第64話 悪女令嬢は、善意の抜け道を塞ぐ
聖女。
聖女。
聖女。
難民居住区から聞こえる声を背に。
クラリスは。
倉庫へ戻った。
「もう仕事か?」
アレクシアがついてくる。
「はい」
「少しくらい休め」
「殿下」
「なんだ」
「それをリリア様にも仰いましたか」
「言った」
「休みました?」
「四分五十秒」
「では」
「お前まで真似するな!」
クラリスは。
倉庫の扉を開けた。
「聖女様は、人を救いました」
そして。
積み上がった樽を見る。
「次は」
「救わなくて済むようにします」
◇
三国合同監査。
調べるものは。
三つに分けた。
一。
黒陽粉。
二。
浄水用魔石。
三。
L指定。
「私は輸送記録を」
クラリス。
「僕は入出庫記録を調べます」
ルシアン。
「私は?」
アレクシア。
「座っていてください」
「戦力外通告!?」
「殿下に帳簿を渡すと、途中から敵兵の配置図を描き始めるので」
「紙は有効に使っている!」
「では」
クラリスは別の紙束を渡した。
「この四十七件のL指定について、発動理由を分類してください」
「できる仕事あった!」
「最初からあります」
「なら普通に渡せ!」
セバスは。
輸送票の紙質と印章を調べる。
エレノアは。
聖協国側の記録をすべて開示した。
そして。
リリアは。
「私もやります」
「寝てください」
「え」
「寝てください」
「でも」
「寝てください」
「クラリス様」
「はい」
「さっき八十八点って」
「現在八十七点です」
「減った!」
「自己管理、一点減点」
「そんな項目あったんですか!?」
「今作りました」
「横暴!」
エレノアが笑う。
「聖女様」
「エレノア様まで」
「四時間ほど、お休みください」
「四時間?」
「六時間」
クラリスが訂正した。
「増えた!」
「交渉するなら八時間にします」
「寝ます!」
リリアは。
ぶつぶつ言いながら。
宿舎へ向かった。
その背中を見送り。
アレクシアが呟く。
「お前」
「はい」
「完全に姉ではないか」
「違います」
「本人がいない時だけ顔が優しいぞ」
「気のせいです」
◇
二時間後。
「妙です」
ルシアンが言った。
机の上。
三百樽。
五百樽。
二つの数字。
「帝国側の輸出記録は三百樽」
「はい」
「国境検査所でも三百樽」
「はい」
「ですが」
聖協国の倉庫。
受領記録。
五百樽。
「途中で二百樽が追加された」
アレクシアが言う。
「そのようです」
「どこで?」
「それを調べています」
クラリスは。
輸送経路を指で追う。
帝国。
東部街道。
国境検査所。
共同管理区域。
聖協国。
「ここ」
指が止まった。
共同管理区域。
三国のどこにも。
完全には属さない。
災害時。
難民受け入れ時。
緊急物資を一時集積する場所。
「ここだけ」
「管理主体が毎月変わります」
ルシアンが資料を見る。
「王国、帝国、聖協国の持ち回り」
「今月は?」
「聖協国です」
アレクシアの顔が険しくなる。
「なら、やはり――」
「まだです」
クラリスが止めた。
「先月は?」
「帝国」
「先々月」
「王国です」
「過去の不正輸送は?」
調べる。
黒陽粉だけではない。
薬。
食料。
建築資材。
浄水用魔石。
複数。
しかも。
不自然な増加は。
三国すべての管理月で起きていた。
「……」
アレクシアが。
腕を組む。
「誰が担当でも起きている?」
「はい」
「では」
「国ではありません」
クラリスは言った。
「場所です」
◇
共同管理区域。
午後。
三国合同監査団が入った。
巨大な倉庫群。
馬車。
荷車。
商人。
役人。
大量の物資。
「なるほど」
クラリスは。
入口に立っただけで。
一つ気付いた。
「何だ?」
「速いです」
「何が」
「全部」
通常の税関なら。
書類。
荷物。
数量。
印章。
中身。
順番に確認する。
だが。
ここでは。
「L指定!」
役人が叫ぶ。
「通せ!」
馬車が。
ほぼ止まらず通過した。
次。
「L指定!」
「優先!」
また。
通る。
アレクシアが。
眉をひそめた。
「検査しないのか」
担当官が答える。
「緊急物資ですので」
「だが」
「検査していたら、到着が遅れます」
正しい。
災害。
疫病。
飢餓。
一時間遅れれば。
死ぬ人がいる。
「だから」
クラリスが尋ねる。
「中身は確認しない?」
「封印だけ確認します」
「数量は?」
「送り状で」
「積み替えは?」
「原則禁止です」
「原則?」
担当官が。
少し困った顔をした。
「輸送上やむを得ない場合は」
「認められています」
クラリスの目が。
細くなった。
◇
積み替え記録。
あった。
黒陽粉。
三百樽。
共同管理区域へ到着。
その夜。
車軸破損。
別の荷車へ積み替え。
「この時ですね」
ルシアンが言う。
積み替え後。
五百樽。
「担当者は?」
「民間委託」
「会社は?」
書類をめくる。
ルクス交易輸送社。
「またここか」
アレクシアが言う。
「ですが」
クラリスは。
さらに一枚めくった。
「実際に作業した会社は違います」
下請け。
北方共同運送組合。
さらに。
再委託。
ベルク荷役商会。
そして。
ベルク荷役商会の。
旧社名。
セバスが答えた。
「ローゼン商会物流第二部門」
沈黙。
「名前を変えて」
ルシアンが呟く。
「残っていた?」
「一部だけでしょう」
クラリスが言う。
「商会本体が潰れても」
「人」
「倉庫」
「取引先」
「下請け」
「全部が消えるわけではありません」
アレクシアが。
苦い顔をした。
「首を落としても」
「手足が残ったか」
「今回は」
クラリスが帳簿を見る。
「首より」
「配管に近いですね」
◇
問題は。
もう一つあった。
「L指定そのものは」
ルシアンが確認する。
「本物です」
「はい」
偽造ではない。
光秩院は。
本当に支援物資として認可した。
帝国も。
本当に輸出した。
国境検査所も。
本当に通過させた。
全部。
合法。
「つまり」
アレクシアが言う。
「正規の仕組みの途中へ」
「毒を混ぜた?」
「はい」
「なら簡単だ」
「関係者を捕らえる」
「それだけでは」
「またか!」
クラリスは。
L指定の書類を持ち上げた。
「同じことが起きます」
「なぜ」
「この制度は」
「善意を前提に作られています」
緊急時。
早く届けたい。
だから。
検査を省く。
優先する。
手続きを飛ばす。
「人を救うために作った近道です」
「それを」
ルシアンが続ける。
「逆に利用された」
「はい」
クラリスは。
赤い羽根ペンを取った。
「なら」
「近道をなくすのか?」
アレクシアが聞く。
「いいえ」
「なくしたら」
「今度は救援が遅れます」
「では?」
「扉を一つ」
「増やします」
◇
夕方。
三国合同会議。
クラリスは。
黒板に書いた。
L指定・緊急優先輸送
その下。
速さは維持する。
さらに。
追跡は省略しない。
「検査を増やせば」
聖協国の官僚が言う。
「緊急輸送の意味がなくなります」
「検査を増やすとは言っていません」
「では?」
「記録を増やします」
出発時。
数量。
重量。
封印番号。
担当者。
途中で積み替えた場合。
積み替え前。
積み替え後。
双方の重量。
双方の責任者。
「さらに」
クラリスは言った。
「受領側で差異があった場合」
「物資を止める?」
「いいえ」
「人命に関わるものは先に使います」
「では」
「同時に監査を開始します」
止めない。
だが。
消させない。
「そして」
もう一つ。
L指定を理由として、再委託先を非公開にしてはならない。
エレノアが。
静かに頷いた。
「採用しましょう」
「早いな」
アレクシアが呟く。
「良い案なら」
エレノアは答えた。
「早く採用した方が、多くの人を守れます」
その言葉を。
クラリスは。
少しだけ考えた。
「ただし」
「はい?」
「半年後」
クラリスは言った。
「この制度そのものを監査してください」
「制度を作った直後に?」
「はい」
「なぜ」
「作った時には」
クラリスは赤い羽根ペンを置いた。
「作った人間は」
「だいたい自分の制度を気に入っていますから」
エレノアが。
声を上げて笑った。
「耳が痛い」
「私もです」
「あなたも?」
「もちろん」
「自分の案も疑うのですか」
「特に」
「自分の案を疑います」
◇
「……私も?」
声がした。
全員が振り返る。
入口。
リリアが立っていた。
髪は整っている。
聖衣も着替えた。
目の下の隈だけは。
まだ残っている。
「六時間」
クラリスが時計を見る。
「寝ました?」
「六時間十五分」
「一点追加」
「やった!」
「八十九点」
「あと十一点!」
アレクシアが呆れる。
「まだやっていたのか」
リリアは。
黒板を見る。
「これ」
「はい」
「L指定を」
「なくさないんですね」
「なくしません」
「危険なのに?」
「便利だからです」
「……」
「包丁が危険だからと」
「料理を禁止しますか」
「しません」
「馬車で事故が起きたからと」
「馬車をなくしますか」
「しません」
「制度も同じです」
クラリスは言った。
「危険なら」
「危険な場所を見つけて」
「直します」
リリアは。
しばらく黒板を見ていた。
「直せるんですね」
「直せます」
「間違った制度も?」
「はい」
「人も?」
クラリスは。
そこで。
少しだけ考えた。
「人は」
「制度ほど簡単ではありません」
「……ですよね」
「ですが」
「間違えたあと」
「やり直すことはできます」
リリアは。
笑った。
「私」
「聖協国へ来て」
「それを一番覚えた気がします」
エレノアが。
リリアを見る。
その表情は。
嬉しそうだった。
◇
その夜。
三人は。
珍しく。
同じ卓で夕食を食べていた。
クラリス。
リリア。
アレクシア。
「肉だ」
アレクシアが。
皿を見る。
「聖協国にもあるではないか」
「ありますよ」
リリアが答える。
「初日に肉屋さんへ行きました」
「視察で?」
「はい」
「聖女の視察先として正しいのか?」
「大切です」
「何が」
「ソーセージが」
「それはお前が食べたかっただけでは」
クラリスが。
肉を一口。
「悪くありません」
「だろう?」
「クラリス様」
「はい」
「お肉好きなんですか」
「普通です」
「その顔は好きな顔です」
「どの顔ですか」
少しだけ。
普通の夜だった。
◇
食事のあと。
リリアは。
クラリスへ帳面を差し出した。
「これ」
「何です?」
「聖協国で」
「考えたことです」
十四番。
十五番。
十六番。
十七番。
十八番。
十九番。
クラリスは。
一つずつ読む。
制度から外れた一人を、誰が拾うのか。
失敗する自由。
断る権利は、断った後まで守られて初めて権利になる。
そして。
最後。
正しいと思っている組織ほど、自分では見えない場所がある。
「どうです?」
リリアが。
少し緊張している。
「赤入れ」
「あります?」
クラリスは。
帳面を閉じた。
「ありません」
「……え?」
「今回は」
「ありません」
リリアの顔が。
ぱっと明るくなる。
「じゃあ百点?」
「八十九点です」
「なんで!?」
「帳面と採点は別です」
「納得できません!」
「断る権利はあります」
「採点を断ります!」
「では未採点に戻します」
「八十九点でいいです!」
アレクシアが。
腹を抱えて笑った。
◇
その夜。
クラリスは。
一人で。
リリアの帳面をもう一度開いた。
良い。
本当に。
良い。
以前のリリアなら。
誰かに答えを聞いていた。
今は。
自分で問いを作っている。
それは。
何より大きな成長だった。
ただ。
一つ。
クラリスは。
まだ書かれていない問いを。
頭の中に置いた。
制度は直せる。
その通り。
では。
何度直しても。
人が。
間違った選択をするなら?
制度が自由を守った結果。
誰かが傷つくなら?
本人が選んだ道の先で。
本人だけではなく。
他人まで不幸になるなら?
それでも。
選ばせるのか。
「……」
クラリスは。
羽根ペンを持った。
だが。
リリアの帳面には。
書かなかった。
まだ。
答える必要のない問いだった。
◇
翌朝。
聖協国。
最高評議会。
エレノアの机に。
一通の報告書が届いた。
差出人。
西方自治領。
内容。
短い。
《共生圏構想への参加を拒否する。》
理由。
《我々の暮らしに、外から正解を持ち込まないでいただきたい。》
エレノアは。
しばらく。
その文書を読んでいた。
「承知しました」
秘書へ渡す。
「不利益のないように」
「はい」
それで。
終わるはずだった。
だが。
その日の午後。
第二報が届く。
西方自治領。
疫病発生。
医師不足。
死者。
十二名。
そして。
自治領からの要請。
《医療支援のみを求む。その他の共生圏制度は拒否する。》
その報告を。
偶然。
リリアも読んだ。
「……」
昨日。
自分で作った。
断る権利。
彼らには。
断る権利がある。
医療だけ受け取る権利もある。
「すぐ」
リリアが言った。
「医師を送りましょう」
「もちろんです」
エレノアが答える。
「条件は?」
「ありません」
「共生圏へ参加しなくても?」
「もちろん」
リリアは。
安心した。
「良かった」
だが。
報告書には。
もう一つ。
書かれていた。
《自治領では予防接種についても、住民の自由意思を尊重している。接種率十九パーセント。》
リリアの指が。
そこで止まった。
自由。
断る権利。
失敗する自由。
全部。
自分が大切だと思ったもの。
その結果として。
十二人が死んだ。
もちろん。
まだ。
何が原因かは分からない。
予防接種をしていれば。
全員助かったとも限らない。
だから。
今のリリアは。
まだ言える。
「調べてから」
「考えます」
それでいい。
それが。
正しい。
ただ。
初めて。
彼女の帳面の中で。
「自由」と「救える命」が。
同じページの上に。
並んだ。
どちらにも。
丸を付けることは。
まだ。
できなかった。




