第66話 聖女様は、治癒魔法で殴らない
森の奥。
赤い目が。
一つ。
二つ。
八つ。
十二。
「増えましたね」
クラリスが言った。
「冷静に数えるな!」
アレクシアが槍を構える。
茂みが。
揺れた。
最初に飛び出してきたのは。
狼。
ではなかった。
「……鹿?」
リリアが呟く。
身体は鹿。
だが。
角が異常に肥大している。
黒い筋。
口から。
紫色の瘴気。
その後ろ。
猪。
山猫。
猿。
種類が。
ばらばらだった。
「魔物の群れではありません」
クラリスが杖を抜く。
「森の動物が」
「魔物化している?」
ルーメンの顔が強張った。
鹿が。
地面を蹴った。
「来ます!」
◇
速い。
一直線に。
リリアへ。
「えっ」
「伏せろ!」
アレクシアが。
槍を振るう。
ガンッ!
角と槍。
火花。
「重い!」
アレクシアの足が。
半歩下がる。
「殿下!」
「問題ない!」
鹿が。
再び頭を振り上げる。
その横。
黒い影。
ヨル。
だった。
ドンッ!
体当たり。
鹿が。
吹き飛ぶ。
「……」
リリアが。
目を丸くした。
さっきまで。
腹毛を貸してくれていた狼が。
いない。
肩まで。
リリアの胸ほどある。
漆黒の身体。
銀色の牙。
赤黒い瞳。
足元には。
薄い瘴気さえ渦巻いている。
「ヨル……」
『グルルルル……』
「かっこいい……」
「リリア様」
クラリスが言った。
「今は感想を述べている場合ではありません」
「すみません!」
◇
「治療所を守れ!」
アレクシアが叫ぶ。
兵士たちが。
入口へ盾を並べる。
だが。
「上!」
山猫。
三頭。
木から飛んだ。
兵士の頭上を越える。
「クラリス!」
「はい」
一歩。
前へ。
クラリスの杖が。
下から跳ね上がる。
バキッ!
一頭目の顎。
そのまま。
身体を回す。
杖の石突き。
二頭目の腹。
ドッ。
「ぎゃうっ!」
三頭目。
爪。
クラリスは。
半歩だけ引いた。
空振り。
手首を返す。
コッ。
額。
山猫が。
その場で転がった。
「……」
リリアが。
また見ていた。
「クラリス様」
「はい」
「強くないですか?」
「杖術は師範級です」
「初めて聞きました!」
「聞かれませんでしたので」
「そういう情報は先にください!」
「履歴書ではありませんので」
「今それ言います!?」
「後ろ!」
「えっ」
猪。
「きゃあ!」
◇
リリアが。
両手を前へ出した。
「お願い!」
金色。
光が。
弾けた。
バンッ!
猪が。
止まった。
正確には。
猪の鼻先。
半透明の金色の壁。
「……」
全員。
一瞬。
止まった。
「できた」
リリア自身が。
一番驚いていた。
「できました!」
「喜ぶのはあとです!」
「はい!」
猪が。
もう一度。
突進。
ドン!
「うっ……!」
金色の壁が揺れる。
「重っ!」
「リリア様!」
「大丈夫です!」
歯を食いしばる。
「これ!」
「治療より!」
「疲れる!」
「でしょうね!」
◇
クラリスは。
戦いながら。
リリアの魔法を見ていた。
治癒。
浄化。
そして。
防壁。
同じ金色の光。
おそらく。
根は同じ。
傷ついた状態を、本来あるべき状態へ戻す。
なら。
「リリア様!」
「はい!」
「魔物へ直接使えますか!」
「治すんですか!?」
「違います!」
クラリスは。
瘴気を吐く猿の攻撃を杖で払った。
「瘴気だけを!」
「……!」
リリアが。
魔物を見る。
鹿。
猪。
山猫。
猿。
元々。
森で暮らしていた動物。
「やってみます!」
両手。
金色。
「ちょっと!」
アレクシアが叫ぶ。
「私の近くで試すな!」
「殿下、鹿を押さえてください!」
「聞いているか!?」
「お願いします!」
「くそっ!」
アレクシアが。
鹿の角を槍で絡める。
「今だ!」
「はい!」
リリアが。
鹿の額へ。
手を当てた。
「戻って」
光。
「あなた」
「こんなのじゃ」
「なかったでしょう?」
金色が。
鹿の身体を包んだ。
黒い筋が。
蠢く。
鹿が。
暴れる。
「リリア!」
「もう少し!」
「早くしろ!」
「分かってます!」
黒い瘴気が。
鹿の口から。
ぶわっ。
噴き出した。
金色の光が。
それを包む。
ジュッ。
消えた。
そして。
鹿の身体が。
崩れる。
「死んだ!?」
「違います!」
リリアが。
胸へ手を当てる。
「生きてます」
眠っている。
角は。
まだ大きい。
だが。
黒い筋が。
消えていた。
クラリスの目が。
変わった。
「リリア様」
「はい」
「それです」
「え?」
「倒さなくていい」
クラリスが。
次の魔物を見る。
「戻せます」
◇
そこから。
戦い方が変わった。
「一頭!」
アレクシアが。
槍の柄で猪を転がす。
「はい!」
リリア。
浄化。
「二頭目!」
セバスが。
猿の両腕を。
背後から拘束。
「お願いいたします」
「セバスさん普通に怖い!」
「元傭兵ですので」
「その説明で全部済ませないでください!」
浄化。
三頭目。
四頭目。
兵士が押さえる。
クラリスが足を払う。
アレクシアが吹き飛ばす。
ヨルが。
噛む。
「ヨル!」
クラリスが叫ぶ。
「殺してはいけません!」
『グルッ!?』
ヨルが。
明らかに不満そうな顔をした。
「戻せる可能性があります!」
『……』
「離してください」
『……』
「ヨル」
ぱっ。
離した。
山猫。
よだれまみれ。
「……」
リリアが見る。
「何ですか」
クラリスが聞く。
「ちゃんと言うこと聞くんだなって」
「普段から聞きます」
ヨルが。
肉屋の方向を見た。
「……だいたい」
「今、訂正しましたね」
◇
最後。
巨大な熊。
木々を。
なぎ倒して現れた。
「これは」
アレクシアが。
少し笑った。
「骨が折れそうだ」
「楽しそうに言わないでください!」
熊。
咆哮。
ドオッ!
空気が震える。
治療所から。
悲鳴。
「ヨル!」
クラリスが叫ぶ。
黒曜餓狼が。
前へ。
熊。
ヨル。
睨み合う。
「……」
「……」
ヨルが。
低く。
唸った。
熊が。
一歩。
下がった。
「おお」
アレクシアが感心する。
「獣同士の格付けか」
だが。
次の瞬間。
熊の首。
何かが。
光った。
「待って」
クラリス。
「ヨル!」
熊が。
突然。
苦しみ始める。
首。
黒い輪。
金属製。
そこから。
瘴気が流れ込んでいる。
「自然発生じゃない!」
ルシアンが叫んだ。
熊が。
狂ったように突進した。
「ヨル!」
黒い巨体。
正面から。
受け止める。
ドンッ!!
地面が。
沈む。
『グルルルルルッ!』
「リリア様!」
「はい!」
リリアが。
走った。
「アレクシア様!」
「任せろ!」
槍。
黒い首輪の隙間へ。
差し込む。
「セバス!」
「承知」
短剣。
留め金。
クラリスの杖。
三人。
同時。
「今!」
バキンッ!
首輪が。
外れた。
「リリア様!」
「戻って!」
金色の光。
熊の全身を。
包んだ。
「戻って!」
黒。
金。
二つの光が。
せめぎ合う。
「お願い……!」
リリアの声が。
震える。
「あなたの身体でしょう!」
「知らない誰かに!」
「勝手に使わせないで!」
金色。
爆ぜた。
◇
静かになった。
熊は。
倒れている。
生きていた。
ヨルが。
鼻先を近付ける。
ふん。
熊の鼻が。
少し動く。
「よかった……」
リリアが。
その場へ。
へたり込んだ。
「終わった?」
クラリスは。
答えなかった。
地面に落ちた。
黒い首輪。
拾う。
「クラリス様?」
内側。
小さな。
刻印。
黒い薔薇。
「……ローゼン」
アレクシアの表情が。
消えた。
◇
首輪は。
全部で十二個。
魔物化していた動物のうち。
大型の個体。
すべてに。
付いていた。
「では」
ルーメンが言う。
「何者かが」
「意図的に?」
「その可能性が高いでしょう」
クラリスが答える。
ただ。
一つ。
妙だった。
「なぜ」
ルシアンが言う。
「自治領を襲わせるんでしょう」
ローゼン残党にとって。
この土地に。
何がある。
薬草。
羊。
木材。
蜂蜜。
「……薬草」
クラリスが言った。
バルガスを見る。
「この自治領の薬草は」
「どこへ売っています?」
「以前は」
バルガスが答える。
「王国の商会が買い付けていた」
「商会名は?」
「確か」
少し考える。
「ローゼン商会だ」
全員。
黙った。
「だが」
バルガスは続ける。
「二年前に契約を切った」
「なぜです?」
「薬草の栽培法を」
「変えろと言ってきたからだ」
「どのように?」
「収穫量が」
「三倍になる方法だと」
クラリスと。
ルシアン。
目が合った。
「断った?」
「ああ」
「土地が死ぬ」
バルガスは。
当たり前のように言った。
「山は畑ではない」
「薬草だけ育てればいいわけでもない」
「虫も」
「木も」
「獣もいる」
「全部あって」
「山だ」
リリアが。
静かに聞いている。
「それから」
「嫌がらせは?」
「多少は」
「例えば?」
「値を下げられた」
「流通を止められた」
「中央には」
「時代遅れの自治領だと言われた」
バルガスは。
肩をすくめる。
「だから」
「中央の正しい話というものを」
「我々は信用しなくなった」
リリアが。
俯いた。
予防接種。
中央への不信。
単なる頑固さでは。
なかった。
積み重ねが。
あった。
◇
「クラリス様」
夜。
リリアが言った。
「私」
「はい」
「今日」
「説明すれば分かってもらえるって」
「少し思ってました」
「はい」
「でも」
「説明する側が」
「昔、何をしたのかも」
「関係あるんですね」
「あります」
「正しい説明でも?」
「はい」
クラリスは。
黒い首輪を。
布で包んだ。
「信用は」
「内容だけでは決まりません」
「では」
「何で?」
「履歴です」
「……履歴」
「昨日まで嘘をついていた人が」
「今日だけ正しいことを言っても」
「信じてもらえないことがあります」
「逆に」
「ずっと誠実だった人なら」
「分からない、と言っても」
「待ってもらえることがあります」
リリアは。
少し考える。
「信用にも」
「帳簿がある?」
クラリスが。
少し笑った。
「ありますね」
「目には見えませんが」
◇
その日の。
リリアの帳面。
二十番。
『正しい説明だけでは、人は動かない。』
二十一番。
『信用には履歴がある。』
そして。
少し離して。
二十二番。
『だから、今日の正しさだけで、昨日傷ついた人を責めない。』
リリアは。
そこまで書いて。
「……よし」
帳面を閉じた。
その横。
ヨル。
さっきまで。
黒曜餓狼として。
巨大な熊と正面から戦っていた。
今は。
普通サイズ。
丸くなっている。
「ヨル」
「わふ」
「今日、格好よかったですよ」
耳。
ぴく。
「すごく」
尻尾。
ぱたん。
「でも」
リリアが。
もふっと。
背中へ抱きついた。
「こっちの方が好きです」
「わふぅ」
クラリスが。
それを見る。
「リリア様」
「はい?」
「それは私のヨルです」
「え」
「返してください」
「嫌です」
「断る権利?」
「はい」
「所有権とは別問題です」
「クラリス様!」
ヨルは。
二人に挟まれたまま。
目を閉じた。
人間は。
面倒くさい。
たぶん。
そんな顔だった。
◇
翌朝。
森の奥から。
調査隊が戻った。
「クラリス様」
「何か?」
「見つけました」
差し出された。
一枚の。
黒い布。
黒薔薇の印。
そして。
裏側。
見慣れない文字で。
短い言葉が。
刺繍されていた。
セバスが。
表情を変えた。
「これは……」
「読めます?」
「はい」
セバスは。
ゆっくり。
その文字を読んだ。
《東方へ渡れ。》
「東方?」
リリアが聞く。
アレクシアも。
眉を上げた。
「海の向こうか?」
クラリスは。
黒い布を見つめる。
まだ。
誰も知らない。
その海の向こうに。
武士と。
八百万の神々と。
一匹の白い狐が暮らす国があることを。
ただし。
それは。
もう少し。
先の話である。




