第16話 和田殿は、葛西一族をなだめて茶を飲む
承元二年(1208年)七月、鎌倉。
「葛西十郎殿が、家人に討たれたそうです」
宗直が持ち帰った知らせに、ちよは手を止めた。
家人とは、その家に仕える者のことである。
身近に仕えていた者が主人を殺したという話は、鎌倉の人々を驚かせていた。
「それで、葛西の方々が集まっているのね」
「ご存じでしたか」
「町でも、その話をしていたわ」
宗直がうなずいた。
光成は、庭へ置いていた道具を脇へ寄せた。
「ほかの者まで、巻き込まれそうなのか」
「そこまでは分からない。ただ、一族の怒りが強いので、鎌倉殿が和田様になだめるよう命じたそうだ」
三郎が顔を上げた。
「和田様が?」
あやも三郎を見た。
「どうして驚くの」
「驚いたのではありません」
「声が大きかったよ」
「和田様ほどではありません」
まつが口元を押さえた。
宗直は笑わずに続けた。
「大勢の武士をまとめてきた方だ。声が大きいだけでは務まらない」
三郎はうなずいた。
先日、荷車が動かなくなっていたときも、義盛は人を動かしていた。
ただ、自分たちが押したのは荷車だった。
怒っている一族を落ち着かせるのは、どうすればよいのだろう。
◇
その日の夕刻、答えを知っていそうな人が、自分からやって来た。
「少し、座らせてもらえるか」
和田義盛だった。
門まで迎えに出た宗直が、すぐに座敷へ案内した。
義盛は腰を下ろすと、両手を膝へ置き、長く息を吐いた。
いつもの声は出るらしい。
だが、今日は笑う前に息が出た。
ちよが湯を用意しながら尋ねた。
「葛西の方々のところへ?」
「ああ」
「まだ、お話が続いているのですか」
「今日の分は終えた。明日になれば、また言いたいことも出てくるだろう」
光成が義盛を見た。
「今日、全部は聞けなかったのですか」
「皆が一度に話すのでな」
義盛は苦笑した。
「こちらの話が聞こえぬと言うから、声を張った。すると、向こうも声を張る」
あやが尋ねた。
「どちらが大きかった?」
「わしだ」
即座の返事に、まつが吹き出した。
義盛も、ようやく笑った。
◇
ちよが茶を運んできた。
義盛は椀を受け取り、まず一口飲んだ。
三郎は、その様子を見てから尋ねた。
「どうやって、話を聞いてもらったのですか」
「先に、向こうの話を聞いた」
「一度に話しているのに?」
「一人ずつにしてもらった」
「皆さん、従ったのですか」
義盛は三郎を見た。
「お前は、簡単に進んだ話を聞きたいのか」
三郎は口を閉じた。
まつが隣で、小さく笑った。
「従わぬ者もいる。途中から別の者が話し出すこともある。だから、また止める」
義盛は椀を持ち直した。
「身内を殺されているのだ。静かに座れと言われて、すぐ座れる者ばかりではない」
宗直がうなずいた。
「怒るのも当然でしょうね」
「ああ」
義盛の声が、少し低くなった。
「だが、怒ったまま動けば、別の者まで死ぬことがある。それは止めねばならぬ」
座敷が静かになった。
三郎は、紙を取りに立とうとしていた腰を戻した。
まず、最後まで聞こうと思った。
◇
「和田様は、何とおっしゃったのですか」
宗直が尋ねた。
「まだ事情を確かめている。今、誰かが勝手に動けば、余計に話がこじれる、と」
義盛は答えた。
「それで、怒りは収まりましたか」
光成が聞く。
「収まるものか」
義盛は首を振った。
「亡くなった者が戻るわけではない。今日、話したからといって、皆が納得するわけでもない」
三郎は義盛を見た。
何か、うまい言葉があるのだと思っていた。
言えば皆が黙り、怒りが収まるような言葉が。
「では、明日も同じ話をするのですか」
「必要ならな」
義盛は少し笑った。
「お前たちも、一度言われただけでは聞かぬことがあるだろう」
まつが三郎を見た。
三郎は姉を見返した。
光成は、なぜか籠へ目を向けた。
あやだけが答えた。
「あります」
義盛が声を上げて笑った。
「正直でよい」
「褒めるところではありませんよ」
ちよが言うと、今度は宗直も笑った。
◇
義盛の椀が空になった。
ちよが手を伸ばす前に、あやが受け取った。
「私が持っていく」
「頼もう」
義盛が渡すと、あやは椀を両手で持った。
三郎が、その底へ手を添える。
「こぼれていませんよ」
あやが言った。
「落とさないようにです」
「空だよ」
「空でも割れます」
「分かってる」
まつが二人の間へ手を出した。
「取り合う方が危ないでしょう」
三郎が手を離す。
あやは、今度こそ一人で台所へ運んでいった。
義盛は、その後ろ姿を見送った。
「ここの家も、聞く者は忙しいな」
「皆、順番を待てるとよいのですけれど」
ちよが答えた。
「では、ちよ殿に葛西の者たちも頼むか」
「この家だけで、十分です」
義盛が笑った。
「それもそうだ」
◇
帰り際、義盛は戸口で履物を整えた。
宗直と三郎が、門まで送った。
「お疲れのところ、お引き留めしました」
宗直が頭を下げると、義盛は手を振った。
「座らせてもらいに来たのは、こちらだ」
三郎は義盛を見上げた。
「明日のお話は、今日より静かだとよいですね」
義盛は少し考えた。
「静かだから、よいとも限らぬ」
「そうなのですか」
「黙っていても、腹の中では怒っていることがあるからな」
三郎はうなずいた。
義盛が、その顔を見て笑った。
「お前は、また聞きたいことが増えた顔をしておる」
「少し」
「今日は、ここまでだ」
大きな手が、三郎の肩へ軽く触れた。
「次に来たときにしろ」
義盛は供の者とともに、道の向こうへ歩いていった。
◇
座敷へ戻ると、光成が籠を持ち上げていた。
まつは布を畳み、ちよは夕餉の支度へ戻っている。
三郎は自分の紙を出した。
初めに、葛西一族のことを書こうとした。
けれど、誰が何をしたのか、自分が知っていることは少なかった。
今日、見たことなら書ける。
和田義盛が来た。
疲れていた。
茶を飲んだ。
明日も、話を聞きに行くと言った。
そこまで書くと、あやが横からのぞき込んだ。
「笑ったことは?」
三郎は妹を見た。
「何度も笑っていたでしょう」
「ああ」
「そこも書いて」
「全部は書けません」
「でも、書いた方が和田殿らしいよ」
三郎は少し考えた。
それから、一行を足した。
あやはうなずき、夕餉の椀を並べに行った。
外の騒ぎが、明日どうなるのかは分からない。
今日、この家へ来た和田義盛は、疲れていて、それでも大きな声で笑う人だった。
* * *
【今回登場した歴史人物】
和田義盛
源頼朝の挙兵以来の有力御家人で、侍所の別当を務めました。承元二年(1208年)、葛西十郎殺害をめぐって騒ぐ葛西一族をなだめるよう命じられたことが、『吾妻鏡』に記されています。




