第6話 “いつもの朝”という少しずつ推移しているがゆえ“いつもの朝”に見えるだけの存在しない状況を認識してしまう概念についての話ではありません。
日常が少しずつ推移していくことの記録についても全く関係ありません。
これまでにお客様が来た試しはありませんが、伯母さまの家の2階には一応客室が用意されています。
もう抱き枕はお役御免になってしまったので、そちらを借りての朝。ここから慌ただしく用意をして学園に向かったところで遅刻は確実――もう開き直り、堂々と“おさぼり”というものをすることにします。
まだ朝日が反射する中、二階の窓からは遠くのレストランが店開きをしようと、看板を出したりしている様子が窺えます。今日の店開きは早いのですね。気のいいおじさんとおばさん夫婦が経営しているレストランは味が良いのに安いと評判で。二人とも料理好きが高じてお店にまでなったと言っていた……。
あの人達は自分達の好きなものを見つけそれを磨き、パートナーも得て色んな形で他人まで笑顔にしている。
――好きなもの。自分を輝かせるような、人生を煌めかせられるような、そんな存在。
なんとなく目を細めて、それから閉じて考えてみます。
睫毛に触れるさらさらとした朝の空気。視えるもの。視えないもの……。そっと目を開けると、おじさんの姿は消え遠くで雀が数羽飛び去って行きました。
いつまでも子供みたいなことを――。
頭の隅で何かの言葉が鈍く響きました。私を否定していく、私を何者にもさせてくれない私をそれであれ、と決めつける“ひと”の言葉――。
でもきっと、それは私にとってこれまで言い訳に使えた都合が良いものだったのです。
ああ、伯母さまに全てバレてしまいました。私がいつも伯母さまの幸せを願っているのは真実とはいえ、そこに確かに自分の人生や、何もないと思う状態から逃避しているだけではないのかという、自分でさえ目を背けていた事柄に。
気づけば窓辺に置いていた手の爪が白くなってしまうほど、指を押し付けてしまっていました。
恥ずかしい。情けない。
そして、何も持てない自分が――むなしくて、さみしい。
一緒に食事をしていても、私に会話が振られないいつもの家の食卓のように。
「……帰りたくないですわね――」
思わず独り言が零れ落ちてしまうほど、なんだか私は悲しくなってきてしまっているようです。
階下に降りると、伯母さまが珍しく起きていて何か封書に目を通しているようでした。読むのに夢中でこちらに気が付かないのか、ただ文字を追う瞳孔だけが忙しなく左から右へ動いています。とりあえず伯母さまの脇を擦り抜け、洗面所で顔を洗い髪の毛を整えました。
ああ、あれは昨日のドレスへのお礼状でしょうか。さすがにそれはまだ早いので、新たに別のドレスのオーダーかも知れません。
その間に私はちゃちゃっと簡単な朝食を作ることにします。
放任されて育ったお陰で、料理長たちに頼みキッチンを少し間借りして軽食やお菓子を作らせてもらったりしていたのです。まあ暇つぶしにですが。
玉ねぎやピーマン、挽き肉もあったので具沢山のオムレツにし、トマト缶もあるのでソースも手作りできそうです。
「……いい匂い」
匂いに誘われたのか、伯母さまがキッチンに顔を出します。
「あ、伯母さま。おはようございます。もう出来ますから、コーンスープは昨日のがまだ残っていますよ」
「貴女……前から思っていたけれど、食事の支度はテキパキしているわよね。そもそも作り方なんてどこで覚えたの?」
テーブルにクロスを敷いて、出来上がった食事を並べていると本当に関心された口調で言われました。
「どこもなにも、家ですよ。お母さまは妹の教育につきっきりですもの。幾らでも目を盗んで好きなようにやれましたわ」
「そう。オムレツの焼き加減、わたしの好きな感じだわ。ありがと」
私の母がロゼッタにしか関心がないのも今更なので、伯母さまも普通に流してくださいます。
「料理は実践がないと駄目よね。あとそれなりのセンスと科学と食欲?」
「気楽に好きなものが頂けるのが良いのでは?」
ふむ、と頷きながら、伯母さまは珍しく食が進まれているようでした。
「さっきのお手紙……。オーダーですか?」
「…………」
伯母さまは目線を一瞬こちらに向け、すぐにスープに戻られます。
「……いいえ。昨夜、お帰りになる際にウィンザー様から頂いた、お礼状ね」
「え? お早い……」
「……お待ちになってらっしゃる間に書かれたようね」
なんだかこう、どうにも伯母さまからあまり……気乗りしない時の口調のような、落ち込んでいるような、そんなオーラが発されています。
「何か、気がかりなことでも……?」
「っかほっ……」
大袈裟なほどに咳き込む伯母さま。
いえ、本当になんというかどこか上の空でもいらっしゃるようですが。
「ど、大丈夫ですか……」
「――ウィンザー様は何を考えていらっしゃるのかしら……?」
ん?
「どういうことです?」
くっ、と一つ息を呑み込み、伯母さまは一気に仰います。
「革靴を必死の形相で手縫いしている女なんて、ドン引きな上に驚いたどころではなく、恐怖させてしまったでしょうに決まっているわ! それなのにお礼状? というか……いえ、とにかくどういうおつもりなのか良く分からないわよ……」
……まだ気にされていたんですね。うーん、まあ、仕方はないのかしら……。
「うーん、さすがは男手ひとつで子育てもなさっている卿ですわよね。懐が深い方なのですよ、本当にいつも素敵だなって思いますわ」
伯母さまはぽかんとした表情でこちらを見ています。ん? 何か変なことを言いましたでしょうか?
「あの方のこと、ずいぶんとお慕いしているのねえ……」
「え? な、んの感慨なんでしょうか、そんなしみじみと……。まあ尊敬できる大人の御一人だと思っていますが……」
「そう。存分に甘えさせて頂くといいわよ」
思っても見なかったお言葉に、目を見開いてしまいます。
「え⁉ 甘えるんですかっ? あ、もちろん一番尊敬できる大人は伯母さまですわよ?」
「いいわよ別に……。寧ろ取って付けた感満載よ?」
ええっ。そんな。
「だってだって分かり切っていることでしたし! だからわざわざ言うのもって思いながらっですねっ……」
伯母さまがおもむろに顔を背けられます。
――分かっていますよ、笑いをかみ殺していらっしゃるってことは。
数分後、何事もなかった顔で食事を再開された伯母さまはまたも仰います。
「……わがままも欲張りも時には良いものよ」
あまり良さそうには思えない事柄をですか――まあ。時にはアフタヌーンティのクロテッドクリームを3倍くらい塗ってスコーンを食べてしまってもいい、みたいなものでしょうか。
「……特にリゼット。貴女は甘えたい時に、親という甘えて良いはずの存在に甘えて来られなかったのだから」
千切っていたパンを口に入れるのを、うっかりと忘れてしまいます。
「そう――ですか? それはそれで、私は勝手にやっていたつもりなのですけれど……」
「美徳ね。貴女のそういうところ、いいと思う」
褒められた――と思っていいのですかね?
「あと少しでダンスパーティね。あのドレス、どうなることかしらね」
普段は完成してお渡し済みになった商品をそこまで気にされることはないのですが、何か伯母さまには引っかかっているのでしょうか。
やっぱりあまり舞踏会だか夜会だか、パーティは気乗りしませんが……ドレスの命運がどうなったかを確かめることにしましょう。
ああ、どうしてでしょう。放任されているというのに結局は家の決まりに従って生きている自分がいる……。ケージから外に出たものだと思って楽しく歩いていたら、これ以上は行けない柵があるのを見つけてそこが放牧地でしかないことに気が付くような。
なんだか今日は自分でも鬱陶しい程度にはメランコリックになっているようですね。
“いつもの風景”がやってきてあからさまにイレギュラな事態から解放された時の安心感とかは、後々になって郷愁の念とかになったりするということもあるとかないとか。
主人公が鬱陶しい思考を巡らせ作者も流れに乗ってみました。次回はこういった要素は少なくなっている(?)はずです。なかなか心身が追いつかず、目を通してくださっている方すみません。次回は10月3日を予定しています。Xにてポスト致します。




