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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第71話 聖女様は、自分の名前を自分で調べる

 《リリア・セレスティア》


 《救済》


 《最も扱いやすく、最も危険。》


 翌朝。


 リリアは。


 その三行を。


 まだ気にしていた。


「クラリス様」


「はい」


「扱いやすいって」


「腹立ちません?」


「腹立ちますね」


「ですよね!」


「ですが」


「はい」


「リリア様は」


「わりと扱いやすいです」


「クラリス様!?」


 朝食のパンを。


 クラリスが指差す。


「昨日」


「蜂蜜菓子で新聞社まで同行しました」


「……」


「自治領では」


「ヨルの腹毛で休憩場所を変更しました」


「……」


「最初にお会いした頃は」


「褒めると大抵」


「引き受けてくださいました」


「……」


 リリア。


 ゆっくり。


 パンを置いた。


「私」


「扱いやすいですね」


「はい」


「そんな即答あります?」


「事実確認です」


 ◇


 アレクシアは。


 いなかった。


 百四十二件。


 昨日の決裁書類が。


 まだ。


 九十一件。


「減ってますね」


 リリアが言った。


「五十一件処理しました」


「すごい」


「皇女殿下ですから」


「逃げなければ優秀なんですね」


 遠く。


 宮殿の執務室。


「誰か今、私を馬鹿にしたか!?」


 たぶん。


 気のせいである。


 ◇


「それで」


 クラリスが紅茶を置く。


「本日はどうします?」


「私に聞くんですか?」


「はい」


「クラリス様が決めるんじゃなく?」


「あなたの名前が」


「あの帳面に載っていたのです」


 リリアは。


 少し黙った。


「私は」


「補助します」


「……」


「どうします?」


 以前なら。


 聞いていた。


 どうしたらいいですか。


 何をすればいいですか。


 クラリス様なら。


 どうしますか。


 けれど。


 今日は。


 リリアは自分の帳面を開いた。


 二十七個。


 自分で書いた言葉。


 ぱら。


 ぱら。


 戻る。


 十三番。


 『分からない時は、分からないまま誰かの正しさを借りない。』


「……」


 リリアは。


 帳面を閉じた。


「救済院へ行きます」


「理由は?」


「私の名前が」


「どうして黒薔薇の帳面に載ったのか」


「自分で知りたいです」


「誰に聞きます?」


「まず」


 少し考える。


「救済院の人」


「それから?」


「現場の人」


「それから」


「……助けられている人」


 クラリス。


 紅茶を一口。


「九十四点」


「上がった!」


「残り六点は」


「何です?」


「自分で考えてください」


「そういう教育始まった!?」


 ◇


 帝国救済院。


 大理石。


 白い柱。


 立派な建物だった。


 入口には。


 金色の文字。


 《すべての民に、等しく救いを》


「立派ですね」


 リリアが見上げる。


「標語は」


 クラリスが言った。


「無料ですから」


「初手から辛い!」


 院長。


 ベルガー。


 五十六歳。


 柔和な男だった。


「聖女様!」


 両手を広げる。


「お会いできて光栄です」


「ありがとうございます」


「西方でのご活躍」


「聞き及んでおります」


「いえ」


「百八十七人を一夜でお救いになったとか!」


「それ」


「違います」


「え?」


「私一人ではありません」


 リリアは。


 ちゃんと言った。


「医師と」


「看護師と」


「村の人と」


「皆でやりました」


「……なるほど」


 ベルガーは。


 笑顔を崩さない。


「さすが聖女様」


「謙虚であられる」


「謙虚ではなく」


「訂正です」


 クラリスが。


 横で。


 少しだけ。


 目を細めた。


 ◇


「ベルン商事をご存じですね」


 リリアが聞いた。


「もちろん」


「なぜ推薦したんです?」


「優れた理念を持つ企業だからです」


「理念?」


「利益より」


「救済を」


「素晴らしい」


 ベルガーは。


 壁に飾られた書状を示す。


 ベルン商事。


 創業理念。


 《利益の一部を、弱き者へ。》


 リリアは読む。


「いいこと書いてありますね」


「はい」


「で」


「何をした会社なんです?」


「……」


 ベルガーの笑顔が。


 ほんの少し止まった。


「何を?」


「社会貢献実績です」


「推薦理由に」


「書いてありました」


 クラリスは。


 何も言わない。


「具体的に」


「何をしたんですか?」


「寄付を」


「どこへ?」


「各地へ」


「金額は?」


「それは……」


「物資?」


「金銭?」


「人?」


「……」


 リリアは。


 首を傾げた。


「確認してないんですか?」


 柔らかい声だった。


 責めてもいない。


 だから。


 余計に。


 逃げ場がなかった。


 ◇


 救済院の記録庫。


 ベルン商事からの寄付。


 確かに。


 あった。


 毛布。


 三百枚。


 医薬品。


 二百箱。


 穀物。


 五百袋。


「立派じゃないですか」


 リリアが言う。


「待ってください」


 クラリスではない。


 今度は。


 リリア自身が。


 帳簿をめくった。


「この毛布」


「はい?」


「帝都南部の孤児院へ」


「寄付されていますよね」


「はい」


「その後」


 次。


 公共調達。


 帝国が。


 ベルン商事から。


 毛布を購入。


「同じ数?」


 三百枚。


 リリアの指が。


 止まる。


「寄付した実績で」


「推薦を受けて」


「その推薦で」


「国の仕事を取った?」


 クラリスが答える。


「そう見えます」


「でも」


「寄付自体は」


「悪くないですよね」


「はい」


「国に物を売るのも」


「悪くない」


「はい」


「なのに」


「なんでこんなに」


 リリアは。


 眉を寄せる。


「嫌な感じがするんでしょう」


「調べましょう」


 ◇


 孤児院。


 帝都の。


 華やかな大通りから。


 三本。


 路地を入った場所。


 石畳は。


 少し割れている。


 洗濯物。


 煮込み料理の匂い。


 子どもの声。


 八百屋の主人が。


 店先で豆を剥いている。


「聖女様だ」


 誰かが言った。


「本物?」


「光る?」


「光って!」


「私は街灯ではありません!」


 子どもたちが笑う。


 ヨルが。


 囲まれる。


「狼!」


「でかい!」


「触っていい?」


「ヨルが嫌がらなければ」


「わふ」


 五秒後。


 ヨル。


 子ども六人に。


 もふられていた。


「……」


 クラリスが。


 少し複雑そうに見る。


「クラリス様」


「何でしょう」


「取られた顔してます」


「していません」


「してます」


「九十三点」


「一点下げた!」


 ◇


 孤児院の院長。


 マルタ。


 六十三歳。


 袖をまくり。


 自分で。


 スープをかき混ぜていた。


「ベルン商事?」


「はい」


「ああ」


「毛布をくれたところだね」


「三百枚?」


「そんなに来てないよ」


 リリア。


 止まる。


「何枚です?」


「百枚くらいかね」


「記録では」


「三百です」


「そんなに置く場所ないよ」


 マルタは笑った。


「うちの子」


「四十七人だもの」


 ◇


 受領書。


 あった。


 三百枚。


 署名。


 マルタ。


「これ」


「私の字じゃないね」


「印章は?」


「うちのだ」


「誰が使えます?」


「私と」


「事務の子」


 事務担当。


 呼ばれた。


 二十四歳。


 青年。


 顔が。


 真っ青になった。


「私です」


 リリアが。


 彼を見る。


「署名したの?」


「いいえ」


「じゃあ」


「印章を?」


「……貸しました」


「誰に?」


「救済院の人です」


 ◇


「書類の不備を」


「直しておくと」


「言われました」


 青年は。


 俯いた。


「善意でした?」


 リリアが聞く。


「え?」


「疑わなかった?」


「救済院ですよ」


 青年が答える。


「国の機関です」


「孤児を助けてくれる」


「だから」


「信用した?」


「……はい」


 リリアは。


 怒らなかった。


 責めなかった。


「分かりました」


「聖女様」


「はい」


「俺」


「騙されたんですか」


 リリアは。


 少し考えた。


「たぶん」


「でも」


「まだ全部は分かりません」


 青年が。


 目を伏せる。


「俺が馬鹿だった」


「それは違います」


 リリア。


 即答。


「え?」


「人を助ける機関を」


「信用した人が」


「馬鹿だったことにしたら」


「次から」


「誰も信用できなくなります」


「……」


「悪いのは」


「信用されたことを利用した側です」


 クラリスは。


 何も言わなかった。


 ただ。


 その言葉を。


 覚えておいた。


 ◇


 夕方。


 孤児院。


「聖女様」


 少女が。


 リリアの袖を引く。


「はい?」


「今日」


「泊まる?」


「え?」


「泊まらないの?」


「調査なので」


「じゃあ」


「ご飯食べてく?」


 リリア。


 クラリスを見る。


「なぜ私を見るのです?」


「なんとなく」


「ご自身で決める日では?」


「あ」


 リリアは。


 少女を見る。


「食べます」


「やった!」


「ただし」


 クラリスが言った。


「食費は払います」


「クラリス様!」


「四人と一匹分」


「こういう時くらい!」


「孤児院の食費ですよ」


「……」


「払います!」


 マルタが。


 腹を抱えて笑った。


「似た者同士だねえ」


「どこがです?」


 二人。


 同時だった。


 ◇


 夕食。


 豆。


 芋。


 少しの肉。


 大鍋のスープ。


 固めのパン。


 豪華ではない。


 でも。


「おいしい」


 リリアが言った。


「でしょう?」


 少女が。


 なぜか自慢する。


「今日、私」


「人参切った!」


「上手ですね」


「三個落とした!」


「それは言わなくてもいい情報です」


「洗った!」


「なら大丈夫です」


 ヨル。


 子どもたちの真ん中。


 伏せ。


 背中に。


 一人。


 腹側に。


 二人。


 尻尾を。


 一人。


「ヨル」


「わふぅ……」


「大丈夫です?」


「……わふ」


 覚悟を決めた顔だった。


「人気ですね」


 リリア。


「私のヨルなのですが」


「クラリス様」


「何でしょう」


「また言った」


「事実です」


 ◇


 食後。


 リリアは。


 一人で。


 庭へ出た。


 帳面。


 開く。


 二十八番。


 書こうとして。


 止まる。


「……」


 消す。


 また書く。


 クラリスが。


 少し離れたところにいる。


 でも。


 覗かない。


「クラリス様」


「はい」


「見ないんですか?」


「あなたの帳面ですから」


「前は見てたのに」


「前は」


「見せてきましたから」


「……」


 リリアは。


 少し笑った。


「じゃあ」


「見せます」


 二十八番。


 『信用した人を、騙された側の責任にしない。』


 二十九番。


 『善意は、証拠の代わりにはならない。』


 そして。


 三十番。


 なかなか。


 書けなかった。


「難しいです」


「何が?」


「今日」


「私」


「ベルガー院長に」


「腹が立ちました」


「はい」


「救済院にも」


「はい」


「でも」


「救済院がなかったら」


「困る人もいる」


「いますね」


「壊しちゃ駄目」


「はい」


「じゃあ」


「どうすればいい?」


 クラリスは。


 答えなかった。


「……」


 リリアが見る。


「クラリス様?」


「ご自身で」


「考えるのでしょう?」


「意地悪」


「九十五点」


「上がったから許します」


 ◇


 しばらくして。


 リリアが。


 書いた。


 三十番。


 『悪いところを直すことと、全部を悪いものにすることは違う。』


「……どうです?」


 クラリスは。


 読む。


「百点」


「え?」


 リリアが。


 顔を上げた。


「今」


「百点って」


「言いました?」


「言いました」


「初めて!」


「今回だけです」


「なんで!?」


「百点を常態化すると」


「百点の価値が下がります」


「そういうところですよ!」


 ◇


 帰り道。


 夜の帝都。


 大通りではなく。


 庶民街。


 酒場。


 焼いた腸詰め。


 パン屋の片付け。


 仕事帰りの人々。


 夫婦喧嘩。


 泣く赤ん坊。


 酔っぱらい。


 猫。


 普通の。


 暮らし。


「クラリス様」


「はい」


「私」


「聖女として」


「何人救ったんでしょう」


 クラリスは。


 リリアを見る。


「数えたいですか?」


「前は」


「数えたかったです」


「今は?」


「……」


 リリアは。


 孤児院の方を見る。


「誰が」


「明日も普通にご飯を食べられるか」


「そっちの方が」


「気になります」


「そうですか」


 それだけ。


 クラリスは。


 言った。


 ◇


 だが。


 宮殿へ戻ると。


 待っていた。


 グレゴール宰相。


「クラリス嬢」


「はい」


「聖女様」


「はい」


「救済院の件」


「動きがございました」


 机。


 一枚の辞職願。


「ベルガー院長が?」


「はい」


「先ほど」


「辞任を申し出ました」


 リリアが。


 眉を寄せる。


「早すぎる」


 クラリスが。


 リリアを見る。


「今」


「何と?」


「早すぎます」


「どうして?」


「私たち」


「まだ院長が悪いって」


「決めてません」


「……」


「なのに」


「もう辞める?」


 リリアの顔。


 変わる。


「クラリス様」


「はい」


「これ」


「院長を切って」


「終わりにする気じゃないですか?」


 クラリスの。


 口元が。


 ほんの少し上がった。


「九十六点」


「さっき百点だったのに!」


「別問題です」


「採点厳しい!」


 だが。


 次の瞬間。


 リリアは。


 笑うのをやめた。


「辞めさせないでください」


 宰相を見る。


「少なくとも」


「調査が終わるまでは」


「理由は?」


「院長が悪いなら」


「何をしたか調べます」


「悪くないなら」


「辞めさせちゃ駄目です」


「そして」


 リリアは。


 黒薔薇の帳面を。


 机へ置いた。


「誰かが」


「この人一人を悪者にして」


「全部終わらせようとしてるなら」


 柔らかな声。


 けれど。


 迷いはなかった。


「それも」


「止めたいです」


 クラリスは。


 口を挟まなかった。


 もう。


 必要なかった。


 ◇


 同じ夜。


 帝都。


 名もない宿。


 一人の男が。


 荷物をまとめていた。


 机には。


 黒薔薇。


 ではない。


 救済院の紋章。


 扉。


 叩かれる。


「誰だ」


 返事はない。


 男が。


 短剣へ手を伸ばす。


 窓。


 開いた。


「――っ!」


 黒い影。


 飛び込む。


 男が短剣を抜く。


 だが。


 その手首を。


 巨大な牙が。


 寸前で止めた。


『グルルルル……』


「ヨル」


 窓の外から。


 クラリスの声。


「噛んではいけません」


『……』


「証人です」


 ヨル。


 牙を。


 ほんの少し。


 緩めた。


「クラリス様!」


 下から。


 リリアの声。


「なんで普通に窓から入らせてるんですか!」


「正面から逃げましたので」


「だからって三階ですよ!」


「ヨルなら届きます」


「そういう問題じゃありません!」


 男が。


 呆然と。


 窓を見る。


 そこには。


 杖を持った公爵令嬢。


 息を切らした聖女。


 そして。


 黒い狼。


「……何なんだ」


 男が呟いた。


 クラリスは。


 淡々と答えた。


「監査です」


「三階の窓から!?」


 リリアが叫んだ。


 帝国の夜は。


 まだ。


 長かった。

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