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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第61話 聖女様は、「断る権利」を条文にする

 調律者エレノアとの面会から。


 一夜明けた。


 リリアは朝食を食べながら。


 《共生圏構想》を読んでいた。


 パン。


 一口。


 読む。


 スープ。


 一口。


 読む。


 卵。


 読む。


「聖女様。」


 同行した王国医師が言った。


「はい。」


「卵。」


「はい?」


「三分ほど前から。」


「フォークに刺さったままです。」


「……。」


 リリアは右手を見る。


 確かに。


 卵がいる。


「あ。」


「冷めますよ。」


「はい。」


 食べる。


 そして。


 また読む。


「完全に。」


「クラリス様ですね。」


「違います。」


「どこが?」


「クラリス様なら。」


「食事の前に読み終わっています。」


「比較対象がおかしいです。」


 ◇


 《共生圏構想》。


 医療。


 教育。


 食料。


 最低限の住居。


 障害者支援。


 災害時の相互援助。


 どれも。


 リリアには魅力的だった。


 特に。


 国境地域への共同施療所設置。


「これ。」


 リリアが指を止める。


「良いですね。」


 国境付近では。


 国籍が曖昧な人間がいる。


 難民。


 行商人。


 季節労働者。


 遊牧民。


 王国民でも。


 帝国民でも。


 聖協国民でもない。


 だから。


 どの国の制度からも。


 こぼれる。


 共生圏構想では。


 そうした地域に。


 三国共同で施療所を作る。


「国籍ではなく。」


「そこにいる人を診る。」


「はい。」


 ルーメンが答える。


「良いと思います。」


「ありがとうございます。」


「学校も。」


「同じ?」


「基本教育までは。」


「国籍を問いません。」


「すごい。」


 リリアは。


 本当にそう思った。


 ページをめくる。


 だが。


 四十二ページ。


 指が止まった。


「……ルーメン様。」


「はい。」


「これ。」


 一つの条文。


 《共生圏参加地域においては、共通生活基準への移行を推奨する》


「共通生活基準?」


「食料。」


「衛生。」


「教育。」


「労働。」


「環境。」


「最低基準を設けます。」


「例えば?」


「井戸水の衛生検査。」


「児童労働の制限。」


「基礎教育の義務化。」


 リリアは頷く。


 どれも。


 必要に思える。


「ほかには?」


「家畜飼育区域の指定。」


「森林伐採量の制限。」


「公共施設での食事基準。」


 そこで。


 リリアの眉が。


 少し動いた。


「食事基準。」


「はい。」


「肉ですか。」


「……よくお気付きで。」


「初日に。」


「気になりました。」


 公共食堂では。


 基本的に肉を出さない。


 環境。


 食料効率。


 生命への配慮。


 禁止ではない。


 だが。


 推奨されている。


「参加した村が。」


「嫌だと言ったら?」


「従う義務はありません。」


「では。」


 リリアは次のページを見る。


「この。」


 《共通基準達成率に応じた支援配分》


「これは?」


 ルーメンが。


 少し黙った。


「制度改善へ積極的な地域へ。」


「優先的に予算を配分します。」


「つまり。」


 リリアは考えながら言う。


「言うことを聞かなくてもいい。」


「はい。」


「でも。」


「聞いた村の方が。」


「お金をもらえる。」


「……大まかには。」


「そうなります。」


 リリアは。


 帳面を閉じた。


 ◇


 午後。


 最高評議会。


 七人の評議員。


 中央に。


 調律者エレノア。


 その横。


 マティアス枢機卿。


 ルーメン。


 そして。


 聖女リリア。


「監査結果。」


 エレノアが微笑む。


「楽しみにしていました。」


「まだ。」


「途中です。」


「構いません。」


 リリアは。


 少し緊張しながら立った。


「最初に。」


「私は。」


「この構想に。」


「賛成です。」


 評議員たちが頷く。


「医療。」


「教育。」


「食料。」


「国境を越えて。」


「困っている人を支える。」


「素晴らしいと思います。」


 そこで。


「ただ。」


 リリアは。


 一枚の紙を出した。


「一つ。」


「足りません。」


 エレノアが尋ねる。


「何でしょう。」


「断る権利です。」


 ◇


「現在の構想でも。」


 評議員の一人が言った。


「参加は自由です。」


「はい。」


「生活基準も。」


「強制ではありません。」


「はい。」


「ならば。」


「断る権利はあります。」


「書いてありますか?」


 評議員が止まる。


「え?」


「断っても。」


「不利益を受けないと。」


「書いてありますか。」


 資料をめくる。


 ない。


「昨日。」


 リリアは続ける。


「光秩院で。」


「音楽が好きな女の子に会いました。」


 植物適性。


 九十四点。


 音楽適性。


 七十一点。


「音楽を選ぶ自由はありました。」


「でも。」


「選んだら。」


「奨学支援の優先順位が下がる。」


 次に。


 肉屋の女性。


「店を続ける自由はある。」


「でも。」


「続けたら補助がなくなる。」


 そして。


 共生圏。


「生活基準に従わない自由はある。」


「でも。」


「従わない地域は。」


「支援の優先順位が下がる。」


 リリアは。


 ゆっくり言った。


「それって。」


「本当に。」


「選べているのでしょうか。」


 部屋が。


 静かになった。


 ◇


「聖女様。」


 一人の評議員が口を開く。


「限られた予算を。」


「より効果的な地域へ配分するのは。」


「行政として合理的です。」


「はい。」


 リリアは否定しなかった。


「私も。」


「そう思います。」


 評議員が少し意外そうな顔をする。


「全部同じ金額にしろとは。」


「言いません。」


「では。」


「何を。」


「理由を。」


「分けたいです。」


 リリアは黒板へ書く。


 必要だから支援する。


 その下。


 言うことを聞いたから支援する。


「似ています。」


「でも。」


「違います。」


 エレノアの目が。


 静かにリリアを見ている。


「貧しい村なら。」


「必要だから。」


「多く支援していい。」


「災害があった村なら。」


「必要だから。」


「多く支援していい。」


「でも。」


「私たちが正しいと思う暮らし方を選んだから。」


「多く支援するのは。」


 少し考え。


「支援じゃなくて。」


「ご褒美になりませんか。」


 誰も。


 すぐには答えなかった。


 ◇


 マティアスが。


 静かに笑った。


「なるほど。」


「何でしょう。」


「あなたは。」


「本当に面倒な聖女ですね。」


 リリアが固まる。


「すみません。」


「褒めています。」


「……分かりにくいです。」


 エレノアも笑った。


「私も。」


「賛成です。」


 評議員たちが。


 調律者を見る。


「エレノア様。」


「共生圏構想へ。」


「一条。」


「追加しましょう。」


 書記官が羽根ペンを取る。


 エレノアが読み上げる。


 《参加者および参加地域は、共通生活基準の全部または一部を拒否することができる。》


 そして。


 続ける。


 《その拒否のみを理由として、医療・教育・食料その他の基礎的支援に不利益を与えてはならない。》


 リリアの目が。


 少し大きくなる。


「……いいんですか。」


「あなたが。」


「言ったのでしょう。」


「そうですけど。」


「なら。」


 エレノアは微笑んだ。


「良いものは。」


「採用します。」


 まただ。


 ここは。


 変わる。


 外から来た。


 若い聖女の意見でも。


 理屈が通れば。


 制度が動く。


「ありがとうございます。」


 リリアは。


 深く頭を下げた。


 ◇


 その日の夕方。


 宿舎。


 帳面。


 十八番目。


 『断る権利は、断った後まで守られて初めて権利になる。』


 書いて。


 リリアは。


 ちょっとだけ満足した。


「これは。」


「クラリス様に見せたい。」


 たぶん。


 褒めてくれる。


 いや。


「……赤入れされるかな。」


 十分あり得る。


 その時。


 激しく。


 扉が叩かれた。


「聖女様!」


 ルーメンだった。


 いつもの穏やかな声ではない。


「どうしました?」


「国境です。」


「国境?」


「西部難民居住区で。」


「原因不明の発熱が。」


 リリアの表情が変わる。


「何人。」


「現在。」


「三百二十一名。」


「……。」


「今朝は。」


「四十七名でした。」


 増えている。


 異常な速さで。


「医師は?」


「すでに向かっています。」


「薬は。」


「搬送中。」


「なら。」


 リリアは立ち上がる。


「私も行きます。」


「聖女様。」


「はい。」


「これは。」


「視察ではありません。」


「分かっています。」


「危険です。」


「分かっています。」


「感染症なら。」


「あなた自身も――」


「ルーメン様。」


 リリアは。


 まっすぐ彼を見る。


「私。」


「聖女です。」


「……。」


「こういう時に。」


「使わないなら。」


「何のための力ですか。」


 ◇


 同じ頃。


 帝国。


 共同監査委員会。


「合法だ。」


 アレクシアが。


 不機嫌そうに言った。


「はい。」


 クラリスは。


 一冊の条約集を読んでいた。


 八十年前。


 帝国。


 王国。


 聖協国。


 三国が締結した。


 《広域災害相互支援条約》


 そこには。


 確かに。


 L指定に相当する緊急優先権が残っていた。


「では。」


「聖協国への物資輸送は。」


「不正ではなかった?」


 ルシアンが尋ねる。


「少なくとも。」


「制度上は。」


 クラリスが答える。


「ただし。」


 指を置く。


 発動条件。


 《重大な人命危機があり、通常手続では救命が間に合わない場合。》


「問題は。」


「これです。」


 別の資料。


 過去一年半。


 L指定。


 四十七件。


「四十七回も。」


「国家級の緊急事態が?」


 アレクシアが眉をひそめる。


「確認できません。」


「では。」


「濫用か。」


「その可能性があります。」


 さらに。


 もう一つ。


「そして。」


 クラリスは。


 鉱山事故の資料を置いた。


「緊急支援によって。」


「帝国内の安全設備が不足した。」


「結果。」


「二人が死亡。」


 ルシアンが言う。


「人を救うための制度で。」


「別の人が死んだ。」


「はい。」


 クラリスは。


 静かに答えた。


「支援そのものが。」


「悪いわけではありません。」


「では。」


 アレクシアが尋ねる。


「何が悪い。」


 クラリスは。


 少し考えた。


「請求書が。」


「後ろを向いていないことです。」


「……何?」


「何かを優先すれば。」


「後回しになるものがあります。」


「何かを無料にすれば。」


「誰かが負担します。」


「誰かを救うために。」


「物資を動かせば。」


「元の場所から物資は減ります。」


 帳簿を閉じる。


「なのに。」


「このL指定には。」


「救った人数しか。」


「書かれていません。」


 アレクシアが。


 資料を見る。


 支援人数。


 治療人数。


 食料配給数。


 改善率。


 すべて。


 成果。


 成果。


 成果。


「失ったものが。」


「書いていない。」


「はい。」


 クラリスは。


 赤い羽根ペンを取った。


 そして。


 新しい欄を作る。


 《優先措置によって生じた不利益》


「これを。」


「全部。」


「数え直します。」


 ◇


 その時。


 扉が開いた。


「緊急報告!」


 帝国官僚が駆け込む。


「聖協国西部国境にて。」


「大規模な疫病の疑い!」


 三人が。


 立ち上がる。


「規模は。」


 クラリスが尋ねる。


「現在。」


「三百人以上。」


「増加中!」


「場所は。」


 地図。


 印を付ける。


 アレクシアの表情が変わった。


「待て。」


「ここ。」


「帝国国境から。」


「近いぞ。」


「はい。」


「そして。」


 官僚が。


 もう一枚。


 書簡を差し出した。


「先ほど。」


「聖協国より。」


「緊急物資供給要請が。」


 書類の右上。


 白い翼。


 天秤。


 中央に。


 L。


 クラリスの目が。


 止まった。


「発動が。」


「早すぎる。」


「何?」


「発症確認から。」


「まだ半日です。」


 すでに。


 L指定。


 誰かが。


 最初から。


 この事態を想定していたような速さだった。


 ◇


「クラリス。」


 アレクシアが言う。


「行くぞ。」


「どこへ。」


「国境だ。」


「殿下。」


「今度は槍ではない。」


 アレクシアは。


 机の上の帳簿を掴んだ。


「現場を。」


「見るんだろ。」


 クラリスは。


 一瞬。


 彼女を見る。


 そして。


 笑った。


「はい。」


「参りましょう。」


 ルシアンも立ち上がる。


「僕も。」


「もちろんです。」


 セバスは。


 すでに荷物をまとめ始めていた。


 ヨルが。


 低く。


 一度だけ吠えた。


 ◇


 その夜。


 聖協国。


 馬車が。


 国境へ向かって走っていた。


 リリアは。


 窓の外を見ている。


 隣には。


 治療道具。


 薬。


 帳面。


 そして。


 王国から持ってきた。


 小さな苗。


「それも。」


 持っていくのですか。


 ルーメンが尋ねる。


「はい。」


「なぜ。」


「分かりません。」


 リリアは。


 苗を見る。


「でも。」


「置いていく気にならなくて。」


 馬車が。


 夜の道を進む。


 遠く。


 国境の空が。


 薄い紫色に染まっていた。


 瘴気。


「聖女様。」


「はい。」


「怖くありませんか。」


「怖いです。」


 即答だった。


「ですが。」


 リリアは。


 自分の両手を見る。


「怖くなくなったら。」


「たぶん。」


「その方が危ないです。」


 まだ。


 彼女は知っている。


 自分にできないことがある。


 自分が間違うこともある。


 人には。


 断る権利がある。


 失敗する自由がある。


 そして。


 聖女の力にも。


 限界がある。


 だから。


 今のリリアは。


 強かった。


 この夜。


 彼女は。


 国境で三百人を救うために向かっている。


 だが。


 その先で。


 初めて経験することになる。


 自分が考えた仕組みと、自分の聖魔法が噛み合った時。


 どれほど多くの人を。


 本当に救えてしまうのかを。


 失敗だけが。


 人を危うくするのではない。


 時には。


 大きすぎる成功もまた、人の中に一本の支柱を立てる。


 ――この方法なら。


 ――もっと救える。


 その確信は。


 まだ。


 芽を出してすらいなかった。

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