第18話 『沈黙の彫像、七色の奇跡――「あい、ちてる」』
◇ ◇ ◇
――とある解放された騎士の視点
世界から、音が消えていた。
耳をつんざくような剣戟の音も、世界を護るはずの『秩序』が砕ける破砕音も、脳髄を焼き焦がした強制命令も。
全てが遠のき、重苦しい静寂だけが満ちている。
なんだか、すごく訳の分からない事をされた気がする。
棄民の私が誰かの温もりを、触れ合いを感じたのなんて……いつ以来?
それに、
『……オルドリア、頼めませんか? いえ……“任せても……いえ、任せますわ”。でしたか?』
とんでもなく立場違いなお願いも。
「ぁ……ん……?」
身体中が痛む。思考すら上書きされた強制的な動きの後遺症。
いつもなら、帰還してすぐに治療される、痛み。
だが、不思議だった。違和感がすさまじい。
私は、震える手で首元に触れた。
いつもそこにあった冷たく、そして熱い、拘束具の感触がない。
白亜の大聖堂とのつながりが断たれてもなお、強制力を持っていた枷がない。
「ない……」
私を縛り、私を動かし、私を『オルドリア』という兵器足らしめていた、あの首輪がない。
私の心を壊し、操り人形を絡めとっていた、首輪がない。
床には、綺麗に切断された黒い拘束具。内側にびっしりと、気色悪いほど緻密に刻み込まれた神銀製の刻印。
「あ……はは……」
乾いた笑いが漏れる。私は、自由になったの?
あんな、ボロボロの人形の一撃で? 恨めしい、羨ましい、心が壊れるほどの絶望を与える。
秩序に従う、それこそがみんなが生き残る、唯一絶対の法則。異端は、殺せ。苦痛の果てに、私の快楽となって、死ね。
そんな事を考えていた私を?
私は顔を上げる。
すぐ目の前。ホールの中央、祭壇の真横には私の剣に胸を貫かれたまま片膝を突き、彫像のように静止した『彼女』がいた。その全身はもはや宝石継ぎによるつぎはぎどころではない。全てが七色に輝く、宝石と化していた。
左腕を胸元に掲げ、大切な何かを慈しむように、抱きかかえ護るように、前かがみになったままの宝石の彫像。
当然、ピクリとも動かない。
「……愚かなポンコツ人形」
私は、ふらつく足で立ち上がり、彼女へと歩み寄る。
深紅の瞳は光を失い、もはや何も映さないガラス玉、いえ、宝玉?
完全なる、機能停止。
敵を救って死ぬなんて、何が殺戮人形ですか。この、欠陥品。
けれど。
「……美しかったですわ、レティシア」
私は、彼女の頬に手を伸ばそうとして、止めた。
私が触れて良いものではない気が……いえ、待って? このポンコツ、やっぱり、何かとんでもないことをしでかさなかった?
そっと自分の唇に指先で触れる。
命令思考を抑止されて、ぼんやりとしか覚えていないけれど。
その時。
「……ぁー……うー……」
小さな声が聞こえた。ビクリと肩が震える。
そうだ。標的はまだ、そこにいる。
私は、レティシアの動かない宝石の彫像と化した姿の、陰を覗き込む。
そこには、彼女のドレスの裾の下に隠れるようにして、小さな赤子がうずくまっていた。
レナータ。
白亜の大聖堂で礎として、使いつぶされるはずだった聖女。
かつて救世の巡礼聖女と呼ばれ、世界を救い、そして今はただの無力な赤子へと還った存在。
わずかな間に、また一気に時が戻っている。立ち上る青白い燐光。
ああ、奇跡を使ったのか。
だからレティシアが、古代魔導人形がこんな宝石の彫像に。
彼女は、レティシアの太ももをスカートの中からぺちぺち。
小さな手で、動かない人形をぺたぺた。叩いていた。
「れ、ち……?」
呼んでいる。レティ、と。
「……起きないですわ」
私は、冷たく告げる。
「それはもう、二度と動かない。壊れた……終わったのです」
赤子は、私の声に反応して顔を上げた。
蒼銀色の瞳。吸い込まれるようなその瞳と、視線が交差する。
泣き叫びますか?
それとも、恐怖に怯えますか?
私は、貴女の大切な『人』を壊した張本人です。
だが、彼女は泣かなかった。
そもそも私は、これを殺す任を負っていたのではなかったか。
赤子までに、殺す。
そうすれば、『聖核』とやらがこの子から取り出せる。
神へと声を届け、願いを叶える特別。『誓言』の証であり、力の源。
礎として、『秩序』を維持するための根幹。白亜の大聖堂がなぜこれを執拗に求めたのか、本当の所は知らされていないけれど……。
こんな赤子を殺してまで、手に入らなければ崩れる秩序。これまでもそうやって、切り捨ててきた。でも……。
それは本当に私が求めた、安寧の揺り籠なの?
キョトンとした顔で宝石化していないレティシアの黒赤のドレスの裾から私を見つめ、それから、動かないレティシアの方へまた視線を戻す。
そんな姿を見ていると、すっかりやる気も失せる。
彼女の小さな手が、胸元に乗っかったポーチを探る。
確かこの聖女が首から下げていた物。
けれど、お目当ての物はなかったのか、瞳が潤みだす。
あたりを見渡す。
足元、すぐそば。転がっていたのは、桜色の宝石。
仕方がない……泣かれると面倒です。
そっと白い皮手袋で包まれた手でつまみ上げ、赤子に渡してあげる。
◇ ◇ ◇
――とある愛に生きる事を決めた、夢見る変革者の視点。
赤子の手に、白い少女騎士の指が、桜色の宝石を握らせる。
ドクン。
空間が、脈打った。
ほんの指先ほどの小さな粒が、あり得ないほどの光を放ち始めている。
桜色の柔らかな光。
赤子はそれを不思議そうに見つめ。
それからスカートの裾から這い出し、宝石の彫像の顔を見上げた。
「ぁ……あぁぁ」
桜色の宝石を握った小さな手を、一生懸命に伸ばす。
届くわけがない。
凍れる美貌に不機嫌さを隠そうともしない、ムスッとした表情を浮かべ、白い騎士がそっと赤子を抱き上げる。
なぜ私が。そんな囁きが零れ落ちる。
「あぁぁ……あぁーん」
嬉しそうにはしゃいでみせると、やっと届いた手で宝石の彫像の口元に、桜色の宝石を押し付ける。
小さな子供が、母親にお菓子を分け与えるように。
強引に。
「……無駄ですわ」
白い少女騎士が冷たく言い放つ。
「それはもう食べられない。死んで……停止しているのです」
だが、そんな理屈は赤子には通用しない。
「ぁぁん……あー!」
赤子は必死に、宝石を押し付ける。
食べて。目を開けて。笑って。
そんな痛切な願いが、言葉にならない声となって溢れ出す。
しかし、人形の唇は固く閉ざされ、冷え切ったままだ。
宝石は、飴は、口に入らない。
力ない赤子の手は、再び床に大切な宝石を落としそうになる。
「う……うあぁぁ……!」
赤子の顔が歪む。
悲しみと、拒絶。
大切な存在が失われてしまったことへの、魂の悲鳴。
白い少女騎士が、弱り果てたように、赤子を胸元に引き寄せる。
純白のドレスアーマーの金属の胸当て越しにそっと抱きかかえてみる。
何とも不器用な抱擁。
胸の中の赤子から立ち上る青白い燐光が、一層眩くなり始めた。
いよいよ……終わりか。
『救世の巡礼聖女』その最後のひと時。
消滅の間際。
背筋を伸ばす、白い少女騎士。
赤子の喉元に、強い輝きが現れる。
「これが、『聖核』? 諸共に消える……」
彼女に赤子を弑する気持ちはもう、無かった。
成り行きに任せよう。最期のひと時の、ただの見届け人となる事を、静かに決意する。
その選択を咎める枷も、もう外されている。
何一つ見逃すまいと、黄金の瞳を輝かせる。
その時。
赤子が何かに気が付いたように、じっと虚空を見つめる。
「あ……ぃ……」
思うようにいかない何かに、もどかしさに。あたりちらし、泣き叫びそうになる。
だが、堪える。
もはや思考など希薄なはずの蒼銀の瞳が、必死に見開かれる。
魂の奥底に去来するは何か……。
あの黒い本。
読めなかった文字。
大切な、『愛してくれる』温かな存在。
常に寄り添ってくれた、『れてぃ』の口から紡がれた、未来の(過去の)自分の言葉。
いつしか涙で濡れた赤子の瞳が、動かない人形を見つめる。
そして、小さな唇を開いた。
「……あい……」掠れた声。
それは、意味を持たない喃語、赤ちゃん言葉ではない。
明確な意志を持った、言葉の断片。
「し……てぇ、――る」
『愛してる』。
かつて彼女自身が、未来の(過去の)自分へ向けて残した命令。
しかと瞳に焼き付けた、2冊目の黒い本を手にした黒髪の魔導人形の口元の動き。
古代より生きる魔導人形は終ぞ、その真意を見抜けなかった。
けれどその心を支えた言葉。
それは、世界を救うための祈り、『聖女の誓言』などでは断じてない。
かつて、その心が願った『救世の聖女』となる、神への願いではない。
崇高なる誓言に代わる、新たなたった一言。
一人の人間として、ただ一人の愛する相手に贈る、魂の告白。
『どうしても、叶えたいワガママができた時に』
アドラの言葉が赤子の脳裏に囁く。
世界なんかどうでもいい。ただ、『れてぃ』にいてほしいという、強烈な願い。
『愛してる』
拙くも確かに発せられた、世界へと投げかけられた、言葉。
レティが、ずっと伝えてくれた、想い。かつて、レナから教わった、想い。
黄金の輝き。
彼女の喉に浮かび上がりつつあった、『聖核』――神との契約を交わす資格。その証。
ひと時はレナータを『救世の巡礼聖女』たらしめた、その生涯を決定づけた、力の源が。
熱を発している。
桜色の輝きを放つ『夢』の結晶を、赤子が飲み込む。
とっておきのキャンディーを、口にするように。
ごくり。
聖核の黄金と、夢の桜色。
世界をひと時浄化しうるほどの力を与えた、黄金の輝きと。
世界を変革させる、桜色の夢の輝き。
二つの光が混ざり合い、螺旋を描いて赤子へと注がれる。
けれど、
「ぁ……あぁぁ……」
赤子が泣き叫ぶ、タリナイ、タリナイ!
夢のキャンディーはただの切っ掛け、願いを、夢を、世界を変質させる動力にすぎない。
聖核、神との契約、誓言をとりなす聖女の証は神の使徒として世界に尽くすための資格。
『ワガママ』を、『私の夢』を叶えるには致命的に足りない。
想いが、願いが、肝心の中身が!
赤子へと還った、記憶希薄なレナータだけの願いでは……足りない。
青白い輝きが照らす。
宝石の彫像と化した古代魔導人形の身体、七色の輝きの中心、胸の奥で熱く激しく燃え盛る。
純白の騎士剣に貫かれた、かつて聖女がその未来の半分を分け与えた、魂無き人形に、心を与えた宝石が。
護るために燃やしたその残り香が。
黄金と桜色の、二重螺旋に、混ざり合う。
青白い輝きに宿した、激しく燃え上がる愛を、過去を。
魔導人形の少女が記録した、『レナ』の全てを!
パキ……パキパキパキ……。
硬質な音が響き渡る。
赤子から舞い散る燐光の色が変わる。清冽なる青白い喪失の輝きから。とても、とても、温かな。七色の輝きへと。
ほんのり桜色の燐光を纏った、虹色の輝き。
砕けた聖核。聖女たる未来を喪失し。
砕けた魔核。人形に託した魂の半身を失い。
砕けた夢の結晶。桜色の、夢で現実を変質させる、資格を失い。
全てを失い、それ故に、虹色の輝きを得る、満たす。
ただ一人の主を慈しみ、動きを止めた人形の彫像が変化する。
引き裂かれたドレスが。
つぎはぎだらけだった全身が、透かし見ればなぜ動けていたのか疑問なほど無残だった内部機構が。
見る間に、透き通るような七色の結晶へと変わっていく。
先ほどまでの宝石の彫像姿とも違う。
煌く未知の宝石。
彼女の傷跡が、美しい模様として再び昇華されていく。
貫かれた胸の大穴は白き剣が自然と抜け落ち、紅玉の花が咲いたように塞がり。
失われた右腕は、光り輝く義手となって再生――いや、結晶化して形作られる。
ひとたび全ての傷がふさがれた後、七色の花々が咲き乱れる。
白い少女騎士はそっと、魔導人形であった少女の左腕に、赤子を抱かせた。
そう、しなければならない。
自然と身体が動いたようだった。
腕の中から、黒髪の人形少女の顔を見上げる赤子の頬を涙が伝う。
「……あい、ちてる」
彼女がもう一度呟き、そっと自分を抱く、動かぬ腕に口づけする。
さらさら……さらさら。
そよ風のような音と共に、七色の花が咲き乱れる。
人形少女と赤子を内側に取り込んで、無数の宝石花で作られた、桜色の輝きを纏う七色の繭が作られる。
繭の中で、赤子であった青白い輝きが、はじけた。
けれどその輝きは、繭の外へと漏れ出すことはなく。
いつまでも、いつまでも。
繭の中で、人形少女と共に……。
――『よかったね』
『アドラ?』
ある秩序の絶対者の中枢。煌めくステンドグラスに見守られた、祭壇。
『何でもないよ? さあ、白亜なんてつまらないコレを、面白おかしく塗り替えちゃおう?』
『仰せのままに、私の夢見るお姫様』




