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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第八部 承久の乱と、残された家族 承久元年(1219年)秋〜貞応元年(1222年)
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第78話 三郎は、娘の成長を記録しすぎる

承久二年(1220年)春、鎌倉。


二階堂家の朝は、今日も賑やかだった。


「しづ」


「はい」


「こずえが、昨日と違うことをした」


三郎は、紙を持って妻の前に座っていた。


しづは娘を抱いたまま、夫を見た。


「何をしたのですか?」


「昨日は私の指を握った。今日は袖を引っ張った」


「そうですね」


「なぜだろう」


「袖がそこにあったからでは?」


三郎は黙った。


それから紙に何かを書いた。


しづがのぞき込む。


『袖を引く。理由は不明』


「三郎様」


「何だ」


「それ、残しておく必要がありますか?」


「ある」


「どうして?」


「あとで分かるかもしれない」


しづは娘を見下ろした。


こずえは、父の袖をもう一度引っ張った。


「ほら」


三郎が言った。


「二度目だ」


「父上の袖が気に入ったのでしょう」


「そうなのか?」


こずえは答えなかった。


代わりに、三郎の紙をつかもうとした。


「待て。それは大事な記録だ」


しづが笑った。


「こずえにとっては、紙も袖も同じですよ」


「同じでは困る」


「困るのは三郎様だけです」


     *


昼前、宗直の息子の小次郎がやって来た。


「三郎叔父上」


「小次郎か」


「父上から、これを届けるようにと言われました」


小次郎は預かってきた書付を差し出した。


宗直とふみの三人の子どものうち、末の小次郎である。


祖父の直成が京で亡くなる前の年に生まれた子で、今年で十三歳ほどになる。


幼いころから三郎の仕事を見てきたため、紙に何かを書きつけている叔父の姿にも慣れていた。


ただ、今日は少し様子が違った。


「叔父上」


「何だ」


「それは仕事の書付ですか?」


「こずえの記録だ」


小次郎は机の上を見た。


紙が何枚も重なっている。


「こんなに?」


「生まれてからのことを、できるだけ残している」


「全部ですか?」


「全部は無理だ。だが、分かることは書いておきたい」


小次郎は一枚を手に取った。


『朝、笑う』


その下には、


『昼、笑わず』


さらに、


『夕方、笑う』


とあった。


「叔父上」


「何だ」


「こずえは、毎日ずいぶん忙しいんですね」


しづが吹き出した。


三郎は真面目に答えた。


「忙しいのは私だ」


「そうでしょうね」


小次郎は紙を戻した。


すると、こずえが小次郎の方へ手を伸ばした。


「おや」


小次郎がしゃがむ。


「こずえ、私が分かるか?」


こずえは、小次郎の指をつかんだ。


「つかみました」


小次郎が言った。


三郎はすぐに筆を取った。


「待ってください、叔父上」


「どうした」


「まだ何もしていません」


「指をつかんだ」


「それなら、さっき叔父上の袖もつかんでいましたよね」


「そうだ」


「こずえは、つかむのが好きなのでは?」


三郎は筆を止めた。


「……なるほど」


しづが笑った。


「小次郎の方が、よく見ていますね」


「私は見ている」


「三郎様は、見ながら書くことを考えているのでしょう」


小次郎は、こずえの前で手を開いたり閉じたりしてみせた。


こずえが笑った。


「ほら、笑いました」


三郎が筆を持ち直す。


「叔父上」


「今度は何だ」


「書くのは、あとでもよいのでは?」


三郎は小次郎を見た。


小次郎は、こずえと遊ぶのをやめなかった。


「今は笑っているので」


しづが静かにうなずいた。


「そうですね。今は一緒に笑ってあげましょう」


三郎はしばらく迷ってから、筆を置いた。


そして娘の隣に座った。


「こずえ」


呼びかけると、娘は父の顔を見た。


小次郎が両手で顔を隠す。


ぱっと開く。


こずえが声を上げて笑った。


三郎もまねをした。


こずえは、さらに笑った。


「……これは面白い」


「でしょう?」


小次郎が得意そうに言った。


「叔父上も、こういうことは覚えた方がよいと思います」


「誰に教わった?」


「忠太兄上です」


「そうか」


三郎は感心した。


「忠太にも礼を言わなければ」


「そんな大げさなことではありません」


しづは、夫と甥が並んで娘をあやす姿を眺めていた。


「三郎様」


「何だ」


「今日はよい先生が来ましたね」


三郎は小次郎を見た。


「確かに」


「叔父上、私は先生ではありません」


「では、明日も来てくれ」


「父上の用事がなければ」


「用事がなくても来ればよい」


小次郎は笑った。


「それなら、こずえに会いに来ます」


     *


翌日、三郎は大江広元のもとで仕事をしていた。


書付の数字を確かめ、名前を照らし合わせ、前に出された訴えとの違いを調べる。


広元は三郎のまとめた紙を見て、うなずいた。


「よく調べてある」


「ありがとうございます」


「ただ、ここは本人にも確かめた方がよいな」


「はい」


三郎はすぐに書き直した。


広元がふと尋ねた。


「娘は元気か」


「はい」


「それはよかった」


「毎日、記録をつけています」


「ほう」


「笑った時刻、泣いた時刻、何をつかんだか。分かる限り残しています」


広元は三郎を見た。


「……それは、どれほどある?」


「紙が少し増えました」


「少し?」


「束にすれば、まだ大したことはありません」


広元は笑った。


「娘が大きくなるころには、蔵が一つ要るかもしれんな」


「蔵までは要りません」


「そうか」


広元は書付を置いた。


「記録は大事だ。だが、人が生きている間のことを、すべて紙に残せるわけではない」


三郎は顔を上げた。


「はい」


「今朝、娘は笑ったか」


「笑いました」


「なぜだ」


「私と小次郎が、顔を隠して見せたからです」


「なるほど」


広元はうなずいた。


「それは紙に書いたか」


「……いいえ」


「なぜだ」


「書く前に、また笑ったので」


広元は声を出して笑った。


「それでよいではないか」


三郎は、少し考えた。


     *


夕方、三郎が家へ戻ると、光成と与一が庭先にいた。


二人の前には、細い木の枝と小石が並んでいる。


「何をしている?」


三郎が尋ねた。


「水路の模型だ」


光成が答えた。


与一は、枝で水路の形を作り、小石で水の流れを妨げる場所を示していた。


「この先で水があふれるんです」


与一が言った。


「なぜだ?」


三郎が尋ねる。


「こちらの溝が細いからです。父上は、ここを広げればよいと言うのですが」


「違うのか?」


「広げると、下の田に水が行きすぎます」


三郎は模型をのぞき込んだ。


「なるほど」


光成が笑った。


「実際に見に行ったら、与一の言うとおりだった」


「では、どうする?」


「それを考えているところだ」


与一は枝を一本動かした。


「こちらに水を逃がせれば……」


「そこは誰の土地だ?」


光成が尋ねる。


与一の手が止まった。


「……隣の家の土地です」


「ならば、勝手には掘れないな」


「はい」


三郎は思わず笑った。


「水路を作るのも、人の話を聞かなければ進まないのだな」


「そういうことだ」


光成が答えた。


「紙に書くだけでは分からないこともある」


「兄上まで、それを言うのか」


「何の話だ?」


三郎は小次郎に娘の遊び方を教わったことを話した。


光成はしばらく黙っていた。


それから笑い出した。


「お前が小次郎に?」


「そうだ」


「よい先生だな」


「しづにも同じことを言われた」


「それなら間違いない」


与一も笑った。


「三郎叔父上は、こずえの遊び方まで書いているんですか?」


「書いている」


「それは大変ですね」


「大変なのは私だ」


光成がまた笑った。


「お前は、もう少し娘と遊べ」


「昨日は遊んだ」


「今日も遊べばよい」


三郎は考えた。


「……そうだな」


     *


夜。


こずえは、しづの腕の中で眠っていた。


三郎は机に向かい、今日の記録を書こうとしていた。


朝、笑う。


昼、小次郎の指をつかむ。


夕方――。


そこで筆が止まった。


しづが尋ねた。


「どうしました?」


「今日のことを、全部書こうと思ったのだが」


「はい」


「何から書けばよいのか、分からなくなった」


しづは少し驚いた顔をした。


「三郎様にも、そんなことがあるのですね」


「ある」


「では、今日は書かなくてもよいのでは?」


三郎は娘を見た。


こずえは、静かに寝息を立てている。


「そうだな」


筆を置いて、しづの隣に座った。


しづは、こずえの顔をのぞき込む夫を見た。


「何を考えているのですか?」


「今日は、よく笑ったと思って」


「そうですね」


「小次郎にも礼を言わなければ」


「明日、来てくれるそうですよ」


「ならば、そのときに言おう」


三郎は娘の小さな手を見た。


「……昨日より、大きくなった気がする」


「それは気のせいかもしれません」


「そうか」


「でも、毎日少しずつ大きくなっているのは本当でしょうね」


三郎はうなずいた。


しづは、机の上に置かれた紙を一枚取った。


そして、夫の筆を借りた。


「何を書く?」


「今日の記録です」


「私が書く」


「今日は私に書かせてください」


しづはさらさらと筆を動かした。


三郎がのぞき込む。


そこには、


『父、娘を見つめて筆を忘れる』


とあった。


「しづ」


「はい」


「それは記録なのか?」


「もちろん」


「何の役に立つ?」


「こずえが大きくなったら、教えてあげます」


「何を?」


「父上は、あなたのことが好きすぎて、仕事を忘れることもあったのですよ、と」


三郎は困ったような顔をした。


「仕事は忘れていない」


「では、筆を忘れたのですね」


「……そうだな」


しづが笑った。


三郎も笑った。


机の上には、今日も書きかけの紙が残っていた。


けれど三郎は、もう筆を取らなかった。


眠っているこずえを、しづと並んで見ていた。

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