幕間 悪女令嬢は、また白い教室を見る
白い。
天井。
四角い。
灯り。
じい。
という。
小さな音。
クラリスは。
その音を。
知っている気がした。
◇
「じゃあ、多数決でいいよね?」
女の子の声。
教室。
だった。
長い机。
椅子。
黒い板。
壁には。
見たことのない文字。
いや。
読める。
なぜか。
読める。
二年三組。
クラリスは。
そこにいた。
でも。
誰も。
クラリスを見ない。
「文化祭の出し物」
前に立つ少女が。
黒い板へ。
白い棒で文字を書く。
喫茶店。
お化け屋敷。
演劇。
「時間ないし」
「今日決めちゃおう」
「賛成」
「俺、喫茶店」
「私も」
「衣装かわいいの着たい」
「お化け屋敷は準備大変じゃない?」
「演劇とか絶対揉める」
笑い。
誰も。
怒っていない。
先生も。
後ろで。
穏やかに見ている。
「みんなが納得できる形で決めような」
優しい。
声だった。
◇
投票。
紙。
箱。
集計。
二十八。
三。
一。
「じゃあ」
「喫茶店に決定!」
拍手。
ぱち。
ぱちぱち。
楽しそうだった。
正しい。
ちゃんと。
意見を聞いた。
ちゃんと。
投票した。
ちゃんと。
数えた。
不正は。
ない。
クラリスは。
なぜか。
票を。
数えていた。
二十八。
三。
一。
合計。
三十二。
合っている。
「……」
なのに。
気になる。
三。
◇
「別にいいよ」
窓際。
少女が。
笑った。
「私も喫茶店で」
「でも」
隣の少女が聞く。
「さっき演劇に入れてなかった?」
「うん」
「いいの?」
「多数決だし」
「そっか」
「うん」
笑う。
普通に。
笑っている。
隣の少女も。
笑った。
「よかった」
「何が?」
「みんな同じで」
「……」
「せっかくの文化祭だもん」
「クラスまとまってた方がいいじゃん」
「……うん」
その。
ほんの少しの。
間。
クラリスには。
聞こえた。
◇
誰も。
悪くない。
多数決を提案した少女も。
先生も。
賛成した二十八人も。
反対した三人も。
誰も。
命令していない。
誰も。
脅していない。
断っても。
罰はない。
なのに。
少女は。
もう一度。
言った。
「別に」
「いいよ」
クラリスは。
その言葉を。
どこかで。
知っている。
本当にいい時と。
もう言わなくていいや、の時がある。
◇
景色が。
変わる。
教室。
放課後。
机。
一枚。
細長い紙。
「……」
クラリスは。
手に取った。
数字。
品名。
金額。
税。
合計。
¥1,284
「また」
これ。
領収書。
いや。
以前。
夢で見た時。
別の呼び方を。
知った。
「レシート……」
口から。
自然に出た。
◇
クラリスは。
数字を見る。
合っている。
商品。
ある。
金額。
ある。
税。
ある。
支払額。
ある。
きれいだ。
これなら。
監査できる。
では。
さっきの。
あの少女の。
「別にいいよ」
は。
どこに書く?
◇
クラリスは。
レシートを。
裏返した。
白い。
何もない。
羽根ペン。
ない。
インク。
ない。
代わりに。
机の上。
細い。
黒い筆記具。
クラリスは。
それを握った。
そして。
レシートの裏へ。
一行。
書いた。
《三十二人中、二十八人が賛成。》
正しい。
次。
《反対、三人。》
正しい。
次。
手が。
止まった。
何を書けばいい。
少女は。
反対した。
でも。
決定には従った。
不利益も。
受けていない。
制度上。
問題はない。
「……」
クラリスは。
書いた。
《一名、笑って「別にいい」と言った。》
「……これでは」
何も。
分からない。
◇
「変なの」
声。
クラリスが。
顔を上げる。
さっきの少女。
「何がです?」
「そんなのまで書くの?」
「必要かもしれません」
「何に?」
「……」
分からない。
帳簿には。
利益。
損失。
資産。
負債。
数量。
金額。
日付。
名前。
記録できる。
だが。
これは。
「あなたは」
クラリスが聞いた。
「本当に」
「喫茶店でよかったのですか?」
少女が。
笑う。
「いいよ」
「……」
「だって」
「みんな楽しそうだし」
「あなたは?」
「え?」
「あなたは」
「楽しみですか?」
少女の。
笑顔。
少しだけ。
止まった。
◇
じい。
天井の灯り。
一度。
ちらつく。
ぱち。
白。
暗い。
白。
「私だけ」
少女が言った。
「面倒くさい人になるの」
「嫌だから」
クラリスは。
何も。
言えなかった。
「別に」
「演劇じゃなくても」
「死なないし」
「喫茶店も」
「やったら楽しいかもしれないし」
「だから」
笑う。
「これでいいの」
◇
正しい。
たぶん。
それも。
正しい。
人生は。
全部。
自分の希望を。
通せるわけではない。
譲る。
合わせる。
折り合う。
それも。
人が一緒に暮らすためには。
必要だ。
では。
どこから。
それは。
「空気」
になる?
◇
誰も。
命令していない。
誰も。
禁止していない。
誰も。
罰していない。
なのに。
選べない。
もし。
そんなものが。
あるのなら。
誰を。
監査すればいい?
先生?
違う。
クラス委員?
違う。
二十八人?
違う。
制度?
多数決は。
正常に動いた。
「……帳尻が」
クラリスは。
レシートを見る。
「合っている」
だから。
余計に。
気持ちが悪い。
◇
教室の扉。
開く。
「帰ろー」
「腹減った」
「駅前寄る?」
「今日無理」
「既読つけといて!」
「明日ねー」
少女たちが。
帰っていく。
普通の。
放課後。
誰も。
泣いていない。
事件も。
起きていない。
世界も。
滅びない。
ただ。
窓際の少女が。
鞄を持つ。
そこに。
小さな。
黒い狼。
飾り。
揺れた。
「……」
クラリスが。
目を見開く。
「ヨル?」
少女が振り返る。
「え?」
その瞬間。
◇
「――お嬢様」
目。
開く。
「……」
天井。
違う。
木。
帝都の宿。
朝。
「お嬢様?」
セバス。
「起床のお時間にございます」
「……」
「珍しいですね」
「何がです?」
「二度寝でございます」
「していません」
「一度」
「起こしました」
「……」
「記録がございます」
「朝から監査しないでください」
「お嬢様がおっしゃいますか」
◇
足元。
ヨル。
丸い。
寝ている。
「ヨル」
「……わふ」
クラリスは。
黒い頭を。
撫でた。
夢。
白い教室。
三十二人。
二十八。
三。
一。
そして。
少女の鞄。
「……」
夢だ。
ただの。
夢。
なのに。
妙に。
残っている。
みんな同じで。
クラリスは。
ベッド脇の紙へ。
書いた。
《正しい多数決でも、消える声はある。》
少し考え。
その下。
もう一行。
《誰も悪くない時、何を監査する?》
「お嬢様」
「はい」
「朝食が冷めます」
「今行きます」
「本日の予定ですが」
「何でしょう」
「聖女様が」
「朝六時より」
「救済院へ向かわれました」
「……」
「なぜ?」
「新しい役職の初日だから」
「現場を見たい、と」
クラリス。
額へ。
手を当てた。
「嫌な予感がします」
「奇遇でございます」
◇
同じ頃。
帝都。
救済院。
「聖女様!」
「そちらは!」
「待ってください!」
「長靴を!」
「あります!」
「それ左右違います!」
「履ければ一緒です!」
「一緒ではありません!」
泥。
ばしゃ。
リリア。
走る。
片方。
茶色。
片方。
黒。
長靴。
「子どもが一人」
「いないんです!」
「聖女様!」
「本日は!」
「特別救済監就任の!」
「式典が!」
「あと!」
「式典は九時です!」
「現在八時四十七分です!」
「十三分あります!」
「移動に二十分です!」
「……」
リリア。
止まった。
「走れば?」
「聖女様!」
その後ろ。
黒い狼が。
いつの間にか。
ついてきていた。
「ヨル!?」
「わふ!」
「クラリス様は!?」
「わふ!」
「分かりません!」
新しい。
朝だった。
聖女リリア・セレスティア。
特別救済監。
就任初日。
開始十三分前。
すでに。
泥だらけ。
そして。
式典用の白い法衣は。
まだ。
宿にあった。
⸻
幕間 了
次章
第五章 聖女様は、正しすぎる




