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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第五章 聖女様は、正しすぎる
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第83話 聖女様は、市場で普通に買い物がしたい

 最高導師候補になって最初の日曜日、リリア・セレスティアは市場へ行った。


 理由は、とても重大だった。


「靴下がありません」


 朝食の席でそう宣言すると、ルーメンはスープを飲む手を止めた。


「ございますよね?」


「あります」


「では?」


「右が三枚で、左が一枚です」


「なぜです?」


「私が知りたいです」


 洗濯係へ出したはずなのだが、いつの間にか左右の数が合わなくなったらしい。


 ちなみにリリアの靴下は左右で形が違うわけではない。


 本人が勝手に決めている。


「こっちが右です」


「同じに見えます」


「縫い目の感じが違います」


「同じです」


「違います」


「では、右を左に履けばよろしいのでは?」


「ルーメンさんには情緒がない」


「靴下に情緒を求めないでください」


 最高導師候補。


 推薦署名、三万超。


 朝からやっていることは、靴下の左右についての議論だった。


 平和である。


 ◇


「それなら備品係に頼めば、新しいものを用意します」


「自分で買います」


「なぜ?」


「市場に行きたいから」


「そちらが本音ですね」


「あと、蜂蜜も買いたいです」


「さらに本音が出ましたね」


 リリアは白い外套を羽織った。


 礼装ではない。


 いつもの服。


 いつもの鞄。


 いつもの靴。


 最高導師候補になってから、周囲は新しい衣装を用意したがった。


 リリアは全部断った。


「これ、まだ着られますから」


 その結果。


 《泥靴の聖女》。


 最高導師候補になっても、泥靴。


 新聞記者には非常に評判がよかった。


 本人には不評だった。


「もっとこう、《白銀の聖女》とかないんですかね」


「泥靴の方が覚えやすいです」


「嫌です」


「国民には好評です」


「なお嫌です」


 ◇


 光秩院本部から歩いて十五分。


 旧市街の市場は、休日ということもあって混んでいた。


 野菜。


 果物。


 魚。


 干し肉。


 パン。


 布。


 陶器。


 石鹸。


 香辛料。


 屋台からは焼いた腸詰めの匂いが漂っている。


「これです」


 リリアは嬉しそうに息を吸った。


「何がです?」


「休日」


「まだ市場へ着いただけですが」


「誰も書類を持ってこない」


「私は持っています」


「出さないでくださいね」


「緊急時だけです」


「絶対ですよ」


 五歩。


 歩いた。


「あ」


 八百屋の女性がリリアに気づいた。


「聖女様!」


 終わった。


 ◇


「聖女様だ!」


「本当だ!」


「最高導師候補の!」


「泥靴の!」


「最後いらないです!」


 リリアの休日は、およそ四十秒で終了した。


 人が集まる。


 握手。


 お礼。


 相談。


 子ども。


 老人。


 なぜか赤ん坊を抱かされる。


「かわいいですねえ」


 赤ん坊。


 リリアの髪。


 掴む。


「痛い痛い痛い!」


 母親が慌てる。


「申し訳ありません!」


「大丈夫です。元気ですね」


「ほら、離しなさい!」


「無理に引っ張らないで! 私の頭皮が負けます!」


 最高導師候補。


 赤ん坊に敗北。


 ◇


 ようやく解放され、靴下屋へ向かう。


 途中。


 パン屋。


「聖女様、これ持ってって!」


 丸パン。


 六個。


「お金払います」


「いらないよ!」


「払います」


「いつも助けてもらってるから!」


「それは仕事です」


「いいから!」


「駄目です!」


 押す。


 戻す。


 押す。


 戻す。


 パンを挟んだ攻防。


 最終的に。


「じゃあ半額!」


「定価!」


「半額!」


「定価!」


「七割!」


「値上がってる!」


 店主が笑った。


「じゃあ定価でいいよ」


「最初からそうしてください」


 リリアは銅貨を渡す。


 店主も受け取る。


 ただし。


 袋。


 妙に重い。


 リリア。


 開ける。


 七個。


「一個増えてます!」


「おまけだ!」


「だから!」


「全員にやってる!」


 後ろの客が言った。


「俺、もらったことないぞ」


「今日からだ!」


「制度を今作らないでください!」


 ◇


「……クラリス様の気持ちが分かってきました」


 歩きながらリリアが言った。


「何がです?」


「お金を払わせてもらえない」


「クラリス様も?」


「昔から、何かしてあげた人に《いらない》って言われると、すごく面倒な顔してました」


「想像できます」


「それで最終的に《では次から商売相手として買います》って」


「言いそうですね」


「私も使おうかな」


「影響されていますね」


 離れてから。


 半年以上。


 それでも時々。


 クラリスの言葉が出る。


 リリアは、それを少し嬉しく思っていた。


 ◇


 靴下屋へ着いた。


「二足ください」


「聖女様なら十足でも!」


「二足です」


「最高級品を!」


「普通ので」


「絹は?」


「泥だらけになります」


「では白絹に金糸で光秩院の紋章を――」


「靴下ですよ?」


「最高導師候補ですから」


「靴の中ですよ?」


「最高導師候補ですから」


「誰にも見えませんよ?」


「聖女様ご自身が見ます」


「普通のください」


 最終的に。


 羊毛。


 二足。


 買った。


 リリア。


 満足。


「これで左右二枚ずつです」


「四枚ずつでは?」


「……」


「今お持ちの分がありますから」


「……」


「リリア様?」


「蜂蜜買いましょう」


「計算から逃げないでください」


 ◇


 蜂蜜屋へ向かう途中だった。


 市場の中央。


 人だかり。


「何でしょう?」


 近づく。


 荷車。


 倒れていた。


 袋。


 散乱。


 豆が石畳いっぱいに転がっている。


 若い商人が青い顔で拾っていた。


「すみません! すぐ片づけます!」


 どうやら車輪が外れたらしい。


 通路。


 半分。


 塞がっている。


 市場管理官が来た。


「ここは荷車の停車禁止区域だぞ」


「すみません」


「規則では罰金だ」


「はい……」


 商人は抵抗しなかった。


 自分が悪い。


 そういう顔だった。


 リリアは荷車を見る。


「止めてたんですか?」


「いえ」


 商人が答える。


「通っていたら、急に車輪が」


「では停車じゃなくて故障ですね」


 管理官が困る。


「しかし、結果として通行を妨げていますので」


「それはそうですね」


 リリアは豆を一つ拾った。


「じゃあ、まず片づけません?」


「聖女様が!?」


「話してる間にも邪魔なので」


 しゃがむ。


「袋あります?」


「リリア様」


 ルーメン。


「はい?」


「外套」


「洗えばいいです」


「予想していました」


 ルーメンもしゃがんだ。


 ◇


 すると。


 一人。


 二人。


 市場の客も拾い始めた。


「聖女様に拾わせるわけにいかん」


「俺もやる」


「籠持ってくるよ」


 十分。


 ほぼ片づいた。


 荷車は修理屋が運んでいった。


 商人は何度も頭を下げた。


「ありがとうございます」


「私は豆拾っただけです」


 管理官が罰金台帳を開く。


 少し迷って。


 閉じた。


「今回は、事故ということで」


 リリアが彼を見る。


「罰金じゃないんですか?」


「え?」


「規則では?」


「しかし聖女様が」


「私が何です?」


 管理官が詰まった。


 リリアは責めるつもりはなかった。


 ただ。


 確認したかった。


「この人が普通の商人でも、事故なら罰金なしですか?」


「……規則上は、故意または過失による停車が対象です。整備不良なら過失になりますが、車輪を見る限り、軸の内部破損です」


「じゃあ?」


「不可抗力と判断できます」


「よかった」


 リリアは笑った。


「それなら私がいなくても、同じですね」


 管理官は。


 一瞬だけ。


 黙った。


「……はい」


 ◇


 市場を歩き出してから、ルーメンが言った。


「気づきました?」


「何に?」


「あの管理官、最初は罰金を取るつもりでした」


「はい」


「あなたがいたから、やめた」


「でも最後は規則を確認したでしょう?」


「そうですね」


「ならいいです」


 リリアは蜂蜜の瓶を眺めながら答えた。


 ルーメンは、それ以上言わなかった。


 確かに。


 結果は正しい。


 事故で困っている商人から、規則を誤って適用して罰金を取らずに済んだ。


 何も悪くない。


 むしろ。


 良かった。


 ただ。


 もし。


 リリアがいなかったら。


 管理官は。


 規則を開いただろうか。


 ◇


 蜂蜜。


 三種類。


「味見できますよ」


「三種類とも?」


「もちろん!」


 リリア。


 一つ。


「おいしい」


 二つ目。


「これもおいしい」


 三つ目。


「これも」


 ルーメン。


「感想が役に立ちませんね」


「全部おいしいんだから仕方ないじゃないですか」


「違いは?」


「一番目は花っぽいです」


「蜂蜜ですから」


「二番目は、こう……蜂蜜っぽい」


「蜂蜜です」


「三番目は」


「はい」


「濃い」


「語彙を救済してください」


「聖女にも無理なものがあります」


 店主が腹を抱えて笑った。


 結局。


 三つ目。


 購入。


 理由。


「パンに塗ったら一番おいしそうだから」


 極めて実務的だった。


 ◇


 昼。


 市場の端にある食堂。


 豆の煮込み。


 焼いた腸詰め。


 黒パン。


 酢漬け野菜。


 リリアは幸福そうだった。


「これですよ」


「何が?」


「休日」


「午前中だけで相談を十一件受けています」


「数えないでください」


「赤ん坊に髪を引かれました」


「休日です」


「荷車事故を処理しました」


「豆を拾っただけです」


「市場管理規則まで確認しました」


「……休日です」


「強情ですね」


 ◇


 隣の席。


 二人の女性が話していた。


「東の配給所、場所変わるんだって」


「え、遠くなるじゃない」


「でも新しい方が広いらしいよ」


「広くてもねえ。うちのお婆ちゃん、歩けないし」


 リリア。


 耳。


 動く。


 ルーメン。


 パン。


 差し出す。


「食べてください」


「聞こえました?」


「聞こえていません」


「絶対聞こえてましたよね」


「休日です」


「でも」


「食べてください」


 リリア。


 一口。


 食べる。


 もぐもぐ。


「……配給所」


「飲み込んでから話してください」


 ごくん。


「配給所の移転って、私たちの管轄ですよね?」


「一部関係します」


「資料あります?」


「今日は持ってきていません」


「さっき緊急書類持ってるって」


「あれは緊急用です」


「じゃあ帰ったら」


「月曜日にしてください」


「でも」


 そこで。


 隣の女性が。


 リリアに気づいた。


「あ……」


 目。


 合う。


「聖女様」


「こんにちは」


 女性。


 顔色。


 変わる。


「すみません、今の話」


「はい?」


「別に反対ってわけじゃないんです」


 リリアの表情が止まった。


「広い方がいいと思いますし。皆さんが決めたことなら、それで」


「……でも、お婆さまが?」


「大丈夫です」


「歩けないって」


「何とかしますから」


 女性は笑った。


 さっきまでの。


 不満そうな顔ではなかった。


「聖女様たちが考えたなら、きっとその方がいいんですよね」


 リリアは。


 返事が。


 少し遅れた。


「……私」


「はい?」


「その計画、知りません」


 女性が驚く。


「え?」


「本当に。今、初めて聞きました」


 ◇


 月曜日。


 リリアは東地区配給所の資料を机に広げた。


 旧配給所。


 狭い。


 老朽化。


 新配給所。


 広い。


 衛生設備。


 良好。


 荷車も入れる。


 費用。


 妥当。


 計画としては。


 良い。


「移転理由は分かります」


 担当官が頷く。


「ありがとうございます」


「利用者には?」


「説明会を開きました」


「反対は?」


「ほとんどありませんでした」


「ほとんど?」


「九十四パーセントが賛成です」


 リリアは。


 数字。


 見る。


 以前なら。


 かなり安心した数字だった。


 でも。


「残り六パーセントは?」


「高齢者や歩行困難者を中心に、距離への懸念が」


「対応は?」


「今後検討します」


「移転決定後に?」


「はい」


 リリアは昨日の女性を思い出した。


 ――聖女様たちが考えたなら。


「説明会で」


 リリアが聞く。


「私の名前、出しました?」


 担当官。


 少し誇らしそうに。


「もちろんです」


「何て?」


「《光秩院が進める救済施設再編の一環であり、聖女リリア様の掲げる、より安全で公平な配給体制の実現を目指すものです》と」


「……私、この計画知らなかったんですけど」


「ですが、方針としてはリリア様の理念と合致しております」


 確かに。


 合っていた。


 安全。


 公平。


 衛生。


 効率。


 全部。


 リリアが大切にしてきたことだ。


「その説明をしたあとで、意見を聞いたんですか?」


「はい」


「……」


 リリアは椅子にもたれた。


 少し。


 天井を見る。


 それから言った。


「もう一回、聞いてください」


「しかし、九十四パーセントが賛成しています」


「今度は」


 リリアは担当官を見る。


「私の名前を出さないで」


 ◇


 二回目。


 説明会。


 冒頭。


 担当官は言った。


「本計画はまだ調整可能です。今日は移転の是非を含め、皆さんの生活上の問題を確認します」


 聖女の名前。


 出さない。


 結果。


 賛成。


 七十一パーセント。


 条件付き賛成。


 十七パーセント。


 反対。


 十二パーセント。


 前回。


 反対相当。


 六パーセント。


 倍になった。


 でも。


 話を聞くと。


 単純な反対ではなかった。


「遠い」


「冬が危ない」


「坂がある」


「荷物を持って帰れない」


「老人はどうする」


「子どもを連れて歩けない」


 そして。


 意見を集めた結果。


 新しい案。


 できた。


 配給所そのものは移転。


 ただし。


 旧配給所。


 週二日。


 小規模受取所として残す。


 高齢者。


 歩行困難者。


 乳幼児世帯。


 利用可能。


 さらに。


 地域の荷車組合。


 週一回。


 配達。


 費用。


 当初計画より。


 少し増えた。


 でも。


 新施設の利点も。


 残った。


 ◇


「よくなりましたね」


 担当官が言った。


「はい」


「最初の計画も、悪くはなかったんですが」


「悪くないですよ」


「では、なぜ最初は意見が出なかったんでしょう」


 リリアは。


 少し考えた。


「たぶん」


 答える。


「私の名前が、説明の代わりになっちゃったんです」


 担当官は黙った。


「私の名前を出すと安心してもらえる。それは嬉しいです」


 本当に。


 嬉しい。


 信用されたかった。


 役に立ちたかった。


 誰かに。


 この人なら大丈夫。


 そう思ってもらえる人になりたかった。


「でも」


 リリアは続けた。


「安心すると、人って質問しなくなるんですね」


 ◇


 その夜。


 リリアは。


 久しぶりに。


 古いノートを開いた。


 まだ。


 特別救済監になる前。


 泥だらけで。


 クラリスに採点されていた頃のもの。


 頁をめくる。


 自分の字。


 《断る権利は、断った後まで守られて初めて権利になる。》


 次。


 《正しいと思っている組織ほど、自分では見えない場所がある。》


 そして。


 空いているところに。


 今日。


 一行。


 追加した。


 《信用されると、反対されにくくなる。》


 考える。


 もう一行。


 《だから、信用されている人ほど、先に自分の名前を外して聞く。》


「……よし」


 少し。


 安心した。


 まだ。


 気づけている。


 まだ。


 戻せる。


 ◇


 その時。


 扉。


 ノック。


「どうぞ」


 ルーメン。


 入る。


 紙袋。


 持っている。


「何です?」


「届きました」


「何が?」


 紙袋。


 開く。


 肉。


 大量。


「……」


「帝国皇女アレクシア殿下より」


 手紙。


 《偉くなっても肉を食え。》


「なんで!?」


「愛情では?」


「雑すぎません!?」


「干し肉、腸詰め、燻製肉、それと高級牛肉です」


「高級牛肉!?」


 リリア。


 食いつく。


 ルーメン。


 見る。


「……」


「何です?」


「いえ」


「私、聖女ですよ」


「何も言っていません」


「聖女だって肉食べますからね」


「はい」


「野菜も食べます」


「はい」


「蜂蜜も」


「今日買いましたね」


「パンも」


「七個あります」


「一個は勝手に増えたんです!」


 ◇


 その夜。


 光秩院の小さな厨房。


 高級牛肉。


 焼く。


 リリア。


 ルーメン。


 エレノア。


 三人。


「最高導師がこんなところで肉焼いてていいんですか?」


「休日ですから」


「私が市場行くと怒るのに」


「私は赤ん坊に髪を引っ張られません」


「そこ?」


 肉。


 焼ける。


 塩。


 少し。


 食べる。


 リリア。


 目。


 閉じる。


「……アレクシア様」


「はい」


「内政もできるし、お肉も送ってくれる」


「はい」


「ものすごく良い皇女なのでは?」


「今さらですか?」


「最初、脳筋だと思ってました」


「本人の前では言わないように」


「言ったことあります」


「あるんですか」


 ◇


 エレノアは食後。


 リリアのノートを見た。


 今日の二行。


 《信用されると、反対されにくくなる。》


 《だから、信用されている人ほど、先に自分の名前を外して聞く。》


「良いですね」


「ですよね」


「覚えておいてください」


「もちろんです」


「特に」


 エレノアは言った。


「皆があなたの名前を外したがらなくなった時に」


 リリア。


 笑う。


「その時は、もっと強く言います」


 ――私の名前を使わないで。


 そう言えば。


 済むと思っていた。


 ◇


 数週間後。


 光秩院地方局。


 新しい通達。


 出る。


 《住民意見聴取時、特定の高位聖職者の名を用いて賛同を誘導しないこと。》


 良い制度だった。


 現場でも。


 評判が良かった。


「聖女様らしい」


「ちゃんと反対意見を聞けってことだな」


「いい方針だ」


「さすがリリア様だ」


 そして。


 ある地方の説明会。


 役人。


 住民へ言う。


「今回は、聖女リリア様のご方針により」


 資料。


 開く。


「聖女様のお名前に遠慮せず、自由にご意見ください。」


 住民たち。


 頷く。


「さすが聖女様だねえ」


「そこまで考えてくださってるんだ」


「ありがたいね」


 反対意見。


 いくつか。


 出た。


 以前より。


 出た。


 だから。


 制度は。


 ちゃんと。


 機能していた。


 ただ。


 誰も。


 気づかなかった。


 《リリアの名前を使わない》という方針まで。


 《リリアの方針》として広まっていることに。


 ◇


 王国。


 同じ頃。


 クラリスは。


 次の町へ向かう馬車の中で。


 地方振興局から届いた報告を読んでいた。


「質問帳、評判いいみたいですよ」


 ルシアンが言う。


「そうですか」


「《クラリス様は答えを与えず、問いを与える》って新聞に」


「……」


「かっこいいですね」


「嫌な予感しかしません」


「どうして?」


「そのうち」


 クラリス。


 報告書。


 閉じる。


「《クラリス様なら、まず質問する》と言って、質問すること自体が正解になります。」


「……そこまでいきます?」


「人は便利なものが好きですから」


 足元。


 ヨル。


 寝ている。


「わふ」


「あなたも便利な場所が好きですね」


 ヨル。


 クラリスの足。


 枕。


「重いです」


「わふ」


「退いてください」


「わふ」


「……」


「クラリス様」


「何です?」


「退かさないんですか?」


「寝ていますから」


「ヨルには甘いですよね」


「黙ってください」


 ◇


 聖女は。


 まだ。


 間違っていなかった。


 むしろ。


 以前より。


 よく考えていた。


 反対意見を守った。


 自分の名前の危険にも気づいた。


 制度まで作った。


 そして。


 その制度も。


 ちゃんと。


 人を救った。


 だから。


 難しかった。


 悪い制度なら。


 捨てればいい。


 失敗した方法なら。


 やめればいい。


 横暴な聖女なら。


 反対すればいい。


 でも。


 よく考え。


 間違えば戻り。


 反対意見を聞き。


 自分を監査しようとする聖女を。


 人々は。


 ますます。


 信じた。


 リリア・セレスティアが最高導師候補になって。


 三か月。


 支持。


 八十二パーセント。


 反対。


 九パーセント。


 未定。


 九パーセント。


 そして。


 反対九パーセントの人々にも。


 まだ。


 何も起きていなかった。


 職を失わない。


 悪口も言われない。


 救済も受けられる。


 リリア本人も。


 それを望んでいた。


 だから。


 この時点では。


 本当に。


 何も。


 壊れていなかった。


 ただ。


 市場で。


 一人の女性が。


 聖女を前にして。


 自分から言った。


 ――別に反対ってわけじゃないんです。


 その小さな一言だけが。


 まだ名前のない。


 未来の入口だった。

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