初陣 ── AI相棒の橋攻略! 夜明け前の奇襲でハルム橋を無傷確保!
ルメル河は、地図で見るより太かった。
いや、川に太いって言うのか。
でも、そう見えた。
南岸の低い丘から見下ろすと、水面が朝の光を受けて鈍く光っている。向こう岸まで、思ったより遠い。流れも速い。
真ん中に、石造りの橋が架かっていた。
ハルム橋。
名前だけ聞くと観光地っぽい。
実物は、観光地ではなかった。
橋の両端に木柵と土嚢。北岸側には小さな見張り塔。橋の中央あたりには、黒っぽい樽がいくつも積まれている。
たぶん、あれが橋を壊すための何かだ。
『火薬ではなさそうですね♪油と、楔と、たぶん橋桁を傷めるための工具です♪』
カイラが頭の上で、いつもの調子で言った。
「橋って、壊せるんだな」
『壊せますよ〜♪壊すのは作るより簡単です♪』
嫌な一般論だった。
マルコが隣で、河の向こうを睨んでいた。
今日は朝から笑っていない。昨日の林道の時と同じ、兵士の顔だった。
「あれを取れば、北へ進めるんだよな」
「はい。ハルム橋を押さえれば、荷駄も工兵も渡れます」
「落とされたら?」
マルコは少しだけ口を曲げた。
「渡し場を探して、舟を集めて、橋を架け直して……十日は止まるかと」
十日。
前線では十日が重いらしい。
会社なら十日遅延で会議が増えるだけだった。ここでは、たぶん食料と怪我人と敵の準備が増える。
──プロジェクト遅延の実害が重すぎる。
笑えなかった。
仮設の本部テントには、地図が広げられていた。
ルメル河。ハルム橋。南岸の低丘陵。東の浅瀬。西の古い渡し場。
地図の端に、昨日捕まえた斥候の供述が書き足されている。ソフィアの字だった。
ソフィアは机の脇で、資料を押さえていた。
まだ正式な情報分析士官という扱いではないはずなのに、もう完全にその仕事をしている。
「橋守備隊は三百前後。北岸に予備隊が五百。橋中央に破壊準備あり」
ライナーが短くまとめた。
将軍の一人が腕を組む。
「正面から押せば取れます。ただし橋を落とされる可能性が高い」
別の将軍が、地図の西を指した。
「西の古い渡しを使う手もあります。だが、浅くはない。夜間渡河は危険です」
『直人さん♪解析します♪』
カイラの光が、地図の上にふわりと落ちた。
視界の隅に文字が並んだ。
目標 ハルム橋の確保
正面突撃 成功率 62% / 橋損壊リスク 71%
西渡し単独渡河 成功率 38% / 溺死・分断リスク 高
偽装渡河 + 軽装隊背後遮断 成功率 78% / 橋損壊リスク 19%
『橋を落とされる前に渡れば、勝率はかなり上がります♪』
「それはそう」
つい口に出た。
ソフィアがこちらを見た。
「使徒様?」
「いや……橋を壊される前に、橋の向こう側も押さえるべきだと思います」
カイラが頭上で嬉しそうに一回転した。
『はい♪西の古い渡しを陽動に使います♪松明と空の筏を流して、敵さんの注意を西へ向けます♪実際に渡るのは東の浅瀬から軽装隊です♪』
「西の渡しを、陽動に使います」
地図の西を指した。
「松明と筏で、渡ってくるように見せる。敵の目をそっちへ寄せる」
将軍たちの顔が少し動いた。
「実際に動くのは東です。軽装隊で浅瀬を越える。橋の北側へ回り込んで、守備隊の退路と破壊準備を押さえる」
『橋中央の樽と工具を確保できれば、橋は残ります♪あと、南岸の本隊は夜明けと同時に前進です♪』
「夜明けと同時に南岸から本隊が前進します。橋の上の守備隊は前後を挟まれる。橋を落とす前に、降伏か撤退を選ばせる」
テントの中が静かになった。
ライナーが地図を見た。
ソフィアが息を止めているのが分かった。
「軽装隊は誰が率いる」
将軍の一人が言った。
ライナーが即答した。
「俺が行く」
「准将自らですか」
「橋を残すには、迷わず動く者が要る」
マルコが一歩前へ出た。
「自分も行きます」
「お前は使徒様の側付きだ」
「だから行きます。使徒様の目になります」
いや、待て。
俺は反射的に口を開きかけた。
止める言葉が出る前に、ライナーがマルコを見た。
「死ぬなよ」
「はい!」
返事が明るすぎた。
『マルコさん、士気が高いですね♪』
「高すぎるんだよ」
また独り言になった。
マルコがこっちを見て、にっと笑った。
「大丈夫です、使徒様。橋の向こうで手を振ります」
「それ、フラグっぽいからやめろ」
「旗を振ればいいですか?」
「そういう意味じゃない」
テントの中で、何人かが小さく笑った。
緊張が少しだけ緩んだ。
夜明け前の河は、黒かった。
空の端だけが、うっすら白い。
川霧が低く流れていた。水の音が、近い。
俺は南岸の丘に作られた仮設の指揮所にいた。
地図。伝令。小さな旗。ランプは布で覆われて、光を外へ漏らさないようにしてある。
ライナーとマルコは、もう東へ回り込んでいた。
見えない。
見えない場所で、川を渡っている。
──いや、俺、ここで待つだけか。
待つだけ。
でも、待つだけが思ったよりきつい。
『東浅瀬隊、移動中です♪水深、膝から腰程度♪想定内です♪』
カイラの声だけが、明るい。
「腰まで水って、想定内なのか」
『装備を軽くしてますから♪寒いとは思います♪』
「寒いで済ませるな」
西の渡し場で、松明が動き始めた。
筏らしき影が、川面にゆっくり押し出される。
実際には人を乗せていない。空の筏。松明と盾を立てて、人影のように見せている。
北岸の見張り塔から、鐘が鳴った。
低い音。
それが二度、三度。
「食いついたか」
ソフィアが息を殺して地図を見ていた。
『敵守備隊、西へ視線移動♪橋中央の作業員、動きが止まりました♪』
「西に食いついた」
伝令が短く復唱した。
俺は地図の東側を見た。
見えるわけがない。
でも、見てしまう。
『東浅瀬隊、渡河完了まであと少しです♪』
「少しってどれくらい」
『三分から五分です♪』
「その二分が一番長いんだよ」
『すみません♪』
手のひらに汗が出ていた。
地図の端が、少し湿った。
夜明けが来た。
光が、川面の黒を少しずつ灰色に変えていく。
その瞬間、北岸東側の林の奥で、白い布が三回、振られた。
合図。
伝令が叫んだ。
「東浅瀬隊、背後に到達!」
「南岸本隊、前進」
俺の声は思ったよりもちゃんと出た。
太鼓が鳴った。
南岸の兵士たちが、盾を並べて橋へ進む。
橋の上の守備隊が、ようやくこちらに向き直った。
その背後、北岸側の林から、ライナー隊が飛び出した。
距離がある。
人の顔までは見えない。
だが、動きは分かった。
守備隊が前と後ろを見た。
橋中央の樽に向かおうとした男がいた。
『橋中央、破壊担当、三名移動♪止めないと橋桁に楔が入ります♪』
「マルコ!」
叫んでから、届くわけがないと気づいた。
けれど、合図旗が動いた。
東側の小旗。
マルコが見ていたのか、ライナーが読んだのか、分からない。
北岸から走った兵が、橋中央へ駆け込んだ。
一人が樽を蹴り倒した。
もう一人が工具を抱えて、橋の欄干から下へ投げた。
「橋中央、確保!」
伝令の声が重なった。
『橋損壊リスク、19%から5%まで低下です♪』
「今は数字より結論でくれ」
『安全圏です♪』
「それでいい」
南岸本隊が橋へ入った。
北岸のライナー隊が、守備隊の後ろを押さえた。
橋の上の敵兵が、じりじりと狭い場所へ寄せられていく。
逃げ道は、北岸の東だけ空いていた。
昨日の小砦と同じだった。
残る理由をなくす。
「北東側を薄く」
俺は言った。
「退路を見せてください。押し込むより、橋から剥がします」
伝令が走った。
しばらくして、橋の上の敵兵が崩れた。
崩れた、というより、流れた。
北東へ。
そこだけ開いている場所へ。
マルコが橋の北側で、本当に手を振った。
小さすぎて顔は見えない。
でも、あの大きな動きは、たぶんマルコだった。
「……ほんとに振ってる」
『有言実行ですね♪』
カイラが楽しそうに言った。
その時だけ、少し笑った。
昼前には、ハルム橋は聖ヴァルディア軍の手に落ちていた。
落ちた、という言い方は変かもしれない。
橋は落ちなかった。
残った。
工兵たちが橋中央の樽を片付け、楔を抜き、石材の傷を確認している。
荷駄隊が南岸で待機し、騎兵が橋の向こうで列を整え始めていた。
「ハルム橋、確保!」
伝令の声が本部に響いた。
「橋の損傷、軽微! 荷車通行、夕刻までに可能!」
テントの中で、将軍たちがざわめいた。
ソフィアが胸の前で光の輪の印を切った。
「光の父ユィレオンに感謝を」
それから、こちらを見た。
「使徒様の兵法に、感謝を」
──いや、だから並べるな。
口には出さなかった。
ライナーが戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
濡れた外套を肩にかけ、髪の端から水が落ちていた。
顔はいつも通りだった。
「橋は取った」
短い。
本当に短い。
その後ろから、マルコが両手を上げて現れた。
「使徒様! 振りました!」
「見えたよ」
「本当ですか!」
「本当」
マルコは子供みたいに笑った。
その肩に泥と水がついていた。
「寒くないのか」
「寒いです!」
「だろうな」
「でも勝ちました!」
声が、まっすぐだった。
外で兵士たちの歓声が上がった。
橋の方角から、太鼓が鳴る。
使徒様、という声が、また混じった。
「使徒様!」
「軍師様!」
「ハルム橋を取ったぞ!」
歓声が、河の上を渡っていく。
俺はテントの外に出た。
南岸の丘から、橋が見えた。
橋の上を、青い旗が渡っている。
昨日まで地図の線だった場所に、今、人と荷車が通ろうとしていた。
『大成功ですね、直人さん♪』
カイラが頭の上でくるりと回った。
「ああ」
今度は、素直に頷いた。
勝った。
橋を、残して、勝った。
それはかなり、気持ちよかった。
夕方、橋のたもとで簡単な祈りが行われた。
従軍司祭が光の輪の印を掲げ、兵士たちが頭を下げる。
マルコも、真面目な顔で祈っていた。
ソフィアも、少し離れた場所で、深く頭を垂れていた。
俺は形だけ、頭を下げた。
祈りの言葉は、半分くらいしか聞いていなかった。
というより、聞いてもまだ、腹の中に落ちてこない。
「神は使徒を遣わし、我らに道を与えられた」
司祭の声が、河の音に混じった。
道。
橋が残った。
道ができた。
それは、今日の勝利として分かりやすかった。
祈りが終わると、マルコが隣に来た。
手には、また干し肉。
「使徒様、食べますか」
「お前、干し肉どれだけ持ってるんだ」
「戦場では食べられる時に食べるのが大事です」
「三回目だぞ」
「大事なことなので!」
俺は干し肉を受け取った。
硬い。
塩辛い。
でも、少しうまかった。
橋の向こうでは、兵士たちが青い旗を立てていた。
夕日が川に落ちて、橋の石を赤く染めている。
明日から、あの橋を越える。
もっと北へ行く。
「行けるな」
口の中で、小さく呟いた。
『はい♪行けます♪』
カイラがすぐに答えた。
マルコは聞こえていなかったはずなのに、同じように北を見ていた。
「行きましょう、使徒様」
その声が、妙に自然に聞こえた。
俺は干し肉を噛みながら、軽く頷いた。




