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迷宮閉葬―救助屋ノラと声を喰う迷宮―  作者: Aramaki_mai
第11章 使用済みの核
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第46話 守っている部屋

挿絵(By みてみん)

ノラは短剣へ置いた手を離さず、門の隙間から家の奥をうかがった。石を砕く音がしたのに、表の窓には人影が動かず、戸を開ける者もいない。窓ガラスは通りの朝日を返していた。


ただ、庭奥へ回ると、灯口の封鎖縄には、切り口を結び目の陰へ隠して掛け直した跡があった。今はその継ぎ目ごと黒く焼き切られ、ノラが戸へ結ばせた白布も切られて、泥へ踏みつけられていた。


踏みつけられた白布の先で、人の指が一度動いた。戸口の内側に男が一人倒れている。門柱の影へ入ったノラ・ヴェイルが足を止めるより早く、ヨルは男へ鼻を寄せ、すぐ嫌そうに顔を横へずらした。


「クル……」


男の肩から腕にかけて黒い焼け跡が走り、服は焦げているのに周囲へ火が移った跡はない。石畳の一枚だけが内側から焼かれたように沈んでいる。ノラは膝をついて首筋へ指を当て、弱くても途切れていない脈を確かめた。


「あいつだね」


テオは家の奥を見ていた。


「中にいる」


「この人は」


「死んではいない」


「だから見る」


ノラが焦げた服を開くと、肩の裂け目の下に刃傷があった。腰袋から抜いた布を畳んで傷へ当て、男の無事な方の手を重ねて圧迫させる。血は多くても、布を押し上げる勢いはなかった。


テオが低く言った。


「遅れる」


「死なせたら、あの部屋が声を拾う」


テオはそこで口を閉じた。


男のまぶたがわずかに動いた。視線はノラを素通りし、家の奥、廊下の暗がりへ向かう。意識の半分が、まだそこに残っていた。


奥から、小さな声がした。


「そこにいるの?」


子どもの声だと分かった瞬間、ヨルの背中の毛が立つ。その隣で男の喉が応えようと動いた。


ノラは口を塞がず、男の肩を門柱の外へ向けた。傷を押さえている手は離させず、自分の肩を男の脇へ入れる。


「声から離れる。立てるなら、私の足に合わせて」


男は意味が分からない顔をしたまま、それでも一歩だけ外へ出た。奥へ戻りたい目と、生きるために動く足が別の方角を選んでいる。


もう一度、奥から声がした。


「そこにいるの?」


責めていない。急かしてもいない。ただ、戸の向こうで待っているような声だった。


男の目が揺れる。


男の喉がかすかに鳴った。


声になる前の湿った音にすぎなかったのに、戸口の柱の隙間は、その漏れた息を拾うように男の声を作った。


「……いる」


男の目が見開かれた。


ノラは短剣を抜き、柱の隙間へ刃先を入れた。


焦げ跡の下から細く伸びる白い筋は、糸にも綿にも見えず、声が冷えて形だけを得たようだった。男の喉へ向かっていたそれが、刃に触れた瞬間、ぬるく縮む。


ヨルが柱の根元へ爪を立てたことで、白い筋はほどけ、焦げた石の匂いが強くなった。ノラは清潔布を二つに折り、男の口ではなく耳へ当てた。頭の後ろで結ぶ余裕はない。男自身に片方を押さえさせ、もう片方の手は傷から離させない。


「聞こえる方を減らして、門の外へ。口は自分で閉じられる」


門柱の外に倒れていた別の男が、這ったまま腕を伸ばした。耳を押さえた男の足首へ指をかけ、外側へ引く。一人では声の方へ戻りかける体を、同じ場所で倒された者が白い筋の届かない石垣まで連れ出した。


ノラは二人が互いの傷当てを押さえるのを見届けた。返事にされる人間を後ろへ一人で残せば、今度は背中からその声で呼ばれる。


「部屋の外まで、触りに来てる」


テオの視線が、戸口へ下がる男に一度戻った。


「急げ」


今度は、ノラも否定しなかった。


家の中へ入ると、表の部屋は整っていた。帳面は机の端で揃い、椅子は倒れず、来客用の茶器も棚に収まり、床には掃いた跡が残る。誰かに見せるための場所だった。


奥へ進むほど、匂いが変わる。


棚の上の小さな髪飾りに気づき、ノラは足を止めた。前に見たものと似ているが、欠けた飾りを直し、曲がった金具を新たに押し戻した跡がある。壁際には子ども用の椅子が置かれ、箱の中には布に包まれた小さな靴が見えた。


「あれから、増えてる」


テオは答えず、箱の中の小さな靴を一度見た。


ヨルは髪飾りにも靴にも寄らない。鼻先を低くしたまま、奥の廊下へ向かう。そこに、家の形とは違う冷たさがあった。


廊下には、サイラス側の人間が何人か倒れていた。腕を焼かれた者、壁に叩きつけられた者、膝を押さえて歯を食いしばる者。動かない者にも呼吸はあり、刃傷は見当たらず、壁に擦れた血の跡だけが奥へ続いていた。誰も、この部屋のために返事を取られるつもりで働いていた顔ではない。


ノラは呼吸の浅い者から首筋と大きな出血だけを確かめた。すぐ圧迫が要る傷はない。一番近い男の口が動きかけているのを見て、布束をその手へ渡した。


男は自分の口へ当てず、隣で腕を焼かれた仲間の傷へ一枚を巻いた。残りを細長く結び、二人の肩をほどけない程度につなぐ。片方が白い声に引かれても、もう片方の重さで気づけるようにしたのだ。


「階段の陰まで行けるか」


ノラが指したのは、廊下と奥の戸を直接結ぶ線から外れた場所だった。男は自分で床へ肘をつき、つないだ仲間を引きずり始める。ここへ運ばれ、倒されても、彼らの手まで部屋のものにはなっていなかった。


その瞬間、天井板の隙間から細く冷たい白い筋が垂れ、男の口元を探るように揺れた。


男は白い筋を見て顎を固く閉じ、つないだ仲間の顔を自分の胸へ押しつけた。聞こえても声のある方を見ないよう、互いの体で視界を塞ぐ。


ノラは短剣の背で筋を払った。白いものは刃を避けるように縮み、壁の割れ目へ逃げる。


別の男が倒れた椅子を起こし、天井の筋と仲間の間へ立てた。さらに茶器棚から厚い敷布を引き抜き、椅子へ掛ける。見栄えのために置かれた布が、今は声と人の間を遮る壁になった。


テオは奥を見たまま言った。


「あいつは止まらない」


「止まらないなら、なおさら巻き込まれる人を増やさない」


最初の男はノラへうなずく代わりに、結んだ仲間をもう一度引いた。敷布の陰へ入ると、奥の子どもの声は少し遠くなる。残った布は口へ配らず、裂けた腕と額の傷へ回した。


その手首には、荷を運ぶ時についたらしい硬い縄の擦れが残っていた。


「何を運んだ」


男は首を横に振り、空の両手を見せたあと、奥の戸を指した。その目に答えはない。そもそも何も知らされず、箱や布だけを運ばされていた。


扉の奥から、小さく笑うような声がした。


男の肩が跳ねる。


その反応だけで足りた。ここで働く者たちも、守らされていたものの正体を知らず、ただ声を聞かされ、荷を運ばされ、返事をすれば次の餌にされる場所へ置かれていたのだ。


ヨルが廊下の先で短く鳴く。


「クルッ」


ノラは床へついた掌で体を押し上げ、奥の戸へ向き直った。


奥の戸の向こうから、子どもの笑うような声がした。


「あったかい」


廊下の壁にもたれていた別の男が、反射的に顔を上げた。


「よかっ……」


声になりきる前に、壁の白い筋が伸びた。階段の陰まで移った男が、肩を結んだ仲間ごと身を起こし、別の男の足を蹴った。


「こっちを見ろ」


人の声で人を呼ぶ。けれど、奥の声への返事ではない。男は青ざめながら顔を敷布の陰へ向け、焼けていない方の手で自分の顎を押さえた。隣の仲間も腕を伸ばし、彼の襟をつかんで壁から引き離す。


壁の奥から、今度は男の声に似たものが聞こえた。


「……よかっ」


途中で切れ、奪いきれてはいなくても、喉の形だけはなぞった声だった。


ヨルが壁へ爪を立てた。白い筋が震え、焦げた石の匂いを濃くする。


ノラは奥の戸を見てから、テオへ顔だけを向けた。


「奥で暴れさせたら、町へ広がる」


テオは答えず、奥の戸へ体を向けた。否定する動きではなかった。


二人と一匹が奥の部屋へ向かうと、扉は半分壊れていた。板の端は黒く焦げ、金具が歪み、鍵はもう役に立たない。ラウルが焼いて曲げ、通るのに必要な幅だけ開けた跡だった。


その手前に、サイラスが立っていた。


手には血がつき、袖口は裂け、肩にも黒い焦げ跡がある。顔色は悪く、逃げようと思えば逃げられたはずなのに、サイラスは部屋の前から動いていなかった。


ラウルはその正面にいる。


床には黒い焦げ跡が走り、白い筋が何本も扉の隙間へ戻ろうとしていた。ラウルの右手には黒い熱がかすかに残り、指先もわずかに震えている。無傷ではないことをノラは見抜いたが、ラウル本人に止まるつもりはなさそうだった。


ラウルが低く言った。


「持っていっただろう。煤釘を出せ」


サイラスは答えない。


「隠したなら、まだ間に合う。どこへやった」


サイラスの目は、ラウルではなく、扉の板の隙間を見ていた。


「乱暴に触るな」


ラウルの顔が歪んだ。


「触るな? お前がそれを言うのか」


「ここで壊せば、あの子が起きる」


「起きる?」


ラウルがさらに踏み込むと、サイラスは力の差を承知したまま扉を背にした。


「あの子に近づくな」


ノラは、扉の隙間を見た。


隙間には、生きている子どものものに見える小さな手があった。けれど影は薄く、指先に白い筋が絡んで、何度も部屋の内側へ引き戻されている。手の形だけはあっても、生きた重さが足りない。


奥から声がした。


「お父さん」


サイラスの顔が変わった。


それは、ノラが外で見たどの顔とも違っていた。穏やかに人を送り出す顔でも、人の流れを組む顔でも、追い詰められて言い訳を探す顔でもない。


失くしたものに呼ばれたように、男はそちらを見た。ノラは短剣を握り直した。


父親を呼ぶための声に聞こえても、生きている子が父親へ返した声ではない。


奥の空気は、ひどく温かいふりをしていた。甘い薬や干した布の匂いはあるのに、子どもが食べたものも、走った足につく土も、汗の温度もない。あるのは、その形を保つために集められたものだけだった。


そのために薬も靴も布も運ばれ、壁はすでに、運んだ者の返事まで探り始めている。


ラウルも、扉の隙間を見ていた。


怒りの色が、一瞬だけ変わる。


探していたものを見つけた喜びはなく、見つけてはいけない形を前に目だけが固まっていた。


「どこへやった」


サイラスの沈黙を拒絶と受け取ったラウルが、さらに踏み込む。


「煤釘の核を、どこへやった」


奥の小さな手が、扉の隙間で震えた。


「寒い」


その声で、サイラスが初めて声を荒げた。


「近づくな」


ラウルは止まらない。


床の白い筋が、ラウルの靴先へ伸びる。ラウルはそれを踏み潰そうとして、途中でやめた。踏めば、何かが奥で裂ける。そう分かったのだろう。


サイラスは扉を背にして、低く言った。


「剥がすな。あの子がまた寒がる」


ノラは廊下に倒れた男たちを見た。


「その子を温めるために、何人をここへ運ばせた」


サイラスの目が廊下の男たちから逃げ、それが答えになった。


ラウルの足が止まった。その一言で、廊下に倒れている男たちの意味が変わる。ノラは彼らへ目を戻したが、テオは奥の戸から目を離さない。扉を背にしたサイラスも、男の一人が呻いてなお振り返らなかった。


ラウルの指先から、黒い熱の名残が引いた。体の奥へ押し込めたように見えた。


彼はサイラスを見ていなかった。扉の隙間、その奥にある薄い手、その指先へ絡む白い筋を見ていた。


「……使ったのか。あの核を」


サイラスは、扉の奥の小さな手から目を離さなかった。


奥の部屋で、小さな声だけがもう一度言った。


「寒い」



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