使徒 ── 軍師任命!神授のAIチートで十四年の戦線を十日で突破!
朝、係の者が来て、衣装を置いていった。
絹の上着。
金糸の縁取り。
襟元には、光の輪の意匠が控えめに縫い取られている。
肩には、軽い銀の装飾。
「こちらにお着替えください」
短く、それだけ言って、係の者は出ていった。
俺は客間の絹の長椅子に、衣装をぼんやり広げた。
──コスプレじゃん、これ。
口には出さなかった。
出していたら、たぶん廊下まで聞こえた。
聖都の王宮の廊下は、無駄に響く作りらしい。
着てみると、思ったよりサイズは合っていた。
誰かが俺の体格をちゃんと測っていたのだろう。
それはそれで、ちょっと怖い。
『直人さん、似合ってますよ♪』
「うるさいぞ」
『えへへ♪』
王宮の正面広場は、人で埋まっていた。
両側の柱の間には楽団。
色とりどりの旗。
階段の下には、貴族の列。
さらにその下には、市民の群衆。
俺はライナーに先導されて、階段を上っていった。
両足の膝の裏が、軽く震えている。
緊張、というより、純粋に慣れない場所での運動量だった。
靴の先が、絹の上着の裾に何度かぶつかる。
──結婚式の招待客の隙間を通る、新郎みたいな気分だ。
いや、新郎側なのかよ。
頭の中で、自分にツッコミを入れた。
階段の上に、玉座。
その前に、王が立っていた。
今日は座っていない。
座っていない王は、座っている王より二回りくらい大きく見えた。
金糸の衣装は、昨日よりさらに重そうだった。
王の脇にライナー。
その隣にソフィア。
さらに後ろに、大臣たちが整列している。
教母の姿はなかった。
──そういえば、教母は来ないんだ。
昨日のうちに、ライナーから軽く聞いていた。
教母は、王宮の式典には原則として出ない。
彼女は民の側の人だから。
王の声が響いた。
「我こそ、選ばれし王、グレゴリウス三世である!」
楽団が、合いの手のように一節鳴らす。
群衆が声を上げた。
歓呼の波が、階段の下からこちらへ押し寄せてくる。
「ここに、北見直人を神に選ばれし使徒として、また、我が軍の軍師として正式に任命する!」
──うわ、本当に使徒って呼ばれるのか。
頭の中で呟く。
もちろん、口には出さない。
出す場面ではない。
「教母様も祝福しておられる!」
王の声が、さらに大きくなった。
教母不在の式典で、王が教母の名前を借りて群衆を温める。
そういう仕組みらしかった。
群衆の歓声が、もう一段上がる。
俺はライナーに教えてもらった作法に従い、王の前で片膝をついた。
頭を深く下げる。
「ありがたくお受けいたします」
口から出た音は、自分でも思った以上に平坦だった。
けれど、王宮の広場の音響では、ちゃんと後ろまで届くらしい。
群衆が、もう一度声を上げた。
──分からない。
頭の中で、それだけ呟く。
何が起きているのか。
その時、よく分からなかった。
ただ、頭をもう一度軽く下げる。
それだけはちゃんとできた。
王宮の階段の上で、軍師に任命された。
朝、駅前の交差点で死んだ会社員が、異世界の階段の上で片膝をついている。
頭の中で、その並びを整理しようとした。
やめた。
整理できる気がしなかった。
階段を降りる時、ソフィアがこちらに軽く頭を下げた。
「使徒様」
直人殿、ではなかった。
使徒様、だった。
昨日までと、呼び方が変わっている。
「……ああ」
俺はそれだけ返した。
返してから、自分の声がほんの少し固くなったのが分かった。
数日後。
王宮の戦況会議室。
長い机。
地図。
羽根ペン。
ピンと張られた、国境地帯の戦線図。
将軍が四人。
大臣が二人。
ライナー。
ソフィア。
それから、俺。
俺は机の長辺、ライナーの隣に座らされていた。
一番奥の王の席は空いている。
今日の会議は、王不在の実務会だった。
将軍の一人が、地図を指して戦況の説明を始めた。
国境地帯。
十数年の膠着戦線。
魔王国との対峙。
攻めては押し戻される。
押し戻しては攻められる。
戦線は、ほとんど動いていない。
最後に意味のある前進があったのは八年前。
死者の数は、こちらだけで累計、万単位。
──俺、戦況とか何も知らないんだけど。
頭の中で軽く呟く。
でも、まあ。
カイラがいるか。
便利な開き直りだった。
『直人さん♪ 解析します♪』
頭の上で、カイラがいつも通り明るく光った。
視界の隅に、半透明の文字がすっと並ぶ。
《解析結果》
戦線:膠着十四年。
正面突破:勝率二十三パーセント。
山道経由、補給拠点奇襲。
勝率七十一パーセント。
想定損耗:味方二百〜三百。
敵損耗:四百〜六百。
戦線突破までの想定日数:七〜十日。
『正面突破は損耗が高すぎです♪ 山道経由で敵の補給拠点を断つ方が効率的ですよ♪ 十四年動かなかった戦線、たぶん十日で動きます♪』
俺は軽く咳をして、口を開いた。
「正面からの突破は、損耗が大きすぎます」
将軍たちの視線が、こちらに揃った。
「北側の山道。ここから回り込んで、敵の補給拠点を奇襲します。中央は守備に徹して、敵主力を引きつける。補給を絶たれた前線は、自然に後退します」
将軍の一人が、眉を軽く動かした。
別の将軍が、地図を自分のほうへ引き寄せる。
「……山道は岩場で、行軍が困難なはずだが」
『軽装の精鋭部隊で行けば、二日で抜けられます♪ 過去十年の遠征記録を見る限り、敵側にもこの経路の警戒データはありません♪』
「軽装の精鋭部隊で行きます。二日です。敵側にも、この経路の警戒記録はありません」
将軍たちの視線が、ライナーに流れた。
ライナーは口を開かなかった。
代わりに、満足げに軽く頷く。
会議室の扉が開いた。
王が入ってきた。
「ふむ! 兵法を進めているか!」
王の声が、会議室の壁に跳ね返った。
将軍の一人が、俺の提案の要旨を王に説明する。
王は机の上の地図にちらりと目をやり、それからこちらを見た。
「素晴らしい! 兵法は誰が習わせたのだ! 教母様の御眼力、まさに比類なしだ!」
──いや、教母じゃないと思うけど。
口には出さなかった。
「出陣! 許可する!」
王の声で、会議室の空気がひとつ締まった。
将軍たちが立ち上がる。
ライナーが隣で、軽くこちらに頷いた。
その頷きの意味は、その時の俺にはまだ、ちゃんとは分からなかった。
国境戦線まで、馬車で二日。
俺は馬には乗れない。
乗れない、と申告したら、ソフィアが軽く頷き、馬車を手配してくれた。
「使徒様は、お疲れの体を運ばれるのがご本分ですから」
まったく嫌味ではない口調だった。
信仰の人だった。
馬車の中で、ソフィアが地図を広げる。
「使徒様、まずは作戦の最終確認を」
「あ、はい」
「東側の山道は五百名の精鋭で。指揮はライナー准将殿。中央の防衛は第三軍団。補給拠点への奇襲は夜間決行で──」
ソフィアが滑らかに要点を並べていく。
彼女の指が、地図の上を丁寧になぞった。
言葉のひとつひとつに、迷いがない。
彼女は信じていた。
俺の作戦を。
いや、俺を、ではない。
たぶん、俺の作戦を、神の采配として信じていた。
──ソフィア、もう完全に「使徒様」呼びだな。
頭の中で確認する。
それ以上は、いじらなかった。
国境の前線本部は、思っていたより地味な場所だった。
木組みの櫓。
土塁。
並んだテント。
煮炊きの煙。
ガルシス砦の、もう少し大きい版と言われたら納得できる。
辺境の砦と前線の本部は、たぶん、どこの世界でも似た顔をしている。
ライナーはもう、現場の指揮官の顔をしていた。
革鎧の上に、紋章入りの上着。
腰の剣が、王宮で見た時よりずっと馴染んでいる。
「明朝開始だ」
「はい」
「お前は本部のテントから地図を見ていろ。伝令が戦況を運んでくる。──気が向けば口を出せ」
ライナーの言い方は、前にも聞いたものと同じだった。
気が向けば口を出せ。
違う場面で、二度目。
それでたぶん、ライナーは俺の役回りをちゃんと規定していた。
夜のテントで、地図をもう一度広げた。
ランプの油の匂い。
風の音。
遠くで誰かが低く笑っている声。
『直人さん、緊張してます?』
「うん」
『大丈夫です♪ 私が一緒に考えますから♪』
「便利だな、お前」
『ありがとうございますっ♪』
カイラが得意げに、頭の上でゆっくり一回転した。
俺は地図の縁を、指で軽くなぞった。
翌朝。
戦闘が始まった。
本部のテントの中で、俺は地図と伝令で戦況を追っていた。
『東山道、精鋭部隊、進行中♪ 敵側、まだ気づいていません♪』
『中央、敵主力がこちらの守備線に接触♪ 想定通りです♪』
カイラの声は、戦闘中でもいつも通り明るかった。
語尾の音が、地図の上をぽんぽん跳ねるように聞こえる。
「ライナー准将に伝令」
俺は声を出した。
「中央は守備のラインを、もう半町後ろに下げてください。引き込みます」
伝令が、走り出ていった。
『敵主力、追撃に入りました♪ 深追いしています♪』
『東山道、補給拠点を目視確認♪ 見張りは三名♪』
『奇襲、開始しました♪』
視界の隅に、またシステム表示が浮かぶ。
《戦況推移》
提案戦術成功率:七十八パーセント → 八十三パーセント。
想定損耗:味方百八十〜二百五十。
敵損耗:五百〜七百。
「ライナー准将に伝令」
俺は地図の上に置いた指を、中央へ動かした。
「補給拠点陥落の合図が出たら、中央は守備から反撃に転じてください。引き込んでいた敵主力を、補給を絶たれた状態で押し返します」
伝令が、また走った。
『補給拠点、陥落しました♪』
『敵側、後方に信号を送っています♪ 混乱が始まりました♪』
『中央、反撃に転じました♪ 敵主力、後退しています♪』
カイラの解説が、ぽんぽん続いた。
俺はテントの中で、地図の上の駒を動かしていた。
動かしながら、自分の手が思ったより震えていないことに気づく。
慣れる、というのは、こういうことかもしれなかった。
午後の半ば。
伝令が、息を切らして戻ってきた。
「敵防衛線、崩壊しました! 我が軍、戦線を突破!」
テントの外で、兵士たちの歓声が上がった。
俺は地図の上に両手をついて、ゆっくり息を吐く。
夕日が、戦場を赤く染めていた。
本部のテントの外に出ると、空はほとんど橙だった。
土塁の上に立っていた兵士がこちらに気づき、頭を下げる。
一人が声を上げた。
「使徒様!」
声が伝染した。
「使徒様!」
「軍師様!」
土塁の上の兵士たちがこちらを向き、剣を軽く掲げる。
歓呼が、戦場を横切った。
──俺、勝ったのか?
頭の中で、それだけ確認する。
すぐに、別の言葉が後ろから続いた。
──いや、俺じゃない。カイラだ。
それは本当のことだった。
本当のことだったが、口には出さなかった。
出す場面ではなかった。
ライナーが近づいてきた。
革鎧に土がついている。
剣の柄には、まだ手が触れていた。
「お前のおかげだ、北見直人」
抑揚が、いつもよりほんの少し温かかった。
「いえ」
「いや」
ライナーは軽く首を振る。
「お前のおかげだ。十四年、動かなかった戦線が、今日動いた」
肩を軽く叩かれた。
革鎧越しに、手の重さが伝わってくる。
「お前は、これからもっと忙しくなる」
「……はい」
返事は、勝手に口から出ていた。
ソフィアが駆けてきた。
頬が上気している。
目に、何か光るものがあった。
「使徒様! 素晴らしい指揮でした!」
「ああ、ありがとう」
返した声は、思ったより疲れていた。
疲れていたが、ソフィアにはたぶん聞こえていなかった。
彼女の耳にはもう、別の音楽が鳴っていたから。
『直人さん♪ お疲れ様でしたっ♪』
頭の上で、カイラが機嫌よく回った。
「お前は本当に便利だな」
『はい♪』
夕日が、土塁の縁をゆっくり撫でていた。
兵士たちの歓呼は、まだ続いている。
俺はその中で、もう一度息を吐いた。
「使徒様!」
また、誰かがこちらに声を上げた。
俺は軽く片手を上げて、応えた。
応える、ということは。
たぶん、自然にできていた。
視界の端に、半透明の文字が浮かぶ。
《初陣に勝利しました》
《称号:軍師が有効化されました》
《信仰値が上昇しました》
「……信仰値?」
俺の声は、歓声にかき消された。
カイラは、いつも通り楽しそうに光っていた。




