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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第57話 聖女様は、正しすぎる国へ降り立つ

 聖協国へ入って。


 リリアが最初に驚いたのは。


 大聖堂でも。


 聖女を迎える楽隊でも。


 白亜の宮殿でもなかった。


「……ゴミがありません。」


 馬車の窓から。


 ずっと道を見ていた。


 本当に。


 ない。


 紙くず。


 泥。


 馬糞。


 露店の食べ残し。


 王都なら。


 一つ二つは必ず転がっている。


「毎朝。」


 向かいに座る男が答えた。


「市民が清掃しております。」


 ルーメン卿。


 三十代半ばほど。


 淡い金髪。


 青灰色の瞳。


 派手さはない。


 話し方も穏やかだった。


「当番制ですか?」


「はい。」


「貴族も?」


「もちろん。」


 リリアが目を丸くする。


「公爵様も?」


「掃除します。」


「司教様も?」


「掃除します。」


「枢機卿様も?」


「マティアス猊下も。」


「……箒を?」


「先週。」


「腰を痛めておられました。」


 同行していた王国医師二人が吹き出した。


 リリアも笑う。


「少し。」


「安心しました。」


「なぜでしょう。」


「偉い人も。」


「腰を痛めるんだなって。」


 ルーメンも笑った。


「聖女様も。」


「思っていた方と違います。」


「よく言われます。」


「もっと神々しい方かと。」


「昨日まで畑を耕していました。」


「存じております。」


「……なぜ?」


「有名です。」


 リリアは両手で顔を覆った。


「泥だらけの写真とか。」


「写真?」


「いえ。」


「肖像画です。」


「良かった……。」


 何が良いのかは。


 本人にも分からなかった。


 ◇


 街を進む。


 もう一つ。


 リリアは気付いた。


「車椅子。」


「はい。」


 歩道の端。


 緩やかな傾斜。


 段差が少ない。


 杖をついた老人。


 足の不自由な人。


 小さな子どもを連れた親。


 皆が。


 同じ道を歩いている。


「こちらでは。」


 ルーメンが説明する。


「二十年前から。」


「公共施設の段差を減らしております。」


 リリアは。


 三日前に会った少年を思い出した。


 足を治せなかった。


 七歳の男の子。


 ――学校、行ける?


 胸の奥が。


 少し熱くなる。


「魔法で。」


「治すのではないんですね。」


「治せるものは治します。」


「ですが。」


 ルーメンは窓の外を見る。


「治せない人にも。」


「暮らす権利はあります。」


 リリアは。


 その言葉を帳面へ書いた。


 『治せない人にも、暮らす権利。』


「良い言葉ですね。」


「我が国では。」


「当たり前のことです。」


 リリアは。


 もう一度。


 街を見た。


 ◇


 昼食。


 案内された食堂には。


 長いテーブルが並んでいた。


 司祭。


 役人。


 職人。


 学生。


 修道女。


 同じ場所で食べている。


「席は決まっていないのですか。」


「空いているところへ。」


「身分ごとでは?」


「なぜ分けるのでしょう。」


 ルーメンが。


 本当に分からない顔をした。


「……。」


 リリアは少し恥ずかしくなった。


「王国では。」


「少し違うので。」


「そうでしたか。」


 責める様子もない。


 今日の献立。


 豆のスープ。


 黒パン。


 野菜の煮込み。


 果物。


 リリアが一口食べる。


「美味しい。」


「ありがとうございます。」


「でも。」


 皿を見る。


「お肉は?」


 ルーメンが答える。


「本日はございません。」


「曜日で?」


「いえ。」


「公共食堂では。」


「基本的に肉を提供しておりません。」


 リリアの手が止まった。


「なぜですか。」


「食料効率。」


「環境負荷。」


「そして。」


「生命への配慮です。」


「……。」


「もちろん。」


 ルーメンは微笑む。


「家庭で何を食べるかは。」


「各人の自由です。」


「そうですか。」


 リリアは頷いた。


 豆のスープを飲む。


 美味しい。


 理屈も。


 分からなくはない。


 帳面へ。


 小さく書いた。


 『公共食堂――肉なし。理由確認。』


 クラリスから渡された十二項目の横に。


 十三番目が増えた。


 ◇


 午後。


 リリアは聖協国中央施療院へ案内された。


 ここで。


 彼女は。


 本当に言葉を失った。


「……すごい。」


 受付。


 診察。


 薬局。


 入院棟。


 すべてが分かれている。


 患者の記録は統一様式。


 薬の量。


 治療内容。


 経過。


 誰が見ても分かる。


 地方の診療所でも。


 同じ用紙。


 同じ分類。


 同じ治療基準。


「これなら。」


 同行した王国医師が呟いた。


「医師が代わっても。」


「治療が続けられる。」


「そのための標準化です。」


 ルーメンが答える。


 リリアは。


 夢中になっていた。


「この用紙。」


「持ち帰っても?」


「もちろん。」


「薬の管理表も?」


「どうぞ。」


「地方施療所の運営規則は?」


「写しをご用意します。」


「全部?」


「公開資料ですから。」


 リリアの目が輝く。


「クラリス様。」


 思わず呟いた。


「これ。」


「絶対好きです。」


 王国医師が笑う。


「確かに。」


「三日くらい。」


「ここから出てこないでしょうね。」


「三日で済むでしょうか。」


「一週間かも。」


 三人で笑った。


 ◇


 治療室。


 六歳ほどの少女がいた。


 高熱。


 呼吸も荒い。


「肺熱症です。」


 聖協国の医師が説明する。


「聖女様。」


「お願いできますでしょうか。」


「はい。」


 リリアは少女の手を握る。


 金色の光。


 いつもより。


 少し強く。


 少女を包む。


「……。」


 一分。


 光が消える。


 額へ触れる。


「熱が。」


 医師が驚く。


「下がっています。」


 母親が泣きながら。


 リリアへ頭を下げた。


「ありがとうございます。」


「ありがとうございます……!」


 リリアは。


 少し困ったように笑う。


「まだ。」


「治ったわけではありません。」


 医師を見る。


「このあとは。」


「先生にお願いします。」


「もちろんです。」


 母親にも。


 きちんと伝える。


「聖魔法だけで。」


「薬を止めないでください。」


「はい。」


「食事と。」


「水分も。」


「はい。」


 ルーメンは。


 その姿を静かに見ていた。


 ◇


 廊下へ出る。


「素晴らしい。」


 ルーメンが言った。


「何がですか。」


「聖魔法を。」


「自分の手柄にされない。」


 リリアは首を傾げる。


「だって。」


「先生がいるでしょう?」


「聖魔法だけでは。」


「治らない人もいます。」


「だから。」


「皆で治すんです。」


 ルーメンは。


 しばらく。


 何も言わなかった。


「……やはり。」


「何ですか。」


「あなたは。」


 穏やかに笑う。


「我々が待っていた聖女です。」


 リリアは困った顔をした。


「それ。」


「マティアス様にも言われました。」


「でしょうね。」


「でも。」


「私は。」


 リリアは自分の手を見る。


「まだ。」


「できないことの方が多いです。」


「なら。」


 ルーメンが言った。


「できることを。」


「増やせばいい。」


 リリアは。


 顔を上げた。


「知識で。」


「制度で。」


「仲間で。」


「聖魔法だけに頼らず。」


「人を救える仕組みを作る。」


 それは。


 今のリリアが。


 一番欲しかった答えだった。


「……はい。」


 笑顔になる。


「私も。」


「そうしたいです。」


 ◇


 夕方。


 宿舎へ戻る前。


 リリアは。


 一人で少しだけ街を歩いた。


 清潔な道。


 整った歩道。


 無料の施療院。


 公共食堂。


 学校。


 図書館。


 子どもたちが笑っている。


 老人も。


 障害のある人も。


 貧しい人も。


 同じ街にいる。


「すごいな……。」


 本当に。


 そう思った。


 王国にも。


 持って帰りたい。


 薬草だけではない。


 聖魔法だけでもない。


 こういう。


 仕組みを。


 その時。


 路地の奥から。


 声が聞こえた。


「だから。」


「嫌なんです。」


 若い女性の声。


 リリアは足を止めた。


「私は。」


「肉屋を続けたいだけです。」


 もう一人。


 役人らしい男。


「禁止とは言っていません。」


「ですが。」


「推奨業種転換制度がございます。」


「父の代から。」


「この店なんです。」


「承知しております。」


「だから。」


「私は変えたくありません。」


「それは。」


 役人は穏やかに答えた。


「あなたの自由です。」


 女性が。


 少し安心する。


「ただし。」


 続く言葉。


「来年度より。」


「食肉販売店への公共補助は終了します。」


 女性の顔が固まった。


「……それじゃ。」


「店を続けられません。」


「選択は。」


 役人が言った。


「あなたにあります。」


 リリアは。


 動けなかった。


 禁止ではない。


 選べる。


 確かに。


 自由だ。


 でも。


「……。」


 帳面を開く。


 十四番目。


 書こうとして。


 手が止まる。


 何と書けばいいのか。


 まだ。


 分からなかった。


 だから。


 空欄にした。


 ◇


 同じ頃。


 帝国。


 共同監査委員会。


「ルーメン卿。」


 クラリスは。


 帝国資源管理局から持ち帰った資料を読んでいた。


「聖協国教皇庁。」


「対外調整官。」


 経歴。


 地方施療院改革。


 貧困地域支援。


 難民保護制度。


 食料供給改革。


 どれも。


 立派だった。


「悪い人には。」


 ルシアンが言う。


「見えませんね。」


「はい。」


 クラリスも答える。


 そして。


 もう一枚。


 ルクス交易輸送社の書類。


 末尾。


 L。


 リリアの日程表。


 担当。


 ルーメン卿。


 略号。


 L。


「同じ。」


 アレクシアが言った。


「偶然でしょうか。」


 ルシアンが尋ねる。


「分かりません。」


 クラリスは。


 いつもの答えを返した。


 だが。


 今回は。


 一つだけ。


 気になることがあった。


「セバス。」


「はい。」


「聖協国の公文書で。」


「人物名を一文字で略す慣習はありますか。」


「確認いたします。」


 数分後。


 セバスが戻る。


「ございません。」


 クラリスの羽根ペンが止まった。


「では。」


 アレクシアが立ち上がる。


「やはりルーメンが――」


「まだです。」


「またか!」


「ですが。」


 クラリスは。


 今度は少し違った。


「調べる理由は。」


「十分にできました。」


 帳面へ。


 一行。


 『L――個人名ではなく、権限区分の可能性も含め確認。』


 アレクシアが覗く。


「権限区分?」


「はい。」


「ルーメンという人物だけを疑えば。」


「もし違った時。」


「その奥を見失います。」


 クラリスは地図を広げた。


 帝国。


 王国。


 聖協国。


 三つの国。


 その間を。


 白い翼と天秤が。


 細い線でつながっている。


 そして。


 聖協国の中心に。


 小さく。


 L。


 と書いた。


 ◇


 夜。


 聖協国。


 リリアは宿舎の窓辺で。


 老人からもらった苗へ水をやっていた。


「今日は。」


「いっぱい見たよ。」


 誰に話すでもなく。


 苗へ言う。


「良いところ。」


「本当にいっぱい。」


 少し考える。


「でも。」


 帳面を見る。


 十四番目。


 まだ。


 空欄。


「自由って。」


「何なんだろうね。」


 苗は。


 もちろん。


 答えない。


 リリアは笑った。


「クラリス様なら。」


「すぐ難しいこと言いそう。」


 そして。


 自分で首を横へ振る。


「違う。」


「今回は。」


「自分で考えるんだった。」


 羽根ペンを取る。


 十四番目。


 ゆっくり書いた。


 『禁止されていなくても、選べなくなることはある。』


 その文字を。


 しばらく見つめた。


 消さなかった。


 窓の外。


 白亜の大聖堂が。


 月明かりに輝いている。


 美しい国だった。


 優しい国だった。


 よく考えられた国だった。


 そして。


 だからこそ。


 リリアはまだ知らなかった。


 正しさは、命令の顔をしてやって来るとは限らない。


 時には。


 親切な案内板の姿をして。


 こちらですよ、と。


 微笑みながら。


 人を同じ道へ導くこともある。

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