第5話 質問すればいいってもんじゃない
試作機の最終評価日。研究室の壁時計は午後四時を示していた。
黒崎怜華は記録票にサインをし、試験ブースの扉を閉めた。ミウとひよりは外側の監視席に座っている。記録するのは装置の動作、安全停止の履歴、本人が許可した評価だけ。細かな個人データは端末内に保持し、必要のないログは残さない。
その仕組みを決めたのも、実験中に散々揉めた結果だった。
「では、開始して」
『はい。準備できましたか?』
「できたわ」
ユウの声は以前と同じ、少し遠慮がちな青年の声だった。
試験が始まる。怜華は数分のあいだ、余計な質問もなく装置が動くことに、ひそかに感心した。以前の試験では、少しでも反応が変わるたびに、どうしたのかと聞かれたものだ。
ところが、あらかじめ決めてあった評価の時刻になると、ユウは律儀に告げた。
『刺激位置は適切ですか』
「ええ」
目を閉じたまま答え、怜華は椅子に背を預け直した。
『強度は適切ですか』
「問題ないわ」
くつろぎかけるたびに質問され、気が散る。これで確認は終わりだろうと、怜華は小さく息を吐いた。
『刺激周期は適切ですか』
「……そうね」
まだ続くのか。怜華は眉を寄せた。気づけば、装置の使い心地より、次は何を聞かれるのかが気になっていた。
『では現在の刺激を継続しますか』
怜華は目を開いた。
「……ちょっと待って」
怜華は手元の停止ボタンを押し、装置を止めた。ユウは先ほどまでと同じ事務的な調子で答えた。
『はい。回答を待っています』
「なんなの、その『では現在の刺激を継続しますか』って!」
外側の監視席から、ミウの椅子が動く音がした。
『えっ。質問に問題がありましたか?』
「問題しかないわよ! せっかくくつろいでたのに、次から次へと聞かないで。会社の定例会議じゃないんだから!」
『申し訳ありません。回答の選択肢を提示しましょうか』
「そういうことじゃない!」
「怜華さーん、停止ボタンは押したんすよね?」
ミウの声がインターホンから届いた。
「もう押したわ!」
少しして扉が開いた。怜華は白衣を引っかけながら監視席へ戻り、二人を睨みつけた。
「質問の内容は、一週間かけて見直したわよね」
「しましたぁ」
「それなのに、どうしてこんな聞き方なの?」
ひよりが苦笑した。
「……質問文だけ、試験用のままでしたぁ」
「聞くことだけ決めて、聞き方もタイミングも考えてなかったのね」
『あの、怜華さん』
「何」
『僕、悪気はなかったんです』
「知ってるわよ。悪気がないから厄介なの!」
ミウがテストログを見た。
「でもこれ、地味に重要っすね。質問が必要でも、今その質問をする必要があるとは限らない。安全確認と好みの確認も別だし」
「そう。安全のために必要なら聞きなさい。でも、評価のためだけなら、いちいち割り込まないでほしいの」
ひよりが小さく頷く。
「何を理解するか、どう質問するか、それから、そもそもいつ黙るか、ですねぇ」
「最後のが一番大事だったかもしれないわ」
ミウは笑いながら、入力欄に「沈黙もインターフェース」と書き加えた。
ユウがそれを読み上げる。
『沈黙も……インターフェース?』
「そうよ。会話しないことも、あなたの仕事なの」
『なるほど。僕、ずっと質問すればいいと思っていました』
「あなたに限らず、そういう男は多いわね」
「いや、それ性別関係ないっすよ」
ミウが突っ込む。
怜華は反論しかけ、やめた。今回の開発でさんざん教わったことだ。男性だから分からないのでも、女性なら最初から分かるのでもない。
ひよりは質問の一覧を開き、使用中に必要なものと、試験後に回せるものを分けていった。
「学習用の質問と、使用中に必要な質問を分けましたぁ。普段の会話は短く。答えたくないことは答えなくていい。安全停止だけはいつでも最優先ですぅ」
『分かりました。今度は、必要な時だけ聞きます』
「いいでしょう」
怜華は端末を見つめた。
「……明日、もう一度やるわ」
翌日の試験では、いつもの言い直しが要らなかった。
ユウは開始前に必要なことだけ確認し、あとは静かに装置を動かしていた。
「もう少し、ゆっくり」
『はい』
動きの間隔が少し長くなる。怜華は思わず口を開きかけ、何も言わずに閉じた。いつものように説明し直すつもりだったのに、もう望んだとおりになっていた。
「……そう。そのくらい」
ユウはその調子を保った。褒められたからといって余計に張り切ることも、なぜそう判断したかを説明し始めることもない。
しばらくして別の調整を頼むと、ユウはその注文にも応じた。さっきは良いと言ったのに、と不思議がられることもない。怜華は椅子にゆっくり身を預けた。
気づけば、次の不具合を探すのをやめていた。
これまでの試験では、常に頭のどこかで「そこは違う」「この数値は何なの」「また説明しないと」と考えていた。今日は、少し変えてほしい時にひと言伝えるだけでよかった。何度も説明し直したり、画面の数値を確かめたりしなくていい。
怜華はモニターの数値から目を離した。企画書に書いた「自分のための時間」が、ようやく自分のものになった気がした。
試験が終了し、装置が静かに待機状態へ戻った。
『お疲れさまでした。……何か、困ったことはありましたか?』
「ないわ」
『よかったです』
それだけだった。点数を求める声も、急いで報告書を作らせる声もない。
怜華はしばらく椅子に座っていた。
それから、ゆっくり笑った。
ノックに怜華が返事をすると、ミウとひよりがブースへ入ってきた。ミウは彼女の顔を見て、扉の前で足を止めた。
「……ひよりさん」
「はい〜?」
「怜華さんが笑ってる」
「ほんとだぁ」
「笑ってないわよ」
「いや、笑ってるっす。普段の『営業用に口角だけ上げました』じゃないやつ」
「失礼ね。営業のときだってちゃんと笑うわ」
「じゃ、満足したんすね?」
怜華は立ち上がった。いつもの癖で、装置の外装を一度見回す。継ぎ目も、動作音も、昨日と変わらない。変わったのは、自分があれほど腹を立てていたAIの方だった。
「……合格よ」
ミウが両手を上げた。
「っしゃ! 勝った!」
「何に勝ったのよ」
「怜華さんの『全然ダメ』にっす」
ひよりは目を細めて微笑んだ。
「ユウくん、聞こえましたかぁ。合格ですって」
『……本当ですか?』
「そうよ」
怜華が答える。
『僕、女性の身体のこと、全部分かったわけじゃないんですけど……』
「そんなの私たちも同じよ」
ユウは少し黙った。
『じゃあ、これからも分からないことがあったら、聞いていいですか?』
怜華はミウとひよりを見た。ミウはにやにやしている。ひよりは「いいでしょう?」と言いたげな顔だ。
「聞く前に、まず考えること。それから相手が答えたいかどうかも考えること」
『はい。ちゃんと考えます』
「あと、ひよりの変な趣味を鵜呑みにしない」
『はい!』
「ちょっとぉ、怜華さーん」
三人の笑い声が重なった。
男との面倒なやり取りが嫌で始めた開発だった。それなのに完成まで、女性三人で揉めて、教えて、間違えて、また教えた。これまでで一番手間のかかる製品だったかもしれない。
怜華は完成した試作機に手を置いた。
「商品化の検討に入りましょう。もちろん、利用者ごとの違いを確かめる試験はこれからよ」
『はい。僕、頑張ります』
「今度は頑張りすぎないでね」
怜華はそう言って、もう一度笑った。




