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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第四章 悪女令嬢は、帝国と未来を監査する
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第55話 皇女殿下は、帳簿に槍を刺さない

 クラリスが帝都へ戻ったのは、聖協国からの招待状が届いて三日後だった。


 帝都中央駅。


 馬車を降りた瞬間。


 クラリスは違和感に気付いた。


「……静かですね。」


「そのようでございます。」


 セバスも周囲を見る。


 本来なら共同監査委員会の誰かが迎えに来ているはずだった。


 アレクシア。


 ルシアン。


 あるいは帝国官僚。


 誰もいない。


 代わりに。


 駅舎の端で、一人の若い役人が青い顔をして待っていた。


「クラリス様!」


 駆け寄ってくる。


「お戻りを!」


「何かありましたか。」


「皇女殿下が……!」


 クラリスの顔色が変わる。


「怪我を?」


「いえ!」


「では。」


「鉱山へ行かれました!」


「……。」


「槍を持って!」


 クラリスは目を閉じた。


「セバス。」


「はい。」


「嫌な予感がします。」


「奇遇でございます。」


「私もです。」


 ◇


 帝都から北へ馬車で二時間。


 ガルム魔石鉱山。


 帝国最大級の魔石採掘地だった。


 到着すると。


 入口には鉱夫たちが集まっていた。


 ざわざわしている。


「皇女殿下が中に!」


「止めたんだ!」


「でも聞かなくて!」


 クラリスは馬車から降りる。


「何が起きていますか。」


 鉱夫の一人が振り返る。


「あんたは?」


「共同監査委員会です。」


「なら早く止めてくれ!」


「何を。」


「皇女様が!」


 男は坑道を指差した。


「帳簿を持って坑道へ入っちまった!」


 クラリスは少し黙った。


「……槍ではなく?」


「両方だ!」


「重そうですね。」


「そこじゃねえ!」


 ◇


 坑道の奥。


 カン。


 カン。


 鉱夫のつるはしが岩を叩く。


 そのさらに奥。


 アレクシア皇女は。


 木箱に座って帳簿を読んでいた。


 隣には深紅の槍。


「……分からん。」


 ページをめくる。


「なぜだ。」


 もう一度。


「やはり分からん。」


「何が分からないのですか。」


「うわっ!」


 アレクシアが振り返った。


「クラリス!」


「ただいま戻りました。」


「いつからいた。」


「『分からん』の二回目から。」


「最初からではないか!」


 クラリスは隣へ腰掛ける。


「それで。」


「何が。」


 アレクシアは帳簿を差し出した。


「これだ。」


 鉱山会計。


 採掘量。


 出荷量。


 売上。


 人件費。


 事故補償。


 クラリスは数字を追った。


「特に不自然ではありません。」


「だろう?」


「だから困っている。」


 アレクシアは坑道の奥を見る。


「三か月で。」


「事故が十七件起きた。」


 クラリスの指が止まる。


「死者は。」


「二名。」


「重傷者五名。」


「残り十名も、一週間以上働けなかった。」


「ですが。」


 クラリスは帳簿を見る。


「安全設備費は増えています。」


「そうだ。」


 前年より二割増。


 坑道補強。


 照明魔石。


 防護具。


 換気設備。


 すべて購入済み。


 数字だけなら。


 安全になっているはずだった。


「それで。」


 クラリスが尋ねる。


「なぜ坑道へ?」


「見に来た。」


 アレクシアは当然のように答えた。


「帳簿では買ったことになっている。」


「なら。」


「物があるか確かめればいい。」


 クラリスは少しだけ笑った。


「正解です。」


「そうだろう?」


「ええ。」


 アレクシアは嬉しそうに立ち上がった。


「だから見ろ。」


 壁を指差す。


 照明魔石。


 一見、問題はない。


 だが。


 クラリスが近付く。


「……古い。」


「気付いたか。」


 製造刻印を見る。


 八年前。


 帳簿では。


 三か月前に新品へ交換したことになっている。


「防護具もだ。」


 アレクシアが棚を開ける。


 革の手袋。


 兜。


 防塵布。


 どれも使い古されていた。


「購入記録だけ。」


「新品です。」


 クラリスが呟く。


「そういうことだ。」


 アレクシアは槍を担いだ。


「だから。」


「鉱山長を殴りに行こうと思う。」


「そこだけ不正解です。」


「なぜだ!」


「監査ですので。」


「槍の方が早い。」


「自白の証拠能力が下がります。」


「む……。」


「それに。」


 クラリスは帳簿を閉じた。


「鉱山長が犯人とは限りません。」


 ◇


 地上へ戻る。


 ルシアンが待っていた。


「クラリス姉――」


 止まった。


「クラリス様!」


 クラリスが首を傾げる。


「今。」


「何か。」


「何も!」


 アレクシアが笑う。


「姉と言いかけたぞ。」


「言ってません!」


「言った。」


「言ってません!」


「記録しましょうか。」


「クラリス様まで!」


 少しだけ。


 いつもの空気が戻った。


 ◇


 鉱山事務所。


 クラリスは購入伝票を机へ並べる。


「安全設備の納入業者は。」


「帝都のバルツ商会。」


 ルシアンが答える。


「過去三年間。」


「ずっと同じです。」


「入札は。」


「形式上は行われています。」


「形式上?」


「毎回。」


「他の二社が途中で辞退しています。」


 クラリスの目が細くなる。


「理由は。」


「納期に対応できない。」


「価格条件が合わない。」


「必要数量を確保できない。」


 セバスが別の書類を置く。


「さらに。」


「バルツ商会から鉱山長個人への送金記録はございません。」


 アレクシアが腕を組む。


「なら。」


「鉱山長は白か?」


「まだ分かりません。」


 クラリスは購入伝票を見る。


 そして。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 重ねる。


「……あら。」


「何だ。」


「全部。」


 指で一点を示す。


 検品責任者。


 そこには毎回。


 同じ名前。


 鉱山長ではない。


 帝国資源管理局。


 監督官。


 ハインツ・ローデン。


「帝都の役人……。」


 アレクシアの表情が変わる。


「はい。」


「鉱山の不正ではありません。」


 クラリスは静かに言った。


「鉱山を監督する側が。」


「偽の新品を検品済みにしている可能性があります。」


 つまり。


 監査する側が。


 不正に加担している。


 部屋が静かになった。


「……なるほど。」


 アレクシアは槍へ手を伸ばした。


「では帝都へ戻って――」


「殴りません。」


「まだ何も言っていない!」


「顔に書いてあります。」


「皇族に対して失礼だぞ!」


「監査ですので。」


「それ万能だな!」


 ◇


 その夜。


 鉱夫たちへの聞き取りが始まった。


 一人ずつ。


 別室で。


 名前は公表しない。


 処罰もしない。


 ただ。


 知っていることを話してもらう。


 三人目。


 若い鉱夫が言った。


「新品は。」


「一度だけ見ました。」


 クラリスが顔を上げる。


「いつですか。」


「監督官が来る日。」


「新品の防護具が届いて。」


「俺たちに配られました。」


「翌日は。」


「回収されました。」


「どこへ。」


「分かりません。」


 五人目。


「照明魔石も同じです。」


「検査の日だけ交換する。」


 七人目。


「監督官が帰ったら。」


「古いものに戻します。」


 十人目。


「でも。」


 男が言い淀んだ。


「妙なんです。」


「何が。」


「鉱山長も。」


「怒ってました。」


 クラリスとアレクシアが顔を見合わせる。


「誰に。」


「分かりません。」


「ただ。」


「事故が起きるたび。」


「こんなものを使わせられるかって。」


「何度も帝都へ手紙を書いていました。」


「返事は?」


「来なかったみたいです。」


 クラリスの表情が変わった。


「その手紙。」


「残っていますか。」


 ◇


 鉱山長室。


 机の一番下。


 鍵付きの引き出し。


 そこには。


 二十七通の手紙の写しが残っていた。


 安全設備不備について。


 納入品相違について。


 事故発生について。


 至急調査願いたい。


 送り先。


 帝国資源管理局。


 二十七通。


 回答。


 ゼロ。


 アレクシアは。


 長い間。


 何も言わなかった。


「殿下。」


 クラリスが呼ぶ。


「……私は。」


 アレクシアは拳を握った。


「この男を。」


「殴ろうとしていた。」


「はい。」


「もし。」


「お前がいなかったら。」


「犯人にしていたかもしれん。」


 クラリスは答えない。


「力があれば。」


「悪を倒せると思っていた。」


 アレクシアは自分の槍を見る。


「だが。」


「間違った相手を殴れば。」


「それは。」


「ただの暴力だな。」


 クラリスは静かに頷いた。


「はい。」


 アレクシアは槍から手を離した。


 代わりに。


 帳簿を持った。


「続きをやろう。」


 クラリスが少し驚く。


「今から?」


「当然だ。」


「二人死んでいる。」


「朝まで待つ理由がない。」


 クラリスは。


 少しだけ笑った。


「承知しました。」


 ◇


 深夜。


 二人は並んで書類を調べていた。


 アレクシアが突然言う。


「クラリス。」


「何でしょう。」


「帳簿というのは。」


「重いな。」


「紙ですから。」


「そういう意味ではない!」


「存じています。」


 アレクシアは苦笑した。


 そして。


 事故報告書を一枚。


 丁寧に机へ置いた。


「槍なら。」


「敵が見える。」


「帳簿は。」


「敵が見えない。」


「はい。」


「だから。」


 クラリスは答えた。


「一行ずつ。」


「探すのです。」


 アレクシアは頷く。


 ページをめくる。


 その手つきは。


 以前よりずっと丁寧になっていた。


 そして。


 午前二時十三分。


「クラリス。」


「はい。」


「これを見ろ。」


 一枚の納品書。


 バルツ商会。


 安全設備一式。


 その下。


 輸送を担当した業者。


 クラリスの目が止まる。


 聞いたことのない商会名。


 だが。


 印章には。


 小さな。


 白い翼。


 そして。


 天秤。


 二人の視線が合った。


「……またですね。」


「ああ。」


 フェルン渡河村。


 白翼慈善会。


 黒陽草。


 聖協国。


 そして。


 帝国最大の魔石鉱山。


 点だったものが。


 少しずつ。


 線になり始めている。


 アレクシアは槍を見た。


 それから。


 帳簿を見た。


 今度は。


 槍を取らなかった。


「クラリス。」


「はい。」


「明日。」


「帝国資源管理局を監査する。」


「承知しました。」


「徹底的にだ。」


「もちろんです。」


 アレクシアは少し笑った。


「それと。」


「何でしょう。」


「今日の私は。」


「何点だ。」


 クラリスは考えた。


「七十二点。」


「低い!」


「鉱山長を殴ろうとしましたので。」


「そこまで減点されるのか!」


「二十八点分です。」


「細かい!」


「監査ですので。」


 深夜の鉱山事務所に。


 久しぶりに笑い声が響いた。


 だが。


 二人の前には。


 一枚の納品書が残っている。


 白い翼。


 天秤。


 善意を届けるはずの紋章が。


 今度は。


 二人の鉱夫の命を奪った不正の先にあった。


 そして。


 同じ頃。


 王国では。


 リリアが聖協国へ持っていく荷物の中へ。


 泥のついた小さな薬草の苗を。


 大切そうに入れていた。


 まだ。


 誰も知らない。


 同じ白い翼を。


 三人が。


 まったく違う場所から見つめ始めていることを。

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