続いていくもの
三浦さんがロールキャベツを食べ始めた頃。
また、ベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
今度は、近所の奥さんが二人だった。
「二階いい?」
「どうぞ。暖房ついてますよ」
二人が店の奥の階段を上がっていく。
しばらくすると、二階から椅子を引く音と、楽しそうな話し声が聞こえてきた。
注文を聞いて、料理をトレイに乗せる。
「失礼しまーす」
階段を上がって、窓際のテーブルへ料理を置く。
今日のおすすめ、ロールキャベツ。もう一方の女性はスープとナポリタン。
二人に珈琲を添える。
「いい匂い」
「熱いので気をつけてくださいね」
また一階へ戻る。
そうしているうちに、ベルはもう一度鳴った。
「いらっしゃいませ」
今度は一人。
カウンターの空いている席へ案内して、水を出す。
十二時を過ぎる頃には。
二階の四卓のうち、二卓が埋まっていた。
一階のカウンターにも、三浦さんのほかに二人。
注文を聞いて。
料理を作って。
二階へ運んで。
空いた皿を下げる。
何度目かの階段を下りたところで。
「美月」
おじいちゃんが奥から顔を出した。
「皿、こっち置いとけ」
「助かる」
「二階は?」
「あと珈琲二つ」
「持ってく」
「え、いいの?」
「その息で言うな」
言われて初めて、自分が少し息を切らしていることに気づいた。
「じゃあ、お願い」
「ああ」
昼の料理は私が作る。
でも、こうして手が足りなくなると、おじいちゃんは何も言わずに手を貸してくれる。
「美月ちゃん、忙しそうだねえ」
三浦さんが珈琲を飲みながら笑う。
「おかげさまで」
そう答えて、また鳴ったベルに顔を向ける。
「いらっしゃいませ」
忙しい。
でも。
嫌いじゃない。
二時になる頃。
ようやく店の中が静かになってきた。
二階のお客さんも帰って。
カウンターに残っているのは、三浦さんだけ。
「ごゆっくりですね」
空いた皿を片づけながら言うと。
「邪魔かい?」
「まさか」
「なら、もう一杯もらおうかな」
「よろこんで」
珈琲を淹れ直していると。
奥から、おじいちゃんが出てきた。
「まだいたのか」
「第一声がそれかい」
三浦さんが笑う。
「客に言うことじゃないよ、朔さん」
「もう二時間以上いるだろ」
「珈琲代はちゃんと払ってる」
「なら、いい」
私は二杯目の珈琲を三浦さんの前へ置いた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
おじいちゃんが、その隣の椅子を引く。
私はついでに、もう一つカップを出した。
「おじいちゃんも飲む?」
「ああ」
返事を聞いて、いつもの濃さで珈琲を淹れる。
カップを置くと、おじいちゃんが手を伸ばした。
「……ありがとな」
そんな光景を見て、三浦さんが優しく横で笑っている。
「そういや」
三浦さんが珈琲を一口飲んでから言った。
「この前のホッケ、どうした?」
三浦さんは昔から釣りが好きだ。
今でも時々、息子さんや釣り仲間と一緒に海まで出かけている。
「おぼろ月で出したよ」
「全部?」
「半分くらい」
「残りは?」
「干して、灯に送った」
手にしていた布巾が止まった。
「お母さんに?」
「ああ」
「また送ったの?」
「悪いか」
「悪くないけど」
三浦さんが楽しそうに笑う。
「灯ちゃん、喜んでたかい?」
「喜んでたけど、冷蔵庫に入らないって言ってた」
「そりゃ、どのくらい送ったんだ」
「干したホッケと、じゃがいもと、玉ねぎ」
「それだけ?」
私が聞く。
「鮭にイクラも入れた」
「多いよ」
「食えるだろ」
「一人で?」
「近所に配ればいい」
どこかで聞いたような理屈だ。
「お母さんも同じこと言ったでしょ」
「言ってたな」
「それでも送るんだ」
「口に入るもんだ。ちゃんとした物を食った方がいい」
「そういう話じゃないと思う」
三浦さんが声を立てて笑った。
「今度また釣れたら持ってくるよ」
「ああ」
「美月ちゃんも食べるだろ?」
「食べます」
三浦さんが満足そうに頷く。
三浦さんが釣った魚を持ってきて。
おじいちゃんが、それを干したり料理したりして。
時々、お母さんのところへ送る。
そんなやり取りも。
いつの間にか、ずっと続いている。
「そういえば、灯ちゃん元気かい?」
三浦さんが聞く。
「ああ。この前電話した」
「おじいちゃんから?」
「向こうからだ」
「何かあったの?」
「別に。仕事の愚痴だ」
「相談に乗ったんだ」
「聞いただけだ」
三浦さんが、にやっとする。
「ちゃんとお父さんしてるねえ」
「うるさい」
おじいちゃんが眉を寄せる。
でも。
否定はしなかった。
おじいちゃんとお母さんに、血のつながりはない。
おじいちゃんがおばあちゃんと一緒になったのは、お母さんがまだ小学生だった頃だ。
だから、私が生まれた時には、もうおじいちゃんは家族だった。
お母さんは昔から、おじいちゃんを「お父さん」と呼んでいる。
おじいちゃんも、離れて暮らすお母さんに、こうして何かと食べ物を送っている。
そんなやり取りは、私が覚えているよりずっと前から続いている。
珈琲を飲み終わると、三浦さんは静かに席を立ち上がった。
「長居しすぎちゃったな。お会計たのむよ」
「はい」
伝票を受け取って、レジへ向かう。
「今日は、ロールキャベツと珈琲二杯ですね」
「ああ」
会計を済ませて、上着を羽織る。
「じゃあ、また来るよ」
「はい。お待ちしてます」
「釣りするときは、気をつけろよ」
横から、おじいちゃんが言った。
「ああ、分かってるよ」
三浦さんは楽しそうに笑って、戸へ向かう。
「じゃあね、美月ちゃん」
「ありがとうございます」
「ああ」
からん。
ベルが鳴って。
三浦さんの背中が、冬の白い景色の中へ消えていった。
私は、空になったカップを片づけた。
今日の『こもれび』の営業も終わり。
木札を『CLOSED』へ戻して。
入口に吊るした香草の束にも手を伸ばした。
朝から店を包んでいた気配が、ゆっくりほどけていく。
「今日もお疲れさま」
小さく呟いて、香草を外す。
このあとは少し休んで。
夜になれば、『おぼろ月』の準備が始まる。
店の中へ戻ろうとした、その時だった。
ポケットの中で、携帯が震えた。
「ん?」
取り出して、画面を見る。




