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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第65話 聖女様は、嫌われながら説明する

 西方自治領へ向かう朝。


 リリアは。


 パンを三つ持っていた。


「一つは朝食です」


「はい」


「一つは昼食です」


「はい」


「もう一つは?」


「予備です」


 クラリスが見る。


「誰の?」


「私の」


「却下します」


「なんでですか!」


「昨日、夕食を二回食べましたね」


「昨日は働いたので!」


「本日は馬車移動です」


「馬車も疲れます!」


 その足元。


 ヨルが。


 じっと。


 三つ目のパンを見ていた。


「……ヨル?」


「わふ」


「これは駄目です」


「わふ」


「あなた昨日、お肉もらってましたよね?」


 尻尾が。


 一度だけ。


 ぱたん。


「可愛い顔しても駄目です」


 ぱたん。


「……半分だけですよ」


 クラリスが。


 無言でリリアを見る。


「何ですか」


「ご自身には厳しく」


「ヨルには甘い」


「違います」


「では?」


「これは外交です」


「狼との?」


「はい」


「八十八点」


「また減った!」


 ◇


 西方自治領。


 正式名称は。


 ミレア自治領。


 聖協国の西端。


 山と森に囲まれた。


 小さな地域だった。


 人口。


 およそ一万二千。


 薬草。


 羊。


 木工。


 そして。


 蜂蜜。


「いい匂い」


 馬車から降りたリリアが。


 最初に言った。


「聖女様」


「はい」


「視察です」


「分かっています」


「蜂蜜菓子を見ていますね」


「見ているだけです」


 街道沿い。


 小さな市場。


 焼いた平たいパン。


 山羊の乳から作ったチーズ。


 木の器。


 乾燥薬草。


 色とりどりの毛織物。


 そして。


 蜂蜜をたっぷり塗った焼き菓子。


 リリアの目が。


 明らかに追っている。


「帰りにしましょう」


 クラリスが言った。


「え」


「仕事が終わったら」


「買っていいんですか?」


「なぜ私の許可が必要なのです」


「なんとなく」


「私はあなたの母親ではありません」


 後ろから。


 アレクシア。


「姉ではある」


「違います」


 即答だった。


 ◇


 だが。


 市場を抜けると。


 空気が変わった。


 閉まった店。


 家の前に置かれた。


 白い布。


 疫病で家族を亡くした印だった。


 一枚。


 二枚。


 七枚。


 十枚。


 笑っていたリリアの顔から。


 少しずつ。


 表情が消えていった。


 自治領庁舎。


 領主ではない。


 この土地は。


 七人の長老による合議で治められている。


 その代表。


 バルガス。


 七十二歳。


 大きな白い髭。


 第一声は。


「帰ってくれ」


 だった。


 ◇


「医療支援は求めました」


 バルガスが言う。


「医師と薬は受け入れる」


「はい」


「だが」


 リリアを見る。


「聖女はいらん」


 室内が。


 静かになった。


 ルーメンが口を開きかける。


 リリアが。


 小さく手で止めた。


「理由を」


「聞いてもいいですか?」


「聖女が来れば」


「説教が始まる」


「……」


「接種しろ」


「食生活を変えろ」


「子どもを学校へ出せ」


「中央の決めた暮らし方に従え」


「そういうものを」


「我々は断った」


「はい」


「だから帰れ」


 リリアは。


 しばらく黙っていた。


「分かりました」


 バルガスが。


 少し意外そうな顔をする。


「帰るのか?」


「いいえ」


「何?」


「説教はしません」


「……」


「治療します」


「それだけか」


「それだけです」


 バルガスが。


 リリアを睨む。


「予防接種の話は」


「聞かれたら答えます」


「勧めない?」


「私から押しかけては」


「言いません」


 そして。


 リリアは付け加えた。


「でも」


「嘘もつきません」


「安全ですかと聞かれたら」


「分かっていることを全部話します」


「危険はないのかと聞かれたら」


「ある危険も話します」


「接種しなかった場合はと聞かれたら」


「それも話します」


 バルガスの眉が動く。


「その上で?」


「決めるのは」


「皆さんです」


「……」


「昨日」


 リリアは。


 少し笑った。


「自分で条文にしましたから」


「断った後まで」


「断る権利を守るって」


 ◇


 治療所。


 患者は。


 百八十七名。


「聖女様!」


 医師が駆けてくる。


「重症者からお願いします!」


「分かりました!」


 リリアは。


 聖衣の袖をまくった。


 バルガスが。


 後ろから言った。


「待て」


「はい?」


「聖魔法も」


「中央の医療だろう」


「……」


「使わないでくれ」


 ルーメンが。


 今度こそ声を上げた。


「バルガス殿!」


「構いません」


 リリアが止める。


「ですが」


「はい」


「聖魔法なしで」


「治療します」


 医師が困惑する。


「聖女様」


「薬」


「ありますよね」


「ありますが」


「なら」


 リリアは。


 患者の横へしゃがんだ。


「先生」


「教えてください」


「私にできること」


 ◇


 聖女なのに。


 聖魔法を使わない。


 水を運ぶ。


 汗を拭く。


 薬を量る。


 吐いたものを片付ける。


 寝具を替える。


「聖女様!」


「はい!」


「桶!」


「今行きます!」


 走る。


「リリア様!」


「はい!」


「そちらではありません!」


「えっ」


「汚れ物は反対です!」


「すみません!」


 走り直す。


 クラリスは。


 治療所の入口から。


 その様子を見ていた。


 アレクシアが。


 隣で腕を組む。


「聖女とは」


「何だったか」


「現在」


 クラリスが答える。


「雑用係ですね」


「怒られるぞ」


「本人が一番納得しています」


 実際。


 リリアは。


 妙に生き生きしていた。


 ◇


 昼。


 治療所の裏。


 リリアが。


 地面へ座り込んだ。


「お腹すいた……」


 朝のパン。


 一つ。


 昼のパン。


 一つ。


 予備。


 なし。


「……ヨル」


 隣を見る。


 ヨルが。


 木陰で寝ている。


「私のパン」


「わふ」


「美味しかったですか」


「わふ」


「そうですか」


 黒い腹毛。


 ふかふか。


 リリアは。


 じっと見る。


「……少しくらい」


 ぼふ。


 顔を埋めた。


「リリア様」


 クラリスの声。


「……」


「何を?」


「休憩です」


「ヨルで?」


「はい」


 ヨルは。


 まったく気にせず寝ている。


 リリアが。


 腹毛から顔だけ出した。


「クラリス様」


「はい」


「これ」


「すごく回復します」


「聖魔法より?」


「今はこっちです」


 アレクシアも。


 しゃがむ。


「私も」


「殿下」


「なんだ」


「並んでください」


「順番制なのか!?」


 ヨルが。


 大きなため息をついた。


「わふぅ……」


 ◇


「聖女様」


 声をかけてきたのは。


 十二歳ほどの少女だった。


「はい」


「聞いていい?」


「もちろん」


「注射」


 リリアの表情が。


 少しだけ変わる。


「怖い?」


「怖いです」


「痛い?」


「ちょっと」


「病気にならない?」


「なりにくくなります」


「絶対?」


「絶対ではありません」


 少女は。


 しばらく考えた。


「じゃあ」


「何でやるの?」


 リリアは。


 すぐには答えなかった。


 少女の横へ。


 同じ高さで座る。


「雨の日に」


「傘を差すでしょう?」


「うん」


「傘を差しても」


「靴が濡れることはあります」


「うん」


「風が強かったら」


「服も濡れます」


「うん」


「でも」


「傘があった方が」


「びしょ濡れになる人は減ります」


 少女が。


 少し考える。


「注射は傘?」


「似ています」


「痛い傘」


「そうですね」


「やだなあ」


「私も注射は嫌いです」


「聖女なのに?」


「聖女でも嫌です」


 少女が。


 初めて笑った。


 ◇


 その会話を。


 少し離れたところで。


 バルガスが聞いていた。


「聖女」


「はい」


「なぜ」


「接種を強制しない」


 リリアは。


 立ち上がる。


「嫌だからです」


「何が」


「自分が」


「嫌だと言っているのに」


「正しいからって押さえつけられるの」


 バルガスが。


 黙る。


「でも」


 リリアは続けた。


「死んでほしくもありません」


「……」


「だから」


「面倒ですけど」


 少し笑う。


「一人ずつ説明します」


「全員に?」


「聞いてくれる人には」


「何度でも」


「非効率だ」


「はい」


「時間がかかる」


「はい」


「それでも?」


「はい」


 リリアは。


 はっきり答えた。


「人の気持ちって」


「効率化しちゃ駄目なところが」


「あると思うので」


 クラリスが。


 少し離れたところで。


 その言葉を聞いていた。


 何も言わない。


 ただ。


 覚えておくことにした。


 ◇


 夕方。


 変化は。


 小さく始まった。


「聖女様」


 一人の母親。


「娘に」


「接種をお願いします」


 次。


「俺も」


 次。


「説明だけ」


「聞かせてくれ」


 十九パーセントだった接種率が。


 一日で。


 劇的に変わるわけではない。


 それでいい。


 リリアは。


 一人ずつ話した。


 質問に答えた。


 分からないことは。


「分かりません」


 と言った。


 副反応についても話した。


 接種しない選択についても。


 隠さなかった。


 そして。


 断った人には。


「分かりました」


 と言った。


 それだけ。


 ◇


 日が暮れた。


「終わった……」


 リリアが。


 治療所から出る。


 すると。


 目の前に。


 紙袋。


「はい」


 クラリスだった。


「何です?」


「蜂蜜菓子」


「……!」


 朝。


 市場で見ていたもの。


「買ってくれたんですか?」


「立替です」


「そこは普通にプレゼントって言いません?」


「代金は後ほど」


「クラリス様!」


 それでも。


 リリアは。


 一つ取った。


 ぱく。


「……おいしい」


 顔が。


 完全に聖女ではなくなった。


 ただの。


 甘いものが好きな女の子だった。


「ヨルにも」


「駄目です」


「え」


「蜂蜜が多すぎます」


 ヨルが。


 クラリスを見る。


「……」


 尻尾。


 ぱたん。


「駄目です」


 ぱたん。


「……」


 ぱたん。


「半分だけ」


「クラリス様も甘いじゃないですか!」


「外交です」


「それ私のやつ!」


 ◇


 その時だった。


 ヨルの耳が。


 ぴくり。


 動いた。


「ヨル?」


 蜂蜜菓子を。


 見なくなった。


 立ち上がる。


 鼻を。


 風上へ。


 低い。


 唸り。


『グルルル……』


 クラリスの表情が。


 変わった。


「全員」


 杖へ手を伸ばす。


「建物の中へ」


 森。


 夕闇。


 鳥が。


 一斉に飛び立った。


 ドン。


 遠くで。


 何かが倒れる音。


 ドン。


 近付いている。


 アレクシアが。


 槍を取った。


「魔物か?」


「おそらく」


 ヨルの毛が。


 逆立つ。


 身体が。


 ゆっくり。


 大きくなる。


 さっきまで。


 聖女に腹を貸していた。


 黒いもふもふ。


 ではない。


 黒曜餓狼。


 森の奥。


 二つ。


 四つ。


 八つ。


 赤い目が。


 灯った。


「数が多いな」


 アレクシアが笑う。


 クラリスは。


 杖を抜いた。


「リリア様」


「はい」


「治療所を」


 リリアも。


 立ち上がる。


「分かりました」


 そして。


 一歩だけ。


 クラリスへ近付いた。


「クラリス様」


「何でしょう」


「私」


「戦えないと思ってます?」


「……」


「聖魔法」


 リリアの掌に。


 金色の光が灯る。


「治すだけじゃないみたいなんです」


 クラリスが。


 初めて。


 少し驚いた顔をした。


 リリアは。


 にこっと笑う。


「まだ練習中ですけど」


 森から。


 獣の咆哮。


 アレクシアが槍を構える。


「面白い」


 クラリスも。


 杖を構えた。


 ヨルが。


 牙を剥く。


 そして。


 聖女リリアは。


 金色の光を。


 両手に纏った。


 自治領の夜。


 久しぶりに。


 帳簿では片付かないものが。


 森から。


 やって来た。

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