第3話 『硝子の箱庭、砕け散る平穏――殺戮人形のワルツ』
パリンッ。屋敷を包み込んでいた結界が、薄氷のように砕け散った。
レナが旅の途中に得た古代の遺物で張った、現代の魔法技術では破れないはずの結界が――。
相手は明白。
『法規』を司る第1管理塔、白亜の大聖堂に所属する者達の一部が与えられる権能――『秩序の強制』による、術式の解除。
「確保なさい」
冷淡な声が、外からしたのと同時。
ズグンッ!
部屋の壁面に大穴が開く。
微かな金属の軋み音と共に現れたのは、純白の甲冑に身を包んだ騎士たち。顔は見えない。兜の隙間からは、ただ冷たい潔癖なまでに純白の光だけが漏れ出している。教会の尖兵『聖堂騎士団』、別名『秩序執行部隊』。
彼らの大半は人間ではない。少なくとも指揮官級を除く者は全て、秩序を維持するためだけに鋳造された、嫌みなほど純白の甲冑を纏った生ける彫像たち、ゴーレム騎士。
その素材も製法も秘匿されている。
「ひっ……!」
レナータ様が、短い悲鳴を上げて床にお尻をこするように後ずさる。
踏みつけられた宝石化したクマのぬいぐるみの首がもげる。
「な、なによ……アンタたち……ここは私の別荘なんでしょ! 不法侵入で……!」
彼女は震える手で、空中に魔法陣を描こうとする。
炎の槍。初歩的な攻撃魔法。
けれど、彼女の指先から生み出されたのは頼りなく揺らめく蝋燭の火のような、小さな火の粉だけ。
「対象、抵抗の意志あり」
「鎮圧する」
騎士の一人が、無造作に壁に開けられた穴から踏み込む。その手には、拘束でもしようというのか、武骨な鎖。
「や、やめ……こないで! な、なんで秩序執行部隊が。私は何も悪い事なんてしてない!」
レナータ様が叫ぶ。火の粉が騎士の鎧に当たって、虚しく弾ける。
才能がないと言っても、魔法に習熟した頃の彼女であれば、あるいは騎士の一人程度は容易く退けられたかもしれない。
しかし、今の彼女はさらに逆行し、聖女の訓練に見切りをつけ、魔法をかじり始めたすぐの頃。
まだ睡眠をとっていない故、今日の出来事の記憶に対する感情は辛うじてまだ保持できている。
腰が抜けてしまったのだろう。立ち上がろうともがきながら、鋭い眼光で騎士を見上げるレナータ様。
そんな負けん気はやはり彼女らしく……。
壁の穴からさらに潜り込んでくる純白の騎士甲冑三体。外にはさらに多くが布陣している様子がうかがえる。
騎士の腕が伸びる。
圧倒的な威圧感。絶対的な理不尽。
炎の槍……の、つもりの火花を連発するが、衰え果てた少女になす術などない。
騎士の装備らしからぬ武骨な金属製の手かせ足かせがゆっくりと迫る。
鎖が騎士の手に操られ、彼女の細い手首に巻き付こうと――蛇のように鎌首をもたげる。
ガギィン!!
硬質な音が部屋に響いた。鎖が弾かれ、火花を散らす。
間近で起きた衝突に、レナータ様が反射的に目を閉じる。
ズルリ。
騎士が体勢を立て直す暇あらばこそ。鎖を確かに握っていたはずの騎士の小手、手首がゆっくりとずれ。
ボトリ……バリン。
床へ落下し、そこにあった宝石化した本を砕く。
いつも彼女……レナがどこからか買ってきては荷物になると止めるのも聞かず、あちこちの隠れ家や別荘に行くたびに置いていた本の一冊。秩序の名のもとに今では新規発刊の認められない、女性同士の恋愛小説。
私の教科書だと言っては、音読させていた、濃密な愛の本。
レナータ様の前に割り込む。くるくると跳躍と共に回転した、私のゴシックドレスのスカート。はためく裾から滑り出た漆黒の刃が、幾本も刀身を露わにしていた。
一回転、教会の拘束具を弾き返し。
二回転、さらに空中での回転に合わせた連撃が騎士の両腕を手首で斬り落とした。
「レ、ティシア……?」
背後で、レナータ様が息を呑む気配。
私は振り返らない。
五感を完全な戦闘モードへ切り替える。
色彩が消え。
敵の重心、筋肉の動き、魔力の流れだけが赤い筋となって視界に浮かび上がる。
今私の深紅の瞳は沈む夕陽の中でなお、一際まばゆく輝いているだろう。
「お下がりください、お嬢様」
事務的に、けれど断固として告げる。
振り向かない。彼女の瞳はきっと、この漆黒の刃の群れを引き連れた私に、恐怖を見せているはずだから……。
「殲滅します」
「聖女が連れまわしていた木偶人形。古代の遺物が……秩序の摂理に逆らいますか」
外から聞こえる先ほどと同じ、冷淡な女性の声。
おそらくこの部隊の指揮官。後方から高みの見物としゃれこんでいるらしい。
けれど、その声には僅かな嘲りの色が混じった。
「見なさい。その哀れな少女は貴女の背中で震えていますよ? 守護者を気取るなら、まずはその凶相で主を怯えさせないことですわね」
レナが……彫刻のように美しいと褒めてくれた私の顔に暴言を……一瞬頭に熱が上りかけるが、その指摘はあまりに的確に、氷の刃のように私に突き刺さった。
騎士たちが、一斉に剣を抜く。
勝手知ったる狭い室内。壁の穴は一つきり。これならば同時に相手をする数は抑えられる。
目の前で両腕を失い後退する騎士も合わせて、四人。
襲撃者達の目的を考える。
役目を果たした聖女の迎え? あり得ない。ならばもっと丁重に、聖職に就くしかるべき者が来る。
そもそも、彼女がこうなる事を彼らは承知の上。
救世の巡礼聖女は役目を果たし。秩序を乱す全ての穢れ、脅威を排除し、永遠の眠りについた。
既に聖王都ではそのような発表がされているはず。
何ゆえにわざわざ? あとは放っておかれるだけのはずだったのに。
最後の時を邪魔された苛立ちに、足先で床の木材を砕いてしまった。
部屋の中、互いに距離をあけ、私達を半包囲する残り三人の白い騎士達を見据える。
彼らの騎士剣、その切っ先が向くのは……私ではない。私の背後にいる少女、レナータ様。
先程の捉えようという意思が消え、殺意のみを纏っている。
抜き身の剣には純白の輝き。
世界を管理する、現存する六の管理塔。第一たる法規が得意とする、正義を驕る断罪の輝き。
彼らが世界を蝕む悪と断じた存在を、処断するための神聖なる付与魔法。
それはすなわちレナータ様が。世界のために全てを賭した彼女が、断罪すべきものと決定されたことを意味する。
思惑など知らない。
真意など知らない。
許さない。彼女を不当に断罪しようなど。
私の魔核・心の核が、暴走寸前まで回転数を上げる。怒り、憤り。きっとそのような感情。
胸の奥で、青い燐光が爆発的に輝く。
それは、かつて彼女が私に分け与えてくれた『時間』。彼女の命そのもの。
もしもこの光を彼女に返すことで、救えるなら。何度そう思ったか。
「――排除します」
けれど、それは無意味。彼女一人の全ての未来の時間を費やしても、所詮は世界を救う奇跡に見合わなかった。
今更未来が半分還っても、人の身にあまる奇跡の行使の代償の一部として、無為に、喜んで神に追加徴収されるだけ。
ならば!
床を蹴る。翼刃展開。
背中から漆黒の刃が無数に射出される。
古代魔導技術で創られた空間収納に折りたたまれた刃が、私の背中で一対の翼を成す。
スカートが翻るのと同時に、音速の領域へと踏み込む。
さらに、主武装展開。
わずかな反りのある二本の漆黒の刀が、両手に握られる。
蹴りだした足音すら置き去りに、飛び出す。
中身が被造物であろうと、人間基準の性能しか持たない騎士達では目で追う事すら不可能。
一人目、向かって左へ。
刺突
胸甲の隙間――動力源である魔石を正確に、穿つ。
右。
重心を示す赤い線が前に、レナータへと伸びた。
真紅に輝く瞳と共に、不埒者を刀で指し示す。背の翼を成す刃が一斉に、意図に従い射出される。
後方へと吹き飛ばし、突き立つ刃の群れ。
残り1……壁に開けられた穴の前。
正面へ、翼刃で空気抵抗を制御、突貫。
すれ違いざまに翻したスカートの裾。飛び出した刃が複雑な軌跡を描き、鎧ごといくつもの輪切りにする。
否……まだ屋内の残敵、1。
手首を落とした白い騎士の魔力反応増大。
おそらく自爆。
振り向きざま、翼を羽ばたかせ、上下の伸身一回転。
左の刀が甲冑を綺麗に縦に両断。
断面から覗く魔石もまた両断され光を失っていく。
この間、僅か3秒。
それでも。衰えた……あの最終決戦。襲い来る無数の敵を捌き、レナを護り続けた激戦。
敵地を進み、傷ついた体への最後の試練……そのはずだった。
傷は全て宝石で埋め、美しく……私とレナにとっては最高に綺麗に飾ってもらった。
それでも。それは古代魔導人形の修繕ではない。傷は傷として残り、この身の性能を致命的に落としていた。
魔力伝達が遅い、絶対的な出力が上がらない。滑らかに動くはずの人工筋肉に、硬い結晶が食い込み、神経回路を美しく、無慈悲に圧迫する。かつての私であればこの程度、0.1秒もかからなかった……。
私の身体を蝕み、性能を落とし、同時に私に彼女が与えた心を昂らせる、愛おしい呪縛。
この身が上げる悲鳴すら、光を反射して煌めいているような錯覚を覚える。
「な……なに……?」
レナータ様の呆然とした声が聞こえる。
彼女は正しく理解できていなかった。
私がただの古い壊れかけの人形ではないことを。
かつて彼女が、世界中の敵からその身を護る守護者に任じ、契約した。
古代魔導技術の忘れ形見、当時においてすら最高傑作と称された『殺戮兵器』……その成れの果てであることを。
今の彼女の記憶に私との出会いは既にない。
だから。
彼女の目に映る私は、得体の知れない怪物だろう。
背中には無数の刃を集めた殺意の塊、漆黒の翼。両手に闇色の刀。スカートの裾からも黒い刃を生やす。
漆黒と紅のゴシックドレスを翻し、深紅の瞳が残光を空間に曳く殺戮の権化。
客観的に見れば、どちらが『悪』に見えるのだろう。
白亜の輝きを纏う『正義』の騎士たちを黒い刃で惨殺する、異形の怪物。
記憶を失ったレナータ様の目に、私が頼れる守護者として映るはずもない。
『気味が悪い』
『趣味が悪い』
今朝、彼女が私に向けた言葉が、ノイズとなって思考を過る。
それでも。
嫌われてもいい。恐れられてもいい。
レナータ様が……愛おしいレナの『今が』。残り僅かな時間であっても確かにそこにいて、息をしていてくれるなら。
騎士たちが次々と窓を破り、侵入してくる。
キリがない。
所詮こいつらは捨て駒。この屋敷はもう放棄するしかない。
舞うように。踊るように。
かつて『レナ』が教えてくれた、ワルツのステップに乗せて。首を飛ばし、腕を斬り落とし、脚を砕く。
「綺麗……」
それは幻聴だったのだろうか。レナータ様の陶然とした呟き。それは確かに私に向けられた……。
胸の奥の熱が高まる。
昂ぶりに身を任せ、壊れかけの身体の舞いが速度を増す。
人造の騎士たちの身体から、血の代わりに中身のゴーレムを形成する純白の結晶の欠片が吹き出す。
こいつらはいつもそう、古代魔導人形のような遺失技術で加工された芸術的機構をのぞかせるわけでもない。
ただの白い、石膏のような無垢の塊、これでどうやって動いているのだか。
鎧は崩れ落ち、部屋の中が白い結晶と、砕けた宝石化した想い出の品々の煌きに満たされていく。
途切れることなく、逐次投入される白い騎士達。
――十二体目。
蹴り飛ばした騎士の残骸で壁の穴が大分狭まった。
生じた後続の一瞬の遅れ。その間に踵を返し、レナータ様のもとへ駆け寄る。
両手の刀を空間収納に格納し、震える彼女を無造作に抱き上げる。
いわゆる、お姫様抱っこ。
「ひゃっ!? な、なにするのよ! はな、離しなさい!」
「口を閉じて、舌を噛まないように。離脱します」
「はあ!? ちょっと、説明しなさいよ! わけわかんない……!」
彼女が右手で私の胸を叩く。ポカポカと、非力な拳。その痛みが、愛おしい。
彼女はまだ生きている。動いている。温かい。
辺り全てが宝石と化した美しくも冷たい世界で、彼女は熱を持っている。
そして、そんな彼女の左手が、私のドレスの胸元をしっかりと、微かな震えを帯びて握りしめている。
だから。
ええ、だから、私のこの胸は熱く燃える。
真紅の瞳は輝きを増す。
私の身体とて、いつまでもつか知れたものではない。
願わくば、レナがくれた時間を大切に。思い残すことの無いように!
「お叱りは後ほど」
再び壁に大穴をあけるつもりだろうか、高まる外の魔力を無視し。
翼を形成するすべての刃を上空へと向け。
ゴッ!!
一斉射出。
もう戻ることの無い、想い出の屋敷。
最前線へと突き進む最後の時、二人だけの孤独な行軍前夜に微睡んだ屋敷の屋根を、二階ごと吹き飛ばした。
「いやぁぁぁぁっ!?」
レナータ様の悲鳴が、風に流れていく。
背中へと戻った刃の群れ、翼に魔力の輝きを宿し、崩れ落ちてくる残骸を、分離した翼刃で粉砕し。
いつの間にか月が出ていた。
乱戦の中でも大切に胸郭の内側、体内に据え付けた貴重品専用の拡張空間収納に隠した彼女の『遺言書』、漆黒に銀の鎖の本をレナータ様と共に大切に抱き。
月光照らす空へと舞い上がった。
背後で、私たちの最後を過ごした屋敷が、騎士たちの放った浄化の白き炎に包まれ、崩れ落ちていくのが視界の隅に映った。
金の髪を露わにした小柄な女性騎士が、高速で離脱する私たちの姿を見つめているのを、人間をはるかに凌駕する私の視界は確かに認識していた。
おそらくはあれが指揮官……レナータ様を追う白亜の大聖堂の先兵。あの声の主。
白一色のドレスアーマーの中で、首元の漆黒のチョーカーが異彩を放っている。
黄金色に輝く瞳は、じっと、観察するように……見透かすように――私達を見つめていた。
私に縋りつきながらも腕の中で恐怖に暴れ、泣き叫ぶレナータ様。その様子を見て、彼女は――金の髪の騎士は、ふわりと。聖母のように優しく、あるいは獲物を見つけた猛禽のように残酷に、口元を三日月形に歪めた。
秩序の第一管理塔、六の管理塔の中で隔絶した力を有し、世界を実質的に統べる。
レナータ様の聖女としての所属先でもあり、現在の世界の中核。
それが、今や敵。
ならば私が向かうべきは……
「……しっかり掴まっていてください、お嬢様」
「アンタなんか……アンタなんか大っ嫌いよぉぉぉ!!」
彼女の罵倒をBGMに、私は森の上空を疾駆する。
目指すは『廃棄された地』。深海図書館……。
かつての歴史の中で、世界を管理する本来の七の管理塔の主。『変革』をもたらす、『混沌』と『変質』の管理者が封印された地へと。
レナータ様の最期は、誰にも渡さない。
レナの最期は、私のもの。
私とレナだけのもの。
奴らの目的が何であろうとも、絶対に、ワタサナイ。
冴え冴えと月の輝く夜。
私たちの逃避行が始まった。最後の決戦へと向かったかつての道筋を逆行するように。




