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第8話 『玻璃の肩、幼き主の涙――無邪気という名の刃』

 目覚めは、冷たい岩肌の上だった。

「……んぅ……」

 レナータ様が身じろぎをする。


 その身体は、昨日よりもさらに小さくなっていた。

 十三歳の少女の面影は消え、そこにいるのは十歳ほどの少女。頬はぷにぷにと柔らかく、手足は頼りないほど細い。

 せっかく昨日楽しく選んだ薄桜色のワンピースもだぼだぼになってしまった。


 昨夜、私の左肩と内部機構を治すために、彼女は『奇跡』を使った。その代償として、残りの時間はまたも一気に削り取られてしまったのだ。


「……ここ、どこ?」

 彼女が目を開ける。 蒼銀の瞳はまだ眠気で潤んでいる。

 そして、私を見た。


「おにんぎょうさん?」

 まだ眠気が勝っているのか、年の頃よりもさらに幼い声。警戒心よりも、好奇心と不安が混ざったような響き。

 彼女は、私の顔をじっと見つめ、それから視線を下げて――私の左肩で止まった。


 そこには、七色に輝く結晶へと大半が変貌した球体関節。内部の機構が透けて見え、それすらも宝石製にとってかわられている。昨夜、彼女が私の壊れた関節を繋ぐために生み出した宝石。

 黒と赤のドレスの裂け目から覗くその異質な輝きは、私がただの人形ではないことを雄弁に物語っていた。


「痛いの?」

 彼女が、ぽつりと呟いた。


 彼女の小さく、温かい指先が、恐る恐る私の肩に伸びる。

 触れれば切れてしまいそうなほど鋭く尖った、サファイアの断層。大人の彼女と違い、断面を優しく研磨する事ができていない、荒く、宝石としての美しさを強調する鋭利なファセットの連なり。そこに、彼女の柔らかな指の腹が押し当てられる。

 硬く冷たい傷跡が、彼女の皮膚を僅かに凹ませる。動けない。動けば、彼女の指を切ってしまうから。彼女は愛おしそうに、その凶器のような宝石を撫でた。


「痛い……よね?」

 その瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。


「いいえ。私に痛みはございません」


 私は、膝をついて彼女の目線に合わせる。昨夜の『大っ嫌い』という拒絶の言葉は、もうない。

 けれど、『責任取りなさい』という赦しの言葉も、彼女の認識からは消えている。

 無為に思い出させることもなかったか……肩の傷は布ででも覆っておくべきだったかもしれない。


 ただ、目の前の傷ついた人形を案じる、純粋な子供の心がそこにあった。


「嘘よ」

 彼女は、小さな手で私の宝石の肩に触れた。


「昔ね、ママさんが言ってたの。キラキラしたのは、悪い物を追い払うの。でも、だから、……とっても痛いことなの。あんまり使っちゃいけないの」


 ママ。レナータ様の実母のことだろうか。あるいは、教会で彼女を教育した誰かか。

 いずれにせよ、10歳の彼女にとって『奇跡・宝石化の魔法』は、まだ自覚的に使えない、使わないように教育された概念だったのだろう。


 彼女の指先が、私の宝石化した肩を、と~ん、とん、と~ん、とん。と優しく叩く。

 穏やかな一定のリズム。それはまるで、痛む場所をあやす母親のような、あるいは壊れ物を慈しむような手つき。

 痛くない? と口で問うよりも深く、その指先の震えとリズムが、彼女の心配する心を私の魔核へと直接伝えてくる。


 だが、その指先からは、さらさらと青白い燐光がこぼれ落ちている……。

 昨夜の治療の代償は、まだ支払われている最中なのだ。命の時間が、本来のそれよりも早く、砂のようにこぼれ落ちていく。

「……ごめんなさい」


 何故か謝る彼女のその指先すら、消えてしまいそうなほど儚くて。


「私がやったの、よね? たぶん」

 彼女の瞳が、うーん? と、小さな唸りと共に上を見上げる。

 必死に記憶を探るレナータ様。昨夜の記憶を思い出しているのだろう。



「お嬢様は、私のために力を使ってくださったのです」

「ううん。でも、でも、使っちゃダメって。私、怒られちゃうかな」

 暴走を恐れたのだろうか。扱いきれる範囲、無謀を通り越した奇跡の行使をせずとも、未来の寿命を少しずつ蝕むことは変わりない。むやみやたらと宝石化を行使しないように、教育されていたことが改めてよくわかる。


「私を救ってくださった証。お嬢様が私にくださった、大切な守り石です。私は本当に嬉しかったのですよ」

「そうなの?」

「ええ。ですが、もう使ってはいけませんよ? この力は――お嬢様の大切のためだけの力なのですから」


 大切……大切。よくわからないといった表情で、口の中で小さく繰り返すレナータ様。

 命を削ることの意味が、今の彼女には実感もできないだろう。

 反芻する昨夜の会話も、互いの誓いすら、半分も理解できていないかもしれない。


 私はそっと彼女の涙をドレスの袖で拭う。

 彼女はすんすんと、鼻をすすりながら私を見上げた。


「レティシア……って言うの?」

「はい。貴女様の従者、レティシアでございます」


「レティシア……れてぃしあ……レティ、ちゃん?」


 彼女は、小首を傾げて私の名前を呼ぶ。『ちゃん』付け。レナも、ふざけてそう呼ぶことがあった。

 けれど、今の彼女は本心からそう呼んでくれている。私を、自分より年下の、あるいは対等な『お友達』のように見ようとしてくれている。


「……お好きなように、お呼びください」

「ん。じゃあ、レティちゃん」


 と、そこで、きゅーっと可愛らしい音が鳴る。

「……お腹すいた」


 彼女は、恥ずかしそうにお腹をさすった。

 私は、ガーターポーチから、昨日ブティックで買った一回りちいさなお洋服を一式取り出す。まさにお嬢様スタイルなワンピースにひざ丈のスカート、そして丸い袖ぐりが可愛らしいボルドーのジャケットスタイル。

 少しだけ私の黒と赤のゴシックドレスともあう色合いかもしれない。

 そして、大切な私と色違いのリボンを、腰のベルト通しを使ってワンポイントに。


 豪華な食事は用意できない。けれど、彼女を生かすためのカロリーだけは、確保しなければ。

 レナとの旅で常備している干し肉と香辛料、コロンと細長いパンを使って簡単なサンドウィッチ。

 そういえば、気がせいているときは、ついいつもこれになっていた気もする。


「ご飯にしましょう。それから、出発です」

「うん。……どこに行くの?」

「海です。……とても綺麗な、誰も見たことがない図書館がある場所へ」

「としょかん! 絵本、あるかなあ?」


 彼女の目が輝く。

 その無邪気さに私は救われるような、胸を抉られるような、複雑な思いを抱きながら、彼女の着替えを手伝った。




 ――荒野を行く道は険しかった。十歳のレナータ様の足では、瓦礫の山を越えるのは難しい。

 すぐに息が上がり、足がもつれる。


「……歩けない」

 彼女が、べそをかき始めた。


「失礼します」

 私は、彼女を背負うことにした。

 昨夜は緊急飛行で離脱したけれど、冬も近い寒空の旅は明らかに彼女への負担が大きすぎた。

 気絶している事で実感ができていなかったが、ちょうど良い洞窟を見つけ着地した時には冷え切った身体にぞっとして、慌てて火を焚いたのだ。


 彼女の小さな身体を背中に乗せると、羽のように軽い。

 けれど、その体温は確かに私の背中を温めてくれる。


「レティちゃん、重くない?」

「いいえ。羽毛よりも軽いです」


「うそつき。パパさんは、私は重いって言ったもん」

「それはパパ様がひ弱なだけです」

「ふふっ。レティちゃん、変なこと言う~。でもね、触っちゃいけないパパさんよりず~っと、ず~っと、好き」


 彼女が背中でころころと笑う。その振動が、心地よい。

 言葉の違和感に触れる事を恐れ、ただ私を好きと言ってくれることに意識を傾けてしまう程に。


 私たちは、日記に記された経由地を目指していた。

 そこは、かつてレナータ様が『奇跡』を行使した場所の一つ。


『レティと出会う前、私が訪れた北の廃村。あそこには、時を止めた花畑があるの。いつか貴女と観に行きたかったな』

 彼女が記した日記の記述。


 昨夜、私は気絶したまま眠るレナータ様を見守りながらついに15歳から先の彼女の記録を開いてしまった。

 そこにあったのは、確かに、白紙だった。

 たった四ページの、十五歳の彼女への言葉。

 その後に続くひたすらの白紙。


 そして、最後の四ページ。裏表紙へと続くそこに書かれていたのは――逆行していく彼女自身への言葉ではなかった。


 そこにひたすら綴られていたのは、私への想い。想い出。決戦の後で叶えたかった、もしもの願い。

 たわいもない、幸せな日常。


 そして、わずかばかりの、私の知らない彼女の足跡。

 私を連れて行きたかった場所。


 その最後の4ページは、こんな言葉から始まっていた。


『あら、すっかり悪い子になってしまったのね? 私の言いつけを破るだなんて』


 いつか、いえ、さして間もなく私が我慢できなくなることを見透かした、言葉。


『この調子じゃ、私に何をしているか分かったものじゃないわね。私のえっちな、ぽ・ん・こ・つちゃん』


 そんな事してない……!

 なぜ、彼女自身の記憶を、十五より前の記録を残さなかったのかはわからない。


 けれど、これだけはわかる。きっと彼女は恥ずかしかったのだ。

 ここから先を私に音読されるのが。

 レナは超然として、ことあるごとに私をからかうけれど。

 その実とても純粋で、恥ずかしがり屋さんだから……。


 結びは、ほんの少しの期待を私に残していた。


『私の最期の言葉は、きっとレティを苦しめる。そしてレティは、いつかの私の言葉を覚えていてくれている。深海図書館、そこへと至る場所へと、進んでいるのよね? だから、ね? 見つけて。行けばわかるわ。たった一つの、私にとって大切な事が。そして、世界が変わった今……必要な最後の鍵もきっと、もたらされる。それくらいのご褒美をもらう事は、私にだって許されるはずよ』


 何度も昨夜から反芻しているそれらの言葉。期待と不安で私の頭をぐるぐると、かき回し続けている言葉。



 ゆらゆらと、レナータ様を背に揺らし。

 とりとめもない私とレナの冒険のお話を交えながら進む事、数時間。

 ほんのわずかに足を浮かせ、振動を最小限に。滑るように低速飛行した私は馬の駆け足よりは速かった。

 なにより背中のレナータ様が大はしゃぎして喜んでくれたので、つい調子に乗ってしまったのもある。


 とはいえ、荒野を行く道すがら、私たちは小休止をとることにした。

 日差しが高くなり、陽を浴びるレナータ様の額にうっすらと汗が滲んでいたからだ。


「お嬢様、失礼します」


 私はハンカチを取り出し、彼女の顔を拭う。

 白く柔らかな頬。長い睫毛。

 その造作は、かつて私と愛を語らった大人の彼女の面影を色濃く残している。


 胸の奥が、熱くなる。

 愛おしさが込み上げ、私は汗を拭ったその手で、つい彼女の頬を包み込むように撫でた。

 それは、あんな言葉を残したレナのせい……。つい、心の底からあふれてくる想いに背中を押されてしまった。


 吸い寄せられるように顔を近づける。

 ほんの数日前までは、こうすれば彼女は目を細め、私の首に腕を回してくれた。

 甘い吐息を絡ませ、互いの熱を確かめ合った。


 だから、そう。無意識だったのだ。


「……んぅ?」

 レナータ様が、眉をひそめた。そして、私の胸を小さな手で、ぐいっと押し返した。


「レティちゃん、ちかい」

「あ……」


 拒絶。

 いや、そこまで強いものではない。ただの違和感の表明。

 彼女は私の手から逃れるように身を引き、自分の袖でゴシゴシと頬をこすった。


「なんか、くすぐったいよ。それにレティちゃん、お顔がすごーく近かった」

「……申し訳、ありません。汗が気になりまして」

「ふふっ、レティちゃんったら。心配性なんだから」


 彼女はケラケラと笑う。

 その笑顔は無邪気で、可愛い。けれど、そこにはもう『女』としての情動は一片もなかった。


 彼女は暇つぶしにと、私に『日記』をせがんだ。

 まだ辛うじて文字が読める年齢。彼女はパラパラとページをめくり、あるところで指を止めた。


「ねえ、みてみて。未来のわたし、なんか変なこと書いてる」

「変なこと、ですか?」

「うん。ほら、ここ。『レティの唇は冷たくて、甘い氷菓子のよう。口づけを交わすたびに、私まで溶けてしまいそうになる』だってぇ!」


 彼女は読み上げ、そして「うわぁ」と素直な驚きをみせる。

「くちづけって。キスでしょ? 大人の人って、そんなにキスが好きなのかなぁ」

 ゆらゆらと身体を左右にゆすりながら、彼女は不思議そうに首を傾げ。それから、いたずらっぽく私を見た。

「私、あんまり好きじゃないかも。だって、なんか恥ずかしいし……王子様とするものだよね? あれ、そしたら、レティちゃんは女の子なのに王子様?」


 ズキン。

 胸の内側が、宝石継ぎされた胸郭が、軋んだ音を立てた気がした。


 彼女に悪気はない。偏見ですらない。

 ただ、少女にとって。それも、男性嫌いとなるきっかけも経験する前の彼女にとって。

 ただの友愛や信愛を超えた、同性同士の濃密な恋愛感情は理解の範疇を超えた『よく分からないもの』でしかないのだ。

 生理的な、幼さゆえの潔癖。


「……そう、ですね。少し、変わった方だったのかもしれません」

 私は、引きつりそうになる頬を必死に抑え、微笑みを作る。

「変わってるー! 未来のワタシ、変なのー!」

 彼女は楽しそうに笑い、日記をパタンと閉じると私に差し出した。


 もう、興味はないらしい。


「さ、行こうレティちゃん! 私、あっちの鳥さんが見たい!」

 彼女が私の手を引く。繋いだ手のひらは温かい。けれど、その温もりはもう、恋人のものではない。

 私は、彼女の手を握り返す。

 ギュッと。

 少しだけ強く。


 さようなら、私の愛したレナ。

 目の前にいるのは、愛すべき『お嬢様』。もう二度と、熱っぽい瞳で私を見つめてくれることはない、幼い主人。


「……はい。参りましょう、お嬢様」

 私は、従者の仮面を繕う。胸の奥の痛みを、甘い諦めに変えて。




 ――中天のおひさまが徐々に傾きかけた昼過ぎ。

 私たちはその場所に辿り着いた。


 そこは、奇妙な場所だった。

 周囲は荒涼とした岩場なのに、村の一角だけが、鮮やかな色彩に飾られている。


 崩れかけた家々。

 その庭先に咲き乱れる、色とりどりの花々。

 中央、村の広場であったのだろう場所には1つの石碑。

 風が吹いても花は揺れない。

 蝶も止まっているが、羽ばたかない。


 すべてが、静止している。


 歩みを進めるうちレナータ様の目にも見えてくる。

「わあ……きれい」


 背中のレナータ様が声を上げる。

 私はそっと彼女を下ろした。一面の花畑に駆け寄ろうとして、立ち止まる。


「……動かないね?」


 それもそうだろう。なにせ村を覆う花々は決して生あるものではない。

 美しい宝石の花が一面に咲く廃村。


 最終決戦の地ほど途方もない規模ではない。けれど、確かに。ここにあった何かを奇跡により浄化した証。


 レナータ様が、一輪の薔薇に触れる。地面から直接生えているが、確実に薔薇に見える。

 日差しを透かし、土の地面に鮮やかな赤色を落とす宝石の薔薇。


「……どうして?」

「昔ここに住んでいた人々が、疫病に襲われたのです」


 昨夜何度も何度も繰り返し、一語一句覚えるまで読み返した、たった4ページを思い出しながら。

 ほんの一行で触れられていたこの場所について、自分の知識で補完しながら語る。


「魔素による浸食がもたらす不治の病。白亜の大聖堂の神官による魔法の治療は、この病を前にしては無力。むしろ魔素を活性化させ、激痛をもたらすばかり」


 この病を私はよく見知っている。

 激戦の地、見放された山脈の向こう側。

 厄災の原因のはびこる地。


 あそこではさして珍しい病でもなかった。

 この病の本当の恐ろしさ、それは。


「末期には人間を、人ならざるモノ……厄災の一部へと変貌させる恐ろしい病。彼らは苦しみ、しかし、過剰な魔素は自ら死を選ぶ事すらも許しませんでした。形成される魔石を、再生を許さずに、肉体という鎧ごと一息に破壊する他ないのですから」


 そう。きりがないのだ。

 自害しようにも、理性が残る程度の変貌の段階で得られる力では頑強な魔石を破壊するなど、元は普通の村人には不可能。一方、ひとたび浸食が進めば恐ろしいモンスターと化し、今度は人としての理性を失い、非感染者を襲う。


 レナは、いつも辛そうに。

『私には救えない』そう言って、漆黒の刃を振るう事を私に願った……。



「……通りがかったある魔女が、彼らの『苦痛の原因』を」

「とめた?」

「はい。病の進行も、人でなくなる恐怖も、すべて止めて……永遠の眠りにつかせたのです」


 そう。彼女は知っていたのだ。今になってその事実が分かった。

 いつも不思議だった。表面上どんなに強がって、悪びれても。あんなに優しくて、人のために自分の寿命をなげうってしまうような彼女が。私に、殺戮し破壊する事しかできない私に、なぜ決まって頼むのか。

 彼女ならこの病の原因、魔素だけを取り除けるのではないか?

 私でも、そう都合よく勘違いしていた。



 朽ちかけた家の窓から、中が見える。

 ベッドに積もった、薄紫の花弁の宝石花たち。椅子の上に、花かごのように咲き乱れるオレンジ色の宝石花のブーケ。ソファーの上には、ピンク色の宝石花と、寄り添うように薄赤色の宝石花が咲き乱れる。


 全ては元々……。


 全身を魔素で『置き換える』病。その魔素を奇跡で宝石に変換すればどうなるか。

『花々』という姿をとったのは、きっと状況に気が付いたレナのせめてもの弔いの気持ち。


 この病は人にだけ感染するものでもない。生あるものすべて……それがこの、一面の宝石花の群生地の真実。


「……やさしい魔女さんだったのかな」

 レナータ様が呟く。

「それとも、こわい魔女さんだったのかな」


「……どう思われますか?」

「わかんない。でも……」

 彼女は、動かない蝶に。美しい翼を花弁に見立てた蝶であったものに。指先でそっと撫でるように触れた。


「ずーっとこのままなんて、ちょっと寂しいね。……春が来ても、起きられないのでしょう?」


 その言葉に、私はハッとする。

 レナは、せめてもの『救済』、終わりの形と呼んだ。

 けれど、十歳の彼女は、これを『寂しい』と言った。

 私にはそれは、ただの無知とは断言できなかった。

 あるいは、彼女の感性は若返るにつれて、より根源的な『生』への渇望に近づいているのかもしれない。


「そうですね。……とても、寂しいことかもしれません」


 詳しい経緯までは知らない。けれど、本来であれば一歩たりとも外に出られないはずだったレナは、何かの条件を白亜の大聖堂上層部に示し、巡礼聖女としての地位を得ていた。

 私との出会いも、そしてこの場所も、その一環。それこそ、決戦の地を変貌させたあの宝石の樹海すらも、おそらく……。


 辺り一面の宝石花。

 家屋の中の、慈悲の形としての……宝石花。


 この穏やかな静止した場所が、貴女が私に見せたかったものなの?


 その時。 私の聴覚が反応した。

 パキリ、パキ、パキリ。

 宝石花を踏み砕く音の連なり。


 数は……七。


 家屋の陰から、黒い影が飛び出してきた。狼型の魔獣。全身が黒い靄に包まれ、眼だけが赤く光っている。

 教会の放った追手ではない。この『秩序』の籠から外れ、豊かな緑も褪せた荒野に住み着く、正真正銘の『穢れ』た獣。

 元凶を排除されたと言っても、世界中へと散らばった厄災に影響されたモンスターはまだ、山脈の外、こちら側にも多く存在する。


「きゃっ!?」

 レナータ様が悲鳴を上げるが、気にせず私の後ろに隠す。


「動かないで、私の後ろにいてください」


 ドレスの裾から漆黒の刃を展開する。

 左肩の球体関節や内部機構はどうしても反応が少し遅れる。が、この程度の獣相手なら問題ない。


 グルァァッ!


 先頭の一匹が跳びかかってくる。私は半歩前へ。

 くるり。

 大きく片足を上げ、斜め回転。足先を触れさせる必要もない。

 宙に円い奇跡を描いたスカートの裾、その先に延びる漆黒の刃の群れが宙に斬線を描く。

 首元の魔石ごと切断された狼魔獣が魔素の塊、黒い靄となって霧散する。


 くるくる、くるり。

 回転の勢いを止める事無く、軸足を交互に切り替え。レナータ様の周りを舞い踊る。

 ワルツのステップ。レナに叩き込まれた、舞踏会のリズムで。飛び散る黒い魔素の飛沫すら、レナータ様には一粒たりとて付着させない。私のスカートが描く黒い円こそが、今の彼女と世界の境界線。


 漆黒の斬線が宙に描かれ、穢れた獣と触れるたび、宙に黒い魔素の靄が広がる。


 ――?

 靄が、拡散しない?

 徐々に空へと昇り。密度を薄れさせながらも世界のどこかでいつか、いずれ、再び寄り集って形を成す靄が。

 あるいは、それこそこの村を襲った病のような、厄災の芽の元凶となるはずの靄が。

 むしろゆっくりと地面へと。


「レティちゃん、あぶない!」


 いけない、気を取られていた隙に残り二体、互いの身体をぶつけて上下に軌道をずらしてきた。

 重心を傾け、回転の軸を地面へ倒す。敵の軌道は赤い線として、はっきりとこの真紅の瞳に見えている。

 スカートの軌跡は下をすり抜けようとした片方とかみあい、斬撃で靄に返す。

 が、上を取ったもう一方は舞いの軌跡の外。


 まっすぐに狙っているのはレナータ様。


 翼刃展開、レナータ様を刃の檻で守り……『信じています』、『……怖かった』、『私の人生を返して!』。

 昨夜の彼女の、もう少し成長していた彼女の言葉が、私を見つめる蒼銀の輝きが。

 脳裏に強く強く、蘇る。


 対処変更。


 ガッ!


 左肩から獣に突っ込む。

 刃の檻の護りにも、触れさせない。



 ガキンッ!!


 弾き飛ばした獣が振るった爪が、宝石化した左肩の球体関節を捉える。

 硬質な音がして、魔獣の爪が弾かれる。

 その隙に、右手に刀を顕現。魔獣の首を魔石ごと薙ぎ払う。



 靄の行方をしり目に、翼刃で形成した檻を解く。

 レナータ様は、内股をすり合わせてへたり込んでいた。瞳は、見開かれている。

 結局、怖がらせてしまった。

 拒絶……されるだろうか。化け物だと。


「……お怪我は」


 私が問いかけるより早く。刃の護りを解くなり、彼女が飛びついてきた。

 まだふらつく足で、ぎゅっと腰にしがみつく。ドレスの胸下にギューッと押し当てられる、白銀の頭。

 ハーフアップに結い上げた髪がほつれてきている。後でセットしなおしてあげなければ。


「うわぁぁぁん!」

 わんわんと泣きじゃくる、レナータ様。


「こわかったぁ……! レティちゃん、死んじゃうかと思ったぁ……!」

「え……?」

「あんなの来たら、私、どうしていいかわかんないもん……! レティちゃんがいてくれて、よかったぁ……!」


 拒絶ではなかった。純粋な安堵と、依存の涙。

 10歳の彼女は、プライドも偏見もなく、ただ『怖いものから守ってくれた人』に素直に縋り付いているのだ。


「……大丈夫、ですよ」

 私は、恐る恐る彼女の背中に手を回す。

「私は、お嬢様の人形ですから。……壊れても、直せます」


「やだ! 壊れちゃやだ!」


 彼女は、涙で濡れた顔を上げて、私を睨んだ。

「痛いことしちゃだめ! 私のために怪我するのも、だめ!」


 その言葉は、昨夜の『責任取りなさい』という言葉とは違う。

 もっと幼く、理屈のない、純粋な『願い』。


「……はい。善処します」

 私は、彼女の涙を拭う。

 裂けたドレスから覗く宝石化した左肩が、日の光を浴びてキラリと光った。

 それは、私たちが重ねてきた傷と絆の、最も新しい証。



 ――ぱき、ぱき。

 初めは気のせいかと思った。まだ、ぐずぐずと鼻をすするレナータ様を、とりあえずどこか家の中に。

 と、背中を優しくさする私の耳に、小さな音が聞こえてきた。


「……?」

 レナータ様もぺったりと私に引っ付いたまま、不思議そうに小首を傾げる。


 ぱきぱきぱき。


 確かに聞こえる、あたり中から。


「レティちゃん、お花」

「……?」

 今度は私が疑問に首を傾げる番だった。


「増えてる、たくさん、咲いてるよ」

 燦々(さんさん)と照る陽光の元、確かに花園がその密度を、範囲を、拡げていた。


 一輪、また一輪。

 薄紫のかわいらしい花、薄紅色の大輪、白く儚げな連なり。

 薄く繊細な宝石の花弁、きらきらと透ける綺麗な緑の茎に葉。

 多様なファセットに異なる輝きを見せる宝石花が一面に咲き乱れる。


 黒い靄が、次々吸い取られていく。

 薄れていく。


 いつか、どこかで、また厄災の種となるはずだった黒い靄が。美しい宝石花へと姿を変え、消えていく。


「レナ……これがあなたが私に見せたかった光景なのですか?」


 厄災の元凶を浄化しても。いつかはまた厄災が生まれる。

 歴史は繰り返す。


 第七管理塔がその元凶。白亜の大聖堂はそう主張する。

 その真偽はわからない。

 けれど、今の世界を壊す厄災の元、黒い靄『魔素』。あるいは混沌。


 神様がなぜそのような物を生み出されたのかはわからない。

 そんな不確かで、悲しみをもたらす源を。


「きれ~い」

「ええ、とても。とても、綺麗ですね」



 宝石の花が咲く。

 かつて穢れに蝕まれた、病の地に。

 新たな穢れを吸い、浄化し、煌めく悠久の花へと還す。


 聖女レナータの、確かな痕跡。

 もう間もなく消え去る彼女が、世界に残す、足跡。


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