第15話 まつは、父の京での仕事を聞く
承元二年(1208年)、夏。
大江広元が帰った翌日、まつはちよのそばへ座った。
母は、取り込んだ布を畳んでいた。
「母上」
「何?」
「昨日、広元様が言いかけた京の話ですけど」
ちよの手が、少し止まった。
「父上は、京で何をしていたの?」
三郎が顔を上げた。
光成も、庭先で直していた籠を膝へ置く。
ちよは二人を見た。
「気になるなら、こちらへいらっしゃい」
三郎は紙を持ち、光成は籠を持ったまま近づいてきた。
あやは、すでにまつの隣へ座っていた。
「あなたも聞くの?」
まつが尋ねると、あやはうなずいた。
「父上の話でしょう」
◇
「父上が、初めに京で何をしていたかということ? それとも、今度のお仕事?」
ちよが尋ねた。
まつは少し考えた。
「両方、知りたいです」
「では、初めの方からね」
母は布を畳み終え、脇へ置いた。
「父上は、鎌倉へ来る前、京で暮らしていました。広元様のもとで、文書や数字を扱う仕事をしていたの」
三郎が筆を取る。
「土地のことですか」
「そうした仕事もあったと聞いているわ。誰の土地について、誰が何を申し出ているのか。書かれていることと、人の話が合うか。そういうことを確かめていたのね」
光成が籠の縁を押した。
「紙だけで分かるのか」
「分からないこともあったでしょう。だから、尋ねたり、調べたりしたのだと思うわ」
まつは母を見た。
「母上は、そのころの父上を知らないのね」
「ええ。私が会ったのは、鎌倉へ来てからだから」
三郎の筆が止まった。
父のことを聞けば、母は何でも知っているような気がしていた。
母にも、知らないころの父がいる。
「では、広元様の方が長い?」
あやが尋ねる。
ちよがうなずいた。
「父上と仕事をしていた時間なら、そうね」
光成が少し笑った。
「だから、いつまでも話が続くのか」
「家でも長かったでしょう」
まつが言う。
ちよは、畳んだ布へ手を置いて笑った。
◇
「鎌倉へ来てからも、父上は京へ行っていましたよね」
まつが尋ねた。
「ええ。京と鎌倉の間で、文や人が行き来する仕事にも関わっていたわ」
「何を伝えるの?」
あやが聞く。
「こちらから申し伝えることもあれば、京で話を聞いて、こちらへ知らせることもあるでしょう」
「手紙を持っていくだけ?」
「それだけなら、使いの人に頼めるわね」
ちよは少し考えた。
「文を届けたあと、向こうから何か尋ねられることもある。こちらの考えが、うまく伝わらないこともある。そういうときに、事情を知っている人が必要になるの」
光成が言った。
「田の境を聞くときと似ているな」
まつが兄を見る。
「どうして田になるの」
「境はここだ、と言われても、その場所を知らなければ分からない。紙に川と書いてあっても、どの川か確かめないといけない」
三郎は、書きかけの紙を見た。
「同じ言葉でも、違うものを考えていることがあるのですね」
「そういうこともあるでしょうね」
ちよが答えた。
あやは首をかしげた。
「では、父上は両方の話が分かったの?」
「全部ではなかったと思うわ」
母の返事は早かった。
「分からないから、帰ってきてからも考えていたのでしょう」
まつは、父が家で仕事の話をしていた理由を、少しだけ考え直した。
話したくて仕方がないだけの日も、あっただろう。
話してみなければ、自分でもうまく分からない日もあったのかもしれない。
◇
「実朝様の御台所様が、京からお越しになったでしょう」
ちよが言った。
御台所とは、将軍の妻を指す呼び名である。
「父上は、あのときも広元様のお仕事を手伝っていたわ」
まつは顔を上げた。
「御婚姻の?」
「ええ。ただし、お相手を決めたわけではないのよ」
母が先に言ったので、三郎は尋ねかけた口を閉じた。
「書状を整えたり、迎える人たちが何を確かめるか、まとめたり。そういう仕事だと聞いたわ」
「京から来る人が、道に迷わないように?」
あやが尋ねる。
「道のことも必要でしょうね。でも、着いてから困ることもあるの」
まつが言った。
「誰に挨拶するか、とか?」
ちよがうなずいた。
「京から来る人が当然だと思っていることと、こちらで用意することが、同じとは限らないでしょう」
光成が、籠から折れた細い木片を抜いた。
「荷だけ着いて、人のいる場所が決まっていなかったら困るな」
「次郎兄上は、何でも運ぶ方から考えるのね」
「必要だろう」
あやはうなずいた。
「荷物を置くところも要るよ」
まつは二人を見て、少し笑った。
自分が知りたかった父の仕事は、もっと難しい言葉で説明されるものだと思っていた。
けれど、人が来るなら、寝る場所も、荷を置く場所も必要になる。
書状の中にいた人たちが、少しだけ暮らしている人に見えた。
◇
「今度も、そういう仕事だったのですか」
まつが尋ねた。
母は、すぐには答えなかった。
「京で文書や連絡に関わる用事があると聞いていたわ。ただ、仕事の一つ一つまで、私が知っているわけではないの」
まつはうなずいた。
父は仕事へ行った。
そこまでは知っていた。
けれど、家を出たあと、誰と会い、何を話し、何に困っていたのかは、ほとんど知らない。
「父上に、もっと聞いておけばよかった」
言ってから、まつは膝へ目を落とした。
隣で、三郎の筆も止まった。
ちよは、畳んだ布をまつの前へ置いた。
「私も、今になって聞きたいことがあるわ」
まつは母を見た。
「母上にも?」
「あるわよ」
母は、小さく笑った。
「一緒に暮らしていても、全部は聞けないもの」
光成は籠を置いた。
「あの人なら、聞けば長かっただろうな」
「長かったでしょうね」
ちよが答える。
まつも、少し笑った。
◇
三郎が、書き終えたところを読み返していた。
あやがのぞき込む。
「何て書いたの?」
「父上は、京と鎌倉の間で、文書や人の行き来に関わっていた、と」
「それで分かる?」
三郎は止まった。
紙を見てから、母を見た。
「……今日、少し分かったことです」
ちよがうなずいた。
「では、そう書いておけばいいでしょう」
まつは布を持って立ち上がった。
「母上。これは、そこの箱でいいの?」
「お願い」
あやも立ち、布の端へ手を添えた。
「私も持つ」
「これは軽いわよ」
「二人で持てば、もっと軽いでしょう」
まつは笑った。
三郎が紙を乾かしている間に、光成は籠の修繕へ戻った。
父の京での仕事は、まだ全部は分からない。
それでも、昨日までひとまとめにしていた「京の仕事」の中に、書状や荷物、人を迎える支度があることを、まつは初めて具体的に思い浮かべた。
* * *
【今回登場した歴史人物】
大江広元
源頼朝の政権を、文書や行政の面から支えた人物です。本作では、直成が京にいたころから、その仕事ぶりを知る人物として描いています。
源実朝の御台所
京都の公卿・坊門信清の娘で、元久元年(1204年)に実朝と婚姻しました。




