母、灯
画面に表示されていたのは、お母さんの名前だった。
「珍しい」
おじいちゃんとは時々電話しているらしいけど。
私のところへ直接かかってくるのは、少し久しぶりだ。
「もしもし?」
『美月ー? 元気?』
出た瞬間から明るい。
「元気だよ。お母さんは?」
『元気元気。今日もちゃんと働いてる』
「それはよかった」
『何、その年寄りに言うみたいな返事』
「そんなつもりないけど」
『私、まだ五十だからね』
「もう五十でしょ」
『失礼ね。まだよ』
お母さんは今年、五十になる。
でも。
年齢を言うと、大抵の人には驚かれる。
昔から若く見える人ではあったけど。
最近送られてきた写真を見ても、あまり変わっていない。
若作りをしている、という感じでもない。
よく笑って。
よく喋って。
服も髪も、それなりにちゃんとしていて。
たぶん。
本人が一番、年齢を気にしていない。
『美月は? 最近どうなの?』
「どうって?」
『体調。店。生活。いろいろ』
「ざっくりしてるなあ」
『母親なんだから、そのくらい聞くわよ』
「元気だよ。店もちゃんとやってる」
『ちゃんと食べてる?』
「食べてる」
『寝てる?』
「寝てる」
『ほんとに?』
「ほんとに」
『じゃあいいけど』
少しだけ。
声が柔らかくなる。
『あんた、前の仕事の時みたいに無理してない?』
「してないよ」
『ならいい』
それ以上は聞いてこなかった。
こういうところは。
お母さんなりに線を引いているんだと思う。
『まあ、嫌になったらこっち来てもいいのよ』
「お母さんのところ?」
『そうそう。都会はいいわよー』
急に声が弾んだ。
『雪かきしなくていいし。買い物なんて何でもあるし。夜でも店開いてるし。欲しいものは大体その日に買えるし』
「急に都会の営業始まった」
『あと冬でも歩道がちゃんと歩ける』
「そこ強いね」
『強いわよ。北海道離れて一番感動したもの』
「それはちょっと分かる」
『でしょ? 美月も一回こっち住んだら戻れなくなるかもよ』
「それ、お母さんがこっちに戻りたくないだけじゃない?」
『ばれた?』
「知ってるよ」
お母さんが笑う。
昔から。
ここそのものが嫌いだったわけじゃない。
ただ。
ここで暮らすのが、お母さんには合わなかった。
『部屋くらいならどうにでもなるし、本当に来たくなったら言いなさい』
「うん」
『……あ』
「何?」
『でも、美月がこっち来たら、お父さん寂しがるか』
思わず笑った。
「絶対寂しがる」
『だよねえ』
「本人は否定すると思うけど」
『するする。「好きにすればいい」とか言うの』
「言いそう」
『そのくせ、三日くらいしたら食べ物送ってくるから』
「お母さんにも送ってるじゃん」
『送ってくるわよ。この前なんて冷蔵庫入らなかったんだから』
「やっぱり」
『魚に野菜にイクラよ? 私を何人家族だと思ってるの』
「近所に配れって言われたでしょ」
『言われた!』
思わず吹き出した。
『ほんと、あの人それしか言わないんだから』
「でも食べるんでしょ?」
『食べる。美味しいから』
「じゃあいいじゃん」
『美月までお父さん側についた』
「ずっと一緒にいるからね」
『あー、なるほど。じゃあ二対一か』
「何の勝負?」
『知らない』
お母さんがまた笑った。
明るくて。
よく喋って。
昔から、こういう人だ。
『まあ、美月が元気ならそれでいいわ』
「うん」
『無理だけはしないでよ。そっちが嫌になったら、いつでも都会へどうぞ』
「最後まで勧誘するんだ」
『だって都会、便利だもの』
「はいはい」
『はいは一回』
「はーい」
『それ、一番信用できない返事』
電話の向こうで。
お母さんが楽しそうに笑った。
『この後、夜の営業でしょ?また電話するわ』
「うん。わかった。お母さんも身体気をつけてね」
『大丈夫、大丈夫。私、こう見えて丈夫なのよ』
「こう見えてって、電話だから見えないけど」
『魔女の娘だからね』
「お母さん、魔力ほとんどないじゃん」
『そこは言わなくていいの』
「はいはい」
『だから、はいは一回!』
『うん。また電話するわ』
笑い声を残して、電話が切れた。
久しぶりに元気な声が聞けて、少し嬉しかった。
「さて」
休憩は終わり。
今度は『おぼろ月』の準備だ。




