第17話 三郎は、実朝の位を書き写す
承元三年(1209年)、春。
「鎌倉殿が、従三位に昇られたそうだ」
宗直の声に、三郎は筆を止めた。
「従三位って何ですか」
「朝廷が決める位の一つだ。高い位だと聞いている」
「鎌倉殿なのに、京都の朝廷が決めるの?」
あやが尋ねた。
「鎌倉殿だからこそ、朝廷との関わりがあるのだろう」
宗直はそう答えたが、少し考えるように口を閉じた。
ちょうどそのとき、文を届けに来た使いがいた。京から届いた知らせを、二階堂家でも記録に残すため、書き写してほしいという。
「三郎、頼めるか」
宗直が聞いた。
「はい」
三郎は紙を受け取った。そこには、源実朝の名と「従三位」の文字がある。
「書くのは三郎なのね」
まつが言った。
「字がきれいだから頼まれたのだろう」
光成が籠を抱え直す。
「では、話も聞いていてよいでしょう」
「書き写すことと、大人の話に加わることは別だ」
宗直が言った。
三郎は、納得できない顔をした。
奥の間では、使いと宗直たちが話し始めていた。
「後鳥羽上皇のお考えもあっての叙位でしょうか」
「京が鎌倉殿を重く見ているのは確かだろう。だが、位を授けることで、鎌倉を朝廷の秩序の中に置こうとしているとも考えられる」
「鎌倉が朝廷の位を受ける以上、京との関係は切れませんね」
「そうだ。だが、京の決めたことを、鎌倉がいつもそのまま受け入れるとも限らぬ」
声が少し低くなった。
三郎は筆を動かしながら、聞き取れた言葉を頭の中で繰り返した。
後鳥羽上皇。朝廷。鎌倉殿。位。
言葉は聞こえるのに、話の全体は分からない。
「三郎」
まつが、そっと呼んだ。
「筆が止まっているわ」
「聞こえているのに、聞いてはいけないと言われるのは変だと思う」
「気になるのは分かるけれど、今は書き写すのが頼まれた仕事でしょう」
まつの言葉に、三郎は紙へ目を戻した。
「でも、どうして鎌倉殿の位を京が決めるのか、知りたい」
「それは、あとで母上に聞いてみたら?」
あやが言った。
「母上も知らないことはあるでしょう」
「では、知っている人に聞けばいいよ」
あやは、当たり前のように答えた。
三郎は筆を進めた。字を間違えないように、見本と一文字ずつ照らし合わせる。
書き終えると、宗直が紙を受け取った。
「きれいに写せている。助かった」
「兄上。従三位とは、将軍の役目とは別なのですか」
宗直は使いの方を見た。使いは、少し迷ってから答えた。
「将軍は鎌倉での立場だ。位は、朝廷の中での順を示す。二つは違うものだが、どちらも源実朝殿の立場に関わっている」
「では、京から位を受けることで、鎌倉殿の力も強くなるのですか」
「そう考える者もいるだろう。だが、朝廷と鎌倉の間には、互いに相手を必要とするところと、思い通りにならぬところがある」
使いはそれ以上、詳しくは話さなかった。
ちよが茶を運んできた。
「三郎は、話の続きを聞きたそうですね」
「書き写す仕事は頼まれました。でも、話には入れてもらえませんでした」
「そうでしたか」
ちよは、使いにも茶を勧めた。
「実朝様ご自身は、京から位を受けることをどう思われたのでしょう」
まつが尋ねた。
「それは、実朝様に聞かなければ分かりませんね」
ちよは答えた。
「母上は、実朝様とお話ししたことがあるの?」
あやが聞く。
「ありますよ。父上から、二階堂家の話を聞いていた方です」
「では、今度お会いしたら聞ける?」
「尋ねることはできます。でも、お答えになるかは実朝様がお決めになることです」
三郎は、写し終えた紙を見た。
「私は、書くために文字を読んだだけです。話を聞いたことにはならないのですね」
「そうですね」
ちよは、三郎の前に茶碗を置いた。
「けれど、何を尋ねたいかは見つかったのでしょう」
三郎は茶をひと口飲んだ。
「次に実朝様にお会いしたら、従三位のことを尋ねます」
「その前に、何を聞きたいのか考えておきなさい」
まつが言った。
「考えてあります」
「では、聞かせて」
「まず、従三位とは何ですか」
「さっき聞いていたでしょう」
光成が言うと、あやが笑った。
「三郎兄上は、聞いてもまだ分からなかったんだよ」
「聞いただけで分かるなら、尋ねる必要はないでしょう」
三郎は言い返し、書き写した紙を箱へしまった。
けれど、すぐには立たなかった。
手元に残った小さな紙へ、従三位、と書く。
その下には、将軍の役目とは別、と続けた。
そこまでは聞いた。では、位が変わると、実朝様の何が変わるのだろう。
筆を止め、少し考えてから、そのまま書いた。
父の紙には、途中までの問いも残っていた。今までは、それも答えのある書付のどこかに続くものだと思っていた。
三郎は見本の写しと、自分の小さな紙を分けた。
次に尋ねるときには、こちらを持っていこうと思った。
夕餉の支度が始まると、宗直が膳を運び、光成が椀を並べた。まつは布をたたみ、あやは空いた籠を片づける。
三郎も、紙をしまった箱の戸を確かめてから、皆のところへ戻った。
京から来た知らせは、もう箱の中にある。
その意味を知るのは、これからだった。
【今回登場した歴史人物】
源実朝(1192~1219年)
鎌倉幕府の第三代将軍です。承元三年(1209年)に従三位へ昇りました。鎌倉殿として幕府を率いる一方、朝廷から官位を受ける立場でもありました。
後鳥羽上皇(1180~1239年)
承元三年(1209年)、京都の朝廷を主導していた上皇です。朝廷は官位を授けることで、鎌倉の将軍や御家人の地位にも関わっていました。




