第65話 行嗣は、儀式の長さを家の者に説明しきれない
建保七年(1219年)、正月二十七日。鎌倉。
御所へ向かう道で、行嗣は包みを持ち替えた。
紐のついている方が、着替え。
ついていない方が、届ける書付。
しづがつけてくれた目印だった。
「三郎。何度確かめる」
前を歩く光成が振り返った。
「持ち替えただけです」
「俺が見たところ、今ので三度目だ」
「次郎兄こそ、今日は溝へ入らないのでは」
「見ているだけだ」
宗直が二人を見た。
「どちらも、前を見ろ」
行嗣は包みから目を上げた。
少し先で、道の端に雪が残っている。
足を滑らせて二つとも落としたら、帰ってから何と言われるだろう。
しづの顔が浮かんだ。
きっと、まず怪我がないか尋ねる。
そのあとで、二つ一緒に落とした理由を聞く。
行嗣は歩く場所を選んだ。
*
そのころ、二階堂家では、しづが行嗣の残していった物を片づけていた。
あやも、その手伝いをしていた。
昨年、北条時景に嫁いだあやは、今は北条家で暮らしている。
今日は夫の時景が、義時のもとで儀式に関する連絡や人の手配をしていたため、あやは母の家で過ごすことになっていた。
時景とは、仕事が済んだら知らせをもらう約束をしている。
しづは、たたんだ布を重ね、余った紐をまとめた。
片隅に、使わなかった小さな袋があった。
あやが拾った。
「これも、三郎兄の?」
「はい。でも、持っていかなくてよい物です」
「よかった。忘れ物かと思った」
「その袋へ入っていた物は、着替えの包みに移しました」
あやは袋としづを見比べた。
「どうして?」
「包みが増えると、三郎様は、どれに何を入れたか確かめたくなるでしょう」
「なるね」
「確かめている間に、先ほど確かめた方が気になるのです」
あやが笑った。
「そう。もう一度開けるの」
「ですから、持つ物を減らしました」
しづは、袋の口を整えた。
「書付と衣なら、間違えても、開けばすぐ分かります」
「三郎兄のこと、よく見ているね」
しづの手が、ほんの少し止まった。
「一緒に暮らしておりますから」
「私も、一緒に暮らしていたよ」
あやは笑ったまま言った。
しづは袋を置いた。
「……私の方が、近くで見ることもあります」
あやの笑みが大きくなった。
「そういうことを聞いたんじゃないのに」
「では、今のお話は、まつ様への文に書かないでくださいね」
「どうして?」
「私が、少し困ります」
しづが率直に答えると、あやはとうとう声を立てて笑った。
「分かった。そこは書かない」
「ありがとうございます」
「でも、三郎兄が幸せそうなことは書いてもいい?」
しづは少し考えた。
「……それなら」
あやは、また笑った。
*
御所の近くで兄たちと別れ、行嗣は中へ入った。
いつもより、人の出入りが多い。
衣や道具を運ぶ者。
名前を呼ばれて足を速める者。
行き先を尋ね、また別の廊下へ向かう者。
今日は将軍の源実朝が、鶴岡八幡宮へ参る。
昨年、朝廷から授けられた右大臣という高い役職の就任を祝う、拝賀の儀式が行われるのだった。
行嗣は書付を届けた。
受け取った者が包みを開き、中を確かめる。
着替えが出てこなくてよかった。
そう思いながら待ち、受け渡しが済むと退出した。
廊下の向こうでは、実朝の装束を整える人々が動いていた。
実朝は、束帯という儀式のための正式な衣を身につけている。
そばには妻の御台所がいた。
将軍の正妻を、鎌倉ではそう呼んだ。
「今日は、お動きになるにもお手間がかかりますね」
御台所が言った。
「皆が整えてくれたものを、私が乱しては困る」
実朝が答える。
「では、お帰りまで、そのままで」
「それは難しい注文だ」
二人が笑った。
行嗣が頭を下げると、実朝がこちらを見た。
「用は済んだか」
「はい」
「お前も八幡宮へ?」
「参道の方で、御参向を拝見したいと思っております」
「冷える。長く立つなら、気をつけよ」
御台所が、行嗣の持つ包みへ目を向けた。
「そちらにも、書付があるのですか」
「いえ。妻が用意した衣です」
行嗣は、結ばれた紐を見た。
「こちらは、私が間違えないようにつけてくれた目印です」
「気のつく奥方ですね」
御台所が言った。
行嗣はうなずいた。
「はい」
その返事は、すぐに出た。
*
午後になると、二階堂家へ宗直と光成が戻ってきた。
光成は、朝に約束した戸の修理を始めた。
おりんが戸を支え、与一が道具を渡している。
宗直とふみは、夕飯の支度について家人と話していた。
しづも手伝いながら、ときどき門の方へ目を向けた。
まだ、帰る時刻ではない。
分かっていても、人の声がすると顔が上がる。
あやが尋ねた。
「三郎兄、何時ごろになるって?」
「遅くなるかもしれない、と」
「儀式が、どのくらい続くかは?」
「そこは、私も分かりません」
宗直が笑った。
「三郎に聞けば、説明だけは長かっただろう」
「はい。御所での用事から、お話が始まりました」
「そこからか」
光成が戸を持ち上げたまま笑った。
しづも笑った。
「でも、三郎様は、私を待たせたいわけではありませんから」
ちよが顔を上げた。
しづは、持っていた布をたたみ直した。
「帰る時刻をおっしゃって、守れなかったら困るとお考えなのだと思います」
あやは少し考えた。
「それで、決められない理由を全部話すのね」
「たぶん」
しづは言った。
「ですから、分からないなら、分からないままでよいとお伝えしました」
ちよがうなずいた。
「それなら、三郎も助かったでしょう」
「はい」
しづは笑った。
そのあと、小さく付け加えた。
「私は、早くお帰りになればうれしいのですけれど」
*
夕方が近づくと、雪が降り始めた。
あやが庭を見て、戸口へ来た。
「しづ姉。もう少し、遅くなるかな」
しづも外を見た。
「帰り道では、急がないでほしいですね」
「さっきは、早く帰ってほしいと言ったでしょう」
「ええ」
しづは困ったように笑った。
「どちらも、思っております」
あやは、少し黙った。
それから、しづの隣へ腰を下ろした。
「待つのは、難しいね」
「はい」
しづは、今度はすぐに答えた。
あやも、庭に降る雪を見ていた。
「小太郎様も、まだお仕事でしょうか」
「時景殿も、今日はお忙しいのでしょう」
「ええ。人を待たせるのが嫌いな方ですから、知らせをくださると思いますが」
「では、知らせが来るまでは、こちらで待ちましょう」
あやはうなずいた。
「しづ姉と一緒だね」
しづが笑った。
「そうですね」
いつもなら、手を動かしていれば時間が過ぎる。
けれど、今日は行嗣が帰ってから話したいことを考えてしまう。
持たせた衣を使ったか。
書付は、無事に届けられたか。
御所は、どのくらい忙しかったか。
行嗣に尋ねたいことが、次々と増える。
そのたびに、まだ帰っていないことを思い出す。
ちよが二人へ声をかけた。
「こちらで、一緒に支度をしましょうか」
しづは立ち上がった。
「はい。三郎様の分も、先に分けておきます」
*
夕刻、実朝の行列が御所を出た。
道の端にいた人々の声が小さくなる。
行嗣も通り道から離れ、近づく列を見た。
先を歩く者たち。
実朝の乗る牛車。
付き従う武士や、京から来た貴族たち。
牛車を扱う者、道具を運ぶ者もいる。
御所で見た支度が、一つの長い列となっていた。
隣の男が息を吐いた。
「立派なものだな」
「はい」
行嗣は答えた。
目で追ううちに、実朝の牛車が通り過ぎた。
その後ろにも、まだ人が続いている。
行嗣は、朝の家を思い出した。
自分の包みを分けたしづの手。
兄たちの衣を直していた、ふみとおりん。
誰かが出かける前には、そばで支度をする人がいる。
行列に加わらない人の仕事も、ここまでつながっているのだと思った。
*
二階堂家では、夕飯が始まった。
時景からは、まだ戻れないとの知らせが届いていた。
あやは、夫が遅くなることを確かめてから、母や兄嫁たちと夕飯を囲むことにした。
「小太郎様も、今日は長いお仕事だね」
あやが言うと、ちよがうなずいた。
「大勢の人が動く日ですからね」
「帰ったら、何をしていたか聞いてみよう」
「時景殿も、話したいことがたくさんあるでしょうね」
あやは笑った。
「ええ。私も、たくさんあります」
しづは行嗣の分を別にして、皆と座った。
あやが、隣から尋ねる。
「帰ってきたら、最初に何を聞くの?」
「寒くなかったか、と」
「その次は?」
「衣を使ったか」
「その次は?」
しづは、あやを見た。
「そのように聞かれると、私も三郎兄様のようになります」
光成が笑った。
宗直も笑った。
あやはうれしそうだった。
「しづ姉も、説明が長くなることがあるんだね」
「ありますよ」
しづは箸を置いた。
「ただ、今日は、全部を聞かなくてもよいのです」
「どうして?」
「お疲れでお帰りになったら、先に休んでいただきたいですから」
ちよがしづを見た。
「でも、あなたの話もあるのでしょう」
しづは少し迷った。
「あります」
「では、それは明日、聞いてもらいましょう。三郎にも、そう言っておいて」
「はい」
しっかりした妻でいようと思うと、自分の話はあとにできる。
あとにしたまま、言いそびれることもある。
けれど、行嗣は、聞けばきっと待ってくれる。
それを分かっているのに、最初の一言で照れることがあった。
あやが身を寄せた。
「何のお話?」
「二人で出かけたいと」
「どこへ?」
「まだ、決めておりません」
「三郎兄に決めてもらう?」
しづは首を横に振った。
「二人で決めます」
その言い方が少し強くなって、しづは自分で笑った。
あやも笑った。
「そこは、譲らないんだ」
*
八幡宮へ着くと、行嗣は参道の方へとどまった。
儀式に加わる者たちは、決められた場所へ進んでいく。
行嗣から見えるのは、人の動きと、揺れる灯りだった。
上の方で何が行われているのか、細かなことまでは見えない。
実朝は、神前で拝賀の儀式に臨んでいた。
右大臣となったことを祝い、正式な装束で参る。
京から来た者も、鎌倉で支度をした者も、それぞれの役目を果たしている。
行嗣は袖へ手を入れた。
しづの用意した衣が、風を防いでくれていた。
御台所に、気のつく妻だと言われたことを思い出す。
帰ったら伝えよう。
きっと、しづは落ち着いた顔で礼を言う。
だが、そのあとで、誰とどのくらい話したか尋ねるかもしれない。
行嗣は小さく笑った。
妻は、人の言葉や顔をよく見ている。
こちらが言い忘れたことにも、気づく。
それでも、自分のことを全部話しているとは限らなかった。
朝、門まで包みを持ちたいと言ったのも、一緒に歩きたかったからだった。
持てるかどうかの話ではなかった。
行嗣は、抱えていた包みへ目を落とした。
今日は、妻の用意した物に何度も助けられている。
明日は、自分からしづの用事を聞こう。
しづが一人で出かけるなら、付き合いたい。
二人で行きたい場所があるかもしれない。
そう考えると、帰ってから話すことがまた増えた。
*
夜は深まり、雪は降り続いていた。
行嗣は足の位置を変えた。
周りでも、袖へ手を入れたり、少し歩いて戻ったりする者がいる。
家では、もう夕飯を済ませただろうか。
しづも、待ちながらきちんと食べただろうか。
行嗣は、包みの紐を指で確かめた。
家を出る前、しづは結び終わった端を丁寧にそろえていた。
その指の動きまで、今は思い出せた。
早く帰りたいと思った。
儀式の長さは、自分では決められない。
それでも、帰ったら何を話すかは決められる。
まず、ありがとうと言おう。
そのあと、しづの話を聞こう。
前の方で、人が動き始めた。
立ち止まっていた者たちが、声をかけ合っている。
松明の灯りが、少しずつ位置を変えた。
儀式を終えた人々が、退出の支度をしているらしい。
行嗣は顔を上げた。
帰る行列の通り道を空けるため、一歩退いた。
雪の向こうに、上から下りてくる人々の姿が見え始めた。
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## 登場人物紹介
**源実朝(みなもとのさねとも/1192〜1219年)**
鎌倉幕府の第三代将軍。『吾妻鏡』には、建保七年(1219年)正月二十七日の夕刻に御所を出て、鶴岡八幡宮へ参ったと記されています。同じ日には、夜に雪が降ったことも記されています。行嗣の見物や、実朝夫妻との会話は創作です。
**御台所**
ここでは実朝の正妻を指します。京都の貴族・坊門信清の娘で、実朝の妻として鎌倉で暮らしました。「御台所」は個人の名前ではなく、将軍の正妻を呼ぶ言葉です。
**二階堂行嗣/三郎**
直成とちよの三男。大江広元のもとで文書や訴訟の仕事をしています。物事を正確に伝えようとして、説明が長くなることがあります。
**しづ**
行嗣の妻。夫の考え方や癖をよく理解し、暮らしを支えています。自分の気持ちを伝えることには、少し照れがあります。
**あや**
直成とちよの末娘。建保六年(1218年)に北条時景と婚姻し、現在は北条家で暮らしています。兄たちのことをよく知り、兄嫁たちとも親しくしています。
**北条時景/小太郎**
あやの夫。北条義時のもとで政務や交渉を学んでいます。後に北条泰時の側近となる、本作独自の架空の人物です。本話では儀式に関する仕事に当たっています。




