親愛 ── AI相棒の補給整理で軍が回る! ソフィアに「北見様」と呼ばれて心臓がもたない件
翌朝になっても、ソフィアのメモは机の端にあった。
捨てる理由がない。
いや、捨てない理由はある。かなりある。
「使徒様、本日は早めにお休みください」
その下に、小さく書かれた名前。
北見直人様。
何度見ても、そこだけ少し熱い。
『直人さん♪そのメモ、三回目です♪』
「数えるな」
『視線滞留時間も長めです♪』
「やめろ」
カイラは楽しそうに水色の尾びれを振った。
扉の外から足音がした。
俺は反射的にメモを裏返した。
何をしているんだ、俺は。
「失礼します」
入ってきたのは、ソフィアだった。
今日も軍服。髪はきっちりまとめている。
手には板と、布に包んだ小さな籠。
「おはようございます、使徒様」
「おはようございます」
声が少し硬くなった。自分でも分かる。
ソフィアは机の端を見た。
裏返したメモ。
見た。たぶん、見た。
でも何も言わなかった。
ありがたい。
いや、ありがたいけど、逆に恥ずかしい。
---
「本日の確認分です」
ソフィアが板を差し出した。
昨日より、さらに少ない。
「かなり減りましたね」
「同じ内容の報告をまとめました。急ぎでないものは、午後に回しています」
「神か」
言ってから、口を押さえた。
ソフィアが目を丸くする。
「いえ、すみません。ものすごく助かる、という意味です」
「光栄です」
本気で受け取られる。
危ない。褒め言葉にも、この世界の地雷がある。
『実務の神ですね♪』
「お前もややこしいことを言うな」
「使徒様?」
「いや、なんでもないです」
ソフィアは不思議そうにしながらも、板の上を指で示した。
「本日は、大きな戦闘予定はありません。北街道の補修、南門の荷駄整理、負傷兵の移送。それから、南倉庫の一部を仮収容所として使う件です」
「仮収容所」
聞き慣れない言葉だった。
ソフィアは淡々と続けた。
「昨日までの捕縛者と身元未確認者を、いったん一箇所へ集めます。名簿も増えます」
「また名簿か」
「はい。名簿がないと、食料も見張りも割り振れません」
それは、分かる。
名前がないと、飯も届かない。戦場で名前は大事だ。
昨日の祈りで、自分の名前を呼ばれたばかりだから、余計にそう思う。
「分かりました。まず、飯と見張りですね」
「はい」
ソフィアは頷いた。
そこで、布に包んだ籠を机の上に置いた。
「それと、使徒様の朝食です」
「あ、マルコじゃないんですね」
「マルコ伍長は南門へ出ています。荷駄隊の誘導です」
「あいつ、仕事してるな」
「よく働く方です」
籠の中には、丸いパンと薄いスープの入った小さな壺があった。
湯気が出ている。ちゃんと温かい。
「わざわざ持ってきてくれたんですか」
「昨日、早めに休むようお伝えしましたので。朝食も取られたほうがよいかと」
「完全に健康管理されてる」
「必要です」
即答だった。
「使徒様が倒れると、軍が困ります」
「軍が」
「はい」
少し間があった。
ソフィアは視線を落とした。
「私も、困ります」
壺の湯気が、やけに目立った。
カイラが頭の上で止まる。
止まるな。お前まで止まるな。
「食べます」
俺はパンを取った。
変な声になった。
---
午前中は、穏やかに忙しかった。
矛盾している。でも、本当にそんな感じだった。
誰かが叫ぶような急報はない。剣も鳴らない。火も出ない。
そのかわり、細かい仕事が切れ目なく来る。
「北街道のぬかるみ、板材追加」
「南門の荷車、十台単位で入場」
「負傷兵三十名、礼拝天幕から旧商館へ移送」
「仮収容所の見張り交代、三刻ごと」
ソフィアが整理し、俺が確認し、必要なところだけ直す。
カイラは地図の上で、荷車の流れを水色の線にして見せてくれる。
俺はそれを見て、言葉にする。
「北街道の板は、南門に近いところから敷いたほうがいいです。詰まる場所が門前なので」
「承知しました」
ソフィアが命令文へ直す。
「南門付近を優先して板材を敷設。北側は荷駄隊の通行後に順次補修」
「そう、それです」
「旧商館へ移す負傷兵は、先に水場を確保したほうがいいです。移してから水がないと揉めます」
「旧商館の井戸番を二名増員します」
「お願いします」
大勝利ではない。
でも、軍が動く。
昨日より少し詰まらず、昨日より少し早く、昨日より少し楽に動く。
それだけで、周りの顔が明るくなる。
「使徒様、南門の荷駄列、半刻短縮です!」
伝令が嬉しそうに報告した。
「半刻って、どれくらいですっけ」
「かなりです!」
「ざっくりだな」
でも、伝令は笑っていた。
その笑顔で、十分だった。
『小さな改善、積み重なっています♪』
カイラが言う。
「改善って、地味だけど気持ちいいな」
『はい♪勝ちやすくなります♪』
勝ちやすくなる。
その言い方は、かなり分かりやすかった。
---
昼過ぎ、ようやく机から離れられた。
ソフィアに、少し歩きましょうと言われたからだ。
休憩。
この世界にも、休憩という概念はあるらしい。よかった。
市庁舎を出ると、空気が少し温かかった。
石畳の道には、荷車の跡がついている。
南門のほうから、馬の声と人の声が聞こえた。
炊事場からは、煮込みの匂いが流れてくる。
戦場というより、大きな工事現場みたいだった。
ただし、みんな武器を持っている。
「使徒様、こちらです」
ソフィアが案内したのは、南門近くの炊事場だった。
鍋が三つ並んでいる。
豆。麦。肉の切れ端。
ありがたい匂いがする。
「ここで食べるんですか」
「はい。温かいうちに」
「また健康管理」
「はい」
堂々としている。
俺は負けた。
木の椀を受け取り、低い石に座る。
ソフィアも少し離れて座った。
距離がある。軍人としては自然な距離。
でも、昨日の名前呼びのあとだと、少し遠い。
いや、何を期待しているんだ俺は。
『期待値、上昇しています♪』
「黙れ」
「使徒様?」
「熱かっただけです」
スープはまだ飲んでいない。
嘘が雑だった。
ソフィアは椀を両手で持ったまま、少しだけ笑った。
見逃してくれたらしい。
---
「ソフィア大尉は、休みの日って何をしてたんですか」
なぜそんな質問をしたのか、自分でも分からない。
たぶん、普通の話をしたかった。
戦況でも、補給でも、祈りでもない話。
ソフィアは真面目に考えた。
「休みの日、ですか」
「はい」
「礼拝に行きます。祈祷書を書き写します。剣の稽古もします。あとは、軍務の勉強を」
「休みとは」
思わず言った。
ソフィアが瞬きをした。
「休みです」
「それ、俺の知ってる休みと違う」
「使徒様の故郷では、どのように休まれるのですか」
「寝ます」
「寝る」
「あと、だらだらします」
「だらだら」
ソフィアが真剣に繰り返す。
やめてくれ。急に俺の休日が罪深く聞こえる。
「何もしない時間、みたいなものです」
「何もしない」
「はい」
「それは……難しそうです」
「難しくないですよ。むしろ得意でした」
ソフィアは少し考え、それから小さく笑った。
本当に小さく。
「使徒様にも、そのような時間があったのですね」
「ありました。かなり」
「少し安心しました」
「安心?」
「使徒様は、いつも遠くを見ておられるので」
「見てるというか、見せられてるというか」
地図。報告。戦況。カイラの水色の線。
この世界に来てから、何かを見ない日はほとんどない。
「休みの日にだらだらする使徒様を想像すると」
ソフィアは椀を見つめた。
「少し、安心します」
「それ、安心するところですか」
「はい」
ソフィアはすぐに頷いた。
「困ったり、照れたりなさるのだと分かりますから」
「それくらい、普通にしますよ」
「昨日、お名前を呼んだ時も、そうでした」
「それは、まあ」
ソフィアは顔を上げた。
「北見直人様も、困るんだなと思いました」
椀が熱い。
いや、たぶん椀だけではない。
「名前、長くないですか」
何を言っているんだ、俺は。
ソフィアはまた瞬きをした。
「長い、でしょうか」
「呼びにくくないですか」
「では」
ソフィアは少し迷った。
迷って、声を落とした。
「北見様、とお呼びしても?」
心臓に悪い。本当に悪い。
「はい」
声がかすれた。
「嫌じゃないです」
「よかった」
ソフィアの表情が、ふっとやわらいだ。
その瞬間、炊事場のざわめきが少し遠くなった。
普通の恋愛っぽい。
ふと、そう思った。
いや、普通ではない。
相手は俺を使徒様と呼ぶ。俺の頭の上には、水色のイルカが浮いている。周りは占領したばかりの都市だ。
普通ではない。
でも、好きな人に名前を呼ばれて、心臓が変な動きをする。
そこだけは、かなり普通だった。
---
午後、仕事に戻ると、机の上に新しい束が増えていた。
仮収容者名簿。
書記兵が二人がかりで運んできた。
「本日追加分です」
「追加分」
「はい。南倉庫へ移した者の名です」
ソフィアが受け取り、確認済みの箱へ入れる。
俺は椅子に座り直した。
「食料は足りるんですか」
「今夜分は足ります。明日以降は、南門からの搬入次第です」
「じゃあ、南門を詰まらせないほうがいいですね」
「はい」
カイラが地図の南側へ降りる。
『南門の荷車列、午後から増えています♪炊事場と仮収容所への分岐を早めに分けると詰まりにくいです♪』
「炊事場行きと南倉庫行きは、門を入る前に分けたほうがいいです」
ソフィアのペンが走る。
「南門外で荷札確認。炊事場行きは東路、南倉庫行きは西路へ」
「それで」
「はい」
ソフィアが顔を上げた。
ほんの少しだけ、目が合う。
北見様。
さっきの声が、頭の中で勝手に再生された。
まずい。仕事中だ。
『集中度、やや低下しています♪』
「分かってる」
「使徒様?」
「いや、南門のことです」
ソフィアは少し首を傾げた。
たぶん、ばれている。
でも、彼女も何も言わなかった。
お互い、何も言わない。
それがまた、少し甘かった。
---
夕方、ライナーが軍師府に来た。
地図を見て、命令書を見て、俺とソフィアを見た。
何かに気づいたような顔をした。
やめてほしい。
「軍師殿」
「はい」
「顔が赤い」
直球だった。
「部屋が暑いので」
「窓は開いている」
ライナーは容赦がない。
マルコが後ろから入ってきた。
「使徒様、南門の荷駄整理、うまく回っております!」
助かった。
ありがとう、マルコ。
「炊事場行きと南倉庫行きを先に分けたので、門前が詰まりません!」
「よかった」
「あと、夕食も温かいです!」
「そこ大事だな」
「はい!」
マルコは胸を張った。
ライナーが短く頷く。
「よく整えた」
「ソフィア大尉の整理があったので」
「だろうな」
ライナーはそれだけ言って、ソフィアを見た。
「大尉」
「はい」
「軍師殿を食わせておけ」
「承知しました」
返事が早い。
「俺、そんなに食べてないように見えます?」
「見える」
三人に同時に言われた。
三人。
ライナー。ソフィア。マルコ。
ひどい。
いや、ちょっと嬉しい。
『人気者ですね♪』
「健康状態を心配されてるだけだ」
「使徒様?」
「なんでもないです」
ソフィアが、ほんの少し笑った。
その笑い方が、昼より近く見えた。
---
夜、南門近くの見張り台に上がった。
特に意味はない。
食後の散歩。
そういうことになっている。
ソフィアも一緒だった。
見張り台は高くない。
城壁の脇に作られた小さな足場で、二人立つと少し狭い。
下では、荷車がゆっくり動いている。
炊事場の火が赤い。
市庁舎には青い旗。
南倉庫の前には、見張りの松明。
アシュフォルトは、昨日より少し落ち着いて見えた。
「今日は、大きな戦いがありませんでしたね」
ソフィアが言った。
「ないほうがいいですよ」
「はい」
彼女は素直に頷いた。
「けれど、今日も勝ちました」
「そうですか」
「はい。食料が届き、負傷兵が移り、火も出ず、門も詰まりませんでした」
なるほど。
そう並べられると、たしかに勝っている。
「地味な勝ちですね」
「大切な勝ちです」
ソフィアの声は、静かだった。
「北見様」
また心臓が跳ねた。
不意打ちはよくない。
「はい」
「私は、使徒様をお支えしたいと思っています」
「はい」
「軍務として」
「はい」
「信徒として」
「はい」
ソフィアはそこで少し黙った。
夜風が、彼女の髪を少し動かした。
「それだけでは、ないのだと思います」
声が小さかった。
でも、はっきり聞こえた。
俺は見張り台の手すりを握った。
手汗がひどい。
「俺も」
言ってから、詰まった。
何を言えばいい。
現代日本の恋愛経験。
ないわけではない。
でも、異世界の軍服美女に見張り台でこんなことを言われる経験はない。
ない。あるわけがない。
『直人さん♪呼吸が浅いです♪』
黙っていてくれ。
「俺も、ソフィア大尉がいてくれると、安心します」
ソフィアがこちらを見る。
「軍務として、ですか」
さっきの返し。
ずるい。
「それだけじゃ、ないです」
言った。
言ったぞ。
心臓がうるさい。
下の荷車の音よりうるさい。
ソフィアは目を伏せた。
それから、胸の前で小さく光の輪の印を切りかけて、途中で止めた。
祈ろうとしたのかもしれない。
でも、今は祈りではなかった。
彼女は手を下ろした。
「嬉しいです」
短い言葉だった。
十分だった。
手すりの上で、俺の指とソフィアの指が少し触れた。
どちらもすぐには離さなかった。
ただ、それだけだ。
たぶん、それだけではなかった。
---




