進軍 ── 前線着任した俺、AI相棒の戦術で残存小砦を戦死ゼロ攻略!
勝利の翌朝、前線本部は祝祭というより引っ越し現場だった。
いや、戦場の引っ越し現場って何だ。
テントが畳まれ、別の場所でまた張られていた。荷車が土を噛む音。馬の鼻息。兵士たちの短い怒鳴り声。煮炊きの煙。
昨日まで線だった国境が、今日は道になっていた。
土塁の向こう側へ、荷駄が少しずつ流れ込んでいる。
十四年、動かなかった線の向こうへ。
「使徒様、おはようございます!」
通りすがりの兵士が、足を止めて敬礼した。
「ああ……おはよう」
返事をすると、別の兵士まで背筋を伸ばした。
「使徒様!」
「……おはよう」
三人目で、さすがに内心で少し引いた。
──俺、校門前の生活指導か何かか。
『直人さん♪認知度が一気に上がってますね♪』
頭の上で、カイラが嬉しそうに光った。
「俺を広告案件みたいに言うな」
『エンゲージメント良好です♪』
「やめろ。余計に嫌だ」
カイラは楽しそうに一回転した。
この小さなイルカは、戦場でも本当にいつも通りだった。
俺のほうは、いつも通りとはいかなかった。
昨日の歓呼が、まだ耳の奥に残っている。
使徒様。軍師様。十四年動かなかった戦線が動いた。
その言葉が、朝の冷えた空気の中でも、まだ少しだけ熱を持っていた。
正直、悪い気分ではなかった。
悪い気分ではないことが、少し、落ち着かなかった。
ライナーは地図の前に立っていた。
前線本部の一番大きなテントだった。中には長机。地図。小さな木札。色の違う紐。羽根ペン。壁際には伝令が三人、出番を待つみたいに立っている。
ソフィアは机の端で、すでに書類を並べていた。
昨日まで王宮にいた人間とは思えない手際だった。紙束の角が、見事に揃っている。
「使徒様」
彼女が顔を上げて、まっすぐこちらに敬礼した。
「おはようございます。本日より、こちらが使徒様の執務位置になります」
「執務位置」
言葉だけ聞くと、完全に会社だった。
──配属初日の座席案内かよ。
机の端に椅子が一つ置かれていた。
そこだけ少し、周りの兵士たちが距離を空けている。
ありがたいような、居心地が悪いような。
ライナーがこちらを見た。
「北見直人。今日からお前は、正式に北方軍本部へ置かれる」
「王直属じゃないんですか」
「書類上はそうだ。戦場では俺の軍団と動く」
「書類上……」
「戦場で大事なのは、誰が命令を聞くかだ」
短い説明だった。
だが、分かりやすかった。
俺は椅子に座った。
座った瞬間、周囲の空気がほんの少し変わった。兵士たちがこちらを見てそれから地図に戻る。
昨日までは余所者だった。
今日は、椅子がある。
椅子があるだけで、人間の扱いは変わるらしい。
『座席が確保されましたね♪』
「お前まで会社っぽく言うな」
『オンボーディング完了です♪』
「ほんとやめろ」
ソフィアが少しだけ首を傾げた。
カイラの声は聞こえていない。
俺が独り言を言っているようにしか見えないはずだった。
「使徒様、お疲れでしょうか」
「いや、大丈夫です」
たぶん、大丈夫ではなかった。
でも、大丈夫です、と言うのは簡単だった。
地図の上には、昨日まで敵の線だった場所が赤で示されていた。
その赤い線が、中央だけ裂けている。
裂け目の南に、聖ヴァルディアの青い木札。裂け目の北に、まだいくつかの赤い木札。
ライナーが指で叩いた。
「昨日の突破で中央は抜いた。だが、旧国境線の小砦はまだ残っている」
将軍の一人が、腕を組んだ。
「正面から掃討すべきです。残したまま北へ進めば、補給路の脇腹を刺されます」
別の将軍が頷いた。
「兵を集め、順に潰す。二日もあれば済むでしょう」
潰す。
言葉が、地図の上に石みたいに落ちた。
『直人さん♪解析します♪』
カイラが明るく言った。
視界の隅に、半透明の文字が並んだ。
残存小砦 3箇所・推定兵力 合計180〜240
正面掃討 勝率 84%・想定損耗 味方120〜180
孤立化/退路提示 勝率 77%・想定損耗 味方20〜40
突破口固定までの想定日数 2日
『正面から潰すより、孤立させる方が効率的です♪南側の連絡路を押さえて、北側だけ空けておけば、敵さんは撤退しやすくなります♪』
「撤退しやすくするのか」
つい小さく呟いた。
ソフィアがすぐに反応した。
「使徒様?」
「いえ」
俺は地図を見た。
赤い木札が三つ。
それぞれに、名前も知らない兵士がいる。
名前を知らないから、木札に見える。
──そういうものなんだろうか。
考えかけて、やめた。
今ここで必要なのは、たぶん、そういうことではなかった。
「正面から攻める必要はないと思います」
将軍たちの視線が揃った。
「目的は、敵兵を全部倒すことじゃなくて、突破口を固定することですよね」
ライナーの眉が、わずかに動いた。
「続けろ」
「南側の連絡路を押さえます。補給と伝令を切る。北側は、あえて空けておく。逃げ道があると分かれば、敵は小砦を守り切るより撤退を選びやすい」
『その通りです♪追加で、夜間に南側だけ焚き火を多めに見せると圧力が上がります♪北側は薄く見せてください♪』
「夜は南側に火を多めに。北側は薄く。包囲されていると思わせつつ、退く道は見せる」
将軍の一人が低く唸った。
「敵を逃がすのですか」
「逃がすというか」
言葉を探した。
兵法、と言えばいいのか。
戦術、と言えばいいのか。
俺の中にある言葉は、もっと雑だった。
「そこに残る理由を、なくします」
テントの中が、一瞬、静かになった。
ライナーが地図を見下ろしたまま、短く言った。
「通す」
それだけで、場の空気が動いた。
ソフィアが羽根ペンを走らせた。
伝令が姿勢を正した。
将軍たちが、それぞれの部隊名を口にし始めた。
俺の言葉が、軍の命令に変わっていく。
それは少し、怖かった。
同時に、少し、気持ちよかった。
昼過ぎには、旧国境線の裂け目は完全に道になっていた。
工兵たちが土塁を削り、荷車が通れる幅に広げていく。
倒れた杭が脇に寄せられ、泥に板が敷かれた。
兵士たちは俺を見るたびに、少しだけ背筋を伸ばした。
「使徒様、道が開きました!」
「ああ」
「次の指示を!」
「えっと、ソフィア大尉」
俺は反射的に、ソフィアを見た。
ソフィアはすでに、俺の言葉を軍務の言葉に直していた。
「第三工兵隊はそのまま北側の轍を固めてください。荷駄隊は二列ではなく一列で。横に広げると泥に取られます」
「はっ!」
兵士が走った。
──俺、いま何もしてないな。
いや、していることになっている。
ソフィアが整えて、兵士が走って、ライナーが認めて、カイラが見ている。
俺は、その真ん中に座っている。
そういう構図だった。
『チームワークですね♪』
「便利な言葉だな」
『便利です♪』
小砦の一つが、夕方前に白い布を掲げた。
戦闘は、ほとんど起きなかった。
南側に現れた聖ヴァルディア兵の火と旗を見て、砦の兵たちはしばらく迷い、それから北へ退いた。
二つ目も、同じように退いた。
三つ目だけは、少し粘った。
だが、補給路を押さえられたあと、夜になる前に門を開けた。
「小砦三箇所、無力化! 味方の戦死者なし!」
伝令の声がテントに響いた。
将軍の一人が、息を飲んだ。
別の将軍が、こちらを見た。
ライナーは何も言わなかった。
ただ、目だけで頷いた。
ソフィアは胸の前で小さく、光の輪の印を切った。
「光の父ユィレオンに感謝を」
それからこちらを見た。
「そして、使徒様に」
──いや、そこに並べるな。
口には、出さなかった。
テントの外で、また声が上がった。
「使徒様!」
「軍師様!」
昨日よりも、声が近かった。
昨日は戦場の向こうから押し寄せる波だった。
今日は、テントの布一枚向こうにある、人の声だった。
俺は椅子に座ったまま、軽く手を上げた。
布の向こうで、歓声が少しだけ大きくなった。
応えるのが、昨日より少し早くなっていた。
夜になって、俺専用らしい小さなテントが用意された。
専用。
その響きが、もう、だいぶおかしい。
中には簡単な寝台。低い机。ランプ。地図を広げるための板。
入り口の外には、見張りの兵士が一人立っている。
──社会人二年目で急に役員室を渡された感じだ。
役員室に藁の寝台はないと思うが、感覚としては近かった。
『待遇改善ですね♪たぶん♪』
「そこは保証しろ」
ソフィアが机の上に、今日の報告書を置いた。
「本日の戦果です。旧国境線中央突破口、確保。残存小砦三箇所、無力化。敵兵は北方へ撤退。味方損耗、負傷二十一、戦死ゼロ」
「戦死ゼロ」
「はい」
ソフィアの声に、誇りがあった。
「使徒様の兵法です」
「……いや」
言いかけて、やめた。
俺じゃない。
カイラだ。
ソフィアだ。
ライナーだ。
工兵だ。
走った伝令だ。
頭の中には、いくらでも言葉が並んだ。
でも、そのどれも、外へ出すには形が悪かった。
「みんなのおかげです」
無難な言い方をした。
ソフィアの目が少しだけ柔らかくなった。
「使徒様は、謙虚であられるのですね」
──違う。そうじゃない。
口に出さなかった。
出す場面ではなかった。
ソフィアが一礼して、テントを出ていった。
外で見張りの兵士が、彼女に敬礼する音がした。
テントの中に、ランプの音だけが残った。
「カイラ」
『はい♪』
「今日の俺、何してたんだ」
『前線突破後の戦域管理と、残存敵拠点の無力化ですね♪すごく順調でした♪』
「作業名で言うな」
『えーと、勝ちました♪』
「雑になったな」
カイラはにっこり笑った。
水色の光が、ランプの橙と混ざって、机の上で淡く揺れた。
地図を見る。
赤い木札が三つ、端に寄せられていた。
さっきまで敵だった場所が、いまは空白になっている。
空白。
そこに道が通る。
明日には、もっと北へ進む。
「勝ったんだな」
『はい♪勝ちました♪』
正直、少し、気持ちよかった。
それを認めるのに、少しだけ時間がかかった。
寝台に腰を下ろしたところで、入り口の外から若い声がした。
「失礼します!」
「はい」
声が裏返った。
使徒様のテントに入る、というだけで、相手のほうが緊張しているらしい。
入ってきたのは、若い兵士だった。
年は俺より少し下くらいに見えた。丸い顔。日に焼けた頬。軍服はまだ身体に馴染みきっていない。
だが、敬礼だけは妙にきれいだった。
「明日より、使徒様の側付き兼伝令を命じられました!」
「側付き」
また知らない役職が増えた。
「はい! 何でもお申し付けください!」
若い兵士は眩しいくらいまっすぐ笑った。
「名前は」
「マルコです!」
マルコ。
頭の中で、その名前を一度、転がした。
「よろしく、マルコ」
「はい! よろしくお願いいたします、使徒様!」
また、使徒様。
俺は軽く片手を上げた。
昨日より、今日より、さらに少しだけ自然に。
応える、ということが、ちゃんと、形になり始めていた。




