怒りも酒の肴
知佳さんはグラスをとん、と置くと、カウンターに突っ伏すように頭を下げた。
「あー……生き返る」
「死んでたんですか」
「今日一回死んだ」
「何があったんだよ」
いつの間にか話を聞いていた佐々木さんが、あら汁の椀を片手に口を挟んだ。
「聞いてくれます?」
「おう。聞くだけならタダだ」
「佐々木さん、もう結構飲んでますよね」
目の前には、いつの間にか空になったジョッキが三つ並んでいる。
「まだ三杯だぞ」
「十分です」
「それで?」
鹿野さんまで熱燗を口にしながら視線を向ける。
知佳さんは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「今日ね、朝一番で部長に『この資料、今日中にお願い』って言われたの」
「うん」
「今日中ですよ? だから急いで、他の仕事もずらして、昼休みも半分潰して作ったわけ」
「偉いなあ」
「でしょ?」
佐々木さんの言葉に、知佳さんが大きくうなずく。
「それで夕方に持っていったら、『あれ? これ来週でいいよ』って」
「ああー」
佐々木さんが、分かる分かるとばかりに顔をしかめた。
「あるな、それ」
「あるんですか?」
「あるある。俺会社員やったことないけど」
「えーないんですか!」
知佳さんは勢いよくビールを飲む。
「しかもね、それだけじゃないの。『急がなくていいなら先に言ってください』って言ったら、『そんな怒らなくてもいいじゃないか』って!」
「それは腹立つな。俺も会社員やったことないけど」
鹿野さんがぼそりと言った。
「でしょう!? どっちもないんかい!」
思わぬ援軍を得て、知佳さんの声が一段高くなる。
「こっちは怒りたくて怒ってるんじゃないの!怒らせてるのはそっちでしょうって話なの!」
ちょうどそのタイミングで、パチパチと油の弾ける心地よい音が小さく響いた。
バットに引き上げたたち天から、揚げたての香ばしい匂いがふわりと立ち上る。熱々の天ぷらに粗塩を少し添えて皿に盛り付けながら、私は苦笑した。
「まあまあ」
葉月さんが笑いながら、知佳さんの前に水を置く。
「水出すの早くない?」
「必要になるから」
「葉月さん正解です」
私も頷いて、出来立てのたち天と鮭の南蛮漬けを二人の前へ置いた。
「たち天、冷めないうちにどうぞ」
差し出すと、知佳さんは待ってましたとばかりに箸を伸ばした。
塩をちょんとつけて口へ運ぶと、ハフハフと息を吐きながら目を丸くする。
「んん~っ! 外はサクサクなのに中がクリーミー……! 熱々でトロトロ……幸せすぎる……」
「火傷しないように気をつけてくださいね」
「これは火傷してでも食べる価値あるわ」
そんなやり取りを眺めながら、ふと、昔のことを思い出す。




