聞いているか。
まつは、その文字をしばらく見ていた。
ふみが言った。
「でも、まつのことを全部聞かれても、私なら困ります」
「どうして?」
「優しいと言ってよいのか、世話焼きと言った方がよいのか」
「ふみ姉上」
「よく気がつくけれど、気がついたらすぐ言うでしょう」
宗直が吹き出した。
まつが兄を見る。
「太郎兄上」
「俺は何も言っていない」
「顔が笑っています」
おりんも口元を隠した。
「おりん姉上まで」
「すみません」
「謝りながら笑わないでください」
あやが言った。
「姉上は怒ると分かりやすいって書けば?」
「書かない!」
三郎の筆が動きかけた。
まつは、その手を止めた。
「今のは書かなくていい」
「分かりました」
三郎は少し残念そうだった。
◇
笑いが収まってから、まつはもう一度紙を見た。
「季成殿は、どうして、この縁談を受けようと思ったのでしょう」
今度は誰も、すぐには答えなかった。
ちよがまつを見る。
「それは、ご本人に聞いてみたいわね」
まつはうなずいた。
家のことなら、政子に聞けば分かるかもしれない。
文章生が何をするのかなら、広元に尋ねれば教えてもらえるだろう。
京の暮らしなら、京を知る人に聞ける。
けれど、なぜ自分との縁談を受けようと思ったのか。
何を好きで、何を嫌うのか。
どんなときに怒り、何を面白いと思うのか。
そんなことは、家柄を調べても分からない。
まつは紙の一番下を指した。
「三郎。そこに一つ書いて」
「何をです?」
「本人に聞きたいこと」
三郎は言われたとおりに書いた。
あやがのぞき込む。
「季成殿に会うの?」
「京にいるのよ」
「では、どうやって聞くの?」
「文なら届くでしょう」
三郎が顔を上げた。
「文を出すのですか?」
「駄目なの?」
「駄目とは言っていません」
「では、出せる?」
三郎は、すぐには答えなかった。
宗直を見る。
宗直も少し困った顔をした。
「縁談の相手に、本人から文を出すとなると……俺も、どうするのがよいか分からない」
光成が言った。
「広元様に聞けばいい」
三郎がうなずく。
「私もそう思います」
宗直が弟を見る。
「お前は、すぐ広元様に持っていくな」
「知っていそうな方に尋ねようと思ったのです」
ちよが口を開いた。
「まず、政子様に相談してみましょう。持ってきてくださったお話なのだから、どう届けるのがよいかも、ご存じでしょう」
「はい」
「でも、母上。何を聞くかは、私も考えます」
「もちろん。そのために話していたのでしょう」
宗直が言った。
「俺たちも考えてよいのか」
まつは少し考えた。
「勝手に決めなければ」
「まだ怒っているのか」
「少し」
宗直が苦笑した。
光成が言う。
「では、水のことも――」
おりんが夫を見た。
「まつ殿が聞きたいならね」
光成がまつを見る。
まつは笑った。
「京へ行くことになったら、聞きます」
「なら、覚えておく」
「三郎兄上が書くでしょう」
あやが言った。
三郎が紙を見る。
「書いておきますか」
「今は、書かなくていいわ」
まつが答えると、また笑いが起きた。
与一も皆の顔を見て、一緒に笑った。
梅は、おりんの腕の中で眠っていた。
◇
まつは三郎から紙を受け取った。
「これは、私が持っておきます」
「まだ書きかけです」
「だからです」
「続きを書くなら、私が持っていた方が――」
「私の縁談でしょう?」
三郎は黙った。
あやが、まつの手元をのぞく。
「姉上。何を一番聞くの?」
まつは紙を見た。
名前。家。年齢。何をしている人なのか。
昨日より、聞きたいことは増えた。
それでも、どれを聞けば季成という人が分かるのかは、まだ分からなかった。
「まず、どんな人なのか知りたいの」
「それ、最初と同じだよ」
「そうね」
まつは少し笑った。
「でも、何を聞けばよいのかは、前より考えられそう」
紙を畳む。
京にいる季成には、まだ会えない。
今度は、自分の言葉を届けられるかもしれなかった。
* * *
藤原季成
本作の創作人物です。京都の中級公家の家に生まれ、学問や文章を学んでいます。まつより五、六歳ほど年上。北条政子を通じて、まつとの縁談が持ち上がっています。




