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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第五章 聖女様は、正しすぎる
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第73話 聖女様は、式典より片方の靴を探す

「現在八時四十七分です!」


「十三分あります!」


「移動に二十分です!」


「走れば?」


「聖女様!」


 帝国救済院。


 朝。


 特別救済監。


 リリア・セレスティア。


 就任式。


 十三分前。


 本人。


 不在。


 正確には。


 救済院の裏庭にいた。


「ミナちゃーん!」


「返事してー!」


 右。


 茶色の長靴。


 左。


 黒い長靴。


 裾。


 泥。


 髪。


 少し乱れている。


 聖女。


 というより。


 雨上がりに鶏を追いかけている農家の娘に近かった。


「聖女様!」


 救済院職員。


 オスカー。


 二十九歳。


 今日だけで。


 すでに三回。


 胃を押さえている。


「式典が!」


「子どもが!」


「皇族も来ます!」


「子どもが!」


「最高評議会の使節も!」


「子どもが!」


「新聞社が十二社!」


「多い!」


「そこですか!?」


 ◇


 ミナ。


 七歳。


 救済院の一時保護施設で暮らしている。


 母。


 病気。


 父。


 不明。


 今朝。


 姿が見えなくなった。


 ただし。


 完全な行方不明ではない。


「この辺にはいます」


 リリアが。


 地面を見る。


「なぜ分かるのです?」


「靴が」


 指差す。


 小さい。


 片方。


「落ちてました」


「では裸足?」


「たぶん」


「なぜ?」


「分かりません」


 リリア。


 泥の足跡を見る。


「だから」


「聞きます」


 ◇


 倉庫。


 いない。


 厨房。


 いない。


 礼拝室。


 いない。


 洗濯場。


「ミナ?」


 返事。


 なし。


 ヨルが。


 地面を嗅ぐ。


「ヨル」


「わふ」


「分かります?」


「わふ」


 歩く。


 とことこ。


 裏庭。


 柵。


 その向こう。


 古い。


 物置。


「そこは」


 オスカーが言う。


「もう使っていません」


「ヨル?」


「わふ」


 扉。


 リリア。


 しゃがむ。


「ミナちゃん」


 静かに。


 呼ぶ。


「いる?」


 沈黙。


 もう一度。


「怒らないよ」


 中。


 小さな。


 鼻をすする音。


 ◇


 扉は。


 開けなかった。


 リリアは。


 その前に座った。


 泥。


 気にしない。


「私」


「今日」


「式典なんだって」


 中。


 返事なし。


「偉くなったらしいです」


 オスカーが。


 遠くで。


 天を仰いだ。


「でも」


「左右違う長靴履いてます」


「……」


 中。


 ほんの少し。


 音。


「格好悪いよね」


「……へん」


 声。


 した。


「ですよね」


「へん」


「私もそう思います」


 リリア。


 笑う。


「ミナちゃんは」


「どうして」


「ここにいるの?」


「……」


「言いたくなかったら」


「言わなくていいよ」


「……」


「でも」


「寒くない?」


「さむい」


「じゃあ」


「毛布だけ」


「入れていい?」


 ◇


 扉。


 少し。


 開いた。


 小さな。


 手。


 リリアが。


 毛布を渡す。


 閉じる。


「ありがとうございます」


「……」


「私」


「外にいるね」


「式典は?」


「……」


 オスカー。


 聞こえないふりをした。


 ◇


 八時五十三分。


 宮殿側。


 式典会場。


 アレクシア。


 正装。


 腕を組む。


「まだ来ないのか?」


「はい」


「何をしている」


「子どもを探しているとのことです」


「……」


「殿下?」


「なら」


 アレクシア。


 椅子に座る。


「待て」


 官僚が。


 目を丸くする。


「しかし」


「特別救済監の就任式だろう」


「はい」


「救済対象の子どもを放って」


「救済監の椅子に座らせるのか?」


「……」


「変な話だ」


 皇女殿下。


 それ以上。


 何も言わなかった。


 ◇


 八時五十七分。


 クラリス。


 救済院へ到着。


「……」


 裏庭。


 泥。


 長靴。


 物置。


 リリア。


 ヨル。


 職員。


 クラリスは。


 一度。


 空を見る。


「お嬢様」


 セバス。


「はい」


「帰りますか?」


「一瞬」


「考えました」


 ◇


「クラリス様!」


 リリアが。


 小声で手を振る。


「何をしているのです?」


「ミナちゃんが」


「物置に」


「それは聞きました」


「式典は?」


「九時です」


「現在」


 セバス。


「八時五十八分にございます」


「二分!」


「走れば」


「間に合いません」


「セバスさん!」


 クラリス。


 物置を見る。


「事情は?」


「まだ」


「聞けてません」


「そうですか」


 クラリスも。


 しゃがむ。


「ミナさん」


 中。


「……だれ?」


「クラリスです」


「こわいひと?」


「時々」


「クラリス様!」


「嘘はよくありません」


「そこは優しくしてください!」


 中。


 くす。


 小さく。


 笑った。


 ◇


「ミナさん」


 クラリス。


「一つだけ」


「聞いていいですか?」


「……うん」


「なぜ」


「靴を片方」


「置いてきたのです?」


 リリア。


 クラリスを見る。


「そこ?」


「重要です」


 中。


 しばらく。


 沈黙。


「……もらったから」


「何を?」


「くつ」


「誰に?」


「せんせい」


「施設の?」


「うん」


「嫌だった?」


「……」


 返事。


 ない。


「サイズが」


「合わなかった?」


「……ちがう」


「色?」


「ちがう」


 そして。


 小さな声。


「ママが」


「買ってくれたのが」


「あるから」


 ◇


 リリアの顔。


 変わった。


「前の靴?」


「うん」


「でも」


「小さいの」


「……」


「もう」


「きついの」


 母親が。


 病気になる前。


 買ってくれた。


 赤い靴。


 足が。


 大きくなった。


 履けない。


 施設職員が。


 新しい靴を。


 用意した。


 善意。


 必要。


 正しい。


「新しい方が」


「歩きやすいよって」


「言われた」


「うん」


「でも」


「赤い靴を捨てるって」


「言われた?」


「……」


「うん」


 ◇


 リリア。


 立つ。


 速い。


「捨てません」


「リリア様」


 クラリス。


「まだ」


「はい」


 リリア。


 止まる。


 一度。


 息。


 吸う。


「……ごめんなさい」


 また。


 座る。


「ミナちゃん」


「赤い靴」


「どこ?」


「おへや」


「捨てられてない?」


「きょう」


「捨てるって」


「分かった」


 リリア。


 今度は。


 少し考える。


「新しい靴も」


「履いてみてくれる?」


「……」


「赤い靴は」


「捨てない」


「でも」


「小さい靴で」


「足が痛くなるのも」


「私は嫌」


「……」


「だから」


「赤い靴は」


「取っておく」


「新しい靴は」


「歩く時に使う」


「それじゃ」


「だめ?」


 扉。


 少し。


 開いた。


 七歳。


 裸足。


 涙。


「ほんと?」


「うん」


「ママの」


「すてない?」


「捨てない」


「ぜったい?」


 リリア。


 一瞬。


 止まる。


 そして。


「私が」


「勝手に決めない」


 と言った。


「ミナちゃんのものだから」


 ◇


 扉。


 開く。


 ミナ。


 リリアへ。


 飛びつく。


「わっ」


 泥。


 白い服。


 追加。


「……」


 オスカー。


 完全に。


 胃を押さえた。


「聖女様」


「はい」


「式典」


「……」


 鐘。


 鳴った。


 九時。


「始まりましたね」


「あなた抜きで!」


 ◇


 式典会場。


 誰も。


 始めていなかった。


 アレクシア。


「遅い」


「申し訳ありません!」


「二十分」


「はい!」


「皇族を待たせた」


「はい!」


「聖協国最高評議会の使節も」


「はい!」


「新聞社十二社も」


「はい!」


 リリア。


 泥。


 左右違う長靴。


 髪。


 乱れ。


 法衣。


 ない。


 ミナを。


 手を繋いで。


 連れてきた。


 会場。


 ざわ。


 新聞記者。


 目。


 輝く。


 これは。


 売れる。


「で」


 アレクシア。


「その子は?」


「ミナちゃんです」


「そうか」


「はい」


「見つかったか」


「はい」


「ならいい」


 それだけ。


「始めろ」


 ◇


 聖協国。


 最高評議会使節。


 大司教ローレン。


 七十。


 真っ白な法衣。


 立派な杖。


 リリアを見る。


「聖女リリア」


「はい」


「本来」


「この式典には」


「正式な聖衣を着用していただく予定でした」


「すみません」


「ですが」


 老人。


 泥だらけの裾を見る。


「その格好で」


「結構です」


「え?」


「救済監ですからな」


 少し。


 笑った。


 ◇


 任命書。


 読み上げ。


「聖女リリア・セレスティア」


「はい」


「これまでの」


「国境地域における救護」


「感染症対策」


「孤児支援」


「地域医療制度改善」


「三国共同監査への協力」


 長い。


 リリア。


 立っている。


 ヨル。


 会場の隅。


 寝た。


「……」


 クラリス。


 ヨルを見る。


「お嬢様」


「はい」


「式典です」


「分かっています」


「ヨル様を」


「起こしますか?」


「寝かせてください」


 ◇


「よって」


「光秩院最高評議会は」


「リリア・セレスティアを」


「特別救済監に任ずる」


 拍手。


 大きい。


 リリア。


 頭を下げる。


 そして。


 壇上。


「一言」


 言われる。


「え?」


「ご挨拶を」


「聞いてません」


「通常ございます」


「原稿は?」


「聖女様の宿に」


「……」


 クラリス。


 目を閉じる。


 今日。


 二度目。


 ◇


 リリア。


 壇上。


 泥。


 長靴。


 左右。


 違う。


 目の前。


 皇女。


 大司教。


 官僚。


 医師。


 救済院。


 新聞記者。


 孤児院。


 そして。


 ミナ。


「えっと」


 静か。


「特別救済監に」


「なりました」


 知っている。


 全員。


 知っている。


「……」


「すみません」


 笑い。


 少し。


 起きた。


「私」


「さっき」


「式典に遅れました」


「子どもを」


「探していました」


 記者。


 羽根ペン。


 動く。


「その子は」


「新しい靴を」


「もらいました」


「履きやすくて」


「足にも合っていて」


「古い靴より」


「たぶん」


「ずっといい靴です」


 ミナ。


 リリアを見る。


「でも」


「古い靴は」


「お母さんに」


「買ってもらった靴でした」


「私は最初」


「じゃあ捨てなければいいって」


「言いそうになりました」


「……」


「でも」


「それも」


「私が決めることじゃない」


 ◇


「救済って」


「新しい靴を」


「渡すことだと思っていました」


 リリア。


 自分の。


 左右違う長靴を見る。


「たぶん」


「それだけじゃないです」


「古い靴を」


「どうしたいか」


「聞くことも」


「救済なんだと思います」


 誰も。


 動かない。


「私は」


「今日から」


「前より」


「偉くなるそうです」


 アレクシア。


 少し笑う。


「私の言ったことが」


「前より」


「通るようになります」


「だから」


 リリア。


 自分の帳面。


 取り出す。


「通す前に」


「聞きます」


「この人は」


「何を守りたいんだろうって」


 ◇


 クラリス。


 腕を組んだまま。


 聞いている。


 夢。


 今朝。


 白い教室。


 みんな同じで。


 ふと。


 重なった。


 正しい。


 新しい靴。


 正しい。


 多数決。


 正しい。


 制度。


 どれも。


 必要だ。


 ただ。


 正しいものは。


 時々。


 小さな声を。


 聞き逃す。


 ◇


 拍手。


 最初。


 少し。


 やがて。


 大きく。


 会場。


 満ちる。


 リリア。


 びっくりしている。


 新聞記者。


 書く。


 翌朝。


 帝都中へ。


 その言葉が。


 広がることになる。


 《新しい靴を渡すだけが、救済ではない。》


 そして。


 聖女リリアの名も。


 ◇


 式典後。


「リリア様」


 クラリス。


「はい!」


「良い挨拶でした」


「……」


「何です?」


「点数」


「卒業したでしょう」


「今日だけ!」


「嫌です」


「百点って言って!」


「嫌です」


「九十九でも!」


「交渉しないでください」


 そこへ。


 大司教ローレン。


「聖女様」


「はい」


「早速ですが」


 分厚い。


 束。


「特別救済監として」


「確認いただきたい案件が」


「……」


 どさ。


「百十二件ございます」


「……」


 リリア。


 アレクシアを見る。


 アレクシア。


 にやり。


「ようこそ」


「こちら側へ」


「嫌です!」


「逃げるな」


「殿下に言われたくないです!」


 ◇


 その日の午後。


 リリアは。


 百十二件を。


 全部。


 読もうとした。


 十七件目。


「……」


 机。


 突っ伏した。


「無理です」


 クラリス。


 紅茶。


「でしょうね」


「皆」


「困ってるんですよね?」


「そうでしょう」


「なら」


「全部」


「早く」


「クラリス様」


「はい」


「どうすれば」


 言いかける。


 止まった。


「……」


 リリア。


 起きる。


「今」


「聞きそうになりました」


「はい」


「自分で考えます」


「どうぞ」


 ◇


 百十二件。


 分類。


 医療。


 三十一。


 孤児。


 十九。


 難民。


 二十二。


 災害。


 十四。


 貧困。


 二十六。


「全部」


「私が見る必要」


「あります?」


 クラリス。


 答えない。


「……」


 リリア。


 考える。


「ない」


 紙。


 分ける。


「医療は」


「医師」


「孤児は」


「施設の人」


「難民は」


「現地担当」


「災害は」


「技師」


「私は」


「その人たちが」


「動けないところを見る」


 クラリス。


 紅茶。


 一口。


「いいですね」


「点数」


「言いません」


「ちぇ」


 ◇


 それから。


 三か月。


 聖女リリアは。


 働いた。


 驚くほど。


 働いた。


 だが。


 以前とは。


 少し違った。


 自分で。


 全部。


 救わなかった。


 ◇


 北部。


 診療所。


 医師不足。


 リリアは。


 医師を派遣しなかった。


 代わりに。


 巡回医療。


 三地域。


 共同。


 馬車。


 一台。


 医師。


 二名。


 薬師。


 三名。


 回した。


 ◇


 南部。


 孤児院。


 食料不足。


 寄付を。


 募る。


 だけではなく。


 近隣農家と。


 年間契約。


 余剰作物を。


 買い取る。


 農家も。


 助かる。


 孤児院も。


 安定する。


「クラリス様」


「はい」


「これ」


「三方良しじゃないです?」


「どこで覚えたのです?」


「なんとなく!」


 ◇


 国境。


 難民キャンプ。


 女性用の。


 洗い場。


 設置。


 最初。


 男の官僚は。


「水場は既にあります」


 と言った。


 リリアは。


 女性たちに。


 聞いた。


「夜」


「怖いです」


 一言。


 場所。


 変えた。


 灯り。


 付けた。


 ◇


 ある村。


 食事支援。


 肉。


 食べない人。


 いた。


「宗教?」


「違います」


「嫌い?」


「はい」


「では」


「豆を増やしましょう」


 それだけ。


 強制しない。


 説教しない。


 ◇


 別の町。


 車椅子。


 坂。


 登れない。


「道を」


「平らにします?」


 技師。


「待って」


 リリア。


 本人に。


 聞く。


「どこへ」


「一番行きたいですか?」


「市場」


 だから。


 最初に。


 市場までの道を。


 直した。


 ◇


 半年。


 リリアの名は。


 広がった。


 聖協国。


 帝国。


 王国。


 国境。


 村。


 町。


 新聞。


 《泥靴の聖女》


 誰かが。


 そう呼び始めた。


「嫌です!」


 本人。


 抗議。


「なんでです?」


 ルシアン。


「もっと」


「綺麗な名前がいい!」


「例えば?」


「白銀の聖女とか!」


「泥靴の方が」


「合っています」


「クラリス様!」


 ◇


 だが。


 数字も。


 ついてきた。


 乳幼児死亡率。


 低下。


 地方診療所。


 増加。


 難民キャンプ。


 感染症。


 減少。


 孤児院。


 閉鎖。


 三。


「閉鎖?」


 リリア。


 資料を見る。


「悪化ですか?」


「いいえ」


 担当官。


「里親制度と」


「地域支援で」


「施設が」


「不要になりました」


「……」


 リリア。


 その数字を。


 長く。


 見た。


「それ」


「いいですね」


「施設を増やすことが」


「成功じゃないんだ」


 ◇


 さらに。


 一年。


 聖女リリア。


 提案。


 二十三。


 採用。


 十七。


 試験運用。


 四。


 却下。


 二。


「却下!」


 リリア。


 机。


「なんでです!?」


 クラリス。


 向かい。


「嬉しそうですね」


「だって」


「ちゃんと却下された!」


「普通は」


「怒るところでは?」


「でも」


「全部通ったら」


「怖いじゃないですか」


 リリア。


 笑った。


「私」


「間違えるし」


 クラリスも。


 少し。


 笑う。


「そうですね」


「そこは否定してください!」


 ◇


 まだ。


 この頃。


 リリアの提案には。


 反対できた。


 聖女様。


 それは。


 難しいです。


 予算が。


 足りません。


 地域に。


 合いません。


 本人たちが。


 望んでいません。


 そう言えば。


 リリアは。


「そっか」


 と。


 言えた。


 そして。


 聞き直した。


 なら。


 どうしましょう。


 ◇


 だから。


 人々は。


 彼女を。


 好きになった。


 聖女だから。


 ではない。


 奇跡を。


 使えるからでもない。


 自分たちの話を。


 聞いてくれるから。


 失敗したら。


 戻るから。


 知らないことを。


「分かりません」


 と言うから。


 そして。


 何より。


 よく。


 泥だらけになった。


 ◇


 ある日。


 聖協国。


 最高評議会。


 エレノアが。


 報告書を読む。


「一年で」


「これほど」


「結果を出すとは」


 隣。


 ルーメン。


「本人は」


「成果の半分以上を」


「現場職員の功績として」


「報告しています」


「でしょうね」


 エレノア。


 微笑む。


「だから」


「皆」


「彼女のために」


「働くのでしょう」


 机。


 一通。


 新たな書簡。


 聖協国。


 各地の司教。


 医師。


 救済院。


 民衆。


 署名。


 数。


 八千七百四十一。


「これは?」


 ルーメン。


 読む。


 そして。


 黙った。


「……早くありませんか」


「私も」


「そう思います」


 そこには。


 こう書かれていた。


 《聖女リリア・セレスティアを、次期光秩院最高導師候補へ。》


 ◇


 同じ夜。


 リリアは。


 そんなことを。


 知らない。


「クラリス様!」


「何でしょう」


「ヨルが!」


「ヨルが?」


「私の枕を!」


 宿。


 寝室。


 ヨル。


 枕。


 顎。


 乗せている。


「ヨル」


「わふ」


「返してください」


「……」


「ヨル?」


「……」


「寝ました」


「クラリス様!」


「諦めてください」


「聖女ですよ私!」


「ヨルには」


「関係ありません」


 リリア。


 しばらく。


 黒い狼を見る。


 そして。


 反対側。


 腹毛。


 ぼふ。


 顔を埋めた。


「……」


「リリア様?」


「こっちの方が」


「いいです」


「そうですか」


「クラリス様も」


「やります?」


「結構です」


「絶対気持ちいいですよ」


「結構です」


「一回だけ」


「……」


 数分後。


 セバスが。


 部屋へ。


 書簡を届けに来た。


「失礼いたしま――」


 止まる。


 床。


 巨大な黒狼。


 右。


 聖女。


 腹毛。


 左。


 公爵令嬢。


 腹毛。


「……」


 セバス。


 静かに。


 扉を閉めた。


「セバス!」


「見なかったことにいたします」


「待ちなさい!」


 廊下。


「お嬢様」


「戻りなさい!」


「長い旅で」


「お疲れなのでしょう」


「その気遣いが一番恥ずかしい!」


 リリア。


 腹毛から。


 顔を上げる。


「クラリス様」


「何です」


「平和ですね」


「……」


 クラリス。


 ヨルの。


 黒い毛を見る。


「そうですね」


 この頃。


 まだ。


 平和だった。


 聖女が。


 正しいことを言っても。


 誰かが。


 普通に。


 違うと言えた。


 そして。


 聖女自身も。


 それを。


 喜んでいた。


 だから。


 誰も。


 気づかなかった。


 人々が。


 彼女の言葉を。


 信じれば。


 信じるほど。


 ある日から。


 反対する理由そのものが、少しずつ減っていくことに。

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