こもれびでひと休み
からん、と入口のベルが鳴った。
「おはよう、美月ちゃん」
「いらっしゃいませ。おはようございます」
一番乗りは、近所に住む三浦さんだった。
もう七十をとうに過ぎているはずだけれど、毎朝の散歩は欠かさない。今日も毛糸の帽子を脱ぎながら、いつもの窓際の席へ向かう。
「いつもの?」
「うん。今日はトーストも頼もうかな」
「珍しいですね」
「朝飯、ちょっと足りなくてな」
「じゃあ厚切りにしますね」
「そこまで言ってないよ」
思わず笑いながら、珈琲豆をミルに投入する。ガリガリと心地よい音が店内に響き、香ばしい匂いが立ち上った。
バターを塗った分厚い角食パンがトースターの中でこんがりと狐色になる頃、再びベルがやさしく鳴った。
「美月ちゃーん、いるー?」
「いますよー」
大きな段ボール箱を抱えて入ってきたのは、農家の佐藤さんだ。
「これ、持ってきたよ。じゃがいもと玉ねぎ。あと、今朝産んだ卵」
「またこんなに?」
「いいのいいの。今年いっぱい採れたからさ」
「ちゃんとお金払いますよ」
「いらないって。代わりに珈琲ちょうだい」
三浦さんが新聞を折りたたみながら笑う。
「また物々交換してるのか」
「昔からでしょう」
「小夜さんの頃からなあ」
その名前に、私は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、淹れたての珈琲と、紅茶のシフォンケーキもつけますね」
「やったあ」
佐藤さんが嬉しそうにカウンター席につく。
箱を厨房へ運ぼうと持ち上げたとき、ふと違和感を覚えた。
箱の隅——赤土のついたじゃがいもの陰から、指先ほどの小さな緑色のものが、ひょこっと顔を出した。
葉っぱみたいな髪を揺らして、こちらを見る。
(……あ)
どうやら畑から一緒についてきたらしい。
入口に吊るした香草のまじないが効いているおかげか、佐藤さんも三浦さんも、じゃがいもの陰にいる小さなものへは目を留めなかった。
草の精は、ふわりと漂う珈琲の湯気とハーブの香りが気持ちいいのか、じゃがいもの上でうっとりと目を細めている。
私は箱を抱え直し、そっと住居側へ運んだ。
「ちょっとここにいてね」
戸の向こうでは、たびが待っていた。
箱を床へ置くと、たびは一度匂いを確かめるように鼻を近づけ、そのまま隣へ丸くなる。
まるで「私が見てるから大丈夫」とでも言うように。
これなら、しばらくは安心だろう。
私は店へ戻った。
二人に飲み物と食べ物を出し、店内が穏やかな空気に包まれた頃。
再びからんとベルが鳴り、スーツ姿の若い男性が入ってきた。肩をすくめ、寒そうに息を吐いている。
「すみません、まだランチには早いですよね……」
「十一時過ぎたので大丈夫ですよ。どうぞ」
安堵したようにカウンターの端へ腰掛けた男性は、少し疲れの残る顔をしていた。
「仕事ですか?」
「はい。午後から旭川で打ち合わせがあって……本当はしっかり食べたいんですけど、時間があんまりなくて」
「分かりました。すぐ出せる美味しいものにしますね」
私はやわらかな食パンを取り出し、手早くスライスした。
その横で、紅茶のシフォンケーキをきれいに食べ終えた佐藤さんが立ち上がる。
「じゃ、美月ちゃん。私そろそろ戻るね」
「もう行くんですか?」
「油売ってたら父ちゃんに怒られるわ。珈琲ごちそうさま」
「こちらこそ。野菜と卵、ありがとうございます」
「また持ってくるわ」
「今度はちゃんと買わせてくださいね」
「考えとく」
たぶん、考える気はない。
佐藤さんは笑いながら上着を羽織り、三浦さんに「またね」と手を振って店を出ていった。
私は厨房へ戻り、サンドイッチの続きを作る。
シャキシャキのキャベツをレモン風味のマヨネーズで和え、ハムと、しっとり茹でた卵を挟む。
ぎゅっと押し固めて、切り分ける。シンプルな厚切りサンドイッチだ。
それから、厨房の鍋の蓋をとった。ことこと煮込んだクリームシチューからは、コクのあるミルクとバターの甘い湯気がふわりと立ち上る。
大きめにごろっと切った人参とじゃがいも、柔らかく煮込まれた鶏肉を深皿にたっぷりと盛りつけた。
「お待たせしました。具だくさんのクリームシチューと、卵とハムのサンドイッチです」
「うわ、美味そう……!」
男性の目がパッと輝いた。
熱々のシチューをふうふうと吹き、大きなスプーンで口へ運ぶ。
まろやかな濃厚さに目を細め、続けてサンドイッチを大きめの口で頬張った。
パンの柔らかさと、具材のシャキッとした食感が合わさり、食べるごとに肩の力がふっと抜けていくのが分かった。
私は、疲れを少しだけ和らげる程度のまじないなら使える。
薬というほどでもない。
食べて、温まって、ほんの少し肩の力が抜けるくらいのもの。
男性の肩のあたりに、うっすらまとわりついていた灰色の靄。
たぶん、疲れだ。
それが湯気の向こうで、ほんの少しだけ薄くなった。
昼の『こもれび』に来るのは、ほとんどが人間だ。
散歩の途中。畑仕事の合間。仕事へ向かう途中。
夜とは違う人たちが、違う理由で同じ戸を開ける。
でも。
温かいものを食べて、少し休んでいくのは、みんな同じだ。
「温まって、おなかいっぱいになって……おいしかったです」
「それはよかったです」
男性は満足そうに笑い、会計を済ませる。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。お気をつけて」
からん、とベルが鳴る。
開いた戸から冷たい風がさっと入り込み、男性は肩をすくめながら外へ出ていった。




