みんなが暮らしやすいように
「最近ね。うちでも、こちらの考えていることが、うまく伝わっていない気がするんだ」
「うち?」
吉原さんが隣から顔を向ける。
「ああ、ごめん。仕事の話」
「仕事してる人だったんだ」
「してるよ」
「なんかの会社?」
私は思わずユクルさんを見る。
ユクルさんも、一瞬だけこちらを見た。
「……まあ、そんなようなものかな」
そんなようなもの。
里だけど。
私は口を挟まず、鹿野さんの前に焼き上がった銀だらを置いた。
「どうぞ」
「うむ」
鹿野さんはさっそく箸を伸ばす。
吉原さんはすっかり会社の話だと思ったらしく、熱燗の杯を手にしたままユクルさんへ向き直った。
「考えてることが伝わらないって?」
「うん。少しずつ新しいことを始めているんだけどね。暮らしを良くしたいと思ってやっていることでも、場所によって受け取り方が全然違うんだ」
「あー」
吉原さんが深く頷いた。
「あるある」
「あるんだ」
「あるよ。上は説明したつもりでも、現場まで同じ意味で伝わってるとは限らないからな」
「同じ意味で?」
「途中で話が変わるんだよ。部長から課長、その下へって伝わってくうちに、いつの間にか違う話になってたりする」
ユクルさんが、ふむ、と白い髭を撫でる。
「それにね。今までなかった仕事を増やして、少しずつ便利にしたいと思ってるんだけど」
「うん」
「喜ぶ者もいれば、今までのままでいいと言う者もいる」
「そりゃそうだろ」
吉原さんはあっさり言った。
ユクルさんが瞬きをする。
「そうなの?」
「そうだよ。発展って言っても、みんなにとって同じように得になるわけじゃないからな」
吉原さんは銀だらの身を箸でほぐし、ひと口食べた。
「新しい仕事が増えて助かるやつもいれば、今までの仕事が要らなくなるんじゃないかって不安になるやつもいる」
「……なるほどね」
「便利になるのが嫌なんじゃなくて、自分がどうなるか分からないのが怖いんだよ」
ユクルさんの手が止まった。
「自分が、どうなるか」
「そう」
吉原さんは熱燗をひと口飲む。
「上から見たら『みんなのため』でも、下から見たら『俺の仕事は?』『今まで覚えてきたことは?』ってなるだろ」
店の中が、少しだけ静かになった。
おじいちゃんは何も言わず、鍋の火を弱める。
鹿野さんも銀だらを食べながら、黙って話を聞いていた。
「じゃあ、どうしたらいいと思う?」
ユクルさんが聞いた。
吉原さんは少しだけ考えてから、肩をすくめた。
「聞くしかないんじゃない?」
「聞く?」
「うん。何が不安なのか。何なら変えてもいいのか。逆に、何は残してほしいのか」
「でも、全部の意見を聞いていたら、何も決められなくならない?」
「全部言うこと聞けって話じゃないよ」
吉原さんが笑う。
「決めるのは上の仕事。でも、知らないまま決めるのと、知った上で決めるのは全然違う」
ユクルさんは黙っている。
「それに、決めたあとも一回言って終わりじゃ駄目だな」
「一回じゃ?」
「伝わるまで伝える。分からないやつがいたら説明する。反対するやつがいたら、何が嫌なのか聞く」
「……大変だね」
「大変だよ」
吉原さんが笑った。
その間に、ユクルさんの銀だらも焼き上がった。
私は皿に盛り、そっと前へ置く。
「お待たせしました」
「ありがとう」
ユクルさんは箸を入れ、ふっくらした身をひと口食べた。
「……おいしい」




