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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第七部 実朝の最期と、続いていく暮らし ――建保七年(1219年)〜承久元年(1219年)
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幕間35 ちよは、太郎が宗直になっても背負いすぎるのを見る

元久元年(1204年)、鎌倉。


太郎の元服の日、本人より先に起きていたのは直成さんだった。


ちよが目を覚ますと、夫はすでに衣を整え、膝の上に両手を置いていた。


「早いですね」


「眠れなかった」


「太郎が?」


「僕が」


ちよは起き上がった。


昨夜、太郎は何度も明日の支度を確かめていた。直成さんは、そのたびに、もう寝なさいと言っていた。


言った本人が眠れていなかったらしい。


「直成さんが元服するわけではありませんよ」


「分かっている」


「では、どうして」


直成さんは少し考えた。


「太郎が生まれたときも、眠れなかったなと思って」


ちよは夫の顔を見た。


あのときは、生まれたばかりの息子を抱くだけで大騒ぎになった。


首を支えてくださいと言えば、首しか見なくなる。体も、と言えば、今度は腕を動かせなくなる。


あれから、五人の子を抱いた。


さすがに、今は赤子を抱いて固まることもない。


けれど、長男が初めて迎える日は、やはり初めてだった。


「今日は、抱かなくていいでしょう」


「さすがに嫌がるだろうな」


「私も止めます」


直成さんが笑った。


ちよは、その笑顔を見てから朝の支度へ向かった。


     *


太郎は、庭にいた。


家人が運ぼうとしていた物を、自分で持ち上げている。


「太郎」


ちよが呼ぶと、息子は振り返った。


「何ですか」


「今日は、その衣を汚さないでください」


「あちらへ運ぶだけです」


「それは、こちらでいたします」


家人が手を伸ばした。


太郎は一度、荷と相手の顔を見比べた。ようやく手を離す。


そこへ、ふみが来た。


幼いころから家を行き来している、二階堂一族の遠い親族の娘だった。ちよには、今日も見慣れた顔である。


ただ、ふみは太郎を見ると、足を止めた。


「何か持とうとしていたでしょう」


「もう置いた」


「今日は、置いている方が仕事です」


太郎が困った顔をした。


ちよは笑いそうになって、手元の衣を整えた。


ふみは挨拶を済ませると、こちらへ来た。


「何かお手伝いすることはありますか」


「あります。太郎が仕事を拾わないように見ていてください」


「それなら、さっきからしています」


「母上」


太郎の声が、後ろからした。


二人で振り返ると、息子は何も持たずに立っていた。


「よろしいです」


ちよが言う。


「何もしていません」


「今日は、それでよいの」


     *


北条義時が来ると、家の中が少し静かになった。


今日は、太郎の烏帽子親を務めてもらう。


元服は、子どもから大人へ移る節目の儀式である。髪や衣を改め、烏帽子というかぶり物を着ける。その際に仮の親となるのが、烏帽子親だった。


家へ何度も来ていた義時が、その役を引き受けた。


ちよは、挨拶をする太郎の背中を見た。


肩に力が入っている。


小さなころ、義時の膝の近くへ座り、父たちの話を聞いていた息子だった。今は、正面から礼をしている。


「そんなに固くならなくてもよい」


義時が言った。


「はい」


返事をしても、背中は固いままだった。


次郎が後ろで小さく笑った。


まつに肘でつつかれ、すぐに黙る。


三郎は、いつもより近くから兄を見ようとしていた。あやはその隣で、烏帽子ばかり見ている。


「触ってはいけませんよ」


ちよが小声で言うと、あやは顔を上げた。


「まだ触ってない」


「まだ、と思ったから言ったの」


あやは両手を膝へ戻した。


その向こうで、直成さんがこちらを見た。


口元が少し動いていた。


     *


儀式の間、太郎は静かだった。


ふだんは、誰かが動けば自分も動く。物が落ちれば拾い、呼ばれれば立ち、困った声がすれば振り返る。


今日は、自分のために人が動いている。


ちよには、それに耐えているようにも見えた。


義時の手で烏帽子を着けてもらうと、息子の顔が変わった。


顔立ちは、朝と同じだった。


けれど、幼いころから見てきた額や頬の上に、大人の姿が整っている。


名は、宗直となった。


直成さんが前から考えていた名だった。


「宗直」


義時が呼ぶ。


「はい」


息子はすぐに答えた。


ちよは、膝の上の指を重ねた。


太郎と呼ばれて振り返った子が、新しい名で返事をしている。


義時は、その顔をしばらく見た。


「困ったときには、父にも私にも話せ」


「はい」


「分からぬことを、そのまま引き受けるなよ」


宗直が少し顔を上げた。


直成さんが横から言う。


「それは、よく聞いておきなさい」


「父上もです」


宗直が答えた。


一瞬、部屋が静かになった。


義時が先に笑った。


「もう言うようになったな」


直成さんは息子を見て、それからうなずいた。


「そうだな。僕も気をつけよう」


ちよは、こらえていた息をゆっくり吐いた。


息子は、父の言葉を聞くだけの子ではなくなっていた。


     *


儀式が終わったあと、義時が直成さんのそばへ来た。


ちよは少し離れたところで、客に出す湯を用意していた。


「立派になられましたな」


義時が宗直を見て言った。


「まだまだですよ。何でも自分で引き受けようとしますから」


「父親に似たのでしょう」


「それは困りましたね」


義時が笑った。


直成さんも笑ったが、少しして表情を改めた。


「義時殿。本日は、ありがとうございました」


「何を今さら」


「宗直のことを、これからもよろしくお願いいたします」


義時は、直成さんを見た。


「無論です。烏帽子親を引き受けたのですから」


少し間を置いて、義時が続けた。


「直成殿。先日の話については、私の考えは変わりません」


「承知しております」


ちよは、湯を注ぐ手を止めかけた。


先日の話。


頼家の死について、直成さんがもう少し調べたいと申し出たことだろう。


義時は、それを認めなかった。


「それでも、また申されるのでしょうな」


義時が言った。


直成さんは、少し笑った。


「お聞きいただけるのでしたら」


義時は苦笑した。


「聞くことと、従うことは別ですぞ」


「存じております」


「私にも、守らねばならぬものがあります」


「僕にもあります」


二人は顔を見合わせた。


義時は少し黙ってから、宗直の方を見た。


「今日のような日は、よいものですな」


「ええ」


「この子らが大人になったときにも、鎌倉があるようにせねば」


「そう思っております」


直成さんは頷いた。


義時も、静かに頷き返した。


ちよは湯を運びながら、その様子を見ていた。


頼家の死をめぐって、二人の考えが違うことは知っている。


それでも義時は、今日、宗直の烏帽子親を務めてくれた。


夫もまた、義時を信頼している。


そのことに、少し安心した。


けれど、義時が帰ったあとも、ちよの胸には不安が残った。


今は、二人とも笑っている。


しかし、北条家の中にも、さまざまな考えを持つ人がいる。


義時と話し合えるからといって、北条家の誰もが直成さんの異論を受け入れてくれるとは限らない。


頼家は、将軍だった。


その頼家でさえ、伊豆へ移され、命を失った。


まして直成さんは、将軍でも北条家の一門でもない。


もし、夫が北条家にとって都合の悪いことを調べ続けたら。


もし、誰かが夫を邪魔だと考えたら。


人知れず命を奪われることも、あるのではないか。


ちよは、膝の上で手を握りしめた。


怖かった。


直成さんがある日、仕事へ出たまま帰ってこなくなることが。


そして、直成さんに何かあれば、宗直も無事では済まないかもしれない。


今日、烏帽子親となった義時との結びつきは、二階堂家にとって大きな支えになる。


けれど、北条家の争いに巻き込まれれば、その結びつきが家族を危うくすることもある。


太郎も、次郎も、まつも、三郎も、あやも。


まだ幼い子どもたちがいる。


ちよは、その誰も失いたくなかった。


そして、何よりも。


夫を失いたくなかった。


直成さんは、人の話を聞く人だった。


相手の立場を考え、何とか皆が納得できる道を探そうとする。


けれど、一度大切だと思ったことは、簡単には諦めない。


その誠実さを、ちよは愛していた。


だからこそ、その誠実さが夫の命を危うくするかもしれないことが、たまらなく怖かった。


ちよが顔を上げると、直成さんは宗直と話していた。


息子の肩に手を置き、何かを言って笑っている。


今朝、眠れなかったと言っていた夫だった。


長男の元服が嬉しくて、誰よりも早く起きてしまった人だった。


ちよは、その笑顔を見つめた。


こんな日を、これからも一緒に迎えたい。


次郎の元服も、三郎の元服も。


まつやあやが嫁ぐ日も。


孫が生まれたら、今朝のように眠れなかったと言って、二人で笑いたかった。


だから、どうか。


直成さんがこれからも毎日、この家へ帰ってきますように。


ちよは、胸の内でそう願った。


     *


家はいつもの騒がしさを取り戻した。


「宗直兄上」


まつが、少し改まって呼んだ。


宗直が振り返る。


まつは満足そうにうなずいた。


「ちゃんと振り返った」


「呼んだのだから、振り返るだろう」


「慣れたのかと思って」


「今、慣れようとしている」


次郎が口を挟む。


「俺は太郎兄上でいいか」


「いい」


「では、私も」


三郎が言った。


あやも、すぐに続いた。


「私も」


宗直は三人を見た。


「何のために確かめたんだ」


ちよが笑うと、直成さんも笑った。


ふみだけは、少し離れたところから宗直を見ていた。


目が合うと、ふみは顔を下げた。


ちよは、その前に盆を持った。


何か運ぶものがあれば、そちらへ目を向けていられる。


     *


客の帰ったあと、宗直はまた仕事を探し始めた。


片づける物を持とうとする。


今度は、ふみが先に手を置いた。


「こちらは、私が」


「重いだろう」


「二人で持てばいいでしょう」


宗直は、盆の反対側を持った。


ちよは廊下の端で、それを見ていた。


二人が歩き出す。


宗直の方が速い。


「待って」


ふみが言った。


「何だ」


「私も持っています」


「ああ」


歩く速さが、少し落ちた。


ちよは、その小さな変化を見届けた。


盆を置いて戻ってくると、直成さんが宗直を呼んだ。


「少し、座りなさい」


ふみが下がろうとしたので、ちよはそばへ招いた。


「ふみも。聞いていてください」


宗直が父を見る。


ふみは膝をそろえて座った。


直成さんは、二人の顔を順に見た。


「ふみとの縁談は、家の間でも話している。だが、暮らすのはお前たちだ」


宗直の手が、膝の上で止まった。


「お前の返事を、僕たちはまだ聞いていない」


ちよは息子を見た。


小さなころから、ふみが来れば一緒に遊び、帰ればまた次の日に会うつもりでいた。


その相手と、これからも暮らす。


いつものことに近いようで、同じではない。


宗直は、ふみへ顔を向けた。


「私は、ふみと夫婦になりたいです」


声は、ちよが思っていたよりはっきりしていた。


ふみが顔を上げる。


「どうして?」


宗直が止まった。


直成さんも、少し止まった。


ちよは、ふみの方を見た。


ふみは真面目だった。


「家で話が進んでいるから?」


「それだけではない」


「では?」


宗直は少し考えた。


「一緒にいると、話しやすい」


ふみは黙って聞いた。


「帰ってきたときに、いてほしいと思う」


ちよは、手元へ目を落とした。


ふみの返事が、少し遅れた。


「……それなら、先に言ってください」


「今、言った」


「今まで、言っていません」


「そうだな」


宗直が認めた。


ふみは一度、ちよを見た。


それから、宗直へ向き直る。


「私も、あなたと夫婦になりたいです」


宗直の肩から、力が抜けた。


ちよにも、それが見えた。


直成さんは口を開きかけて、閉じた。


ふみが言い添えたからだった。


「ただし、帰ると言った日は、帰ってきてください」


「まだ、そんなことは」


「今日も、何度か仕事を拾おうとしていました」


宗直は、もう言い返さなかった。


直成さんが小さく笑った。


ちよは夫を見る。


「あなたもです」


「僕にも来たか」


     *


夜、家の中が静かになってから、直成さんが言った。


「宗直か」


ちよは、片づけた衣を重ねた。


「まだ、呼び慣れませんね」


「僕もだ」


「明日の朝は、太郎と呼びそうです」


「それでいいだろう」


直成さんは少し笑った。


「名が変わっても、息子だ」


ちよはうなずいた。


今日、宗直は新しい名で返事をした。


ふみと夫婦になりたいとも言った。


その一方で、荷を持とうとして止められ、兄と呼ばれて弟妹にからかわれた。


変わったところと、変わらないところが、一日の中にあった。


「直成さん」


「何だい」


「ふみと二人で盆を運んでいました」


「そうか」


「歩く速さを落としていましたよ」


直成さんがこちらを向いた。


ちよは、その顔へ笑いかけた。


「二人で持っていると、気づいたから」


直成さんは少し黙り、それからうなずいた。


「……僕たちも、そうだったかな」


「何がですか」


「一緒に暮らし始めたころ、僕は自分の速さで歩いてばかりいた気がする」


ちよは、少し考えた。


「今でも、時々そうですよ」


「そうか」


直成さんが困ったように笑った。


ちよも笑った。


けれど、昼間のことが頭から離れなかった。


義時と話していた夫。


互いに笑いながらも、考えを譲らなかった二人。


「直成さん」


「うん?」


「今日、義時殿とお話しになっているところを見ていました」


直成さんは、ちよを見た。


「そうでしたか」


「お二人は、これからも一緒にお仕事をなさるのでしょうね」


「ええ。そのつもりです」


「……北条の方々と、お争いになることはありませんか」


直成さんは、すぐには答えなかった。


ちよは、夫の顔を見つめた。


「私は、怖いのです」


「ちよさん」


「義時殿のことを疑っているわけではありません。今日も宗直のために、ありがたいことをしてくださいました」


「ええ」


「でも、頼家様のことがありましたから」


直成さんは黙って聞いていた。


「政治の争いは、いつ誰の命を奪うか分かりません。直成さんに何かあったらと思うと……」


ちよは、そこで言葉を止めた。


直成さんがそっと手を伸ばした。


「ちよさん」


「はい」


「心配をかけていますね」


「……ええ」


ちよは、その手を握った。


「私は、直成さんが好きなのです」


直成さんが少し驚いた顔をした。


「……はい」


「だから、一緒に暮らしていたいのです。宗直が大人になる日を、今日のように二人で喜びたいのです」


直成さんは、ちよの手を握り返した。


「僕もです」


「本当に?」


「もちろん」


夫は少し笑った。


「今日だって、ちよさんが隣にいてくれたから、あんなに嬉しかったのだと思います」


ちよは顔を上げた。


「そういうことを、急におっしゃるのですね」


「急でしたか」


「ええ」


「……では、次からは先に知らせます」


ちよは思わず笑った。


「それでは、少し違います」


直成さんも笑った。


ちよは、その笑顔を見ていた。


何度も見てきた顔だった。


けれど、見るたびに嬉しくなる。


夫婦になってから、ずいぶん年月がたった。


五人の子どもにも恵まれた。


それでも、ちよは、直成さんと二人でいる時間が好きだった。


「直成さん」


「はい」


「どうか、無理をなさらないでください」


「……気をつけます」


「義時殿とお考えが違っても、どうか話し合ってください」


直成さんは頷いた。


「そのつもりです」


「私にも、お話しくださいね」


「はい。約束します」


ちよは、少しだけ夫の肩に寄りかかった。


直成さんは何も言わず、そのままでいてくれた。


外で戸が鳴った。


ちよが立とうとすると、廊下から息子の声がした。


「閉めておきます」


直成さんが声を返す。


「ありがとう、宗直」


少し間があった。


「はい」


今度の返事は、昼より少し照れたように聞こえた。


ちよは座り直した。


夫と二人で、息子が戸を閉める音を聞いていた。


新しい名をもらった息子。


その息子の将来を、今日、義時に託した。


北条家との結びつきが、この先、二階堂家をどこへ導くのか。


まだ、誰にも分からなかった。


ただ、ちよは願った。


宗直にも、ふみにも、ほかの子どもたちにも、今日のような幸せな日が何度も訪れますように。


そして、そのたびに、隣に直成さんがいてくれますように。


ちよは、夫の手をそっと握った。


直成さんも、握り返してくれた。


---


## 【本話の人物・言葉について】


**北条義時**


源頼朝の政治を支え、頼朝の死後も鎌倉の運営に関わった武士。北条時政の子で、北条政子の弟。本作では直成の同志として描く。


**元服・烏帽子親**


元服は、男子が大人の仲間入りをする儀式。烏帽子親は、その際に仮の親となる人物。元服後も、烏帽子親と烏帽子子として結びつきを持った。

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