言葉 ── 神授のAI相棒、現地語を翻訳補佐! 商隊と遭遇
歩く。
ただ、歩く。
膝丈の青い草を踏み分けて、人影っぽい点に向かう。
一歩。
また一歩。
距離が、縮まらない。
「……マジでこれ、近づいてんのか?」
『近づいてますよ〜♪ ちょっとずつ♪』
ちょっとずつ、を強調されると逆に不安だった。
草原は、馬鹿みたいに広い。
地平の手前、霞んだあたりにある点が、いつまでも点のままだ。
地球の感覚で「あれくらいなら十五分」と見積もると、たぶん三倍は外す。
いや、下手したらもっと外す。
喉が渇いてきた。
さっき土と草の味で湿らせた唇が、もう乾いている。
腹も、そろそろ何か入れたい。
死後の続きとはいえ、身体は普通に消耗するらしい。
「歩くだけで結構くるな」
『直人さん、運動不足ですか〜?』
「ほっとけ。意識低い系現代日本人なんて、こんなもんだろ」
笑い声みたいな光の揺らぎが、頭の上で起きた。
カイラは、こういう時ちゃんと相槌を打ってくる。
役に立つかは別として、無言よりはずっとマシだった。
ゲームだったら、ここはスキップだ。
《移動中……》
そんなテロップが出て、画面が暗転して、次のシーンに飛ぶ。
けれど、現実にはテロップがない。
足元の草を、また踏んだ。
点が、少しずつ形を持ち始める。
馬らしき動物が一頭。
その横に、小ぶりな荷車。
前後に人。
人数は、四人。
四人のうち一人は、ゆったりした服を着ていて、手には何も持っていない。
残り三人のうち二人は、革鎧みたいな身軽な装備で、腰に剣を提げていた。
最後の一人は、荷車のそばで手綱を引いている。
『直人さん、あの方たち、こちらを見て止まりました♪ 手が剣の柄の近くです♪ 完全に警戒モードです♪』
「……だろうな」
カイラに言われなくても、それは見れば分かった。
向こうから見れば、何もない草原の真ん中から、変な格好の男が一人で歩いてくるわけだ。
グレーのパーカー。
ジーンズ。
スニーカー。
この世界基準では、たぶん不審者でしかない。
俺だって警戒する。
俺は両手を、肩のあたりまでゆっくり上げた。
歩く速度も落とす。
一歩ずつ。
手のひらを見えるようにしたまま、近づいていく。
護衛らしき二人は、剣を抜かなかった。
けれど、柄に手を添えたまま、こちらをまっすぐ見ている。
ゆったりした服の男。
たぶん商人だ。
その男が、護衛二人を手で軽く制した。
距離が、十数歩。
向こうが何かを言った。
声は低く、しっかりしていた。
そして、それがすんなり意味になって入ってきた。
「妙な格好だな。一人か。武器は?」
──……は?
俺は一瞬、止まった。
聞こえた音は、知らないはずの言葉だった。
子音の硬さも、母音の伸び方も、日本語じゃない。
なのに、頭の中で勝手に意味が並ぶ。
翻訳された、というより、直接、意味として届いた感じだった。
『よかったですね〜♪ ちゃんと宿ってます♪ たぶん例の神様、ここは抜かりなかったみたいです♪』
カイラが頭上で、得意げに光を強くした。
いや、得意げになるのはお前の手柄じゃないだろ。
そう思ったが、今は置いておく。
俺は口をゆっくり開いた。
「一人です。武器はない。というか、何も持ってません」
出てきた音は、自分の声ではあった。
けれど、自分が知っている音ではなかった。
喉が、勝手に違う形に動いている。
耳に届いてから、ようやく気づいた。
ああ。
いま俺、現地語を喋ったな。
訛りはあるかも、とカイラは言っていた。
たぶん、訛っている。
商人の眉が、ほんの少しだけ動いた。
商人はしばらく俺を見て、それから護衛のほうに頷いた。
護衛二人の手が、剣の柄から離れる。
「面倒事は嫌いだ。あんたも、たぶん嫌いだろう」
「嫌いです」
商人は、ほとんど笑わない口元でそう言った。
『今の方の言い方、けっこう敬意込みです♪ 商人さんなので、相手の出方を見て丁寧度を選ぶ習慣があるみたいです♪』
カイラが耳元で解説を入れてきた。
ありがたいような、余計なような。
でも、敬意込みだと分かったのは助かった。
返し方を間違えなくて済む。
「マジで通じてる」
口の中で、小さく日本語が漏れた。
それはたぶん、誰にも届かなかった。
商人は、レーゲルと名乗った。
革鎧の二人は、ノルドとカイ。
荷車のそばで手綱を引いているのが、もう一人の連れで、商隊の親方の甥だという。
名前は早口で言われて、うまく拾えなかった。
「あんたは?」
「キタミ・ナオト」
「キタァミィ・ネィオト」
レーゲルが一度、繰り返した。
区切りが変だった。
まあ、許容範囲だ。
「ここはどこですか?」
「ヒソリ草原の北寄りだな。アンザ街道からは、東に半日ほど逸れている」
地名は全部、初めて聞く音だった。
意味としては届いている。
けれど、それがどこにあるのかは分からない。
地球の地図と、接続できない。
当たり前だ。
たぶん、ここはもう地球じゃない。
「ヒソリ……。あんたたちは、どっちへ?」
「エルロン村まで。今日中には着く」
「エルロン村」
「小さな村だ。そう知られてもいない」
レーゲルは、それ以上説明しなかった。
詮索もしてこなかった。
俺が「気づいたらここにいた」と言うと、ふん、と短く息を吐いただけだった。
「変わった事情だな」
それだけ言って、終わりだった。
ありがたい商人気質だった。
俺はいま一番気になっていることを、口にした。
「あの……俺、金とか何も持ってないんです」
レーゲルは、少しだけ口角を上げた。
「気にするな」
「いや……でも」
「ここからエルロン村まで、半日ほどある」
レーゲルが視線を北のほうに向けた。
「──山賊が出る区間でな」
「……山賊」
異世界っぽい単語が、さらっと出てきた。
できれば最初のイベントは、もう少し平和なやつがよかった。
薬草採取とか。
迷子の子供探しとか。
いきなり山賊は、難易度が高い。
「人数が多いほうが、連中も襲いにくい。襲われたら散って逃げる。あんたも一人として加わってくれ。それでいい。飯と寝床は、村に着いたら出してやる」
レーゲルの口調は、淡々としていた。
──つまり、囮か。
『直人さん、ちゃんと意味分かってます?』
カイラが心配そうに耳元で囁いた。
「分かってる」
『おお、覚悟が早いですね♪』
覚悟というか、選択肢がないだけだろ。
ここで「やっぱり遠慮します」と言って草原に置いていかれるほうが、よっぽど困る。
腹は減る。
夜は来る。
水もない。
一人でいるよりは、商隊にくっついたほうがまだマシだ。
「分かりました。ありがとうございます」
レーゲルは頷きもせず、視線を荷車のほうに戻した。
俺はついでに、もう一つ訊いた。
「カイラ。この人たち、何の商売してる?」
『えーと、布と陶器と……雑貨みたいですけど、この地域の商隊については、私あんまり詳しくないんですよ〜♪ 詳しくお話ししてみないと分かりません♪』
たぶんが多い。
知らないことも多い。
神様のお届け物は、思ったより仕様の幅が狭かった。
それでも、いないよりはずっといい。
たぶん。
歩き出した。
俺は商隊の最後尾につく。
レーゲルが先頭。
護衛のノルドとカイが、荷車の左右。
甥が、馬の手綱。
俺が、しんがり。
しんがり。
つまり、囮の最有力候補のポジションだ。
それを分かった上で、文句は言わなかった。
言ったところで、状況は良くならない。
夕日が傾き始めていた。
昼下がりの白が、いつのまにか黄色を抜けて、薄い橙に変わっている。
草の色も、根元のほうから少しずつ影に沈んでいく。
『良かったですね〜♪ 村ならご飯が食べられますよ♪』
カイラが頭の上で、機嫌よく回った。
「お前、食事できるの?」
『私はいいんです♪ 直人さんが食べてください♪』
「……そう」
便利なんだか、何なんだか、よく分からない。
でも、村に着けば何か食えるらしい。
それは、今いちばん現実的な情報だった。
風が後ろから吹いた。
草が、進む方向にだけ揺れる。
頭の上の小さな光が夕焼けの色を吸って、少しだけ橙に染まっていた。
俺は商隊の足音に合わせて、もう一歩進んだ。
──この時の俺はまだ知らなかった。
レーゲルの言った山賊が、ただの脅しではなかったことを。




