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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第70話 皇女殿下は、帰国して五分で逃げる

 帝都の城門が。


 見えた。


「帰ってきた!」


 アレクシアが。


 馬車の窓を開ける。


「殿下」


「なんだ」


「危ないので顔を出さないでください」


「子ども扱いするな」


「ヨルにも同じことを言いました」


「狼と一緒にするな!」


 その下。


 ヨルが。


 窓から顔を出している。


「ヨル」


「わふ」


「顔を戻してください」


「わふ」


「殿下も」


「私は戻さんぞ」


「ヨル」


 すっ。


 黒い頭が引っ込んだ。


「ほら」


「なぜ私より狼の方が聞き分けがいい!」


「日頃の行いでしょうか」


「クラリス!」


 リリアが。


 くすくす笑っている。


 長かった。


 聖協国。


 ミレア自治領。


 疫病。


 魔物。


 黒薔薇。


 鉄路。


 そして。


 東方から届いた手紙。


 ようやく。


 一行は帝都へ戻ってきた。


 ◇


 帝都は。


 相変わらずだった。


 大通りを。


 魔導車が走る。


 商店の軒先。


 焼いた肉。


 香辛料。


 パン。


 花。


 新聞売りの少年が叫ぶ。


「皇女殿下ご帰還!」


「聖協国との共同協定!」


「西方自治領の疫病終息へ!」


「聖女様の奇跡!」


「奇跡?」


 リリアが。


 馬車の中で固まった。


「私」


「桶運んでただけなんですけど」


「記事とは」


 クラリスが言う。


「だいたい少し盛られます」


「少し?」


 新聞を買ったルシアンが読む。


「『聖女リリア、一夜にして百八十七名を救う』」


「盛りすぎです!」


「百八十七名は患者数ですね」


「私一人じゃないです!」


 リリアが。


 新聞を奪う。


「医師も!」


「看護師も!」


「村の人も!」


「クラリス様たちも!」


「ヨルも!」


「わふ」


「ヨルは戦闘担当です」


「でも守りました!」


 リリアは。


 新聞を睨んだ。


「これ」


「訂正してもらえませんか?」


 クラリスが。


 少しだけ。


 リリアを見る。


「できますよ」


「本当ですか?」


「ただし」


「はい」


「新聞社へ行って」


「あなた自身が説明してください」


「行きます」


 即答だった。


「今から」


「リリア様」


「はい」


「まず宮廷です」


「……」


「逃げません」


「顔に書いてあります」


「書いてません!」


 ◇


 帝国宮殿。


 正門。


 馬車が止まる。


 扉が開く。


 ずらり。


 官僚。


 侍従。


 近衛兵。


 そして。


 先頭。


 帝国宰相。


 グレゴール・ヴァイス。


 七十歳。


 細身。


 白髪。


 笑わない。


 帝国官僚の頂点。


「皇女殿下」


「……」


「ご帰還」


「……」


「心より」


「……」


「お待ち申し上げておりました」


 アレクシアが。


 馬車の扉を。


 そっと閉めた。


「殿下?」


 クラリスが聞く。


「帰る」


「どこへ?」


「自治領」


「今着きました」


「忘れ物をした」


「何を?」


「自由」


「殿下」


 外から。


 コンコン。


「殿下」


 宰相。


「開けてくださいませ」


「嫌だ」


「聞こえております」


「……」


 リリアが。


 小声で聞く。


「怖い人なんですか?」


 アレクシアが。


 さらに小声。


「家庭教師だった」


「ああ……」


 全員。


 なんとなく納得した。


 ◇


「二十七日」


 宮廷会議室。


 グレゴール宰相が。


 書類を読む。


「皇女殿下が帝都を離れていた日数でございます」


「仕事だ」


「承知しております」


「ならよいだろう」


「その間」


 紙。


 一枚。


「決裁待ち」


 二枚。


 三枚。


 どさっ。


「百四十二件」


「……」


 さらに。


 どさっ。


「陳情」


「八十六件」


 どさっ。


「軍務報告」


「三十九件」


 どさっ。


「夜会招待」


「十七件」


「最後はいらん!」


「三件は外交案件でございます」


「混ぜるな!」


 クラリスが。


 書類の山を見る。


「殿下」


「なんだ」


「ご健闘を」


「置いていくな!」


「私は帝国官僚ではありません」


「友人だろう!」


「その契約を締結した覚えはありません」


「今しろ!」


 グレゴール宰相が。


 初めて。


 クラリスを見る。


「あなたが」


「クラリス・アルヴェイン嬢ですな」


「はい」


「皇女殿下から」


「よく名前を聞いております」


 アレクシアが。


 嫌な顔をした。


「何を話した」


「『帳簿の女がうるさい』」


「殿下」


「待て」


「『何でも監査する』」


「クラリス、違う」


「『融通が利かない』」


「宰相!」


「『だが信用できる』」


 止まった。


 クラリスが。


 アレクシアを見る。


「……」


「……」


「最後だけ」


「言わなくていい!」


 アレクシアの耳が。


 少し赤かった。


 リリアが。


 にやにやしている。


「聖女」


「はい?」


「笑うな」


「笑ってません」


「顔が笑っている!」


 ◇


 報告会。


 ミレア自治領について。


 クラリスは。


 順番に説明した。


 疫病。


 接種率。


 中央への不信。


 ローゼン商会との過去。


 魔物化実験。


 山林開発。


 鉄路。


 黒薔薇。


 そして。


 東方からの書簡。


「百三十二年前」


 グレゴール宰相が。


 古い記録を見る。


「既に東方で黒薔薇が確認されていた」


「はい」


「つまり」


「ローゼン商会を潰して終わりではない」


「その可能性が高いでしょう」


 会議室が。


 静かになる。


 軍務大臣が言った。


「ならば」


「黒薔薇を名乗る者を」


「一斉に拘束すべきでは?」


「反対です」


 クラリス。


 即答。


「なぜだ」


「印だけなら」


「誰でも持てます」


「では捜査を」


「それには賛成です」


「違いは?」


「黒薔薇を探すのではなく」


 クラリスは。


 机の上へ。


 三枚の紙を置いた。


「黒薔薇が」


「何をしているかを探します」


 ◇


 一枚目。


 薬草。


 二枚目。


 難民支援物資。


 三枚目。


 魔導石。


「共通点は?」


 大臣たちが。


 資料を見る。


 分からない。


 リリアも。


 首を傾げる。


「全部」


「必要なもの?」


「そうです」


 クラリスが答える。


「需要が」


「必ずなくならない」


 薬。


 食料。


 エネルギー。


「そして」


「どれも」


「制度が守ろうとしているものです」


 薬には。


 医療支援。


 食料には。


 難民支援。


 魔導石には。


 公共価格制度。


「黒薔薇は」


「制度を壊して儲けるのではありません」


「制度があるから」


「儲けられる場所を探す」


 グレゴール宰相が。


 目を細めた。


「善意を」


「市場にする」


「はい」


 リリアの顔から。


 笑みが消える。


「それ」


「すごく嫌です」


「でしょうね」


「助けようとして作ったものを」


「利用するなんて」


「はい」


 クラリスは。


 リリアを見る。


「だからこそ」


「気をつけなければなりません」


「何を?」


「嫌いだから」


「全部潰したくなることです」


「……」


「制度を利用する者がいる」


「だから制度をなくす」


「それでは」


「本当に必要な人まで困ります」


 リリアが。


 黙った。


 やがて。


 小さく頷く。


「悪い人を止めることと」


「仕組みを壊すことは」


「別?」


「はい」


「……書いていいですか?」


「会議中です」


「あとで書きます」


 ◇


 そこへ。


 扉。


 開いた。


「失礼いたします!」


 若い官吏。


 息を切らしている。


「何事だ」


 グレゴール宰相。


「南部交易局より」


「緊急報告です」


 紙が。


 渡される。


 宰相が読む。


 眉。


 動く。


「クラリス嬢」


「はい」


「これを」


 紙。


 クラリスへ。


 輸送記録。


 穀物。


 医薬品。


 毛布。


 大量。


 行き先。


 帝国南部。


 災害備蓄倉庫。


「これは」


 ルシアンが覗く。


「支援物資?」


「はい」


 クラリス。


 数字を見る。


 一度。


 上。


 下。


 もう一度。


「……多い」


「何が?」


 リリアが聞く。


「輸送量です」


「備蓄だからでは?」


「この地域の人口に対して」


「多すぎます」


 さらに。


 購入価格。


「こちらは」


「安すぎる」


「いいことでは?」


「通常なら」


 クラリスの指。


 止まる。


 仕入先。


 聞いたことのない。


 小さな商会。


 ベルン商事。


 設立。


 七か月前。


「新しい会社ですね」


 ルシアン。


「はい」


 クラリスは。


 次の紙。


 代表者。


 住所。


 資本金。


 そして。


 保証人。


 空欄。


「どうやって」


「帝国の公共調達に入った?」


 グレゴール宰相が。


 低く言った。


「推薦状がございます」


「誰の?」


 官吏が。


 青い顔で答える。


「帝国救済院です」


 リリアが。


 顔を上げた。


「救済院……」


 貧困者。


 孤児。


 災害被災者。


 難民。


 帝国内で。


 最も弱い人々を支える。


 公的機関。


「推薦理由は?」


「社会貢献実績」


「実績は?」


「……」


「七か月の会社ですよ」


 クラリスが。


 静かに聞く。


 官吏が。


 答えられない。


 ◇


「現物を」


 クラリスが言った。


「確認します」


「今から?」


 アレクシアが聞く。


「はい」


「帰ってきたばかりだぞ」


「殿下は」


「百四十二件の決裁を」


「クラリス!」


「冗談です」


「お前の冗談は目が笑っていない!」


 グレゴール宰相。


「殿下」


「なんだ」


「決裁を」


「宰相!」


「クラリス嬢」


「はい」


「私からも」


「現物確認をお願いいたします」


「承知しました」


「聖女様も」


「え?」


「医薬品の品質を」


 リリアが。


 立ち上がる。


「行きます」


「ルシアン殿も」


「はい」


「セバス殿」


「お供いたします」


 そして。


 ヨル。


「わふ」


 勝手に立った。


 アレクシアだけ。


 残った。


「……」


 全員。


 見る。


「……」


 机。


 百四十二件。


「……」


「殿下」


 クラリスが言った。


「国を守る方法は」


「戦うだけではありません」


「分かっている!」


「では」


「ご武運を」


「書類相手に言うな!」


 ◇


 帝都南部。


 備蓄倉庫。


 巨大だった。


 穀物。


 毛布。


 薬。


 箱。


 箱。


 箱。


「これだけあれば」


 リリアが言う。


「かなりの人を助けられますね」


「帳簿上は」


 クラリス。


「帳簿上?」


「開けます」


 倉庫番が。


 木箱を開く。


 医薬品。


 リリアが。


 一瓶。


 手に取る。


「……」


「どうしました?」


「薄い」


「何が?」


「薬液の色」


 別の瓶。


「これも」


 もう一本。


「これもです」


 リリアの顔が。


 変わった。


 聖女ではない。


 現場で。


 何百本も薬を扱った人間の顔。


「クラリス様」


「はい」


「たぶん」


「規定濃度に足りません」


 クラリスは。


 倉庫番を見る。


「検品は?」


「書類では」


「書類ではなく」


 クラリスが。


 少し低い声で言う。


「現物を」


「……抜き取り検査のみです」


「誰が?」


「救済院の検査官です」


 ◇


 毛布。


 薄い。


 穀物。


 重量不足。


 薬。


 希釈。


 すべて。


 ぎりぎり。


 一目では。


 分からない。


 使えないほどではない。


 だが。


 確実に。


 削っている。


「ひどい……」


 リリアが。


 毛布を握った。


「これ」


「冬の避難所で使うんですよね?」


「はい」


「寒いですよ」


「はい」


「薬だって」


「効かなかったら」


 声。


 強くなる。


「人が死ぬかもしれない」


「リリア様」


「分かってます」


 リリアは。


 目を閉じた。


 一度。


 息を吐く。


「怒ってます」


「はい」


「でも」


「怒って決めません」


 クラリスが。


 リリアを見る。


 ほんの少し。


 口元が緩んだ。


「九十二点」


「今ですか!?」


「最高点です」


「そこは百点くださいよ!」


 ◇


 ヨルが。


 突然。


 倉庫の奥へ歩き出した。


「ヨル?」


「わふ」


 鼻。


 床。


 箱。


 そして。


 一番奥。


 古い木箱。


「それは?」


 倉庫番が答える。


「返品予定品です」


「開けてください」


「ですが」


「開けてください」


 蓋。


 外れる。


 中。


 何もない。


「空?」


 ルシアンが言った。


 ヨルは。


 箱ではなく。


 蓋を嗅いでいる。


「……」


 クラリスが。


 蓋を裏返した。


 小さな。


 焼印。


 薔薇。


 黒く。


 焦がされた。


 花。


「黒薔薇」


 リリアが呟いた。


「違います」


 クラリスが言った。


「え?」


「これは」


 焼印へ。


 指を触れる。


「見つけてほしい印です」


 セバスが。


 目を細める。


「わざと?」


「おそらく」


 隠すなら。


 こんな場所へ。


 印など残さない。


「誰かが」


「私たちを」


「ここまで誘導している」


 ルシアンの顔が。


 強張る。


「東方の手紙?」


「まだ」


「分かりません」


 その時。


 箱の底。


 ヨルが。


 前脚を入れた。


 がり。


「ヨル」


 がり。


「壊さないで」


 がり。


 板が。


 外れた。


「……」


 二重底。


「訂正します」


 クラリス。


「続けてください」


「わふ」


 中から。


 一冊。


 薄い帳面。


「帳簿?」


 リリア。


 クラリスが。


 開く。


 数字ではない。


 人名。


 帝国。


 王国。


 聖協国。


 商人。


 官僚。


 聖職者。


 貴族。


 そして。


 名前の横に。


 金額。


「賄賂……?」


 ルシアンが呟く。


「それだけではありません」


 クラリスが。


 ページをめくる。


 金額のない名前。


 代わりに。


 短い言葉。


 《善意》


 別の名前。


 《名誉》


 別。


 《恐怖》


 別。


 《正義》


 リリアが。


 自分の胸元を。


 無意識に押さえた。


「人を」


「何で動かせるか……?」


「はい」


 クラリスの顔から。


 完全に。


 笑みが消えた。


 黒薔薇が記録していたのは。


 金ではない。


 人間の。


 値段だった。


 金で動く者。


 地位で動く者。


 褒めれば動く者。


 怖がらせれば動く者。


 そして。


 正しいことなら。


 自分から動いてくれる者。


「……最低」


 リリアが言った。


 クラリスは。


 最後のページを開く。


 一行。


 そこに。


 見覚えのある名前があった。


 《リリア・セレスティア》


「……私?」


 その横。


 金額はない。


 ただ。


 二文字。


 《救済》


 そして。


 さらに小さく。


 追記。


 《最も扱いやすく、最も危険。》


 誰も。


 言葉を発しなかった。


 リリアだけが。


 しばらく。


 自分の名前を見ていた。


「……私」


 柔らかい声だった。


「利用されるんですか?」


 クラリスは。


 帳面を閉じなかった。


「可能性はあります」


「私が」


「人を助けたいから?」


「はい」


 リリアは。


 黙る。


 それから。


 小さく笑った。


「嫌ですね」


「はい」


「すごく」


「はい」


「でも」


 リリアは。


 帳面から。


 目を逸らさなかった。


「助けたいのを」


「やめるのは」


「もっと嫌です」


 クラリスも。


 リリアを見る。


「それでいいと思います」


「いいんですか?」


「利用される可能性があるからといって」


「善意を捨てる必要はありません」


「では?」


 クラリスは。


 黒薔薇の帳面へ。


 一枚の紙を挟んだ。


「監査します」


「私を?」


「はい」


「クラリス様が?」


「まずは」


「……まずは?」


「いずれ」


 クラリスは。


 リリアの胸元にある。


 小さな帳面を見る。


「ご自身で」


「できるようになってください」


 リリアは。


 しばらく黙って。


 それから。


 いつものように。


 笑った。


「難しそう」


「難しいでしょうね」


「何点取れば合格です?」


「百点は」


「ありません」


「えー」


「人間ですから」


 倉庫の隙間から。


 夕方の光が差し込む。


 リリアは。


 自分の帳面を。


 そっと握った。


 まだ。


 そこには。


 二十七個の言葉しかない。


 けれど。


 その一冊が。


 いつか。


 何万人もの人生を左右することになる。


 その時。


 リリア自身を監査できるのは。


 誰なのか。


 まだ。


 誰も知らなかった。


 ただ。


 足元で。


 ヨルが。


「わふ」


 鳴いた。


 リリアがしゃがむ。


「ヨルは」


「私が変になったら」


「教えてくれます?」


「わふ」


「本当に?」


 ヨルは。


 リリアの手を。


 ぺろり。


 舐めた。


「……クラリス様」


「はい」


「これは何点?」


「採点対象外です」


「なんでですか」


「ヨルですから」


「ずるい」


 黒い狼の尻尾が。


 ぱたん。


 帝国へ帰って。


 まだ。


 一日目。


 黒薔薇は。


 もう。


 次の問いを。


 置いていった。

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