第69話 二階堂家は、将軍を失った朝を迎える。
建保七年(1219年)、鎌倉。
源実朝が鶴岡八幡宮で殺されてから、幾日かが過ぎた。
鎌倉の町は、少しずつ普段の姿を取り戻していた。
朝になれば人が道を歩く。
荷を運ぶ者が行き交い、店も開く。
けれど、人々の顔には、まだ不安が残っていた。
三代将軍の源実朝は、正月二十七日、鶴岡八幡宮で行われた儀式の帰りに、公暁によって殺された。
公暁は、二代将軍源頼家の子だった。
その公暁も、事件の夜に討たれた。
頼朝の息子たちは、もう誰も残っていない。
次の鎌倉殿は誰になるのか。
京の朝廷は、どう動くのか。
御家人たちは、これから誰に従えばよいのか。
鎌倉には、まだ答えの出ていない問題が山ほどあった。
そして二階堂家にも、いつもの朝がやってきた。
*
「母上!」
行嗣が廊下を歩いてきた。
「私の筆を見ませんでしたか」
ちよは、台所から振り返った。
「またですか」
「また、とは何ですか」
「昨日も探していたでしょう」
「昨日は紙です。今日は筆です」
「大して違いませんよ」
行嗣は、少し考えた。
「……確かに」
そこへ宗直が通りかかった。
「三郎。お前は昔から変わらんな」
「太郎兄上に言われたくありません」
「何だと」
「兄上も昨日、ふみ姉上に書付を探してもらっていたでしょう」
宗直は黙った。
ちよは、笑いをこらえた。
さらに光成が顔を出した。
「二人とも、朝から何をしている」
「三郎が筆をなくした」
「なくしていません。置いた場所を忘れただけです」
「同じことだろう」
「違います」
光成は、ため息をついた。
「父上が生きていたら、何と言うだろうな」
宗直が答えた。
「まず、自分の物は自分で管理しろ、だな」
「いや」
行嗣が首を横に振った。
「父上なら、どうしてなくしたのか考えろと言うと思います」
ちよは、思わず笑った。
「その前に、探しなさいとおっしゃるでしょうね」
三人が黙った。
そこへ、しづが入ってきた。
「三郎様」
「何ですか」
「筆なら、昨日、私に預けたでしょう」
行嗣は、妻を見た。
「……そうでした」
「忘れていたのですか」
「少し」
「全部忘れていたでしょう」
「……はい」
しづは笑った。
「部屋に置いてありますよ」
宗直が、弟の肩をたたいた。
「よかったな、三郎」
「兄上」
「何だ」
「兄上も、ふみ姉上に感謝したほうがよいと思います」
「三郎!」
いつもの兄弟だった。
けれど、三人とも、出かける支度は早かった。
鎌倉には、まだ片づけなければならない仕事が残っていた。
*
昼前。
ちよが台所で菜を洗っていると、しづが入ってきた。
「母上、何かお手伝いします」
「ありがとう。では、こちらをお願いします」
「はい」
しづは、いつものように返事をした。
ところが、しばらくすると、ふいに手を止めた。
「……あれ?」
「どうしました」
「いえ、何でもありません」
しづは笑った。
けれど、ちよは気になった。
今朝も、しづは粥を半分ほど残していた。
普段はよく食べる娘だった。
「しづ。少し顔色が悪いようですよ」
「そうですか?」
「気分が悪いのではありませんか」
「少しだけ。朝から、何だか匂いが気になって」
ちよは、鍋を見た。
「魚の匂いですか」
「はい。いつもは平気なのに」
しづは困ったように笑った。
「三郎様には、まだ言わないでくださいね。きっと大騒ぎしますから」
ちよは、思わず笑った。
「それは、そうでしょうね」
「仕事を休んで帰ってきそうです」
「あり得ますね」
二人は顔を見合わせた。
ちよは、ふと、昔の自分を思い出した。
宗直を身ごもったころ。
いつもと同じものを食べているのに、急に匂いが気になったことがあった。
眠くて仕方がない日もあった。
「しづ」
「はい」
「月のものは、いつごろでしたか」
しづは、きょとんとした。
それから、指を折って数え始めた。
「ええと……」
少しして、手が止まった。
「あら」
ちよは、何も言わずに待った。
「母上」
「はい」
「もしかして……」
しづは、自分のお腹を見た。
ちよは、そっと微笑んだ。
「まだ、そうと決まったわけではありませんよ」
「……はい」
「今日は無理をしないで、少し休みましょう」
しづは、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「三郎様には、まだ内緒ですね」
「ええ。もう少し様子を見てからにしましょう」
「でも、母上」
「何ですか」
「本当だったら、嬉しいです」
ちよは、しづの手を握った。
「私もですよ」
そのとき、門の方から声がした。
「母上、来ました」
ちよが顔を上げた。
あやだった。
*
あやは、大きな籠を抱えていた。
その後ろには、北条家の家人が一人ついている。
「何を持ってきたの?」
ちよが尋ねる。
「魚!」
あやは、得意そうに籠を見せた。
「今朝、小太郎様と話していたら、魚を運ぶ人が来たの」
「時景殿と?」
「ええ。小太郎様は、昨日までずっとお忙しかったでしょう。今朝、ようやく一緒に朝餉を食べられたのです」
ちよは微笑んだ。
「それはよかったわね」
「でも、食べながら仕事の話を始めるの」
「三郎に似ていますね」
「そうなの!」
あやは笑った。
「それで、魚を運んできた人が、道の様子を話していたの。荷が届くまで、いつもより時間がかかったんだって」
「そうでしょうね」
「だから、どこで止まったのか聞いてみたの」
ちよは、娘を見た。
「あなたが?」
「ええ。魚が悪くなったら困りますから」
あやは籠を指さした。
「朝のうちに届いたものと、昨日から運んでいたものがあったの。これは朝に届いた方」
「よく分かりましたね」
「運んできた人に聞いたから」
あやは、当たり前のように答えた。
「小太郎様も、荷が遅れる理由を知っておけば、次に困らないって言ってた」
「二人でそんな話をしているの?」
「ええ。面白いです」
ちよは笑った。
「魚を買うのにも、ずいぶん時間がかかりそうね」
「かかったよ」
あやは、少し胸を張った。
「だから、小太郎様に、魚を買うだけでそんなに話すのかって笑われた」
「それで、何と答えたの?」
「小太郎様だって、朝餉の間ずっと仕事の話をしていたでしょうって」
ちよは、声を立てて笑った。
あやも笑った。
「そうしたら、小太郎様、言い返せなくなったの」
「それは、あなたの勝ちね」
「ええ」
ちよは籠を受け取った。
「ありがとう。夕餉にいただきましょう」
「私も手伝うよ」
「北条家の方は?」
「小太郎様には、今日は母上のところで夕餉をいただいてから帰るって伝えてあるの。小太郎様の分は、向こうで用意してもらうことになってる」
「そう。では、ゆっくりしていきなさい」
「ええ」
あやは家人に声をかけた。
「帰るときには知らせるから、それまで休んでいてね」
家人が頭を下げた。
あやは籠を持ち直した。
「母上、魚はどこへ置く?」
「こちらへ。ああ、少し待って」
ちよは、台所の奥を振り返った。
しづが休んでいる。
魚の匂いを近づけない方がよい。
「魚は、向こうで下ごしらえしましょう」
「どうして?」
「今日は、こちらを少し片づけたいの」
「何を?」
「いろいろよ」
「いろいろって何?」
ちよは、ため息をついた。
三郎も質問が多かった。
けれど、末娘は、それ以上かもしれない。
台所の奥では、しづが小さく笑っていた。
*
そのころ、行嗣は大江広元のもとで書付を整理していた。
実朝の死後、鎌倉では次の鎌倉殿をどうするかという問題が持ち上がっていた。
頼朝の直系の男子は、もはや残っていない。
京都の朝廷とも話を進めなければならない。
誰を迎えるのか。
どのような立場で迎えるのか。
それによって、鎌倉の政治の形が変わる。
行嗣は、届いた文を一つずつ確かめていた。
「三郎」
広元が声をかけた。
「はい」
「同じ文を二度読んでいるぞ」
行嗣は、手元を見た。
「……申し訳ありません」
「疲れているのか」
「少し」
広元は、行嗣の前に座った。
「何が気になる」
行嗣は、少し迷ってから答えた。
「鎌倉殿が亡くなられても、仕事は続くのですね」
広元はうなずいた。
「続けなければならん」
「はい」
「鎌倉には、多くの御家人がいる。土地をめぐる争いもあれば、約束を確かめなければならぬこともある」
広元は、積まれた文を指さした。
「鎌倉殿が亡くなったからといって、それらが消えるわけではない」
行嗣は、紙を見た。
「父も、同じことを言いそうです」
「直成が?」
「はい。誰かがいなくなっても、残された者の暮らしは続く、と」
広元は、少し黙った。
「そうかもしれんな」
それから、行嗣の顔を見た。
「だが、三郎」
「はい」
「残された者が仕事を続けることと、亡くなった者を忘れることは違う」
行嗣は、顔を上げた。
広元は、机の文を一枚取った。
「実朝様のことは、わしも忘れん」
行嗣は、静かに頭を下げた。
そして、もう一度、書付に目を落とした。
今度は、同じ行を読み返さずに済んだ。
*
夕方。
二階堂家では、あやが台所をのぞき込んでいた。
「母上」
「何?」
「今日は何人分作りますか」
「家族の分ですよ」
「それは分かってるよ」
「では、何が知りたいの?」
「兄上たちが、いつ帰ってくるか」
ちよは、手を止めた。
「それぞれ、仕事が済んでからでしょうね」
「だったら、先に食べる人と、あとで食べる人に分けておいた方がいいんじゃない?」
ちよは、少し考えた。
「なるほど」
あやは、得意そうに笑った。
「それに、冷めたら温め直せるものと、そうでないものがあるでしょう」
「ええ」
「魚は、焼きたての方がおいしいよね」
「そうですね」
「では、帰ってきてから焼きますか」
ちよは笑った。
「あや。あなたは、夕餉の支度をしたいのですか。それとも、魚をおいしく食べたいのですか」
「両方!」
「欲張りですね」
「母上だって、おいしい方がいいでしょう?」
「それは、もちろん」
あやは、もう一つ思い出したように言った。
「小太郎様の分は、北条家で用意してもらっているけど、遅くなるなら、温め直せるものを残しておいてって頼んできたの」
「気が利くようになったわね」
「前からです」
「そうでしたね」
二人で笑っていると、門の方から声がした。
「ただいま戻りました」
光成だった。
あやが走っていく。
「次郎兄!」
「何だ」
「今日は魚です」
「そうか」
「今から焼くから、ちょうどいいよ!」
光成は、少し驚いた顔をした。
「私が帰ってきたからか?」
「うん!」
「……そうか」
光成は、嬉しそうに笑った。
そのあと、宗直も戻ってきた。
行嗣は、さらに少し遅れて帰ってきた。
「ただいま」
しづが迎えに出た。
「お帰りなさい」
「遅くなりました」
「大丈夫です。まだ魚を焼いているところですよ」
「そうですか」
行嗣は、ほっとした顔をした。
しづが、夫の顔をのぞき込んだ。
「三郎様」
「何ですか」
「今日は、何を考えておられたのですか」
行嗣は、少し黙った。
いつもなら、考えがまとまってから話すと言うところだった。
けれど、その日は違った。
「鎌倉殿が亡くなられても、仕事が続くことを考えていました」
しづはうなずいた。
「はい」
「広元様に、亡くなった人を忘れることとは違うと言われました」
「そうでしたか」
「それでも、少し変な気持ちがします」
しづは、夫の手を取った。
「そういうことは、まとまっていなくても話してよいのですよ」
行嗣は、妻を見た。
「……そうですね」
「それに」
「何ですか」
「今は、魚が焼けるところですから」
行嗣は、思わず笑った。
「そうでした」
「考えるのは、食べながらでもできるでしょう」
「母上に怒られそうです」
「でしたら、食べ終わってから」
二人は笑いながら、家の中へ入った。
*
夕餉の席は、いつものように賑やかだった。
宗直が仕事の話をしようとすると、ふみが止めた。
「宗直殿。まず食べてください」
「いや、今日のことを少し」
「魚が冷めます」
「……はい」
光成は、あやに尋ねられていた。
「次郎兄、今日、町には人が多かった?」
「いつもより少なかったな」
「どうして?」
「用事がなければ、外へ出ない者もいるのだろう」
「お店は?」
「開いているところもあった」
「荷物は?」
「運んでいる者もいた」
「じゃあ、全部止まったわけじゃないんだね」
光成はうなずいた。
「そうだな」
あやは、少し考えた。
「でも、みんな怖いのでしょうか」
光成は、箸を置いた。
「怖い者もいるだろう」
「次郎兄は?」
「私か?」
「うん」
光成は、少し考えた。
「怖くないと言えば、嘘になる」
あやは、兄を見た。
「そうなんだ」
「ああ」
「では、お気をつけて」
光成は、妹の頭を軽くなでた。
「分かった」
宗直が、あやの方を見た。
「時景殿は、まだ忙しいのか」
「ええ。おじさんのお仕事を手伝っています」
「そうか」
「でも、今朝は一緒にご飯を食べたの」
「それはよかったな」
あやは、少し得意そうに言った。
「小太郎様に、私が魚を買うのに時間をかけすぎると笑われました」
宗直が眉を上げた。
「何だと。時景殿は、あやを笑ったのか」
「太郎兄、そういうことじゃないよ」
「いや、しかし」
ふみが、夫の袖を引いた。
「宗直殿」
「何だ」
「あやは、楽しそうに話していますよ」
宗直は、妹を見た。
あやは笑っていた。
「……そうか」
光成が、横から言った。
「兄上は、いつまであやを子ども扱いするつもりだ」
「お前も、さっき頭をなでていただろう」
「それとこれとは違う」
「どこが違う」
「……気持ちだ」
あやが、声を立てて笑った。
「二人とも同じです」
ふみも、おりんも笑った。
ちよは、その様子を見ていた。
鎌倉の先行きは、まだ分からない。
次の鎌倉殿が誰になるのか。
御家人たちがどう動くのか。
京からどんな返事が届くのか。
家族の誰にも、答えはなかった。
それでも、こうして食事をしている。
今日、帰ってきた人がいる。
明日、また出かける人がいる。
そのために、食事を作り、帰りを待つ人がいる。
直成が生きていたころも、そうだった。
夫は、鎌倉の政治を心配しながら、家に帰ると子どもたちの言い合いに巻き込まれていた。
ちよは、少し笑った。
「母上?」
あやが尋ねた。
「何でもありません」
「何か面白いことがあった?」
「昔のことを思い出しただけですよ」
「父上のこと?」
ちよはうなずいた。
「ええ」
あやは、嬉しそうに身を乗り出した。
「何を思い出されたのですか」
ちよは、宗直と行嗣を見た。
「筆の取り合いです」
宗直が、すぐに顔を上げた。
「母上!」
行嗣も声を上げた。
「その話は、もうよいでしょう!」
光成が笑った。
「何度聞いても面白いな」
宗直が言い返す。
「次郎、お前だって昔は――」
「兄上、その話はやめましょう」
あやは、目を輝かせた。
「何です? 次郎兄も何かしたのですか」
「何もしていない!」
「絶対に何かしたでしょう!」
しづが笑い、ふみも笑った。
おりんまで、何か思い出したように口元を押さえている。
ちよは、家族を見渡した。
実朝は、もう帰ってこない。
直成も、もう帰ってこない。
けれど、残された者たちは、今日も同じ膳を囲んでいた。
*
夕餉が終わると、あやは帰り支度を始めた。
「母上、今日はありがとう」
「こちらこそ。魚もありがとう」
「また持ってくるね」
「今度は時景殿も一緒にいらっしゃい」
「うん。小太郎様にも伝える」
ちよは、娘の衣を整えた。
「道は、まだ落ち着いていないところもあるでしょう。気をつけて帰りなさい」
「家の者と一緒だから大丈夫」
そこへ宗直が現れた。
「私も途中まで送ろう」
「太郎兄、もう北条家の人が待ってるよ」
「しかし、暗くなっている」
「だから、家の人と一緒に帰るの」
宗直は、少し考えた。
ふみが後ろから言った。
「宗直殿。あやは、ちゃんと帰る支度をしています」
「……分かっている」
あやは、兄を見上げた。
「太郎兄」
「何だ」
「心配してくれて、ありがとう」
宗直は、少し驚いた顔をした。
「……ああ」
「でも、ふみ姉上も待ってるよ」
宗直が振り返る。
ふみは、にこにこしていた。
光成が笑った。
「兄上、一本取られたな」
「お前も黙っていろ」
あやは、声を立てて笑った。
そして、ちよの手を握った。
「母上。また来るね」
「ええ。いつでもいらっしゃい」
あやは、北条家の家人とともに門を出た。
ちよは、その姿を見送った。
嫁いだ娘が、自分の家へ帰っていく。
寂しさはあった。
けれど、あやには、帰りを待つ夫がいる。
ちよは、少しうれしかった。
*
その夜。
家族が寝静まったあと、ちよは縁側に座っていた。
昼間は、あれほど騒がしかった家が静かになっている。
ちよは、ふと、直成が生きていたころのことを思い出した。
頼朝が亡くなって、まだ間もないころだった。
その夜も、二人で庭を眺めていた。
「ちよさん」
直成が言った。
「鎌倉は、これから難しい時代に入ると思います」
「頼朝様が亡くなられたからですか」
「それもあります」
直成は、少し考えてから続けた。
「頼朝様は、人をまとめることのできる方でした。けれど、あの方がいなくなったあと、誰が同じことをできるのか」
「頼家様がおられるでしょう」
「ええ。ですが、頼家様はまだ若い」
直成は、庭へ目を向けた。
「この先、鎌倉では、誰が人をまとめるのかをめぐって争いが起きるかもしれません」
「直成さんには、何か分かるのですか」
直成は、首を横に振った。
「昔の記憶が、少し残っています。ただ、細かなことまでは覚えていません。私の知っていた歴史と、今が同じように進むとも限りません」
ちよは、夫の顔を見た。
「では、どうなさるのですか」
「できることをします」
「できること?」
「頼家様にも、ほかの方々にも、話をします。鎌倉が、誰か一人の命とともに終わってしまわないように」
直成は、少し笑った。
「それに、私には帰る家がありますから」
「家?」
「ええ。ちよさんと子どもたちがいる家です」
ちよは、夫を見つめた。
「それは、政治と関係があるのですか」
「大いにあります」
直成は答えた。
「鎌倉を守るというのは、結局、こういう家が明日も普通に暮らせるようにすることだと思うのです」
「……そうですね」
「ただ、難しいことがあります」
「何ですか」
「鎌倉を守ろうとする人たちが、互いに争ってしまうことです」
直成は、少し声を落とした。
「同じものを守りたいと思っていても、守り方が違うことがありますから」
*
ちよは、現在の庭へ目を戻した。
あの夜、直成が何をどこまで知っていたのか。
今となっては、確かめようがない。
頼家は亡くなった。
そして、実朝も亡くなった。
夫が恐れていたように、鎌倉は何度も揺れた。
けれど、直成が話していたのは、誰が死ぬかということだけではなかった。
そのあとに残る人々が、どうやって暮らしていくのか。
ちよは、家の中を振り返った。
宗直も、光成も、三郎も、それぞれ仕事を持ち、家族を守ろうとしている。
まつは京で暮らしている。
あやは、北条家で時景と新しい暮らしを築いている。
そして、しづには、もしかすると、新しい命が宿っているのかもしれない。
「直成さん」
ちよは、小さく呼んだ。
「あなたの心配していた鎌倉は、まだ続いていますよ」
返事はなかった。
ちよは、少し笑った。
「それから、三郎が父親になるかもしれません」
そのことを、直成にも見せてやりたかった。
「きっと、あなたに似て、落ち着かない父親になりますね」
家の奥から、何か物音がした。
続いて、行嗣の声が聞こえた。
「しづ、さっきの紙を知りませんか」
「三郎様! もう寝る時間ですよ!」
ちよは、思わず吹き出した。
「……もう、なっているようですね」
夜の二階堂家に、ちよの小さな笑い声が残った。
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## 登場人物紹介
**源実朝(みなもとのさねとも/1192〜1219年)**
鎌倉幕府の第三代将軍。源頼朝の子で、源頼家の弟。和歌を愛し、朝廷との関係も重視しました。建保七年(1219年)正月二十七日、鶴岡八幡宮で公暁に殺害されました。本作では直成や二階堂家と縁のある人物として描いています。
**公暁(くぎょう/1200〜1219年)**
源頼家の子。鶴岡八幡宮で実朝を殺害し、その後、討たれました。暗殺の動機や背後関係については、史料の解釈に議論があります。
**大江広元(おおえのひろもと/1148〜1225年)**
頼朝の時代から鎌倉幕府の政務を支えた人物。実朝の死後も幕府の行政に深く関わりました。本作では直成を見いだした人物であり、行嗣の仕事上の師でもあります。
**二階堂行嗣/三郎**
直成とちよの三男。大江広元のもとで文書や訴訟の仕事に携わっています。妻はしづ。実朝の死を悼みながら、残された者の暮らしを支える仕事を続けています。
**しづ**
行嗣の妻。最近、食べ物の匂いが気になるなど、体調に変化が現れています。ちよとともに懐妊の可能性に気づきますが、まだ確かめられていません。
**あや**
直成とちよの末娘。建保六年(1218年)に北条時景と婚姻し、現在は北条家で暮らしています。魚の仕入れや運搬の様子にも関心を持ち、実家を訪れて家族との時間を過ごします。
**北条時景/小太郎**
あやの夫。北条義時のもとで政務や連絡調整に携わる架空の人物。あやの好奇心を面白がり、商いや荷の流れについても一緒に考える夫です。




