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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第八部 承久の乱と、残された家族 承久元年(1219年)秋〜貞応元年(1222年)
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第76話 二階堂家は、こずえ一人に振り回される

承久元年(1219年)秋、鎌倉。


二階堂家では、朝から一つの大事件が起きていた。


「母上!」


三郎が廊下を駆けてきた。


「こずえが笑いました!」


ちよは、手にしていた針を止めた。


「それはよかったわね」


「いえ、ただ笑ったのではありません」


「赤子の笑い方に、何か種類があるの?」


「私の顔を見て笑ったのです」


三郎は真剣だった。


ちよは息子の顔を見た。


「……それで?」


「私が父親だと分かっているのではないでしょうか」


「まだ生まれて間もないでしょう」


「ですが、何かを理解しているような顔でした」


「赤子は、みんなそういう顔をするものよ」


三郎は納得しなかった。


「母上。これは書き留めておくべきでしょうか」


「何を?」


「こずえが初めて父親を認識した日です」


ちよは針仕事に戻った。


「まず、しづに聞いてみなさい」


     *


三郎の部屋には、紙が三枚並べられていた。


一枚目には、こずえが生まれた日。


二枚目には、乳を飲んだ回数。


三枚目には、昨夜から今朝までの様子が細かく記されていた。


しづは、その紙を見下ろしていた。


「三郎様」


「何だ」


「これは何でしょう」


「こずえの記録だ」


「それは見れば分かります」


しづは三枚目を持ち上げた。


「『夜半、二度泣く。二度目は一度目より声が大きい』」


「事実だ」


「『朝、父の顔を見て笑う』」


「それも事実だ」


「『父を認識した可能性あり』」


「十分に考えられる」


しづは少し考えた。


それから、こずえの顔をのぞき込んだ。


「こずえ。お父様は、あなたが笑うたびに紙を一枚使うつもりですよ」


こずえは小さく口を動かした。


「ほら、三郎様。また何か言いたそうです」


三郎は筆を取ろうとした。


しづがその手を押さえた。


「今のは書かなくて結構です」


「なぜだ」


「私が言ったことまで、こずえの言葉にされては困ります」


「そんなことはしない」


「本当ですか?」


しづは紙の端を指さした。


そこには、小さな字でこう書かれていた。


『母の声に反応する様子あり』


「……三郎様」


「何だ」


「こずえより先に、私のことを観察するのをやめてください」


三郎はしばらく黙った。


「お前がこずえに話しかけると、よく落ち着くから」


しづの表情が、少し柔らかくなった。


「それは、私が母親だからでしょう」


「そうだな」


「三郎様だって、父親なのですから」


しづは、こずえを三郎に渡した。


「紙ではなく、この子の顔を見てあげてください」


三郎は両腕で娘を抱いた。


こずえは、すぐに泣き始めた。


「……しづ」


「はい」


「何か間違えたか」


「いいえ」


しづは笑った。


「お父様の顔を見て、安心して泣いているのでしょう」


「そういうものなのか」


「さあ。私も初めての子ですから」


「では、記録を――」


「三郎様」


「……分かった」


     *


昼前になると、宗直が顔を出した。


「三郎。何をしている」


「こずえを見ている」


「見れば分かる」


宗直は部屋の隅に積まれた紙に目を留めた。


「……何だ、これは」


「こずえの記録です」


「仕事の書付かと思ったぞ」


「大切な記録です」


宗直は一枚を拾った。


「『父の腕に抱かれると泣く』」


三郎は顔をしかめた。


「そこだけ読まないでください」


「『母に渡すと泣きやむ』」


「兄上」


「『再び父が抱くと泣く』」


「兄上!」


宗直はとうとう笑い出した。


「お前にも、どうにもならぬ相手ができたな」


三郎は不服そうだった。


「こずえは、まだ言葉が分からないだけです」


「言葉が分かるようになったら、お前の言うことを聞くと思うか?」


「少なくとも、説明はできます」


そこへ光成がやってきた。


「三郎。赤子に説明してどうする」


「次兄上まで」


光成は紙の束を見た。


「これだけ紙があるなら、田の水の量も記録してくれ」


「これはこずえのための紙です」


「では、こずえが田を耕すようになったら頼む」


宗直がまた笑った。


三郎は、娘を抱いたまま二人をにらんだ。


「兄上方は、父親になった者の気持ちが分かっておられない」


「私は父親だぞ」


宗直が言った。


「私もだ」


光成が続けた。


三郎は黙った。


二人の兄は、満足そうにうなずいた。


     *


その日の午後、あやが北条家から訪ねてきた。


「母上、こんにちは!」


声だけで、ちよには誰が来たか分かった。


「あや。今日は一人?」


「小太郎様はお仕事です。帰る前に迎えに来てくださいます」


あやは手にした包みを見せた。


「しづ姉上に、魚を持ってきました」


「ありがとう」


「こずえは、どうしていますか」


「三郎が抱いているわ」


あやは嫌な予感がした。


部屋をのぞくと、案の定、三郎が娘の顔を真剣に見つめていた。


「三郎兄上」


「何だ」


「こずえを見て、何を考えているの?」


「今朝、笑った理由だ」


「まだ考えていたの?」


あやは、しづの隣に座った。


「しづ姉上、大変ですね」


「ええ。でも、三郎様は楽しそうですよ」


「そう見えますか」


「私は、あんなに嬉しそうな三郎様を初めて見ました」


あやは兄を見た。


三郎は、こずえの小さな手を指でつついていた。


「ほら、握った」


「赤子は指を握るものよ」


あやが言うと、三郎は首を振った。


「私の指を選んで握ったのだ」


「兄上、こずえはまだ選んでいないと思う」


「なぜ分かる」


「じゃあ、私の指でも試してみよう」


あやが指を差し出した。


こずえは、その指も握った。


「ほら」


三郎は黙った。


しづは肩を震わせて笑っていた。


「三郎様。負けましたね」


「勝ち負けではない」


「そうでしょうか」


「そうだ」


しづは、三郎の顔をのぞき込んだ。


「でも、私はこずえに負けたくありません」


「何の話だ」


「三郎様を笑わせる回数です」


三郎は目を丸くした。


あやが吹き出した。


「しづ姉上、それなら今のところ勝っていると思います!」


しづは小さく笑った。


「でしょう?」


三郎は、何か言い返そうとした。


けれど、腕の中のこずえが小さく声を出したので、すぐにそちらを向いた。


「……今、笑ったか?」


しづとあやは顔を見合わせた。


「やっぱり、こずえの勝ちですね」


しづが言った。


     *


夕方、北条時景があやを迎えに来た。


「ずいぶん楽しそうだったな」


「三郎兄上が、こずえの笑い方を記録しているのです」


「それは大事な仕事だ」


あやは夫を見た。


「小太郎様まで、そんなことをおっしゃるのですか」


「いや、三郎殿なら本当に大事な仕事だと思っているだろう」


「そうなのです。だから困るのです」


時景は笑った。


「だが、よいことではないか」


あやは少し考えた。


「……そうですね」


二人が門を出る頃、家の中からまた三郎の声が聞こえた。


「しづ! 今度こそ笑った!」


続いて、しづの声。


「はいはい。では、今度は私にも見せてくださいね!」


あやは振り返った。


「小太郎様」


「何だ」


「子どもが生まれると、あんなふうになるのでしょうか」


時景はしばらく考えた。


「三郎殿ほどには、ならないと思う」


「本当ですか」


「……たぶん」


あやは笑った。


二人は並んで北条家へ帰っていった。


     *


夜。


こずえがようやく眠ったあと、しづは三郎の隣に座った。


「今日は賑やかでしたね」


「ああ」


「三郎様は、少し疲れたでしょう」


「お前こそ、休んだほうがよい」


「私は大丈夫です」


しづはそう言って笑ったが、少しだけ肩を回した。


三郎はその様子を見ていた。


「しづ」


「はい」


「明日は、私がもう少しこずえを見る」


「お仕事は?」


「広元様に頼まれた書付は、今日のうちに済ませた」


「もう済ませたのですか」


しづは驚いた顔をした。


「こずえの記録ばかりしていると思っていました」


「仕事は仕事だ」


「それなら安心です」


しづは三郎の肩に、そっと頭を預けた。


「三郎様」


「何だ」


「こずえが大きくなったら、今日のことを話してあげましょうね」


「何を?」


「お父様が、あなたの笑った理由を一日中考えていたことです」


「それは話さなくてよい」


「どうしてですか」


「笑われる」


しづは顔を上げた。


「いいではありませんか」


「何がだ」


「こずえに笑われるなら、幸せなことでしょう?」


三郎は答えなかった。


代わりに、眠っている娘を見た。


小さな手が、布の端を握っていた。


「……そうだな」


しづは満足そうにうなずいた。


「では、決まりですね」


「何がだ」


「明日も、こずえをたくさん笑わせましょう」


「お前もか」


「もちろんです」


しづは、ほんの少しだけ口の端を上げた。


「三郎様には負けませんから」


三郎はようやく笑った。


部屋の隅には、書きかけの紙が残っていた。


『承久元年、秋。こずえ、初めて父の顔を見て笑う』


その下には、まだ何も書かれていなかった。


三郎は筆を取り、少し考えてから、一行を書き足した。


『しづも、よく笑う』


そして筆を置いた。

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