戦友 ── 明るすぎる側付き兵士、AI相棒の伏兵解析で初任務を突破!
翌朝、テントの外で声がした。
「使徒様! 朝であります!」
声が、でかい。
俺は寝台の上で、目を開けた。
布越しの朝の光が白い。身体がまだ寝ている。頭だけが、無理やり前線本部に呼び戻された感じだった。
「……はい」
「朝食をお持ちしました!」
「はい」
返事が二回とも同じ音になった。
入り口の布が、少しだけ持ち上がった。
昨日の若い兵士──マルコが、木の盆を持って入ってきた。
朝の光で見ると、昨夜より大きかった。
濃い褐色の肌。広い肩。短く刈った黒い髪。目元は明るいが、顎の線は思ったより精悍だった。
年も、俺より少し上かもしれない。
昨日は緊張で幼く見えただけらしい。
「マルコ……だったよな」
「はい! マルコ伍長であります!」
「伍長」
「下っ端の中では、ちょっとだけ偉い下っ端です!」
自分で言って、マルコは笑った。
いい笑い方だった。
──陽キャだ。
前線に陽キャがいる。
いや、そりゃいるか。会社にもいたしな。どこにでもいるんだな、こういうやつ。
『直人さん♪マルコさん、緊張度は高いですが、好意も高いです♪』
カイラが頭の上で光った。
『あと、朝ごはんの匂いがします♪』
「そこは俺も分かる」
マルコが目を瞬かせた。
俺が独り言を言ったように見えたのだろう。
「使徒様?」
「いや、何でもない」
朝食は、固いパンと豆の煮込みだった。
それから、薄く焼いた肉が二切れ。
前線の食事としては、たぶん、かなり良いほうなのだと思う。
マルコは盆を机に置くと、なぜかその場に直立した。
「一緒に食べないのか」
「えっ」
「いや、見られながら食べるの、落ち着かないから」
マルコの顔がぱっと明るくなった。
「よろしいのですか!」
「席があれば」
「あります! 地面があります!」
「それは席なのか」
マルコは遠慮なく地面に座った。
腰の革袋から自分のパンを取り出す。俺のパンより、明らかに固そうだった。
食べる前に、マルコは胸の前で光の輪の印を切った。
「光の父ユィレオンよ。本日の糧と、使徒様との出会いに感謝します」
声は明るかった。
だが、最後の言葉だけ、少し低くなった。
「北で眠る家族にも、どうか光を」
俺はパンを持ったまま、手を止めた。
マルコはすぐに顔を上げて、にっと笑った。
「食べましょう! 冷めると豆が固まります!」
「あ、ああ」
豆は、もうだいぶ固まりかけていた。
マルコはよく食べた。
パンを割り、豆をすくい、肉を少しずつ噛む。食べ方は荒くない。けれど迷いがない。
食事が身体に入っていく感じがした。
「使徒様は、あまり食べないんですね」
「朝はそんなに」
「戦場では食べられる時に食べるのが大事です」
「経験者っぽいことを言う」
「経験者ですから!」
胸を張る。
嫌味がなかった。
『マルコさん、士気が高いですね♪』
「見れば分かる」
また独り言になった。
マルコは一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「使徒様は、神様とお話しされているんですよね」
「……まあ、そんな感じ」
「すごいなあ」
本気で言っていた。
茶化しではない。疑いもない。
俺は豆を口に入れた。
味は薄かった。
でも、温かかった。
朝食のあと、ライナーが来た。
いつもの革鎧。いつもの短い声。
「北の林道に敵斥候らしき影が出た」
マルコがすぐに立ち上がった。
「見に行くんですか」
俺の声は思ったより情けなかった。
「お前は後ろで見ていろ」
ライナーは昨日と似たことを言った。
「戦場の地図と、実際の地形がどれだけ違うかを見るにはちょうどいい」
つまり、研修だった。
現場同行。
──異世界軍師OJT。
嫌すぎる。
「マルコ」
「はっ!」
「使徒様から離れるな」
「命に代えても!」
「代える前に守れ」
「はっ!」
ライナーの返しが普通に速かった。
たぶん、何度も同じような若い兵士を見てきたのだと思う。
俺は外套を渡され、テントの外へ出た。
前線本部の朝はもう動いていた。
荷駄隊。工兵。伝令。煮炊き。馬の手入れ。槍を磨く兵士。
俺を見ると、何人かが敬礼した。
「使徒様!」
「使徒様、今日もよろしくお願いします!」
今日も、という言葉がもう入っている。
──昨日始まったばっかりなんだけど。
手を上げる。
昨日より、少しだけ、反応が早かった。
マルコが隣で満足そうに頷いた。
「皆、使徒様に勇気をいただいています」
「俺はまだ何も」
「昨日、戦死者ゼロでした」
言葉が、まっすぐ来た。
「それだけで、十分すぎます」
俺は返事に詰まった。
詰まっている間に、マルコはもう前を向いて歩き出していた。
旧国境線の北側は、地図で見るよりずっと湿っていた。
林道、と言っても、きれいな道ではない。
低い木が左右から覆いかぶさり、足元には泥がある。車輪の跡が水を溜めていた。
鳥の声が聞こえる。どこかで枝が折れる音がした。
俺たちは十人ほどの小隊で進んでいた。
先頭に二人。左右に二人ずつ。後ろに三人。俺とマルコは真ん中より少し後ろ。
俺は剣を持っていない。
代わりに、地図を持たされた。
紙のほうが重く感じるのは、たぶん気のせいではない。
『直人さん♪右前方の低木、足跡が多いです♪』
カイラの声が耳元で明るく鳴った。
「足跡?」
『はい♪味方の靴底とは形が違います♪それと鳥があの一帯だけ急に静かです♪待ち伏せの可能性が高いですね♪』
視界の隅に文字が並ぶ。
敵斥候 推定5〜7名
待ち伏せ予測 82%
直進時 損耗 味方2〜3
迂回/背後遮断 成功率 74%
マジか。
いや、マジか、ではない。
ここは戦場だ。
マジで、そういうことがある場所だ。
「マルコ」
「はい」
「右前方の低木。足跡が多い。待ち伏せかもしれない」
マルコの顔から、笑みが消えた。
消えるのが早かった。
「止まれ」
彼の声は、朝食の時とは別物だった。
低く、よく通った。
小隊が止まる。
マルコが先頭の兵に手で合図を送った。
「左へ回る。声を出すな」
「俺の言葉、信じるのか」
つい訊いた。
マルコはこっちを見ずに答えた。
「昨日、三つの小砦が消えました」
「消えたわけじゃない」
「我々から見れば、消えたんです」
そう言って、低木の陰へ身を沈めた。
俺も腰を低くした。
低くしただけで、太ももがつらい。
『直人さん、良いスクワットです♪』
「黙れ」
「使徒様?」
「何でもない」
迂回は、思ったより静かに進んだ。
マルコはよく動いた。
身体が大きいのに、枝を鳴らさない。泥を踏む場所を選んでいる。時々振り返って、俺が遅れていないか確認する。
ありがたい。
ありがたいが、確認されるたびに、情けない。
『敵斥候、左後方に回り込めています♪距離、およそ三十歩♪』
「マルコ、三十歩くらい」
マルコは頷いた。
手を二本立てて、兵を左右に分ける。
低木の隙間から、布の頭巾が見えた。
一人。
その奥に、二人。
さらに奥に、影。
こちらを待っている。
俺たちがまっすぐ来るのを。
背中を見た瞬間、変な感じがした。
敵にも背中がある。
当たり前だ。
けれど、当たり前のことが、こういう場所では妙に遅れて届く。
マルコが手を下ろした。
兵士たちが飛び出した。
「武器を捨てろ!」
声が一斉に重なった。
敵斥候が振り返る。
弓を持っていた男が、矢をつがえようとして、マルコに腕を押さえられた。
もう一人が短い刃物を抜いた。兵士二人が、盾で押し込んだ。
殺すより先に、潰す。
そんな動きだった。
一人が逃げた。
『左です♪根の張ったところで足を取られます♪』
「左! 根っこに気をつけろ!」
マルコが走った。
逃げた男は本当に、木の根に足を取られた。
倒れたところを、マルコが背中から押さえ込む。
「捕らえました!」
小隊長が声を上げた。
味方の負傷は、腕を浅く切った兵が一人。
敵斥候は、四人捕まった。二人は林の奥へ逃げた。
戦闘というには、短かった。
短かったが、俺の背中には汗が流れていた。
捕まった斥候たちは、手を縛られて座らされた。
顔は布で隠されていた。
そのうち一人の頭巾の下から、尖った耳の先が少しだけ見えた。
俺はそれを見た。
見て、すぐ地図に目を落とした。
『敵斥候捕縛、作戦成功です♪直進していた場合の損耗を回避できました♪』
カイラはいつも通りだった。
「そうだな」
声は小さかった。
マルコが腕を切られた兵士のところへ行って、布を巻いていた。
「浅い。大丈夫だ。今日の夕飯はお前の分の肉をもらう」
「なんでですか」
「俺が心配した分だ」
兵士が笑った。
痛そうにしながら、それでも笑った。
マルコも笑った。
本当に、よく笑う男だった。
その笑顔のまま、彼は捕虜のほうを見た。
一瞬だけ、目の色が変わった。
暗くなった、というほどではない。
ただ、奥に何か硬いものが見えた。
「こいつらが、また村を焼く前に捕まえられてよかった」
低い声だった。
「村?」
訊いてから、少し早かったかと思った。
マルコはこっちを見た。
それから、いつもの笑顔に戻した。
「俺の故郷です。北の村でした」
そこで一度、息を吸った。
「魔族に焼かれました。父も、母も、妹も。その時に」
言葉は、思ったよりも淡々としていた。
たぶん、何度も言ったことがある話なのだと思う。
「だから俺は軍に入りました」
マルコは捕虜のほうを見ないまま、笑った。
「神敵を止めるために」
俺は何か言おうとした。
何を言えばいいのか、分からなかった。
「それは……きついな」
口から出たのは、安い言葉だった。
マルコは首を横に振った。
「使徒様が来てくれました」
まっすぐな声だった。
「これで、終わりにできます」
終わり。
その言葉が、林の湿った空気の中で、少しだけ重く聞こえた。
俺はそれ以上、訊かなかった。
マルコも、それ以上は話さなかった。
前線本部に戻ると、兵士たちは捕虜を連れて行った。
小隊長がライナーに報告する。
敵斥候四名捕縛。味方軽傷一名。待ち伏せ回避。
ライナーは報告を聞いて、こちらを見た。
「よく気づいた」
「カイラが」
言いかけて、止めた。
「……地形が、少し気になったので」
ライナーは、それ以上、訊かなかった。
ただ、低く頷いた。
「マルコ」
「はっ!」
「使徒様をよく支えた」
マルコの顔が、ぱっと明るくなった。
「光栄であります!」
「明日からも側に付け」
「はっ!」
マルコは敬礼した。
敬礼があまりに勢いよくて、隣の兵士が少し笑った。
前線本部の空気は、昨日より少しだけ近かった。
敬意だけではない。
好奇心と、親しみと、少しの遠慮。
「使徒様、すごかったらしいな」
「待ち伏せを見抜いたって」
「マルコ、使徒様の側付きかよ。出世したな」
「うるせえ、羨ましいだろ」
マルコが笑い返す。
俺はその横で、どういう顔をすればいいのか分からず、軽く手を上げた。
それだけで、また何人かが笑った。
悪い笑いではなかった。
夜、テントに戻る前に、マルコが干し肉を半分くれた。
「戦場では食べられる時に食べるのが大事です」
「朝も聞いた」
「大事なことは何度でも言います」
「お前、意外と面倒くさいな」
「よく言われます!」
褒められたみたいに笑う。
そのあと、マルコは急に真面目な顔になった。
「使徒様」
「何」
「俺は、使徒様の戦いを最後まで見たいです」
「最後」
「はい」
マルコは北の空を見た。
旧国境線の向こう。
これから進む先。
「俺たちが、神敵を二度と村に来られないところまで押し返す。その日まで」
北の空は暗かった。
星は、地球より少しだけ多い気がした。
『良い方ですね、マルコさん♪』
カイラが小さく言った。
「ああ」
俺は頷いた。
マルコは良いやつだった。
明るくて、よく食べて、よく祈って、よく笑う。
だからたぶん、その奥にある硬いものも、正しいものなのだろう。




