今夜、お待ちしています
◇
それから二日後。
朝。
カーテンを開けて、私はしばらく黙った。
「……降ったなあ」
昨日の夜までは見えていた道路の端が、きれいに白くなっている。
一晩で、ずいぶん積もったらしい。
屋根の上にも。
車の上にも。
庭にも。
昨日まであった凹凸が、全部丸くなっていた。
「美月」
後ろから、おじいちゃんの声がする。
「見れば分かると思うけど、雪投げだぞ」
「見なかったことにしたい」
「無理だ」
「魔法でなんとかならないかな」
「全部溶かしたら凍るぞ」
「ですよね」
分かっていた。
北海道の冬は。
魔法より先に、『じょんば』を持つ。
いわゆる、雪かき用のスコップだ。
厚手の上着を着て、手袋をはめる。
外へ出ると、雪が靴の上まで沈んだ。
「うわ」
まずは店の入口から。
じょんばを雪へ差し込む。
持ち上げて。
脇へ投げる。
一回。
二回。
「重い……」
まだ降ったばかりだから、そこまで固くはない。
それでも、何度も続ければ腕にくる。
私はじょんばを立てた。
「ちょっとだけ」
手袋を外して。
柄の付け根に指を触れる。
おばあちゃんに教わった、小さなまじない。
雪がまとわりつかないように。
道具が、少しだけ仕事をしやすくなるように。
指先に力を流す。
ほんの一瞬。
じょんばの表面を、薄い何かが覆ったような感覚がした。
「よし」
もう一度、雪へ差し込む。
さっきまでへばりついていた雪が、するりと落ちた。
「便利」
「それくらいにしとけよ」
隣で雪を押していたおじいちゃんが言う。
「分かってるよ」
魔法で雪がなくなるわけじゃない。
運ぶのは私だし。
積み上げるのも私だ。
ただ。
少しだけ楽になる。
おばあちゃんの魔法は、昔からそういうものだった。
「……あの三人、大丈夫かな」
「ユクルの里にいるなら心配いらん」
「この雪見たら、向こうの里の人たち焦るよね」
「ああ」
おじいちゃんが、雪を脇へ押す。
「のんびりはしてられんな」
「今日、三人来るかな」
「どうだろうな」
雪投げを終える頃には、すっかり身体が温まっていた。
それからいつものように『こもれび』を開けて。
昼を少し回った頃。
店の客が、ちょうど途切れた。
入口に吊るした香草の束が、かすかに揺れた。
「あ」
戸を開けると、雪の上に小さな人影が立っていた。
「ユノンくん」
ユノンくんは小さくお辞儀をする。
「水森美月殿。長より、伝言を預かって参りました」
「ユクルさんから?」
「はい」
ユノンくんは頷いた。
「本日の夜、先日の三名を連れて『おぼろ月』へ伺いたいとのことです。ハル様も同行いたします」
「今日?」
「はい」
思わず、窓の外を見る。
朝から降っていた雪は止んでいる。
けれど、道路の脇には雪投げでできた山が残ったままだ。
「この雪の中、大丈夫なの?」
「この程度でしたら」
さらっと言われた。
さすが、山で暮らしている人たち。
「分かりました。何時頃になりそう?」
「日が暮れてから、それほど遅くならないうちに、と」
「じゃあ、いつもの開店時間くらいかな」
「そのようにお伝えいたします」
ユノンくんが、もう一度きちんと頭を下げる。
「わざわざありがとう。寒かったでしょ」
「いえ。これも役目ですので」
真面目だ。
前に会った時も思ったけれど。
たぶん、この子はかなり真面目だ。
「少し休んでいく?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、戻って報告がありますので」
「そっか。気をつけてね」
「はい。それでは、失礼いたします」
雪の上を歩いていく小さな背中を見送る。
入口に吊るした香草が、またかすかに揺れた。
戸を閉めて。
「おじいちゃん」
「聞こえてた」
「今日だって」
「ああ」
おじいちゃんが、手元の作業を続けながら頷く。
「今夜、どうする? 普通に営業する?」
「そのつもりだったが」
そこで、少し考える。
「里の話もするんだよね」
「するだろうな」
「だったら、貸し切りにした方がいいのかな」
おじいちゃんはすぐには答えなかった。
「……いや」
「え?」
「普通でいいだろ」
今度は私が首を傾げる。
「いいの?」
「あいつら、店を見に来るんだろ」
「たぶん」
あ。
山でニタイさんに聞かれたことを思い出す。
人間の客も来るのか。
同じ店に来るのか、と。
「そっか。人がいない店を見ても仕方ないか」
「そういうことだ」
「でも、里の話は?」
「客が引いてからすればいい」
なるほど。
ここは、人間だけの店でも。
人ならざるものだけの店でもない。
それを見たいというのなら。
いつも通りの『おぼろ月』を見てもらうのが、一番いい。
「じゃあ、いつも通り営業ね」
「ああ」
そうと決まれば。
「何作ろうかな」
「結局そこか」
「大事でしょ」
「まあな」
おじいちゃんも否定はしなかった。
初めて『おぼろ月』へ来る三人。
何を話すことになるのかは、まだ分からない。
でも。
せっかく来るなら。
まずは、温かくて美味しいものを食べてもらおう。




