第74話 聖女様は、正解を配らない
「できました!」
朝。
聖協国。
光秩院。
会議室。
リリアの前へ。
どん。
分厚い。
本。
「……」
どん。
もう一冊。
「……」
さらに。
どん。
「待ってください」
「はい?」
「増えました?」
「全三巻です」
「聞いてません!」
◇
表紙。
金文字。
立派。
《リリア式地域救済標準要綱》
第一巻。
医療・衛生。
第二巻。
孤児・貧困。
第三巻。
難民・災害。
「……」
リリア。
表紙を見る。
「私の名前」
「取れません?」
「なぜです?」
担当官。
真顔。
「恥ずかしいです」
「既に印刷を」
「何冊?」
「二千部」
「二千!?」
「初版です」
「初版って何!?」
クラリス。
紅茶を飲む。
「売れていますね」
「売り物じゃないです!」
「では」
「印税もありませんね」
「そこを残念そうに言わないでください!」
◇
一年間。
リリアが。
各地で試した。
方法。
失敗。
改善。
それを。
光秩院の官僚たちが。
まとめた。
悪いことではない。
むしろ。
必要だった。
井戸の衛生管理。
巡回診療。
孤児支援。
難民キャンプ。
食料配給。
女性用設備。
感染症対策。
地域調査。
どれも。
実績がある。
「これを」
担当官。
胸を張る。
「聖協国全土の」
「標準方式とします」
「……」
リリアの。
指。
止まった。
「標準?」
「はい」
「全部?」
「はい」
「この通りに?」
「原則として」
「はい」
「……」
クラリスが。
カップを置いた。
何も。
言わない。
◇
「クラリス様」
「はい」
「今」
「何か言いたい顔してます」
「していません」
「してます」
「気のせいです」
「絶対してる」
「リリア様」
「何でしょう」
「ご自分の名前が」
「書かれていますよ」
「……」
リリア。
三冊を見る。
「じゃあ」
「私が読みます」
「全部?」
「全部」
「千二百四十七頁ございます」
「……」
「リリア様?」
「読ませてください」
「声が死にましたね」
◇
三日後。
「無理です」
机。
べた。
リリア。
潰れた。
「七百二十二頁です」
クラリス。
「半分以上」
「読みましたね」
「褒めて」
「よくできました」
「心がない!」
「ご要望が多いですね」
ヨル。
机の下。
寝ている。
リリア。
手だけ伸ばす。
もふ。
「回復します」
「便利ですね」
「クラリス様も」
「触ります?」
「仕事中です」
数秒。
沈黙。
クラリスの。
左手。
机の下。
もふ。
「触ってる!」
「確認です」
「何の!?」
「毛並みの」
「監査?」
「そうです」
「監査を万能語にしないでください!」
◇
だが。
七百二十二頁で。
リリアは。
十一箇所。
印を付けていた。
「ここ」
開く。
《難民キャンプにおける給食は、穀物・豆類・肉類を一定比率で配分する。》
「これ」
「実績があります」
担当官。
「はい」
「でも」
「北部の人」
「豆をほとんど食べないですよね」
「……」
「東部沿岸は」
「魚の方が手に入りやすい」
「はい」
「山岳部は?」
「乳製品が多いです」
「なのに」
「全部」
「同じ献立にするんですか?」
「栄養価は」
「計算されています」
「それは」
「いいです」
リリア。
「でも」
「食べてもらえなかったら?」
◇
次。
《女性用洗い場は居住区より百歩以上離し、目隠しを設置する。》
「これは」
「あなたの提案です」
「はい」
「国境キャンプで」
「そうしました」
「では問題は」
「あります」
「なぜ?」
「あそこは」
「女性たちが」
「夜の共同水場を怖がってたから」
「……」
「でも」
「別の町では」
「市場の隣がいいかもしれない」
「なぜ市場?」
「人が多いから」
「安全?」
「かもしれない」
「逆に」
「人目が嫌な人もいる」
「はい」
「だから」
リリア。
本を。
ぱたん。
「私のやったことを」
「正解にしないでください」
◇
会議室。
静か。
担当官が。
困った顔。
「しかし」
「聖女様の方式は」
「成果を上げています」
「はい」
「各地から」
「導入を求める声も」
「嬉しいです」
「ならば」
「なぜ?」
リリアは。
少し考えた。
「私が」
「ミレアで」
「何を教わったか」
「覚えてます?」
クラリスを見る。
「私に聞きますか?」
「あ」
自分で。
考える。
「……守りたい暮らしを知らずに」
「人を救ったことにはならない」
自分の帳面。
二十何番だったか。
もう。
ページの端が。
擦れている。
「同じ病気でも」
「同じ貧しさでも」
「同じ災害でも」
「暮らしは」
「同じじゃないです」
◇
担当官。
「では」
「要綱を廃止しますか?」
「それも違う」
即答。
「役に立つと思います」
「じゃあ?」
「正解じゃなく」
「道具にしてください」
「道具?」
「はい」
リリア。
三冊。
積む。
「困った時」
「ここを見れば」
「前に誰かが」
「何を試したか分かる」
「成功したか」
「失敗したか」
「どこで」
「なぜ」
「変えたか」
「それを書いてください」
「そして」
表紙。
指差す。
「私の名前」
「取って」
「そこはまだ気にしてたんですね」
◇
会議。
三時間。
結果。
《リリア式地域救済標準要綱》
廃止。
代わり。
《地域救済事例集》
に。
変更。
「標準を」
「事例に?」
アレクシア。
報告を読んで。
「随分」
「弱くなったな」
「弱くていいんです」
リリア。
「なぜだ?」
「使う人が」
「考えられるから」
「ふむ」
アレクシア。
ページをめくる。
「だが」
「考えるのが苦手な者もいるぞ」
「います」
「なら」
「正解を渡した方が早い」
「早いです」
「なら」
「渡せばいいではないか」
「……」
リリア。
少し。
詰まった。
◇
「難しいですね」
「そこです」
クラリス。
初めて。
口を挟む。
「何が?」
「今の問いを」
「忘れないことです」
「正解を渡せば」
「救える場面もある」
「はい」
「考えている間に」
「死ぬ人もいる」
「……はい」
「ですが」
「正解を固定すれば」
「その正解から外れた人が」
「困ることもある」
「はい」
「どちらが正しいです?」
リリア。
黙る。
「……場合による?」
「おそらく」
「それ」
「ずるくないです?」
「現実は」
「大抵ずるいものです」
◇
そこで。
実験することになった。
事例集。
完成前。
一つの村へ。
持っていく。
聖協国。
南西。
葡萄と。
羊の村。
ノア村。
人口。
六百十二。
問題。
栄養不足。
特に。
子ども。
「食べ物が」
「ないんですか?」
リリア。
「あります」
村医師。
「ある?」
「はい」
「羊」
「葡萄」
「麦」
「チーズ」
「豆」
「あります」
「じゃあ」
「なんで?」
◇
昼。
村の食卓。
リリア。
クラリス。
アレクシア。
ルシアン。
セバス。
ヨル。
並ぶ。
羊肉。
焼く。
チーズ。
パン。
葡萄。
豆の煮込み。
「……」
リリア。
一口。
「おいしい」
「だろう!」
村長。
胸を張る。
「このチーズ!」
アレクシア。
「酒が欲しい!」
「昼です」
「葡萄酒の産地だぞ!」
「昼です」
「クラリス!」
「昼です」
「二対一は卑怯だ!」
「多数決ではありません」
ヨル。
羊肉。
凝視。
「わふ」
「ヨルも」
「昼です」
「わふ?」
「その理屈」
「通じないと思います」
◇
食料は。
ある。
なのに。
子どもに。
栄養不足。
理由。
夕方。
分かった。
「子どもは」
「肉を食べちゃ駄目?」
リリア。
「駄目ではない」
老婆。
「なら?」
「もったいない」
「……」
羊肉。
売れば。
高い。
チーズ。
売れば。
高い。
葡萄。
売れば。
高い。
だから。
家では。
麦粥。
中心。
「でも」
「子どもが」
「痩せてます」
「昔からだ」
「昔から?」
「子どもは」
「腹を空かせて」
「大きくなる」
老婆。
笑う。
「わしらもそうだった」
◇
リリア。
事例集。
開く。
栄養支援。
標準案なら。
食料配給。
栄養指導。
給食。
書いてある。
「……」
閉じる。
「聞いていいですか?」
「何だい」
「羊肉を」
「子どもに食べさせたら」
「困ることは?」
「金にならん」
「そのお金は?」
「税」
「道具」
「冬の薪」
「来年の種」
なるほど。
食べろ。
では。
済まない。
◇
「クラリス様」
「はい」
「商売の話です」
「そうですね」
「手伝って」
「自分で考える日では?」
「これは」
「専門家に聞くという」
「自分で考えた結果です!」
「成長しましたね」
「褒められた気がしない!」
◇
三日。
調べる。
羊毛。
羊肉。
チーズ。
葡萄。
輸送費。
仲買。
市場価格。
「安い」
クラリス。
「何が?」
「村から出る時の」
「チーズの値段です」
帝都。
価格。
四倍。
輸送。
差し引いても。
高い。
「誰が?」
「仲買人」
「悪い人?」
「まだ」
「決めません」
「はい」
◇
調べる。
仲買人。
悪人。
ではなかった。
山道。
崩れる。
荷馬車。
壊れる。
冬。
通れない。
チーズ。
傷む。
損失。
大きい。
だから。
安く買わないと。
商売にならない。
「また」
「誰も悪くない」
リリア。
「そういう問題の方が」
クラリス。
「面倒です」
◇
答え。
橋。
ではなかった。
道路。
でもない。
村。
小さな。
熟成庫。
「熟成庫?」
「はい」
クラリス。
「急いで売らなくてよくなります」
「保存できる?」
「できます」
「冬を越せる?」
「種類によっては」
「じゃあ」
「値段が悪い時」
「売らなくていい」
「はい」
村長。
ぽかん。
「そんなもの」
「誰が金を出す」
リリア。
笑う。
「そこは」
「私の仕事です」
◇
ただし。
全額補助。
しなかった。
光秩院。
三。
村。
二。
商人組合。
二。
帝国側商会。
三。
「なんで」
「全部出してくれん?」
村長。
不満。
「壊れた時」
「誰のものか」
「分からなくなるからです」
「光秩院のじゃ駄目か?」
「村で」
「使うんでしょう?」
「そうだ」
「なら」
「村も」
「少し持ってください」
「ケチ」
「はい」
「認めた!」
◇
半年後。
熟成庫。
完成。
チーズ。
売値。
一・六倍。
村。
収入。
増加。
羊肉。
全部。
売らなくてよくなった。
週。
二回。
学校。
昼食。
羊肉。
チーズ。
豆。
パン。
「肉!」
子ども。
歓声。
ヨル。
「わふ!」
「あなたのではありません」
「……わふ」
「そんな」
「世界が終わったみたいな顔しないでください」
村の少年。
自分の皿。
羊肉。
一切れ。
ヨルへ。
「やる」
「わふ!」
「リリア様」
クラリス。
「はい」
「止めませんでしたね」
「本人が」
「あげたいなら」
「いいかなって」
「そうですか」
ヨル。
秒速。
「もうないですよ」
「わふ」
「ありません」
「わふ」
「交渉しない」
◇
帰り。
馬車。
リリア。
事例集へ。
書く。
《栄養不足に対して、食料配給を行わなかった事例。》
その下。
《原因は、食料の不足ではなく、家計構造と保存能力にあった。》
さらに。
《成功した方法を、そのまま別の土地へ持っていかない。》
「クラリス様」
「はい」
「これ」
「いい本になりますね」
「あなたの名前」
「戻しますか?」
「それは嫌です」
「頑固ですね」
「恥ずかしいんです!」
◇
光秩院へ。
戻る。
夕方。
門。
妙に。
人が多い。
「何でしょう」
リリア。
馬車。
降りる。
拍手。
起こる。
「……?」
司祭。
医師。
救済院職員。
町民。
農民。
孤児院。
難民。
知っている顔。
知らない顔。
たくさん。
「聖女様!」
「リリア様!」
「泥靴の聖女様!」
「最後の呼び方やめて!」
◇
階段。
上。
エレノア。
待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
「ノア村は?」
「チーズがおいしかったです」
「報告の第一声がそれ?」
「大事です」
エレノア。
笑う。
「では」
「もう一つ」
「大事な話を」
「嫌な予感」
「良い話です」
「偉い人の良い話は」
「だいたい仕事が増えます」
「賢くなりましたね」
「逃げても?」
「駄目です」
◇
八千七百四十一。
署名。
机。
置かれる。
「……」
リリア。
読む。
長い。
途中。
止まる。
もう一度。
最初から。
読む。
「これ」
「私?」
「他に」
「リリア・セレスティアという」
「泥靴の聖女がいれば」
「ご紹介ください」
「泥靴は正式名称じゃないです!」
「民衆の方が」
「気に入っています」
「嫌だ!」
◇
《次期光秩院最高導師候補》
リリア。
椅子。
座る。
「無理です」
「即答?」
「無理」
「なぜ?」
「偉すぎる」
「理由になっていません」
「なってます!」
リリア。
クラリスを見る。
「クラリス様」
「はい」
「断っていいですよね?」
「私に聞くのです?」
「あ」
また。
やった。
「……」
リリア。
署名を見る。
八千七百四十一。
人。
数字。
ではない。
ミレア。
孤児院。
難民キャンプ。
医師。
農民。
母親。
子ども。
きっと。
その中に。
いる。
「……」
「候補って」
リリア。
聞く。
「何をするんですか?」
エレノア。
微笑んだ。
「まず」
「各地域の代表者と」
「話していただきます」
「話す?」
「はい」
「決めるんじゃなく?」
「まだ」
「決めません」
「……」
リリア。
少し。
考える。
「じゃあ」
「話します」
「候補を受ける?」
「そこまでは言ってません!」
「政治家みたいになりましたね」
「嫌な成長!」
◇
その夜。
宿。
リリア。
帳面。
開く。
新しい頁。
書く。
『私の方法を、正解にしない。』
次。
『人に任せることは、見捨てることではない。』
そして。
少し。
迷って。
三つ目。
『私を支持してくれる人だけを、民衆だと思わない。』
「……」
リリア。
ペン。
置く。
横。
ヨル。
寝ている。
「ヨル」
「……わふ」
「八千七百四十一人だって」
「……」
「すごいよね」
「……わふ」
「でも」
リリア。
黒い毛。
撫でる。
「八千七百四十二人目が」
「嫌だって言うかもしれないもんね」
「……」
「その人も」
「ちゃんと」
「聞かないとね」
ヨル。
目。
開ける。
「わふ」
「ですよね」
◇
廊下。
クラリス。
その声を。
聞いていた。
入らない。
そのまま。
自室へ戻る。
机。
一枚。
今日届いた。
新聞。
広げる。
大見出し。
《聖女リリア、次期最高導師へ――民衆八千七百四十一名が推薦》
その下。
小さな記事。
ほんの。
六行。
《北西部三村、リリア式救済事業への参加を拒否。》
「……」
クラリス。
指。
止まる。
拒否。
理由。
書かれていない。
ただ。
最後。
一行。
《村民代表は「聖女様が嫌いなのではない」と話している。》
クラリスは。
新聞を。
畳まなかった。
翌朝。
リリアへ。
渡す。
◇
「行きます」
記事。
読んで。
十秒。
「早いですね」
「だって」
「私のこと」
「嫌いじゃないのに」
「私の制度は」
「嫌なんですよね?」
「そう書いてあります」
「じゃあ」
リリア。
立つ。
「一番」
「聞かなきゃいけない人たちです」
クラリス。
少し。
笑った。
「そうですね」
「行きましょう」
「はい!」
リリア。
廊下。
走る。
「リリア様」
「はい?」
「靴」
「え?」
止まる。
右。
黒。
左。
茶色。
「……」
「また?」
「またですね」
「なんで!?」
部屋。
ヨル。
片方の。
黒い長靴を。
枕にして。
寝ていた。
「ヨル!」
「……わふ」
「それ私の!」
「……」
「寝たふりしない!」
聖女リリア・セレスティア。
次期最高導師候補。
支持者。
八千七百四十一人。
そして。
これから会いに行くのは。
彼女の正解を。
選ばなかった。
百九十三人。
この頃のリリアは。
まだ。
その百九十三人に会えることを。
少し。
楽しみにしていた。




