第3話 「じわっと」数値化
解剖図を囲んだあとも、試験と記録の見直しは続いた。第七回試験の報告書には、怜華が認めたくない言葉が並んでいた。
「優しく」「もう少し自然に」「じわっと」「悪くはない」。
どれも自分で口にした言葉だ。試験の最中はそれで伝わるつもりだったが、翌朝読み返すと、これで何をどう直せというのかと頭を抱えたくなった。
「これ、私が取引先から受け取った設計変更依頼だったら、突き返してるわね」
怜華が呟くと、ミウは遠慮なく頷いた。
「『いい感じにしてください』と同じっすからね」
「分かってるわよ」
「でも、使う人はそんなもんっす。『気持ちよくないから直して』って言うのが普通っすよ」
「あなた、今日やけに優しいわね」
「優しくしてるわけじゃないっすよ。うちがいちいち聞き返すのも、これじゃ何を直せばいいか分かんないからっす」
ひよりがコーヒーに角砂糖を4個落とした。
「ユウくんに聞いてみますぅ。“じわっと”って何か分かる〜?」
『えっと……刺激を少しずつ強くしていくことですか?』
「それ、半分くらい合ってるような気がするのが厄介ね」
怜華が答えた。
ミウはタブレットに、装置の出力が変わる様子を二本のグラフで表示した。横軸は経過時間、縦軸は強さを表している。最後に達する強さは同じだが、一方の線はすぐに上がり、もう一方は時間をかけて緩やかに上がっていた。
「ユウの言う『じわっと』は、こっちのゆっくり上がる線っすね。ただ、怜華さんが言ってるのも同じかっていうと……」
『ほかにも意味があるんですか?』
「機械は同じ動きをしてても、本人があとから『あ、こういう感じか』って気づくこともあるっしょ。機械がゆっくり変わったのか、感じる側がそう受け取ったのか、言葉だけじゃ決められないんすよ」
『じゃあ、僕は何を記録すれば……』
「何をどう動かしたかは、機械の記録を残せばいいでしょう。私が『じわっと』と言ったなら、その言葉もそのまま残す。意味が同じか分からないうちに、ひとつの数値にまとめないで」
怜華が言うと、ひよりがぱっと顔を上げた。
「そうです、それですぅ!」
「何よ」
「怜華さん、今、すごく大事なこと言いましたぁ」
「褒めるところじゃないでしょう。それ、今まで一緒にしてたの?」
ひよりはノートパソコンに試験記録を開き、画面を回した。装置の動き、心拍の変化、怜華の返答。その横に、ひとつの点数が付けられている。
「いまはこれを、最後に『快感』の点数にまとめちゃってるんですぅ」
ひよりはその列を指し、隣に別の記録欄を作り始めた。
「機械がしたことと、身体に出た変化と、怜華さんが言ったこと。まず、別々に残しますぅ。『良い』と『続けたい』も、同じ丸を付けないようにしますねぇ」
「心拍が上がったから快感、とは判定しない?」
「はい〜。驚いたときも緊張したときも上がりますからねぇ」
『じゃあ、体が反応していても、嫌なときがあるんですか?』
「あるに決まってるでしょう」
怜華が即答した。
『でも、身体の方は反応しているんですよね?』
「だから、その反応だけを本人の気持ちだと思わないの!」
声が大きくなっていた。怜華は言い終えてから息を吐いた。自分の感じ方を説明しているだけなのに、どうして言い争うような調子になってしまうのか。
しかしミウは笑わなかった。
「そこ、最優先っすね。生理的な反応は本人の意思と別。嫌だって言ったら止める。機械側に推測させて上書きしちゃダメ」
『分かりました。嫌と言われたら止めます』
「良い子ですねぇ」
ひよりが言うと、怜華は眉をひそめた。
「なんで褒め方が犬のしつけなのよ」
「でも素直ですよぉ」
「素直に聞くのはいいけど、毎回教えるのはこっちなのよ」
午後、三人はこれまでの試験記録を、新しい記録欄に分けて見直していた。
「ここ、怜華さん“悪くない”って答えてるっすけど、そのあと変更を希望してるっすね」
「ええ。悪くはなかったから」
「じゃ、継続したいわけじゃなかった?」
「そう」
「なのに“快”のラベルを付けた途端、AIが『良い状態だから維持』って判断してたんすよ」
怜華は報告書を読み返した。
「なるほど。“悪くない”を“ずっと続けてほしい”と誤解したわけね」
『あの……僕、良いことなら、続けた方が良いと思っていました』
「人間って、そう単純じゃないのよ」
『すみません』
「謝るより覚えなさい」
『はい。……でも、怜華さん。悪くないのに変えたくなったのは、どうしてですか?』
怜華はすぐに答えようとして、言葉に詰まった。
ミウもひよりも、今度は口を挟まない。
「……理由まで考えてなかったわ。ただ、変えてほしかったのよ」
そう答えて終わりにするのは、少し癪だった。
怜華は椅子を離れ、窓の外を見た。昼間の街を急ぐ人々の姿がガラス越しに小さく見える。
「例えば、コーヒーが美味しいからって、そればかり何杯も飲みたいわけじゃないでしょう。途中でお茶が欲しくなったからって、コーヒーがまずかったわけじゃない。どうして変えたくなったかなんて、そのたびに考えてないもの」
ミウが頷いた。
「じゃ、理由をうまく言えなくても、変えてほしいってことは分かる。それで十分っすね」
「ええ。変えてと言うたびに、理由まで聞かれたらたまらないわ」
『なるほど。気持ちいいかどうかと、次にどうしてほしいかは別の質問なんですね』
ひよりが指を鳴らした。
「そうそう、それですぅ。ユウくん、今日は大正解〜」
『やった!』
「浮かれないで」
怜華は席へ戻った。
「次の試作では、その二つを混同しないこと。あと、答えが曖昧な時に勝手に断定しないこと」
『はい。……そうすると、女性の皆さんの答えは、毎回違ってもいいんですね』
「もちろんよ」
『僕、初めて少し安心しました』
怜華は画面を見た。
「何であなたが安心するのよ」
『正解が一つじゃなくてもいいなら、今すぐ全部分からなくても、勉強を続けられるからです』
ひよりが感動したように胸の前で手を合わせた。
「かわいい〜」
怜華は額を押さえた。
まったく、どちらが教育されているのか分からない。




