第13話 源実朝は、直成から二階堂家の話を聞いていた
承元二年(1208年)、夏の鎌倉。
「今日は、こちらを持って」
ちよが差し出した包みを、あやが両手で受け取った。
「これは、お供え?」
「ええ。落とさないようにお願いね」
あやは包みを胸へ寄せた。
その横で、まつが結び目を確かめる。
「下からも支えて」
「分かってる」
「今、片手を離したでしょう」
あやは黙って、もう一度両手で抱え直した。
その日は、家族で鶴岡八幡宮へ参ることになっていた。
宗直が先に立ち、光成がちよの持つ籠を引き受けた。三郎は、あやの包みが傾くたびにそちらを見た。
「そんなに見なくても落とさないよ」
「落としたら、私も拾うことになるでしょう」
「では、最初から持ってくれればいいのに」
三郎が返事を考えている間に、あやはまつの隣へ行ってしまった。
◇
道は乾いていた。
人や馬が通るたびに、土の粉が足元へ広がる。いつもなら水が残っている溝にも、今日は細い流れしかなかった。
光成が、その溝を見た。
「上の方でも減っていた」
「田の水?」
まつが尋ねる。
「ああ。雨が来ないと困る」
道端で立ち話をしている人々も、同じことを話していた。
鶴岡八幡宮へ着くと、雨を願う祈りについて話す声が聞こえた。江島へ向かった僧たちがいるという。
三郎は境内を見回した。
いつもと同じ場所なのに、そこへ来る人々の用事は少しずつ違う。
ちよがお供えを届けに行くため、あやへ手を差し出した。
そのとき、奥から武士たちが歩いてきた。
「道をお空けください」
宗直が一歩下がる。
まつもあやの肩へ手を添えた。
あやは包みを持ったまま下がろうとして、足元の石に気を取られた。
包みが傾く。
結び目がほどけ、小さな餅が一つ転がった。
「あっ」
三郎が手を伸ばしたが、届かなかった。
武士の列が止まる。
その中にいた若者が、先に身をかがめた。
餅を拾い、こちらへ目を向ける。
宗直が、すぐに頭を下げた。
「鎌倉殿。申し訳ございません」
三郎も慌てて頭を下げた。
源実朝だった。
鎌倉の武士たちを率いる将軍である。
若い人だということは知っていた。
けれど、これほど近くから顔を見ると、三郎が思い描いていた将軍の姿とは少し違った。
「紐がほどけたのですね」
実朝は責める様子もなく言った。
供の者が布を差し出す。ちよは礼を述べ、餅を受け取った。
あやも頭を下げた。
「申し訳ありません」
「けがはありませんか」
「はい」
実朝はうなずき、宗直へ目を向けた。
「今日は、皆でお参りですか」
「はい。母と、弟妹たちと」
実朝の視線が、一人ずつ移っていく。
「光成殿。まつ殿。こちらが三郎殿で、あや殿ですね」
あやが顔を上げた。
三郎も、思わず実朝を見た。
◇
「私たちの名を、ご存じなのですか」
三郎が尋ねると、実朝はうなずいた。
「直成殿から聞いていました」
父の名が出た。
ちよが、包みを持つ手を少し下げた。
「仕事の合間に、ご家族の話をしてくださいました。家へ帰ると、話すことが次々に増えるのだと」
まつが、兄弟を見た。
「それは、本当です」
「まつ姉上も増やしているでしょう」
三郎が小声で言う。
実朝の口元が緩んだ。
「そういうお話も、聞いた気がします」
まつが口を閉じた。
今度は光成が笑った。
「宗直殿は、頼まれると引き受けすぎる」
実朝が言った。
宗直の背筋が、少し固くなる。
「光成殿は、田や水のことになると帰りが遅くなる」
光成の笑いも止まった。
三郎は二人を見比べた。
父は、ずいぶん細かいことまで話していたらしい。
「三郎殿は、書いたものを見せに来るそうですね」
今度は自分だった。
「はい」
「書くことが好きなのですか」
「忘れるのが嫌なので」
実朝は少し考えるように三郎を見た。
「それも、直成殿に似ていますね」
三郎は、すぐには返事ができなかった。
あやが身を乗り出した。
「私は?」
まつが、その袖を引いた。
実朝はあやを見た。
「一つ答えると、次の問いが返ってくる、と」
あやは母を振り返った。
「父上、そんなことまで?」
ちよは、少し困ったように笑った。
「話していたのね」
◇
「父上は、鎌倉殿に何を教えていたのですか」
三郎が尋ねた。
宗直が弟へ目を向けたが、実朝は静かに答えた。
「文字や、書き留め方などを。幼いころから、お世話になりました」
三郎は父が紙へ向かう背中を思い出した。
家で見る父は、子どもの質問に長く答えすぎて、母に食事へ呼ばれる人だった。
その父が、将軍にも教えていた。
「厳しかったのですか」
「よく、聞き返されました」
実朝は少し笑った。
「何を見て、そう思ったのかと」
三郎はうなずきかけ、やめた。
父なら、そう尋ねる気がした。
けれど、実朝が父の問いにどう答えていたのかは知らない。
「鎌倉殿も、お困りになったのですか」
「答えたつもりなのに、まだ足りないことがありました」
実朝は三郎の顔を見た。
「三郎殿には、ありませんか」
「……あります」
まつが隣で、笑うのをこらえていた。
「姉上にも、よく聞き返されます」
「あなたは、説明を途中でやめるからでしょう」
言ってから、まつは相手が誰の前なのかを思い出したらしい。
急いで口を閉じた。
実朝は、今度ははっきり笑った。
◇
供の者が近づき、実朝へ声をかけた。
戻る時刻らしい。
実朝はうなずき、ちよへ向き直った。
「直成殿には、まだ伺いたいことがありました」
ちよは静かに頭を下げた。
「直成殿も、鎌倉殿からお尋ねがあると、よく考えておりました」
実朝は、しばらく何も言わなかった。
それから、五人を見た。
「今日は、お会いできてよかった」
宗直が礼を述べ、皆で頭を下げた。
武士たちとともに、実朝は境内の奥へ戻っていった。
三郎は、その後ろ姿を見送った。
父の話を知る人が、また一人増えた。
しかも、その人は、こちらのことまで知っていた。
三郎は、帰ったら父に尋ねようと思った。
自分たちのことを、ほかに誰へ話していたのか。
何を、どこまで話したのか。
足元の石を一つ避けてから、顔を上げた。
母も兄姉も、境内にいた。
三郎は母の持つ包みへ目を向けた。ほどけかけた紐の端を指で押し込むと、母が持ち直した。
まつが小さく息を吐いた。
「父上は、どこまで話していたのかしら」
「姉上のことは、まだ少なかったですよ」
「三郎」
「はい」
「余計なことを言わないの」
光成が笑い、宗直も口元を緩めた。
あやは、ちよの手元を見ていた。
「お供えは?」
「これからよ」
ちよが答える。
「今度は私が持つわね」
あやは包みへ手を伸ばしかけたが、引っ込めた。
「帰りの籠は持っていい?」
「空になってからね」
まつが言った。
今度は、誰も餅を落とさなかった。
* * *
【今回登場した歴史人物】
源実朝
鎌倉幕府の第三代将軍です。源頼朝と北条政子の子で、和歌にも深く親しみました。本作では、幼いころに直成から読み書きや記録について教わったという創作設定を置いています。




