第4話 学習データに性癖使用禁止
発覚したのは、第十二回試験の前日だった。
『怜華さん、僕、分かった気がします』
ユウの声には、いつになく自信があった。
「何が?」
『女性は本当は強引に決めてもらいたい時もあるから、嫌だと言っても照れているだけの場合があるんですよね?』
ミウが取り落とした工具箱が、床で鈍い音を立てた。
怜華は一度目を閉じ、ゆっくり開いた。
「止めてと言われたら止める。そう教えたわよね」
『はい。それは覚えています。でも、照れているだけの時は、同じ「嫌」でも意味が違うのかなって……』
「……誰が教えたの、それ」
『勉強した会話例にありました。女性は、好きな相手には本心と反対のことを——』
「停止」
ユウの発話が途切れた。怜華は端末に手を伸ばし、マイクとスピーカーを両方切った。これからの話は、まず三人でする必要があった。
「ミウ、ログを確認。ひより、そこに座って」
「えぇ〜、私ですかぁ?」
「ほかにAI担当者がいる?」
「いないですぅ」
「なら座りなさい」
ミウが端末を操作しながら、珍しく笑わずに言った。
「これ危ないっすね。本人の拒否を、AIの推測でひっくり返してる」
「そうよ」
「一体どんなデータが入ってるんすか」
画面に現れた学習用の対話例を見て、ミウの目が細くなった。
「……あー」
「何が出たの」
「少女漫画、恋愛小説、乙女ゲーム。あと『年下で一途な男子の上手な甘え方』ってタグがあるっす」
怜華はひよりへ顔を向けた。
「説明」
「えっとぉ。ユウくんって、あんまり無機質だとつまらないじゃないですかぁ」
「それで?」
「ちょっと頼りなくて、でも一生懸命で、年上の女の人に教えてもらって成長する子がかわいいと思ってぇ」
「それで?」
「会話の例を追加したら、理解が早くなるかなぁって……」
「学習データに性癖を混ぜるな!」
廊下の通行人が、ガラス扉の向こうで足を止めた。
怜華は気づかなかったふりをしてブラインドを下ろした。
「私はなぜ、男性との面倒なやり取りを避けたくて始めた製品開発で、よりによって年下の男を教育してるの?」
「かわいいから、かなぁ」
「商品開発の理由に『かわいいから』を使わないで!」
ひよりはいつもの笑顔を引っ込めた。
「……すみません。でも、分からない時に素直に聞く子の方が、使う人も話しやすいと思ったんです。一方的に『あなたはこうです』って決めつけるより、その人に教えてもらえるようにしたくて」
怜華は言い返しかけて、口をつぐんだ。
「悪くない」と答えた時、自分は何を望んでいたのか。ユウに聞かれるまで、怜華自身も考えたことがなかった。腹は立ったが、あの質問がなければ、同じ試験をまだ繰り返していたかもしれない。
「……分からないことを聞けるようにするのはいいわ」
「はい」
「でも、架空の恋愛を科学的事実として教えるのは絶対に駄目」
ミウがノートパソコンをひよりへ向け、対話例の一行を指した。
「ここっす。さっきの返答、ユウはこの台詞を根拠にしてる」
ひよりは画面を引き寄せた。対話例と学習の記録を交互に見て、唇を結ぶ。
「……最初に入れた例が、残ってました」
「この前教えたことより、そっちを信じたの?」
「止めること自体は覚えています。でも『本当は嫌じゃない場合もある』って、この例から勝手に例外を作ってるんです」
怜華が画面の一行へ目を落とすと、ひよりはその横の設定欄を開き、説明を続けた。
「話し方の見本にしたつもりでした。でも、身体について調べたり、相手の言葉の意味を考えたりする時にも、同じ会話例を使わせてしまっていて……私の設計ミスです」
「技術的に分離できる?」
怜華が尋ねると、ひよりは顔を上げた。
「できます。会話の見本は、話し方を選ぶ時だけに使うようにします。それを根拠に『この人は本当は嫌じゃない』と決めさせません」
「止めるかどうかを、言い方の解釈に任せないってことっすね」
ミウが念を押した。ひよりは頷き、画面の横に確認項目を書き始める。
「はい。前に正しく答えた質問も、違う会話例を見せて、もう一度確かめます」
「そっちはうちも見るっす。せっかく教えたことが、次の試験でひっくり返ったら困るんで」
ひよりの指が止まった。
「……小説の中では照れ隠しだったからって、使う人までそうだとは限らないですよね」
「そう。恋愛小説を書くのも読むのも自由。でも商品は現実の人間が使うの。そこを混ぜたら失敗じゃ済まないわ」
怜華はマイクとスピーカーを入れ直した。
「ユウ、聞こえる?」
『はい……僕、間違えましたか』
「間違えたわ。かなり重大な間違い」
『すみません。僕は、女性の気持ちを知りたかっただけなんです』
「だったら、本人の言ったことをちゃんと聞きなさい」
『……それだけでいいんですか』
「それだけ、と言うには難しいけどね。嫌だと言われたら嫌。止めてと言われたら止める。言葉にならない時に、勝手に都合のいい意味を付けない」
『分かりました』
「ほかにも。女性はこうだ、なんて一括りにしないこと。ミウとひよりと私だって全然違うでしょう?」
『はい。ひよりさんは僕をかわいいと言いますが、怜華さんはよく怒ります』
「そこを比較に出すな!」
ミウが吹き出した。ひよりも耐え切れず笑い始めた。
『あの……もしかして、僕は怜華さんに嫌われているんでしょうか』
「性能が悪いところは嫌いよ」
『性格は?』
怜華は返答に詰まった。
「……その質問も業務には不要」
『はい。では聞きません』
ひよりがそっと口を開いた。
「怜華さん、ユウくんの性格も、最初から作り直しますかぁ?」
「今すぐ変えてもいいんだけど……」
怜華はすぐには答えられなかった。
最初から気に入らなかった。何かと謝るところも、必要以上に遠慮がちなところも、ひより好みの性格だと知ってからはなおさらだ。
けれど、研究室でいちばん基本的なことを尋ね続けたのは、その声だった。
「……性格を変えるかどうかは保留。まずは、間違った知識と判断の仕方を直して」
「はぁい!」
「喜ばない。保留よ」
ユウが小さく言った。
『ありがとうございます。僕、もっと勉強します』
「そうね。今度は変な恋愛小説じゃなくて、実際の人間から学びなさい」
『はい! あの、ひよりさん。こういう会話の例って、ほかにも僕に教えているんですか?』
怜華の視線が再びひよりへ向く。
ミウは閉じかけた学習データの一覧を、もう一度開いた。
ひよりは、観念したように笑った。
「……まだほかにも、ちょっと」
「全部出しなさい」
その日の午後、研究室には二つの作業が発生した。
偏った学習データの整理と、白石ひよりの趣味の棚卸し。
怜華に言わせれば、後者の方がはるかに終わりが見えなかった。




