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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第68話 悪女令嬢は、今日は世界を救わない

 休日。


 クラリスは。


 この言葉が、あまり得意ではない。


「まず市場へ行きましょう!」


 リリアは得意だった。


「待ってください」


「はい?」


「なぜあなたが仕切っているのです?」


「だってクラリス様」


 リリアが指を折る。


「市場」


「はい」


「蜂蜜菓子」


「はい」


「山羊チーズ」


「はい」


「串焼き」


「……はい」


「温泉」


「最後だけ規模が違いません?」


「全部、昨日聞きました!」


 アレクシアが横から口を挟む。


「私は酒蔵も見たい」


「追加されました」


「休みとは予定を詰めるものだろう?」


「違います」


 クラリスは即答した。


 その足元。


 ヨルだけが。


 すでに市場へ向かって歩いている。


「ヨル」


「わふ」


「まだ行くとは言っていません」


 止まる。


 振り返る。


 尻尾。


 ぱたん。


「……行きます」


 歩き出した。


「クラリス様」


「何でしょう」


「ヨルに弱くないですか?」


「気のせいです」


 ◇


 ミレア自治領の朝市は。


 昨日までとは。


 少し違って見えた。


 いや。


 市場そのものは。


 何も変わっていない。


「焼きたてだよ!」


「山羊乳チーズ、今日は若いのがあるよ!」


「蜂蜜! 今年の山花は香りがいいぞ!」


 声。


 匂い。


 荷車。


 走る子ども。


 値切る老婆。


 犬に追いかけられる鶏。


「待てぇ!」


 鶏を追う少年。


 その少年を追う犬。


 そして。


 なぜか参加するヨル。


「ヨル!」


「わふっ!」


「遊ばない!」


 黒い巨体が。


 ぴたり。


 止まった。


 鶏も。


 止まった。


 犬も。


 止まった。


 三者。


 見つめ合う。


「……」


「……」


「……」


 鶏。


 逃走。


 犬。


 追跡。


 ヨル。


 クラリスを見る。


「行ってはいけません」


「……わふ」


 明らかに残念そうだった。


 リリアが笑う。


「昨日、熊と戦ってた狼ですよね?」


「はい」


「今日は鶏を追いたい」


「そのようです」


「平和ですね」


 クラリスは。


 市場を見る。


「そうですね」


 昨日。


 ここには。


 疫病があった。


 魔物も来た。


 死者も出た。


 問題は。


 何一つ。


 完全には終わっていない。


 それでも。


 朝になれば。


 パンは焼かれる。


 鶏は逃げる。


 誰かが値切る。


 人は。


 暮らす。


 ◇


「聖女様!」


 野菜売りの女性が。


 リリアを呼び止めた。


「昨日はありがとうね!」


「いえ」


「これ持っていきな」


 大きな。


 赤い果実。


「え」


「お礼」


「でも」


「いいから!」


「払います」


「いらないよ!」


「払います」


「聖女様から金なんか取れるかい!」


「取ってください!」


「頑固だねえ!」


「そちらも!」


 クラリスが。


 少し離れて見ている。


「どうします?」


 ルシアンが聞く。


「見守ります」


「止めないんですか?」


「商取引ですので」


 最終的に。


 リリアが代金を払った。


 すると女性は。


 果実をもう一つ。


 袋へ入れた。


「増えました!」


「おまけだよ」


「それでは払った意味が!」


「商売ってのはそういうもんだ!」


「クラリス様!」


「私に振らないでください」


「専門家でしょう!」


「合法です」


「そういう問題ですか!?」


 ◇


 肉屋。


 ヨルが。


 止まった。


「……」


 クラリスも。


 止まった。


「ヨル」


「……」


「行きますよ」


「……」


 肉屋の主人が。


 にやりと笑った。


「兄ちゃん」


 アレクシアを見る。


「私は女だ」


「姉ちゃん」


「切り替えが早いな」


「そこの狼、昨日の?」


「そうだ」


「魔物から村を守ってくれたんだろ?」


「まあな」


「じゃあ英雄だ」


 主人が。


 燻製肉を一本。


 取り出した。


「ほら」


「わふっ!」


 返事が。


 今日一番大きかった。


「待ってください」


 クラリスが財布を出す。


「代金を」


「いらねえよ」


「払います」


「聖女様と同じこと始まったぞ」


 アレクシアが笑う。


「これはヨルへの礼だ」


「でしたら」


 クラリスは考える。


「ヨルが受け取るか判断すべきですね」


「狼に?」


「はい」


 全員。


 ヨルを見る。


 燻製肉。


 ヨル。


 一秒。


「わふ」


「受領しました」


「早い!」


 リリアが笑った。


「クラリス様より判断速い!」


「食べ物に関してだけです」


 ヨルが。


 嬉しそうに肉を咥える。


 だが。


 食べない。


「どうした?」


 主人が聞く。


 ヨルは。


 肉を咥えたまま。


 少し歩いた。


 治療所の前。


 昨日。


 魔物に襲われ。


 足を怪我した犬が寝ている。


 その前へ。


 肉を置いた。


「……」


 犬が。


 ヨルを見る。


 ヨル。


 鼻で。


 肉を押す。


 犬が。


 恐る恐る食べ始めた。


「ヨル……」


 リリアの声が。


 柔らかくなる。


「優しい……」


 クラリスも。


 少し目を細めた。


 ヨルが戻ってくる。


「偉かったですね」


 頭を撫でる。


「わふ」


「では」


 クラリスは。


 肉屋を見る。


「もう一本ください」


「結局買うのか!」


「これはヨルの分です」


「二本やるよ」


「払います」


「一本分でいい」


「二本分」


「一本!」


「二本です」


 主人が頭を抱えた。


「面倒な主人だな!」


 ヨル。


「わふ」


「お前もそう思うか!」


「ヨル?」


「……」


 ヨルが。


 目を逸らした。


 ◇


 昼。


 広場。


 木陰。


 四人と一匹は。


 買ったものを並べた。


 焼きたての平パン。


 山羊チーズ。


 燻製肉。


 蜂蜜。


 豆と香草の煮込み。


 川魚の塩焼き。


「多くないですか?」


 ルシアンが言う。


「誰だ、こんなに買ったのは」


 アレクシア。


「殿下が半分です」


 クラリス。


「旅先では食べるのも視察だ」


「便利な言葉ですね」


「クラリス様もチーズ三種類買いましたよね?」


 リリア。


「比較です」


「何の?」


「熟成期間の」


「食べたかったんですよね?」


「比較です」


「顔がヨルと同じですよ」


「リリア様」


「はい」


「八十七点」


「休日は採点なしって!」


「検討すると申し上げました」


「採用されてなかった!」


 笑い声。


 ◇


 そこへ。


 バルガスが通りかかった。


「随分と楽しそうだな」


「お邪魔しています」


 クラリスが言う。


「どうだ」


「何がです?」


「この村は」


 クラリスは。


 辺りを見る。


 市場。


 山。


 川。


 遠くに。


 昨日調べた森。


「良いところです」


「金になるか?」


 少し。


 意地の悪い質問だった。


 クラリスは。


 平パンをちぎる。


「なります」


 バルガスの眉が動く。


「即答か」


「はい」


「では開発するか?」


「それは別です」


「なぜ」


「この村の良さを」


「全部お金に変えたら」


 クラリスは。


 蜂蜜をパンへ少し垂らした。


「たぶん」


「この蜂蜜まで」


「違う味になります」


 バルガスが。


 笑った。


「商人らしくないな」


「商人だからです」


「売れるものを」


「全部売るのは」


「下手な商売です」


 ◇


 午後。


 温泉。


「……」


 クラリスは。


 湯船に浸かっていた。


 静か。


 湯気。


 鳥の声。


「クラリス様」


「……」


「クラリス様?」


「聞こえています」


「寝てません?」


「寝ていません」


「目、閉じてますよ」


「閉じています」


「珍しい」


 隣。


 リリアも。


 肩まで浸かっている。


 その向こう。


 アレクシアは。


 頭に手拭いを載せていた。


「これは良いな」


「殿下」


「なんだ」


「完全に馴染んでますね」


「皇女にも湯は必要だ」


「名言みたいに言わないでください」


「リリア」


「はい?」


「お前はいつまで湯の中で帳面を書いている」


「え」


 リリアの手。


 小さな防水板。


 その上に。


 帳面。


「思いついたので」


「休め」


「アレクシア様に言われた!」


「これは相当だな」


 クラリスが。


 目を開けた。


「何を書いたのです?」


「二十五番」


 リリアが読む。


 『守りたい暮らしを知らずに、人を救ったことにはならない。』


 クラリスは。


 しばらく黙った。


「どうです?」


「……」


「赤入れあります?」


「ありません」


「やった」


 リリアが。


 小さく笑う。


「じゃあ点数は?」


「休日です」


「逃げた!」


 ◇


 夕暮れ。


 宿へ戻る途中。


 ヨルが。


 道端に寝転んだ。


「ヨル?」


「わふ」


「歩いてください」


「……」


「疲れました?」


「わふ」


「今日あなた」


「食べて」


「鶏を追おうとして」


「寝ていただけでしょう」


 尻尾。


 ぱたん。


「褒めていません」


 リリアが。


 しゃがむ。


「クラリス様」


「はい」


「今日」


「世界、救いませんでしたね」


 クラリスは。


 少し考えた。


「そうですね」


「何も解決してない」


「はい」


「ローゼンのことも」


「はい」


「東方のことも」


「はい」


「鉄路も」


「はい」


 リリアは。


 夕暮れの市場を見る。


「でも」


「こういう日」


「必要ですね」


「……はい」


 クラリスも。


 同じものを見る。


 誰かが。


 店を閉めている。


 夕食の匂い。


 母親が。


 子どもの名前を呼ぶ。


 老人が。


 椅子を家の中へ運ぶ。


 特別なことは。


 何もない。


 だから。


 クラリスは思った。


 制度も。


 商売も。


 政治も。


 聖魔法も。


 結局は。


 こういうものを守るためにある。


 世界という。


 大きすぎるものではなく。


 夕方になったら。


 家へ帰る。


 そんな。


 名もない一日を。


「帰りましょう」


「はい」


「ヨル」


「……」


「起きてください」


「……」


「ヨル?」


 完全に。


 寝ている。


 アレクシアが言った。


「置いていくか」


 ぱち。


 ヨルの目が開いた。


「聞こえてるじゃないですか!」


 リリアが笑う。


 ◇


 翌朝。


 休日は。


 終わった。


 クラリスの机には。


 三通の書簡が届いていた。


 一通。


 帝国宮廷から。


 一通。


 聖協国最高評議会から。


 そして。


 もう一通。


 封蝋が。


 見たことのない形だった。


 円。


 その中に。


 三本足の鳥。


「これは?」


 ルシアンが尋ねる。


 セバスが。


 珍しく。


 少しだけ驚いた顔をした。


「東方の印にございます」


「東方?」


 リリアが。


 蜂蜜菓子を持ったまま振り返る。


 クラリスは。


 封を切った。


 中には。


 短い文章。


 《西方にて黒薔薇を追う者へ。》


 そして。


 もう一行。


 《そなたらが探しているものは、海を渡ってはいない。》


「……え?」


 アレクシアが眉をひそめる。


 クラリスは。


 最後の一文を読む。


 《だが、黒薔薇は我らの国にも咲いたことがある。》


 差出人。


 なし。


 ただ。


 紙から。


 微かに。


 白檀の香りがした。


 世界を救わない一日は。


 終わった。


 そして。


 海の向こうが。


 初めて。


 こちらを見た。

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