第13話 『深海からの招待状――夢の結晶(キャンディー)はワガママの味』
全てを見透かすような薄紫色の瞳。儚げでありながら、世界の理そのものを捻じ曲げる、隠しようもない、圧倒的な魔力。
私達を見据えるその瞳にはしかし、邪気も悪意もない。
ただ、純粋な興味?
しかし、その興味もすぐに逸れる。
「お外よ、お外! リネア、見て! 空が青い! 1,000年ぶりの本物のお外なのよ!」
蒼銀の髪の少女――アドラが、抱えていた黒髪の少女の腕を離し、てくてくと歩き出す。
するとお菓子の砂浜に残る足跡からパァァッと虹色の花が咲いた。
幻影ではない。彼女が歩くだけで、お菓子の砂が生命を帯び、花へと変質しているのだ。
「歩いたあとに、おはな!」
私の足元で、五歳のレナータ様が目を輝かせる。
「きれいなおねえちゃん!」
レナータ様は無邪気に手を振る。
私は慌てて彼女を背後に隠し、姿勢を低くして双刀を顕現、柄に手をかけた。
「……何者ですか」
分かっているけれど、分からない。だから、意識の底の警戒心が静まらない。
オルドリアを前にした時よりもはるかに強い危機感。
目の前の二人は、明らかに規格外だ。
「あら。挨拶よりも先に牙を剥くの? 野蛮ね」
黒髪の少女――リネアが、すっとアドラの傍に寄り添い、手を取るとそっと自分の胸の中へと引っ張り込んだ。
背が高いとは決して言えない、私よりむしろ少し低いくらいだろうか。世界の何にも興味がない。そう言わんばかりの、つまらなさそうで、退廃的な気だるさを纏った表情で私を見る。
髪の色は私とそっくりの漆黒。
同じ金の瞳でも、オルドリアの眩い輝きを放つそれとは違い、どこか昏さを奥底に湛えた、深い、深い暗金色。
そうして抱きしめられたアドラは、
「きゃぁ、リネア素敵♪」
ちょうど肩に頬を乗せて、嬉しそうに私たちに背を向け抱き着いてしまった。
「アドラ? 今は少しだけ大人しくしていて。真面目なお話だから、ね?」
同じ気だるげな表情のままなはずなのに、その声音の、眼差しの、なんと熱の籠った温かなことか。
かつてのレナとの睦みあいを嫌でも思い出させられ、胸の奥がじくじくと痛む。
「は~い」
そう言いながら、首筋をハムハムとしだした、『混沌』の担い手、世界を変質させる者――であるはずの、アドラ。
ちょっとこのいちゃいちゃカップルぶりを見ていると、人違いとしか思えなくなってくるが、その気配は本物。
暗金色の瞳が、私を射抜く。
私に注がれる視線は、冷徹な、まるで評価者のそれだった。
彼女は私を、頭の先からつま先まで舐め回すように見つめ、そして鼻で笑った。
「……無様」
吐き捨てるような一言。
「何ですか、そのツギハギだらけの身体。修復不能の時代であろうとも、もう少しやりようがあるでしょうに。特にその左肩の球体関節。脆すぎて全力の負荷に耐えられそうもないですよ? それとも、世界はそこまで平和ボケしたのですか?」
彼女の視線が、ドレスに覆われていない中、特に損傷跡の大きい私の左肩――あの夜、レナータ様が宝石化で修復してくれた関節に注がれる。
「主を護るため、自らを律する事は最低限の責務でしょう。そんな外観だけでは、美しいとは言えませんよ」
その言葉は、物理的な攻撃よりも鋭く、私の胸を抉った。
確かに私はボロボロ。
レナータ様に目覚めさせてもらって十七年。そもそもかつての大戦で内部機構に異常をきたしていたところに、各地の厄災を巡る転戦。古代魔導文明時代の兵装はほとんど失われ、残るは漆黒の刃群のみ。
最終決戦での大軍相手の、退く事の出来ぬ防衛戦。
そして直近でのオルドリアとの戦闘。
けれど、この宝石継ぎの身体は、レナの愛の証。一つ一つに、共に歩んだ日々を思い出せる、絆。
「……私は、主を守護する盾であり剣です」
私は、震える声を抑えて言い返す。
「この傷は、全て主をお守りした証。……なんら恥じるものではありません」
「証? ふん、言い訳ね」
リネアはそっと、首筋を舐め始めていたアドラを引きはがし、近づいてくる。
威圧感。
彼女が近づくだけで、周囲の空気が重くなる。
背中にしゃらりと出現する翼。虹色の、翼。
レナータ様の宝石花ともまた違う、細かな結晶が寄り集まって造られた翼。
色とりどりの薄く削り出された宝石が結晶模様となって羽根を成し、幾重にも重なって、大きな翼を形作っている。
彼女はそっと浮遊し、目の前まで来ると、私の顎を指先でクイッと持ち上げた。
「本当に優秀な人形なら、傷一つ負わずに主を守るものよ」
「リネア~、さっき貴女」
なにかを言いかけたアドラにかぶせるように、小さく咳払いをする黒髪の少女、リネア。
「こほん……貴女、何かに焦っているわね? 何かに囚われているわね」
「なにを」
「わかるのよ。貴女は私の同類。ううん、本来の形は貴女なのよね」
と、囁くように言うなり、そっとミリタリーロリータの上着の胸元を開いて見せる彼女。
確かな、柔らかそうな人の肌。それなのに、その胸元、心臓の位置には桜色の輝きがぼんやりと見える。
なにか超常の存在が、皮膚の内側、胸郭の中に埋め込まれている。
「古代魔導人形のお嬢さん、貴女の身体は作り物。でも心は、魔核は特別製。そうよね?」
昏い輝きを強める暗金の瞳でのぞき込んでくるリネア。
「聞いたことはない? 禁忌の探求、その実証。世界を変質させるとっておきの『夢』。夢見るアドラの、夢の結晶。それを埋め込んだ人間。それが私。神の子であるアドラと生涯共に寄り添うために、護るために、人である事を捨てた存在。貴方たちの技術を流用、再現しようとした始まりから、禁忌魔導人形なんて呼ばれる異端の存在。人の身体を1,000年も維持し続けた、人の身から至ったお人形」
すっと、装飾過多な上着の前を閉じる黒髪の少女。
ふと、翼が消える。
少しだけ私を見上げる、凛とした少女。
「全てを燃やし尽くしてでも、護りたいものがあるなら、悔いのないようになさい。でも、肝に銘じるのね。貴女が消えれば、例え記憶が無くとも、その嘆きは魂を穢す。穢れとは、そういうものよ。アドラの夢で優しく変わることを拒んだ世界は、緩やかな安寧の中で、そうやって壊れていくの……いくはずなのだけれど、思った以上に世界が、空気が綺麗ね?」
「もう、リネア。いじめちゃだめよ。それに、私を放っておくのはも~っとダメ!」
その時、後ろからアドラが声をかけた。
「せっかくのお外なんだから、仲良くしましょ?」
「ですがアドラ。放っておくわけにも」
「ふふ。そう?」
アドラは、リネアの背後からひょいと顔を出し、私ではなく――私の後ろに隠れている、小さなレナータ様を見た。
「んー?」
レナータ様は、きょとんとしてアドラを見上げている。
五歳の彼女には、リネアの強大さも、アドラの異質さも分からない。
ただ、『きれいなおねえちゃんたち』がいるだけだ。
「ねえ、リネア。この子、うん。多分この子のお陰だよ?」
アドラが目を細める。
「やっぱり、私達と同じ匂いがする。気配がする。持ってるね、誓言を交わす、聖核を」
「?」
レナータ様が分からないとばかりに首を傾げて、楽しそうににこにこ笑う蒼銀の髪のアドラと見つめ合う。
「ふふ、可愛い。ね、リネア。多分ね、この子が世界の穢れを収めてくれたのよ。誓言を宿し、発現してる」
「いくらなんでも、それは――。まさか、アドラがいなかった世界の全てのですか?」
「全部は無理だね~でも、当面の目立つ穢れをこの子が祓ったから、世界はもう大丈夫とでも白亜の大聖堂の連中が勘違いして、私はもういらな~いって殲滅しに来たんじゃないかなぁ」
じっと考え込むリネア。
「……十分にあり得ますね」
「でしょう~? だから、うん、この子たちは恩人だよ。私を封印から解き放つきっかけをつくってくれて、リネアと世界を楽しく旅できるようにしてくれた、恩人!」
「見るからに、とんでもない代償を支払っているようですが? そこまでしますかね、人間ごときが」
仄かに立ち上る青白い燐光を目ざとく見据える、昏い暗金の瞳。
不穏な視線にどうしても耐え切れず、遮るようにリネア、同じ黒髪の……禁忌の人形少女の前に立ちはだかる。
微笑ましそうにそんな私を見つめる彼女に軽い苛立ちを覚えるけれど、感じる威圧感は到底戦端を開く事を許さない。
いえ、そもそも、敵対する意思はどうも感じられない。
アドラが改めて、今度はレナータ様の目線に合わせて屈みこんだ。
薄布を幾重にも重ねた透け感の強い白いドレスがふわりと広がる。
「こんにちは、小さなお姫様」
「……こんにちは」
レナータ様が、おずおずと挨拶を返す。
「あなた、おなまえは?」
「レナ、……レナータ」
「そう、レナちゃん。可愛い名前ね」
アドラは微笑み、レナータ様の白銀の髪に触れた。
その指先から、キラキラとした光の粉がこぼれ落ちる。
「貴女、とても、とても大変な『代償』を払ったのね」
「だい……しょう?」
五歳のレナータ様が首を傾げる。
「そうよ。未来だけじゃない、過去まで。記憶も、存在も。ぜーんぶ捨てて、世界をちょっとだけ綺麗にした。……偉い、偉い」
彼女は褒めているようだが、その瞳の奥には、急に冷めた色がにじみだしてきた。
「でも、つまらないの」
「つまんない?」
「うん。だって、貴女は『消える』ままに、そこにいるんでしょ? 全部背負って、世界のための柱に、犠牲になろうとしてる」
アドラは立ち上がり、私を見た。その瞳は先ほどまでの温もり、リネアに向けていた蕩けるような愛から一転。
強烈な圧力を感じる、虚無を湛えていた。
薄紫色の闇に呑まれていくような、立っている地面が脆く崩れていくような、本能的な恐怖。
「そこのボロボロのお人形さんもそう。貴女たちは、終わるために足掻いている。……それは『秩序』という摂理の進む先。何かを成すなら代償が必要、犠牲という名の美徳。美談という名の、停滞と破滅」
彼女は退屈そうに欠伸をした。
「私、そういうのだ~~~いっ嫌い。夢が無いよ。もっと楽しく、嬉しく、生きようよ? 滅茶苦茶だっていいじゃない。そんなの、誰が決めるの? 誰が困るの? 困るなら、もっと滅茶苦茶して、もっともっとかき回して。皆の好きを、夢を、混ぜ合わせちゃわなきゃ!」
狂ってる。
明らかに狂っている。
でも……。
「当たり前の道筋をたどる物語なんて、灰色の粘土でできたパンみたい。きらきら可愛いお菓子で、幸せな夢の世界で、愛する人と手をつないで歩いて行こうよ、いつまでも」
「……どういう――いえ、どうしろと?」
私が問うと、アドラは悪戯っぽく笑った。
「そのままの意味よ。……ねえ、リネア。この子たちに、少しだけ『夢』をあげない?」
「アドラがそうしたいなら。……でも、もう終わりの半歩手前よ? 普通じゃ」
「そこがいいのよ。可哀そうな子達が、終わりの間際に煌めいて、願って願って、その果てに見る夢こそ、最高に甘いスパイスになるもの」
アドラは、リネアに手を伸ばした。
「いいのですか?」
「うん。そもそも、これは御礼でもあるよ? 私を起こしてくれたきっかけは、間違いなくこの子。あはは、笑っちゃう。管理塔の主たちは今頃真っ青だよ? がくがくぶるぶる、震えてるよ?」
「わかりました。でもちょっとだけですよ?」
リネアがどこからともなく一つの宝石箱を取り出した。
そっと、開いた中には桜色の欠片が無数に入っているのが見えた。
その中から小さな欠片を一つ、そっと、黒い手袋をはめた手で取りだす。
さらに、懐から取り出された無色の結晶。
親指の先ほどの大きさの、透明な、丁寧に光の反射を最大化するようにカッティングされた結晶。いえ、宝石に、先ほどの桜色の欠片をそっと触れさせる。
ラウンドブリリアントカット、というのだったか。その透明だった宝石が薄桜色に染まる。
「リネアはね、ずーっとずーっと。私が見る夢、世界を変えちゃう夢を、削って磨いて、綺麗な宝石にしてくれていたの。夢の中の怖い断片を削り取って、楽しかったり、幸せだったりする。そんな夢の結晶だけにして、綺麗に整えた宝石に加工してくれていたの。それでね、私が見るいろんな夢から、とっても素敵な、私達の未来の夢も集めてくれてたの」
「言っても分かりませんよ」
確かに……私もだけれど、レナータ様はもっと、ポカーンと。ただ、綺麗な宝石に目をキラキラさせて見上げている。
「すぐにわかるわ。わからせてあげるでしょう?」
「はい」
そんな二人の通じ合った会話が、ますます私の心の核を軋ませる。
「あげる」
アドラは、薄く桜色に染まるその綺麗な宝石、夢の結晶をレナータ様に差し出した。
「ありがとう! んと、んと」
けれど、裸の宝石をもらっても子供には困ってしまう。それはそうだろう。そっと私が手を出そうとすると。
「おやつよ。とっても甘くて、不思議な夢が見られるキャンディー」
「おやつ! たべる!」
いや、ダメですよ? 宝石ですよ……ね?
「ふふ、今はまだダメよ」
アドラは、レナータ様の小さな手にそれを握らせ、指を一本ずつ閉じさせていく。
「どうしても、辛くなった時。……どうしても、叶えたい『ワガママ』ができた時に、食べなさい」
「わがまま?」
「そう。もう、世界のためとか、誰かのためとかじゃなくて。……貴女が、貴女のために願うこと」
アドラは、私の顔を見てウィンクした。
「そのお人形は、貴女の時間をもらって動いてる。このキャンディーは、貴女の夢をもらって、芽吹くの。それはただの切っ掛け。でも、きっと貴女の夢を叶える後押しをしてくれる。」
彼女はレナータ様の耳元で、甘く、言祝ぐように、あるいは、呪うように囁いた。
「今度こそ、いい夢を見なさい、小さな聖女様。……その夢が、この退屈な世界を壊してくれることを期待しているわ」




