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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第56話 監査する側にも、監査は必要です

 翌朝。


 帝国資源管理局の正門前に、一台の馬車が止まった。


 降りてきたのは。


 クラリス。


 アレクシア。


 ルシアン。


 セバス。


 そして。


 ヨル。


「今日は大人しいな。」


 アレクシアが黒い狼の頭を撫でようとする。


 ヨルは、すっと半歩避けた。


「なぜだ。」


「殿下。」


 クラリスが言う。


「昨日、干し肉で釣ろうとしましたね。」


「……。」


「信用を帳簿に換算するなら。」


「現在、赤字です。」


「犬相手にも監査するのか!」


「狼です。」


「そこではない!」


 朝から元気だった。


 だが。


 資源管理局の扉をくぐった瞬間。


 空気が変わった。


 ◇


 帝国資源管理局。


 魔石。


 鉱物。


 希少金属。


 帝国各地から採掘される資源を管理する巨大官庁だ。


 職員は三百人を超える。


 その三階。


 会議室には。


 監督官ハインツ・ローデンが座っていた。


 四十代半ば。


 痩せた男。


 眼鏡。


 几帳面に整えられた制服。


 机の上には。


 すでに資料が積まれている。


「共同監査委員会の皆様。」


 ハインツは立ち上がった。


「お待ちしておりました。」


 アレクシアが少し驚く。


「逃げなかったのか。」


「殿下。」


 クラリスが小声で注意する。


「まだ犯人ではありません。」


「分かっている。」


 ハインツは苦笑した。


「逃げる理由もございません。」


「ガルム魔石鉱山についてですね。」


「はい。」


 クラリスが一枚の納品書を置く。


「あなたの署名です。」


「間違いありません。」


「新品の安全設備を検品した。」


「はい。」


「ですが。」


 クラリスは続ける。


「現場にあったのは八年前の設備でした。」


「承知しております。」


 全員が止まった。


 アレクシアの眉が動く。


「……知っていた?」


「はい。」


 ハインツは静かに答えた。


「では。」


 アレクシアが立ち上がりかける。


 クラリスが袖を掴んだ。


「まだです。」


「だが!」


「最後まで。」


 アレクシアは歯を食いしばり。


 座った。


「続けてください。」


 クラリスが促す。


 ハインツは一枚の書類を取り出した。


「三年前。」


「帝国資源管理局に、新しい制度が導入されました。」


 表題。


 『緊急資源優先配分制度』


「災害。」


「疫病。」


「魔物被害。」


「国家規模の緊急事態が発生した場合。」


「必要な物資を、通常の契約より優先して供給する制度です。」


 ルシアンが頷く。


「合理的です。」


「はい。」


 ハインツも頷いた。


「制度そのものは。」


「ですが。」


 一枚めくる。


「一年半前から。」


「この制度の適用件数が急増しました。」


 クラリスの目が細くなる。


「どこへの供給ですか。」


「国外です。」


「国外?」


 アレクシアが聞き返す。


「聖協国。」


 部屋が静まった。


 ◇


 帳簿が運び込まれる。


 一冊。


 二冊。


 十冊。


 二十冊。


 クラリスの前に。


 小さな城壁ができた。


 アレクシアが呟く。


「これを全部読むのか。」


「はい。」


「槍の方が楽だな。」


「比較対象がおかしいです。」


 ルシアンが一冊を開く。


「聖銀。」


「浄化石。」


「魔力遮断布。」


「高純度魔石。」


「全部。」


 顔を上げる。


「瘴気対策に使えるものです。」


 クラリスも確認する。


 送り先。


 聖協国。


 用途。


 『北部疫病対策』


 『魔物被害地域支援』


 『聖域結界修復』


 どれも。


 人を救うための名目だった。


「問題は。」


 ハインツが言う。


「量です。」


 クラリスは数字を追った。


 一年前。


 二倍。


 半年前。


 四倍。


 三か月前。


 七倍。


「異常ですね。」


「はい。」


「その結果。」


 ハインツは別の帳簿を出した。


「国内向けの安全設備に使う素材が不足しました。」


 ルシアンが息を呑む。


「だから。」


「古い設備を?」


「……はい。」


 アレクシアの拳が握られた。


「ならば。」


「なぜ。」


 低い声。


「止めなかった。」


 ハインツは答えない。


「二人死んだ。」


「知っております。」


「知っていて!」


 アレクシアが机を叩いた。


 ヨルが耳を立てる。


 だが。


 ハインツは逃げなかった。


「止めようとしました。」


 静かに。


 そう言った。


「何度も。」


 一冊の薄いファイル。


 申立書。


 第一回。


 却下。


 第二回。


 却下。


 第三回。


 保留。


 第四回。


 回答なし。


 合計。


 十九回。


「ガルム鉱山長から届いた二十七通。」


「私から提出した十九通。」


 ハインツは自嘲するように笑った。


「合計四十六通です。」


「それでも。」


「何も変わりませんでした。」


 クラリスが尋ねる。


「誰が却下を。」


「局長です。」


 アレクシアが立ち上がる。


「呼べ。」


 職員が青ざめる。


「それが……。」


「何だ。」


「局長は。」


「今朝。」


「辞表を提出されました。」


 沈黙。


「現在。」


「所在不明です。」


 ◇


「逃げたな。」


 アレクシアが言う。


「可能性は高いです。」


 クラリスは否定しなかった。


「ですが。」


「問題は。」


 書類を並べる。


「局長一人で。」


「これほど大量の国外優先供給を決定できるのでしょうか。」


 ハインツが首を横へ振った。


「できません。」


「年間予算の五パーセントを超える場合。」


「財務局。」


「外務局。」


「帝国評議会。」


「三者の承認が必要です。」


「では。」


 クラリスが言う。


「承認書を。」


 ハインツは黙った。


「ありません。」


「……ありません?」


「正確には。」


「見たことがありません。」


 アレクシアが理解できない顔をする。


「承認がないのに。」


「なぜ物資が動く。」


「承認番号だけは。」


「毎回、通知されました。」


 セバスが初めて口を開いた。


「番号だけ。」


「はい。」


「原本を確認せず。」


「処理した。」


「……はい。」


 ハインツは俯いた。


「それは。」


 クラリスが言う。


「あなたの責任です。」


 ハインツの肩が僅かに震えた。


「はい。」


「上司に言われたから。」


「制度だから。」


「前例だから。」


「それだけでは。」


「署名した責任は消えません。」


「……はい。」


 アレクシアは。


 クラリスを見た。


 庇わない。


 だが。


 断罪もしない。


 責任のある場所だけを。


 静かに切り分けていく。


「ただし。」


 クラリスは続けた。


「あなた一人の責任でもありません。」


 ハインツが顔を上げる。


「これから。」


「一緒に探します。」


「何を。」


「誰が。」


 クラリスは承認番号の一覧を手に取った。


「存在しない承認を。」


「存在することにしたのか。」


 ◇


 調査は。


 その日の午後まで続いた。


 承認番号。


 四十七件。


 財務局。


 該当なし。


 外務局。


 該当なし。


 帝国評議会。


 該当なし。


「偽造ですね。」


 ルシアンが言う。


「ええ。」


「ですが。」


 クラリスは一枚だけ別にした。


「これ。」


 番号の形式が違う。


 通常。


 帝国の公文書番号は。


 年度。


 部署。


 通し番号。


 三つで構成される。


 だが。


 聖協国向けの書類だけ。


 最後に。


 小さな記号が付いている。


 L。


「エル?」


 アレクシアが覗き込む。


「何の略だ。」


「分かりません。」


 クラリスが答える。


 その時。


 ヨルが。


 低く唸った。


「ヨル?」


 黒い狼は。


 部屋の隅に積まれた木箱へ近付く。


 鼻を寄せる。


 唸る。


 ルシアンの顔色が変わった。


「この匂い。」


「知っているのですか。」


「……瘴気です。」


 全員が立ち上がった。


 木箱を開ける。


 中には。


 灰色の布。


 鉱山用の防護布だった。


 だが。


 ヨルはさらに唸る。


「微量です。」


 ルシアンが布へ魔力を流す。


「人体には。」


「すぐ影響する量ではありません。」


「ですが。」


「長期間使えば。」


 クラリスが聞く。


「どうなりますか。」


「魔力酔い。」


「倦怠感。」


「判断力低下。」


「酷ければ。」


「魔物を引き寄せる可能性もあります。」


 アレクシアの顔から。


 完全に笑みが消えた。


「待て。」


「鉱山の事故が増えたのは。」


「設備が古かったからだけではない?」


「その可能性があります。」


 クラリスが防護布を見る。


「この布は。」


「どこから。」


 ハインツが納品書を確認する。


「バルツ商会。」


「その輸送業者は。」


 ページをめくる。


 そして。


 止まる。


 昨日と同じ。


 白い翼。


 天秤。


 だが。


 今度は会社名まで残っていた。


 《ルクス交易輸送社》


「調べましょう。」


 クラリスが言う。


 セバスがすでに別の資料を開いていた。


「必要ございません。」


「何か。」


「登記簿がございます。」


 会社所在地。


 帝都南区。


 代表者。


 空欄。


 資本金。


 不明。


 設立。


 一年半前。


 そして。


 主要取引先。


 そこに。


 一つだけ。


 記載があった。


 聖協国教皇庁・慈善事業局。


 誰も。


 すぐには口を開かなかった。


 ◇


「クラリス。」


 アレクシアが低く言う。


「聖協国が。」


「黒幕なのか。」


「分かりません。」


「またそれか。」


「はい。」


 クラリスは真っ直ぐ答えた。


「この印章がある。」


「輸送会社もつながっている。」


「物資も流れている。」


「それでも?」


「それでもです。」


 クラリスは防護布を証拠袋へ入れた。


「組織の名前と。」


「そこで働く人。」


「その上にいる人。」


「目的。」


「すべて別々に確認します。」


「白翼慈善会のアーベルは。」


「本当に人を助けていました。」


 アレクシアは黙った。


「善人がいるから。」


「組織が善とは限りません。」


「同時に。」


「悪い仕組みがあるから。」


「そこにいる全員が悪人とも限りません。」


 ハインツが小さく呟く。


「監査……。」


「はい。」


 クラリスは言う。


「だから。」


「決めつける前に。」


「数えます。」


 ◇


 夕方。


 資源管理局の屋上。


 アレクシアは帝都を眺めていた。


 隣には。


 槍ではなく。


 一冊の帳簿。


「クラリス。」


「はい。」


「一つ聞いていいか。」


「どうぞ。」


「監査する人間が。」


「間違っていたらどうする。」


 クラリスは少し考えた。


「監査します。」


「誰が。」


「別の人が。」


「その人も間違っていたら。」


「さらに別の人が。」


 アレクシアが笑う。


「終わらないではないか。」


「ええ。」


 クラリスも笑った。


「終わらなくて良いのです。」


「完璧な人間を探すのではなく。」


「間違っても。」


「直せる仕組みを作る。」


 風が。


 二人の髪を揺らす。


「だから。」


 クラリスは言った。


「監査する側にも。」


「監査は必要です。」


 アレクシアはしばらく考えた。


「面倒だな。」


「はい。」


「でも。」


「悪くない。」


「はい。」


 その時。


 ルシアンが屋上へ駆け込んできた。


「クラリス様!」


「どうしました。」


「局長の居場所が分かりました!」


 アレクシアが振り返る。


「どこだ。」


 ルシアンは息を整え。


 一枚の紙を差し出した。


「国境です。」


「昨夜。」


「帝国を出ています。」


「行き先は。」


 クラリスが尋ねる。


 ルシアンは答えた。


「聖協国。」


 風が止まった。


 クラリスは。


 同じ紙の下部を見る。


 出国者。


 帝国資源管理局長。


 同行者一名。


 そして。


 その同行者の名前を見た瞬間。


 クラリスの表情が変わった。


「……これは。」


「知っている人間か。」


「いいえ。」


 クラリスは首を横へ振った。


「ですが。」


 職業欄。


 そこには。


 聖協国教皇庁・特使。


 そして。


 備考欄には。


 たった一文字。


 L。


 承認番号の末尾に。


 必ず付いていた文字。


 同じものだった。


 ◇


 その夜。


 王国。


 大聖堂。


 リリアは旅支度を終えていた。


 着替え。


 帳面。


 薬草。


 医療資料。


 農夫の老人からもらった、小さな苗。


 最後に。


 聖協国から届いた日程表を鞄へ入れる。


 ふと。


 紙の隅に。


 小さな文字があることに気付いた。


 担当案内官――ルーメン卿。


 その下。


 略号。


 L。


「ルーメン様……。」


 リリアは。


 何の疑いもなく。


 その名前を読み上げた。


 そして。


 小さな苗が潰れないよう。


 鞄の一番上へ置いた。


 泥だらけの聖女は。


 明日。


 世界で最も美しく。


 最も正しい国へ向かう。


 その国で待っているものが。


 救いなのか。


 罠なのか。


 あるいは。


 その両方なのか。


 まだ。


 誰にも分からなかった。

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