第9話 『咎人の花園、無垢なる断罪――咲き誇る墓標』
私は両手の双刀を空間収納に納刀し、背中の翼刃を閉じた。
左肩の宝石が、増える宝石花たちと同様、陽射しを反射して七色に煌めく。
「……怖かった」
ひとしきり感動が落ち着いて、再び恐怖を思い出したのだろう。
レナータ様が震えている。
ドレスに顔をうずめるのをやめ、隣に寄り添う彼女の細い腕が、私の腕に絡みついてくる。
「もう大丈夫です、お嬢様。獣は排除しました」
「うん……ありがとう、レティちゃん」
安堵の吐息。
パキリ。
崩れかけた石壁の陰。瓦礫の隙間から、何かが動く、宝石花を踏み砕く軽い音がした。
魔獣の気配ではない。
「……誰ですか」
私はレナータ様を、絡み合った腕でそっと後ろに引き寄せ、音のした方へ鋭い視線を向ける。
殺気はない。あるのは怯えと、息を殺した緊張感。
「ひっ……!」
私の声に反応して、短い悲鳴が上がった。そして、恐る恐る姿を現したのは――子供だった。
ボロボロの麻の服、伸び放題の薄茶色の髪は乱れ、絡まり、足元は擦り切れた革靴を紐で無理やり縛っている。
背丈は、今のレナータ様より少し小さいくらい――栄養状態も考慮すればこれでも同年代程度だろうか。
その手には、獣の皮をなめしたらしき厚手の保護手袋と、宝石花が入った籠が握りしめられていた。
「子供……だよね?」
背中に回っていたレナータ様が、そっと腕を解き、顔を恐る恐るのぞかせる。
彼女は恐らく棄民の子だろう。今の一方的な『秩序』に支配された世界の被害者。
「あ、あの……」
少女は、大きな目をぱちくりとさせて、私たちを見た。
多くがドレスで隠されているとはいえ、左肩をはじめ、随所に見える宝石継ぎの異形を見て一瞬身を竦めたようだが、その視線はすぐに背中のレナータ様に吸い寄せられた。自分と同じくらいの年頃の、けれどお姫様のように綺麗な白銀の髪の美少女。
「……お姉ちゃんたち、強い……ね?」
少女がおずおずと尋ねる。
「あの黒い狼、たくさん、やっつけちゃった」
「えっへん!」
レナータ様が、私の背中で胸を張る。さっきまで泣いていたのが嘘のように、得意げな声。
「すごいでしょ! レティちゃんはね、世界一強い私の従者なの!」
「従者……? よくわかんないけど、すごぃ……」
少女の警戒心が、ふわりと解ける。
子供特有の柔軟さ。強さへの憧れが、恐怖を上書きしたようだ。
「私、ミア! 隣の谷の村から来たの」
少女――ミアは、ニカっと歯を見せて笑った。その笑顔は、栄養失調ながらに生命力に溢れていた。
「お姉ちゃんたちは? こんな危ないところで何してるの? 迷子?」
「ちがうもん。旅をしてるの!」
レナータ様が、私の背中から前へと踏み出す。止めるべきか一瞬ためらったが、彼女の意志を尊重することにした。レナータ様にとって、同年代のお友達は初めてかもしれない。大聖堂での幼少期は、大人たちに囲まれた孤独な鳥籠の中だったはずだから。
「私、レナータ」
「レナちゃんだね! 綺麗な髪に、素敵なお洋服。お貴族様?」
ミアは遠慮なくレナータ様に近づき、ボルドー色のジャケットの袖を恐る恐る指でつつく。
「ううん、違うよ。……ただの旅人さん」
「ふうん。まあいいや。ねえ、レナちゃんたちもお花を採りに来たの?」
「お花?」
「そうだよ。ここにある、『宝石花』」
ミアは、広場の方を指差した。永遠に散ることのない色とりどりの花々。硬質な輝きを放つ宝石の花弁。
「これね、すっごく高く売れるの。街の行商人さんが、お守りになるって言って買い取ってくれるんだ」
ミアは、慣れた手つきで薔薇の根本、できるだけ地面の付け根を皮の手袋ごしに手折る。
「こうやってね。根元から摘むの」
ミシリ。
茎にいくつかの罅が走るも、砕けた断面から煌めく緑の粉を零しながら折れる宝石花。
「ほら、簡単! それにね、みてみて」
てててっと、彼女が向かうのは一軒の家。先ほど私達が中を覗いた、ベッドに咲き乱れる薄紫の花弁の宝石花。
「ぁ……」
その意味が、レナータにはわかっているのだろう。小さな悲鳴のような声が漏れる。
「お家の中のはね、特に高く買ってくれるの! 管理塔? が買ってくれるんだって」
ブチリ。
変色し、劣化したシーツから抜き取られる紫の煌き。
ブチリ。
ベッドの中央にかつての姿の痕跡のように群生していた宝石花が、わずかに歯抜けになる。
「……やめて」
レナータ様が、小さな声で言った。
「え?」
「やめてよ。……お願い、可哀想……だよ」
レナータ様は、自分の胸を押さえていた。
彼女にはわかるのだ。この花が、ただの物体ではないことが。とくに家屋の中のそれは……。
「んーでもね、このお花は生きてないんだよ? 家の中のお花は少しだけなら、とーっても高く買ってもらえるの。それにそれに、これがないと、困るの。……うちの妹が病気で、妹は生きてるんだよ」
「病気……?」
「うん、魔素中毒っていうの。行商人さんがお薬をもって来てくれるけれど、ものすごく高いの。前はお父さんがしてくれてたけれど……私がやらないと、もう……だめなの」
ミアがだんだんと小さくなる声で言った。
魔素中毒はこの村で蔓延した病の亜種。魔素を多く含む、それこそ魔石を壊さずに殺したモンスターの肉を食べるとか、魔素の蓄積した土地に長く住むとか、しない限りは罹らないはずなのだけれど。
「もう、だめ?」
レナータ様が気になったのはそこだった。
それに応える事無く、ミアはしばらく黙って花を少しずつ採取していた。ベッド、椅子、ソファ。それぞれから二輪ずつだけ。
そしてまた黙って外へ。
扉を出たところ、外に広がる一面の宝石花を前にぽつり。ミアが言葉を零す。
「死んじゃったの」
籠を手に、しゃがみこみ。また茎を砕き、花を採る。
「殺されちゃった。去年、ここに来る途中で。それからずっと私一人……」
その言葉は。十歳のレナータ様にとって、あまりに残酷な世界の真実だった。
「で、でも、管理塔の支配地域は、白亜の大聖堂の聖堂騎士団が」
「あはは~レナちゃん、なんにも知らないんだ。騎士様はね? 街の人達しか守ってくれないよ。神様は、綺麗な人達しか守ってくれないの」
そう、それが棄民の事実。『秩序』で領域を安定させていると言っても、限度がある。平穏、加護には明確な濃淡がある。
そうした、加護薄き土地に棄民は住む、追いやられる。犯罪者の末裔、管理塔の定める規範に反したとして追放された者達、生まれながらの異常を抱えた者達。
この世界は。
変化も深化も捨て、永久の平穏を望んだ世界は。
秩序と平穏、変わらない毎日という緩やかな坂道をずっと、ずっと転がり落ち続けている。
それを避ける為の変革をもたらす第七管理塔であったと、古代からの私の記憶にはあるが、今の時代でその知識は異端。そもそも、第七管理塔が封じられるより前、古代魔導王国時代において、悪しき『魔素』や『厄災』などというものに関する記憶が私にはない。遺跡で眠っていた私にその間の事はわからないけれど……いったいいつから、どうして、そんなものがこんなにも蔓延するようになったのか。
とにかく。
そうして捨てられた人々が住むのが『村』。小さな運命共同体。
緑豊かな街周辺とは違い、荒れ果てた土地に作られる棄民たちの寄り合い。
騎士による治安維持の外に生きる者達。
「……」
レナータ様は、言葉もなく立ち尽くす。未来の(過去の)彼女が文字通り命を、存在を、費やして救った世界。
けれどその実態は、穏やかな遠い未来の破滅へと進む変わらない平穏に生きる人々と、平穏から除外され汚濁にまみれた破滅に直面する人々の両極があるだけ。
今のレナータ様にどこまで実感をもって理解しているかはわからない。
けれど、その握られた手は白く、指先は手のひらに食い込み。
遠くを見据えるような、力強い眼差しが私を射抜く。
「……レティちゃん」
レナータ様が、震える声で私を呼んだ。
「この子が言ってること……本当なの?」
「……」
「私が……聖女様が作った世界は、この子を助けてくれないの?」
彼女の瞳から、ついに大粒の涙が溢れる。
まだ十歳の彼女には、この矛盾は重すぎる。
何のために、何を救ったのか。
今の彼女の中にある唯一絶対の正義は、白亜の大聖堂。第一管理塔が説く『秩序』による平穏。
何も変わらず、同じ日々をただ繰り返す。それこそが世界を存続させる唯一絶対の平和であり、繁栄。
もうおぼろげな私の記憶に、古代魔導文明の栄華がよぎる。
華々しく、活力に満ちた。日々新しい物が生み出される世界。
しかし、それは同時に奪い合い、ぶつかり合う。人同士の争いと隣り合わせの世界。
私のような殺戮人形が生み出されるほどに。
管理塔勢力との戦争、などという神への反逆もまた、まかり通っていた時代。
私は答えに窮する。
なんと答えれば、彼女を傷つけずに済むのか。
あるいは、傷ついてでも真実を教えるべきなのか。
ズゥゥゥン……。
何とも不快な音と、空間が歪むような吐き気の催す感覚に襲われる。
異変の中心は村の広場中央の石碑。
「な、なぁに……!?」
ミアが驚きの声を上げ、尻餅をつく。必死に、採取した宝石花の入った籠を胸元に抱きしめて。
レナータ様も、足をもつれさせて倒れそうになるのを、私が支える。
「また変わったところに。おかげで手間が省けましたが」
冷徹な声。背筋が凍るような、金色の魔眼から感じる殺気。
石碑を背に、白いドレスアーマーの騎士が立っていた。
黄金の髪が、宝石花の煌きに彩られ美しく輝く。
軍勢はいない。たった一人。けれど、その存在感だけで、この場の空気を支配していた。
聖堂騎士団指揮官、あるいは、秩序執行部隊隊長オルドリア。
ゾワリ、と。背骨の魔力回路を不快な感覚が逆流した。
殺気ではない。もっと重苦しく、逃げ場のない『圧』。
「お下がりください」
私は思考より速く、レナータ様の肩を抱き寄せ、背後へと跳躍していた。
一拍遅れて、先ほどまで私たちが立っていた場所に、轟音と共に純白の光の柱が突き立つ。
ズドンッ!!
爆風が背後の廃屋の残骸を吹き飛ばし、舞い上がった土煙が遅れてやってきた衝撃波に切り裂かれる。宝石花が砕け散り、キラキラとした粉塵となって舞う中。その影は、悠然と佇んでいた。
白いドレスアーマー。優美さを優先した白銀の甲冑には一点の曇りもなく、陽光を浴びて神々しいまでの輝きを放っている。そして何より、その瞳。融解した黄金のごとき、眩いきらめきを放つ瞳孔。
「かつて聖女レナータが巡礼聖女として巡った土地。見放された土地、棄民の村を巡るもの好きな聖女、後に残すは異質な宝石の花。人形を……貴女を拾うまでの二年の足跡の一部ですわね」
ずっと見られていた、捕捉されていたのはわかっている。けれど、なぜ。どうやっていきなりこの場所に。
「わからないですの? まあ、そうでしょうね。聖女レナータはその脚で世界をまわることを是としていましたわ。各管理塔の支配地域には転移魔法陣がある事は知っていますわよね?」
「ええ。街をつなぐそれの使用には、管理塔。この地であれば白亜の大聖堂の許可が必要ですが」
「そうです。そしてそれ以外にも、各地にはこの石碑のように簡易転移陣が施されていますわ。特に巡礼聖女レナータの足跡が残る場所は相性が良くて」
魔素の除去された土地は管理塔が保有する技術と相性がいいのは知っていたけれど、そんなことをしていたとは。レナの足跡を穢されたようで無性に腹が立つ。
「さて、聖女様。今度こそお越しいただきますよ」
「い……いや! レティちゃんと一緒にいます……べーー、だ」
私の後ろからこっそり顔の半分だけをのぞかせて、舌を出してまた隠れてしまったレナータ様。
これにはさすがのオルドリアも面食らったようで一瞬、凍てついた美貌に年相応の綻びを見せ。
「べ、ベーって……え、幼くなりすぎではありませんか?」
それは確実に私を修復したせいなので、何とも言えない顔で私が困っていると、何を勘違いしたか同情するように一瞬私を見る少女騎士。
「き、騎士様。いや、いやだ、わた、私。何も悪い事なんてしてない、してないから」
そんな一瞬の空気のゆるみに声を上げたのは吹き飛ばされた地面に転がったまま、土煙にまみれたミア。
「棄民の子、ですか」
ぽつりと呟き、黄金の瞳を一瞬強く輝かせる。
「ふむ、本人の罪ではなく、係累の……なるほど?」
おそらく、体のどこかに焼き印として施されているはずの、追放の烙印を服の上から魔眼で確認したのだろう。
「お、お願いです。ころ、殺さないで、妹が。妹にくすりを買ってあげないと。私しかもう」
土埃にまみれても、大事に抱きかかえて離さなかった、籠の中の宝石花。ベッドに咲いていた薄紫の一輪を差し出し、必死に嘆願する茶色い髪の少女。
僅かに不快気に眉をしかめた後、元の氷の美貌に戻ると、
「結構です。それに私は貴女をどうこうしようと思っていません。どこへなりと……」
言いかけたとたん、
「ぅっ……ぐ……!」
オルドリアが、自身の喉元を鷲掴みにした。
戦闘の可能性を前に鋭敏化していた五感が、肉が焦げるような、嫌な臭気を感じる。
視覚がオルドリアの表情の強張りと、わずかに浮かぶ脂汗を感知する。
「聞こえなかったのですか……さっさと、失せなさい!」
「……え?」
何を言われたのかわからないと、茫然と固まるミア。
いよいよ眉間にしわを刻み、怜悧な美貌をいよいよゆがめて、もう一度繰り返すオルドリア。
「行きなさい、と……言い、ました。それとも戦いに、巻き込まれたいのですっ……か!」
「ひっ……!?」
形相を変えた騎士の怒声に、ミアが弾かれたように身を竦ませる。
「で、でも、お父さんは。お父さんはモンスターと一緒に騎士様に殺されて――」
と、そこまで言って慌てたように口をつぐむ、ぼろを着た少女。
ふるふると震える身体は、自分の発した余計な一言への後悔に打ちひしがれている。
そんな姿を見るオルドリアの瞳にさらに、揺らぎが走ったような……。
けれど、その手に今度は騎士剣が握られる。抜き身の純白の刃が、そっとぼろをまとった少女に向けられると同時に、オルドリアの表情に冷たさが戻って来る。肉の焦げる匂いも収まる。
「行きなさい」
辛うじて聞き取れるかどうかという幽かな声で言いながら、秩序を顕現する白い輝きを剣にまとわりつかせる。
ただの棄民の少女など、その輝きに触れただけで消しとびかねない。
驚愕に目を見開く少女。だが、今度の行動は早かった。手にした籠を胸元に抱きしめ、背を向けると一目散に駆け出す。一度も振り返らず、ひたすらに。
私は意外な思いで、黄金と白の少女騎士を見つめていた。
なぜなら騎士は。白亜の大聖堂は棄民を発見すれば……。
「忘れなさい」
「……」
逡巡する。それでも、聞かずにはいられなかった。
「なぜです? 聖女レナータを無理やり連れ帰ろうとしている貴女が。『秩序執行部隊』の隊長ともあろう貴女が、戒律に背き棄民を……」
「黙りなさい。貴女も、私も、何も見ていない。私はただ、優先順位をはき違えていないだけ。私はただ成すべきことを、成しに来ただけです。その過程に誤りなど存在しない」
抜き身の純白の騎士剣がまるで初めからそのためであったと言わんばかりに、私へとむけられる。
反射的に翼刃を展開。二刀も両手に顕現させる。
ギン!
重い感触を左で受け流す。目の端に映ったのは一瞬の金のきらめきだけ。
しっかりと背中に寄り添っているレナータ様の体温を感じる。回避はできない。
ギン、ギン!
重く、こちらを排斥する概念の乗せられた、白い光を宿した剣を左右二本の漆黒で受け流す。
ギン、ギン、ギン!
いよいよ加速する騎士剣の斬撃。背中にしがみつく小さな手が強く握られたのを感じる。
身体の陰に隠れていると言っても、ごく至近距離での剣戟音がレナータ様にもたらす恐怖。
陽光を遮るいくつもの影。
翼刃の一斉射出。
全方位から檻の中に閉じ込めるように射出された刃に、さすがに堪らず大きな跳躍で後退るオルドリア。
黄金と深紅の瞳が交錯する。
魔女としての知識も失い、私への援護もままならない、かつてなく無力なレナータ様を背にしての近接戦闘は無理。本来の私の強みである、空戦を交えた高速機動に舞の動きも、共に封じられるのも致命的。即座の判断で翼刃を時間差で次々射出。とにかく距離をつめさせない動きに徹する。
「ふふ、どうしました? 固定砲台に徹しますの? そんな単調な攻撃では私を抑えるなど到底無理ですわよ」
躱す刃の群れに興奮してきているのか、あの夜のように嗜虐的な微笑みと艶を湛え始める白いドレスアーマーの少女。こうして明るい中で、じっと観察しているとよくわかる。やはり年齢は今のレナータ様よりも少し上程度。けれどなぜこんな少女が、このような役目を。
「あっはぁ、考え事とは、嘗められたものですわね」
右手に強い衝撃。辛うじて刃を滑り込ませることはできたが、修復痕だらけとはいえ、古代魔導人形の私が完全に押し込まれるほどの威力。
逃げてもまた、追いすがられる。
なら……ここなら人もいない。レナにもらった時間をさらに燃やしてでも仕留めるべきか。
その決断を下す直前。
「やああぁぁぁぁ」
絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
二人そろってそちらを見る。方角はまさに先程ミアが走り去った先と一致する。
一瞬の隙。レナータ様を抱きかかえて一気に飛行で離脱すべきか迷うが。
「ミアちゃんの声?」
後ろから聞こえる不安の声に思考を切り替える。
幸いといってよいのか、オルドリアも同じ方角を見据えている。
その顔は苦虫を噛み潰したように苦々し気。
「……私を飛ばしなさい」
こちらを見もせずに告げられる一言。
何を言われたのかわからず、思わず見返す私に。
「停戦です。手出しをしない事は約束します。その翼で私を飛ばしなさい。できるのでしょう? 大した距離のはずもありません」
この騎士が、行くと? レナータ様を抱えて高速飛行で助けに行くという選択は、残念ながら私にはできない。まして置いていくなど論外。
ならば。
翼を形成する刃の背を上に、狭い間隔に並べ、オルドリアの眼前に足場を作る。
騎士剣を構えたまま飛び乗る彼女。
「飛ばします。姿勢に気を付けて」
「誰に言っていますか、お早くなさい」
「――射出」
ゴッ! 風を穿つ音とともに白い筋となり、一瞬で視界の先へと飛翔するドレスアーマーの騎士。
「行きたいのですか?」
答えはない。
この隙に逃げる事も考えた。
けれど、レナータ様はじっと、白い騎士の飛翔した先を見ている。だから。
「私達も参りましょう」
緩やかに、残る背の翼で浮かび上がり、レナータ様を両腕で抱えて後を追った。
――宝石花の途切れたほんの僅か先。数軒の家屋で視界を遮られた裏。
右腕から血を流し気絶する、ぼろをまとった女の子。
流れ落ちる血液には黒い濁りが斑に混ざっている。魔素による汚染。話に聞いた妹と同じ、魔素病の兆候。籠は破壊され、辺りに散らばる煌めく宝石花がその黒い濁りを吸い、わずかに花弁を増やしている。
おそらく狼の魔獣であったのだろう。漂う大量の黒い靄。何十頭の群れだったのか。
その中心で白い輝きを纏って騎士剣を構えたままのオルドリア。
彼女をここまで送り届けた翼刃を回収しながらその視線の先を追えば、立ち上る黒煙が、遠く谷底から吹き上げていた。
「無駄です。私の『眼』で確認しました。そして……来ましたわ」
谷底から飛び出してきた巨大な狼。
六つの深紅の瞳を爛々と輝かせる、黒き巨狼。黒い靄に包まれ輪郭をブレさせながら、私の全速に匹敵しようかという速度で駆けてくる。
その右腕には、ぼろ布。
子供用と思しき、麻の服がまとわりついている。
そっと視線を意識の無いミアに向ける。遠目にもはっきりと見える私の目には、その服が確かに。この子の着ているそれと、とても、とても似ているのを見てとっていた。
「棄民は……棄民には、二つの道があります」
いくら速いとはいえまだ少し、ここまでは距離がある。まっすぐにこちらを見据えて駆けてくる魔獣を見据え、オルドリアが語る。
「魔獣の囮……いえ、餌。魔素を吸い込み、世界の循環の一部を成す。村という閉鎖空間で朽ち果てる道……そして」
黄金の瞳が私をじっと見据える。感情をうかがわせない、冷たく、冷たく凍てついた表情。
あの夜見せた嗜虐的な愉悦も鳴りを潜めている。
「全てを奪われ、『道具』となる道……」
ギリッ。白い皮手袋から音が鳴る。固く、かたく握りしめられた拳。
そんな私達の会話と緊張を斬り裂くように、レナータ様が腕の中から脱して、ミアに駆け寄った。
「ミアちゃん!」
止める間もなく。
立ち上る虹色の輝き。舞い散る青白い燐光。
あぁ。
貴女はやはりレナだ……悲しみを、苦しみを、放っておく事ができない。優しいレナ。
ぽつ、ぽつと。宝石の花が咲く。
ボロをまとった少女の右腕、流れ落ちる血潮に沿って、七色の花が咲く。
血潮に混ざる黒い濁りが薄れてゆく。
宝石の花畑が広がる。浄化されていく穢れ。
体内のどれ程が置き換わっていたかはわからない。けれど、手遅れではなかったのだろう。
意識を失ったままの少女ミアは、浅くとも確かな呼吸に胸を上下させている。
傷口はふさがらない。
私のように宝石継ぎをするわけにはいかないから。
それに……穢れ交じりだった血潮が白い、塩の結晶のように変化している……? 見間違いかとも思ったその痕跡は、風に吹かれ、散ってしまった。どこかで見覚えがあるような。
「……この子は私が預かりますわ」
まだ心配そうにミアの傍らに寄り添うレナータ様の反対から、オルドリアがかがみこむ。
「どの道、貴女達にはこれ以上救えない、ここまで侵蝕されてよく動き回っていたものですわね」
こくり。無言でレナータ様がうなずくのを確認し。
「あれは、任せても……いえ、任せますわ」
それは私へと告げられた言葉だった。問うまでもない。徐々に大きくなってきている振動。
黒煙の上がる谷から近づいてくるモノ。
意識の無いミアの腕を懐から取り出した白い布で縛り、止血を施しそっと抱き上げる。
穢れを知らない白いドレスアーマーが斑に赤く染まる。
歩み去る白い少女騎士。
内心をうかがわせようとしない、凍てついた表情。
しかし、その首元からはじりじりと肉を焼く匂いが強く漂い、全身には明らかな脂汗が浮かんでいる。
かっ、かっ……かっ。規則正しいはずの金属のグリーブの足音が、わずかに乱れる。
互いに振り向く事はなかった。
獣が、来る。
大きな、魔獣が。
GGYaaahaaaaa!
その叫びは。
茶色い髪の女の子を、彼女を抱える金髪に彩られた姿を凝視する、巨狼の雄叫びは。
慟哭のように、私には聞こえた。
きゅっと引き結んだ、泣き出すのを堪えるレナータ様の手をぎゅっと握る。
「弔います」
ミアを見送り、私の傍に再び寄り添った彼女から、するり。
離れる温もり。
二刀を再び手に。一歩、前へ。
視界を遮る私に苛立ったように、踏み鳴らされる左前脚。
麻のぼろ布が、風に吹き飛ばされた。
たった今花開いた宝石花たちが、そっと、見送る。
地面を踏みしめる漆黒の鉤爪。唸りを上げる口蓋から覗く鋭い牙。
黒い靄に包まれた獣へ。
翼刃、展開。
重心を前へ、倒れ込むような前傾姿勢。
両腕を大きく広げる。両手の双刀をもう一対の翼のように見立てて。
ズンッ!!
それは、獣が地面を陥没させる踏み出しの轟音だったか、それとも、漆黒の髪を靡かせる魔導人形の飛翔が空気の壁を打ち破る音だったか。
――閃。
ふわり。
優雅に地に足をつける、深紅の瞳の魔導人形。
既に漆黒の刀は収納されている。
音は無かった。
肉の倒れる音も、血しぶきの舞い散る音も、苦悶の鳴き声も。
ただ。
私の背には。
大量の黒い靄が、地面に散乱する手折られ散らばる宝石花に。
新たに広がる花畑に。
ゆっくりと、静かに吸い込まれる姿だけがあった。
――その光景を、燐光散らす蒼銀色の幼い瞳は呆然と見つめていた。
涙はもう枯れてしまったのか。それとも、あまりの残酷さに心が追いつかないのか。
彼女は、自分の小さな手のひらを見つめていた。
かつて世界を救ったはずの、今はその実感も、記憶も、何も持たない小さな手を。
「ごめんね……ごめんね……」
誰に向けたか分からない謝罪が、風に溶けて消えた。




