幕間2 ちよは、直成から求婚される
元暦元年(1184年)、鎌倉。
あの日から、数日が過ぎていた。
ちよは、まだ答えを聞いていなかった。
自分をどう思っているのか尋ねたら、直成は年齢の話をした。
十六と三十三。
十七年違うということは、覚えている。
その先を聞こうと思っていたところへ、直成から声をかけられた。
「今夜、少しお話しできませんか」
昼ではなく、夜だった。
仕事の話なら、いつも会ったときにする。
ちよは理由を尋ねかけ、今夜聞けばよいと思い直した。
◇
夕餉のあとの屋敷は、昼間より静かだった。
ちよは縁に座り、庭を見ていた。
月明かりの中に、草木の輪郭が浮かんでいる。
直成は、少し離れたところへ座った。
今日は紙も筆も持っていない。
その手元が空いていることに、ちよは少し驚いた。
「お話があるのでしょう」
「はい」
直成は姿勢を正した。
けれど、そのまま黙ってしまった。
ちよは待った。
風が庭を通り、葉が擦れる音がした。
「まだ、言い方を考えているのですか」
直成が、ちよを見た。
「分かりますか」
「何度か、お話ししていますから」
直成は少し笑った。
「先日のことなんですが」
「年の差のお話ですか」
「……はい」
ちよも、そこは考えてきた。
この人には大事なことらしい。
ならば、自分も答えた方がよいのだろう。
「年上だとは思っています」
直成がうなずく。
「ずいぶん年上だとも、思っています」
「そうですよね」
「でも、直成殿と話すのは好きです」
直成の顔が、少し変わった。
ちよは膝の上で指を重ねた。
はっきり言いすぎた気もしたが、言い直したくはなかった。
「それは、お伝えしておきたかったのです」
直成は、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「ありがとうございます」
ちよも、少し目を伏せた。
返事をもらうと、言ったときより恥ずかしくなった。
◇
直成が懐へ手を入れた。
取り出したのは、細い組紐だった。
丁寧に組まれ、小さな輪になっている。
「ちよ殿に、受け取っていただければと思って」
ちよは、その手の中を見た。
「私に?」
「はい」
「指につけるものですか」
直成が少し驚いた顔をする。
「どうして分かったんですか」
「輪になっているから」
「ああ。そうですね」
ちよは笑った。
「何に使うのです?」
直成は、答える前に少し迷った。
「僕の知っている習わしで、こういう輪を渡すことがあるんです」
「どこの習わし?」
直成の言葉が止まった。
ちよは、その間を知っていた。
鎌倉へ来る前のことを尋ねると、ときどき、うまく答えられなくなる。
それでも、別の話を作って答えたことはなかった。
「説明しにくいのですね」
「はい。すみません」
ちよは、もう一度、組紐の輪を見た。
「では、何のために用意したのかを、教えてください」
直成はうなずいた。
少し近くへ進み、片膝をつく。
ちよは目を丸くした。
「直成殿?」
「これも、その習わしなんです」
直成は少し照れたように笑った。
「慣れてはいないので、妙に見えるかもしれませんが」
「初めて見ました」
「そうですよね」
ちよも笑った。
差し出された手へ、自分の左手を重ねる。
直成の指が、組紐の輪を薬指へ通した。
少しゆるかった。
ちよが指を動かすと、直成もそれに気づいた。
「あ。大きかったですね」
「少し」
「直しましょうか」
ちよは輪を押さえた。
「今は、このままで」
直成が、自分のために用意したものだった。
金でも銀でもない、小さな組紐。
ちよは、左手を膝の上へ戻した。
◇
「その前に、話しておきたいことがあります」
直成が言った。
まだ片膝をついていたので、ちよは座り直すように促した。
直成は礼を言い、向かいへ座った。
「僕は、自分の氏や、昔のことを、きちんとお話しできていません」
ちよはうなずいた。
「はい」
「財も、多くはありません。仕事で帰りが遅くなったり、鎌倉を離れたりすることもあると思います」
「それは、お仕事ですから」
「ただ、そういうことも知ったうえで、考えていただきたくて」
直成は、一つずつ話した。
言えること。
まだ話せないこと。
今の仕事と、これからの暮らし。
ちよは、指の輪へ触れながら聞いた。
自分をよく見せるための話なら、もっと短く済むだろう。
この人は、気に入られないかもしれないことまで、先に話そうとしている。
「直成殿」
「はい」
「まだ、続きますか」
直成は口を閉じた。
それから、少し困った顔で笑った。
「長くなりましたね」
「肝心なお話を、まだ聞いていません」
直成は、ちよを見た。
今度は、すぐに目をそらさなかった。
「二階堂の家に入ることを、望んでいます」
ちよは、少し首を傾けた。
二階堂の家へ入る。
年の差を気にしていたこと。
夜に話したいと言ったこと。
左手の、小さな輪。
ようやく、つながった。
「これは、求婚ですか」
直成がうなずいた。
「はい」
ちよの指が、膝の上で少し動いた。
聞きたかった答えが、思いがけない形で届いた。
直成は、もう一度ちよの前へ進んだ。
片膝をつき、左手へそっと手を添える。
今度は、ちよも尋ねなかった。
「ちよ殿」
「はい」
「僕と、家族になってもらえませんか」
ちよは、すぐには返事をしなかった。
家族。
夫婦になってほしいという言葉を、直成はそう言った。
左手に触れる手は、静かだった。
ちよは、その手へ、空いている方の手を重ねた。
「ありがとうございます」
直成が、少し息をついた。
「嬉しいです」
それは、今、確かに思っていることだった。
けれど、この場で決められることばかりではない。
「ただ、家にも話さなければなりません」
直成が瞬いた。
「二階堂の家へ入るのですから。父や母にも、考えがあるでしょう」
「そうですね」
「……先に、ご家族へお話しするべきでしたか」
ちよは少し笑った。
「普通は、そうでしょうね」
「分かっていたはずなんですが」
「では、なぜ私に先に聞いたのです?」
直成は、ちよを見た。
「ちよ殿が嫌なら、ご家族にお願いしても、困らせてしまうと思ったからです」
ちよは笑うのをやめた。
「まず、あなたの気持ちを聞きたかった」
長い説明のあとに、その言葉だけは、すぐに分かった。
ちよは左手を見た。
それから、直成へ顔を戻した。
「先に聞いてくださったことは、嬉しいです」
直成が静かにうなずく。
「明日、家にも話しましょう」
「はい。僕も伺います」
「今夜より、大変かもしれませんよ」
直成は、今度は少し笑った。
「では、きちんと考えておきます」
「また、長くなりそうですね」
ちよが言うと、直成も笑った。
左手の輪を、もう一度押さえる。
今夜、直成が自分へ何を伝えたかったのかは、分かった。
自分がどう答えるのか。
それは、家の者に話す前に、自分で考えたかった。




