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迷宮閉葬  作者: Aramaki_mai
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3/13

第3話 見つかり次第

リアム・フォルクが北門から灰喉へ向かった日の夕方、灰鷹から紙が届いた。


ノラ・ヴェイルは、洗った布を絞っていた手を止めた。


戸口に立つ若い隊員の外套には、湿った灰がついている。煤釘の灰とは違う。もっと喉の奥に貼りつく、苦い匂いだった。


寝台の下から、ヨルが顔を出す。


「灰喉です」


隊員は、差し出した紙を両手で持っていた。指先に灰が入り込んでいる。


ノラは手を拭き、受け取った。


紙の上には、また同じ言葉があった。


所在確認。


灰喉の短期補給班。戻り、二名なし。


名前は二つ。


リアム・フォルク。


サジュ・エルン。


リアムの名で、指が止まった。


昨日、広場で木片を握っていた少年だった。怖くない顔を作って、怖いまま前へ出た子。母親の薬と、弟の食事と、空に近い鍋を背負っていた子だ。


「戻った人間はいるんだね」


「います。班の半分は戻りました。二人は後ろにいたと思った、と」


「思っただけで、人を数えなかった」


隊員の喉が動いた。


言い返す言葉はなかった。紙に書かれた短い報告が、戸口の空気を重くしていた。


「ガレスは」


「隊を組んでいます。ただ、崩落で道が変わっていて、場所がまだ絞れていません。先に匂いを追える者を、と」


ノラは紙を畳んだ。


「火を増やして。灰喉は道を狭める」


「伝えます」


「直接。紙を待つ時間はない」


隊員はうなずいた。


ノラは棚へ向かった。水袋を二つ。包帯を二巻き。短い縄。油袋。白い布。火打ち石。香袋に手を伸ばすと、ヨルが耳を伏せた。


「嫌でも持つ」


ヨルは鼻を鳴らしたが、逃げなかった。


小屋の奥から、ミミが乾いた包帯を抱えて出てきた。


「濡れてない方。こっち持っていって」


「助かる。戸は内側から閉めて。灰鷹以外は開けない」


「分かってる。ヨル、勝手に先へ走りすぎないでよ」


「クル」


「返事だけは上手いんだから」


ミミはヨルの首にかけた小さな紐を直した。ヨルは少し不服そうに鳴き、すぐノラの足元へ戻る。


ノラは最後に、油紙を内張りした革の書簡入れを腰へ差した。中の紙は少ない。煤釘で使った分が響いている。


今日は使わずに済めばいい。


そう思っても、置いていく気にはなれなかった。


小屋を出ると、町の広場はまだ明るかった。


掲示板に、灰喉の札が残っている。


三日契約。日払い。未経験可。戦闘なし。


端は少しめくれていたが、太い字はまだ読めた。


ヨルが札を見上げ、低く鼻を鳴らす。


「行くよ」


ノラは足を止めず、北門へ向かった。


灰喉の入口は、町外れの岩場に口を開けていた。


石柱には灰がこびりつき、奥から息のような音が返ってくる。荷車の轍は多い。新しい跡もあった。そのうち一筋だけ、途中で大きく乱れている。


ノラはしゃがみ、泥の端を指で押した。


まだ乾ききっていない。


「リアム・フォルク。サジュ・エルン」


名前を声に出した。


祈ったのではない。中で見つけた時、呼べるようにするためだ。


ヨルが先に入った。


灰喉の中は、浅層とは思えないほど息苦しかった。天井は低く、壁の灰は湿っている。灯りを近づけると、石の隙間に古い荷紐が引っかかっていた。


補給置き場までは、すぐに着いた。


木箱が割れ、乾いた豆が灰の上に散っている。包帯の束は封も切られず踏まれていた。誰かを手当てする前に、荷を捨てて逃げたのだ。


ノラは灯りを低くした。


「後ろにいたと思った、ね」


入口へ向かう足跡は深い。振り返って探した跡は少ない。倒れた人間を避けるように乱れた幅が、灰の上に残っていた。


補給置き場の奥で、壁が崩れていた。


本来の通路は半分ふさがり、その横に、人ひとりが肩を縮めて通れる裂け目ができている。荷車は通れない。灰鷹が地図通りに来れば、ここで一度止まる。裂け目の先まで気づくには、匂いか声が要る。


ヨルが裂け目の前で鼻を寄せた。


鳴かなかった。


そのかわり、尻尾が低くなる。


生きている匂いと、死にかけた匂いが混じっている時、ヨルはよくそうする。


ノラは短剣を抜き、裂け目に入った。


肩が壁に擦れる。灰が袖にまとわりつく。奥から、押し殺した息が聞こえた。


「灰鷹じゃない。ノラ・ヴェイル。探しに来た」


岩の陰で、誰かが動いた。


サジュだった。


右足が崩れた木箱と岩の間に挟まっている。自分で抜こうとしたのだろう。指先は灰と血で汚れ、箱の縁には爪の跡が残っていた。


「リアムは」


サジュは、ノラの顔より先に奥を見た。


それだけで、リアムがここにいないことは分かった。


ノラは膝をつき、足元を見た。すぐに動かせば、傷が開く。箱をどけるには人手も要る。一人で無理に外せば、助ける前に壊すことになる。


「先に血を止める。話はその間に」


サジュは奥歯を合わせた。痛みをこらえる顔ではない。自分の言葉が、どこまで本当になるかを怖がっている顔だった。


「俺が挟まった。荷が崩れて、足を取られて……班の奴らには逃げろって叫んだ」


ノラは布を当て、白魔法を細く流した。傷の縁が白く光り、血の勢いが弱まる。完全には止まらない。けれど、灰鷹が来るまで持たせるには足りる。


「それで、リアムは」


「戻ったんだよ」


サジュの声が荒くなった。


「俺が叫んだのに、あいつだけ戻った。箱をどけようとして、俺の腕を引いて、それでも駄目で……その時、奥が崩れた」


ノラは奥を見た。


裂け目の先は、さらに落ち込んでいる。灯りを向けても、灰が舞って先がにじむ。


「落ちた?」


「向こう側へ滑った。手を伸ばしたけど、届かなかった。しばらく声は聞こえた。俺に動くなって。灰鷹を呼ぶって。でも途中から、変になった」


「どう変わった」


サジュは口の中の灰を吐き出すように、荒く息をした。


「同じ声が、違うことを言った。リアムの声で、俺を呼ぶなって言ったあと、今度は来いって言った。班の奴らの声もした。荷を捨てるなとか、後ろにいたと思ったとか。誰が喋ってるのか、分からなくなった」


ヨルが奥へ鼻を向けた。


鳴かずに、ノラの袖を噛む。


止める力ではない。教えるための力だった。


ノラはサジュの足を固定した。木箱の割れ板を使い、布で縛る。水袋を手の届く場所へ置き、灯りを岩のくぼみに据える。倒れないよう、石で囲った。


裂け目の入口には白い布を結んだ。見落としにくい高さにもう一本。灰鷹が奥へ入る時、足元だけを見ていれば見逃す。だから、目線の高さにも目印を残す。


「灰鷹が来る。火と担架を持って来るよう伝えてある」


「リアムは」


「探す」


サジュの目が揺れた。


「俺を置いていくのか」


ノラはすぐに優しい言葉を置かなかった。


ここでごまかせば、残される時間が余計に重くなる。


「今の君を一人で引き抜けば、足だけじゃ済まない。灰鷹なら箱を支えて外せる。私は奥へ行ける」


サジュは、血で汚れた指を床に押しつけた。


「俺が呼んだんだ」


「君が呼んだからじゃない。あの子は、置いて逃げられなかった」


「それでも、俺が挟まらなきゃ」


「その後悔は、地上まで持って行って。ここに置くと、この穴が覚える」


サジュの顔がこわばった。


怖がらせるためではない。事実だった。ここは声で迷わせる。後悔も、言い訳も、誰かを呼ぶ餌にする。


ノラは水袋の紐を、サジュの手首の近くへ寄せた。


「眠るな。声が聞こえても、返事をしない。灰鷹が来たら、リアムは奥に落ちたこと、声が混じったことを伝えて」


「俺、ちゃんと言えるかな」


「言えなくても、白い布がある。灯りがある。君が生きていれば、灰鷹は聞ける」


サジュは水袋を握った。


握る手が震えていた。痛みだけではない。自分だけ助かるかもしれないことを、まだ受け入れられない震えだった。


「リアムがいたら」


声は小さかった。


「名前を呼ぶ」


ノラは立ち上がった。


ヨルが先へ進む。


少し奥に、靴紐が落ちていた。


片方だけ色が違う。昨日、広場で見た靴と同じだった。あの時、リアムの足元で浮いていた、縫い直された靴の色。


ノラは拾い上げ、布袋へ入れた。


床には血の跡が細く続いている。多くはない。だが、途中で途切れ、壁にこすった跡へ変わっていた。リアムが這ったのか、引きずられたのかは分からない。


決めるには早い。


ノラは灯りを低くした。


「リアム」


返事はない。


奥で、鈴が鳴った。


荷馬車の鈴に似ている。昨日の広場で、リアムが振り返らずに歩いた時の音にも似ていた。


一度。


二度。


それから、少年の声がした。


「俺が行くって言ったんです」


ノラの背筋が冷えた。


リアムの声に似ていた。だが、息が混じっていない。痛みも焦りもない。誰かが覚えた言葉を、丁寧になぞっているようだった。


ヨルがノラの袖を噛む。


強くはない。


行くな、ではなく、確かめろと言っている。


奥から、別の声が重なった。


「三日だけだ」


柔らかい大人の声だった。


「戻れば、少しは楽になる」


灰が、灯りの中でゆっくり舞う。


ノラは理解した。


灰喉は、人の言葉を覚えている。死に際の言葉だけではない。送り出した大人の声も、逃げた者の言い訳も、怖くて吐き出した声も、全部を食って、都合のいい順番で鳴らしている。


「リアム」


ノラはもう一度呼んだ。


今度は、灰の奥で何かが擦れた。


ヨルが袖を放し、床へ鼻を寄せた。しばらく動かず、それから奥を向く。尻尾は低い。けれど、足は引いていない。


生きている匂いが、まだある。


薄い。


今にも消えそうなほど薄い。


ノラは短剣を握り直した。


白魔法はもう多く残っていない。奥へ進めば、水も灯りも足りなくなる。背負えるのは一人だけだ。サジュを動かせば壊す。リアムを見つけても、同じ道で戻れるとは限らない。


それでも、リアムの匂いは奥にある。


灰が笑った。


「救助屋」


声は、リアムではなかった。


「また一人だけ選ぶのか」


ノラは振り返らなかった。


サジュは手前にいる。灰鷹が来れば、助かる目がある。リアムは奥で、声まで食われかけている。


選ばないのではない。


選ばされる場所を、これ以上残したくない。


「この穴が、まだ人を食うなら」


ヨルが振り返った。


ノラは灰の奥を見た。


「終わらせる」


そして、リアムの匂いが残る方へ進んだ。


本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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